(1ー1)
芝生の上に転がり眠りたい。そんな言葉が似合う世界だった。
青々とした空に、綿菓子のような雲。
黄色い小鳥がささやか程度に鳴いて、白い小ぶりの花たちがさわさわと揺らめく草原。生の息吹きを肌から感じる反面、全てがうとうとと眠りについていくのが分かる穏やかなここで。
「えー、犯人に告ぎます!今すぐ赤ずきんちゃんを解放しなさい!繰り返します、今すぐ赤ずきんちゃんを解放しなさい!」
私はいったい、何をしているのだろうか。小型の拡声器を片手に持ち、自らこの世界に似つかわしくないことをしている。いっそ、このまま眠りたい。全てを忘れて、思うがまま惰眠を貪りたい。絶対に羊さんに乗って空をふよふよ漂う夢を見られるから。けれども、そうは問屋が卸さなかった。
「離すものかー!俺は赤ずきんと結婚するんだー!」
茶色いつなぎを着た、これまた茶色い剛毛を持つ二足歩行生物が、小さな女の子を脇に抱えて騒いでいるのだから、眠るわけにもいかないだろう。
事の始まりは何時間前だったか。
『狼が、赤ずきんを拉致ったそうなのー。物語が完成しないから、修正お願いね』
ウィンクが似合う年齢不詳上司に言われたお願いならぬ、仕事。拉致を行った野郎ーーもとい、当事者に会いに来れば、どうやら興奮しているらしく、弾みで赤ずきんに危害を加えられないよう、まずは草葉の陰より犯人説得に試みる。
そうして時は流れて、現在。
「今すぐ赤ずきんを解放しなさーい!こんなことをしては、故郷の母狼が泣きますよー!我が子が、幼女に求婚を申し込んだあげく、ふられたからと言って拉致をするような変態狼であるなんて、お母さんが泣きますよー!」
「事実にしても言い方考えろや!傷つくだろうが!つか、そもそも、ここの登場人物に俺の母親はいねーっての!」
それもそうか、と二足歩行生物もとい、狼の言葉に納得。木の股ならぬ、紙から産まれた彼らには生みの親がいないケースがある。説得失敗かと、小型の拡声器をベルトポーチにしまう。ベルトポーチには他にも暴れる当事者を捕縛するための縄や、もしものための伸縮式警棒も備え付けられているが人質を取られている以上、近接でこそ使えるこれらの道具は使い物にはならない。
そもそも、これだけ長い時間話しかけても、赤ずきんと結婚するとしか言わない変態狼にはどんな言葉も通じないだろう。ここは、狼撃退のために猟師を派遣するしかないのだけど。
「猟師さん、まだ起きませんか?」
「無理だね。なんせ、絞めて“落としちゃった”からしばらくは起きないよ」
泡を吐いたまま気絶している猟師。ここに来た段階では、この猟師が赤ずきんを救出しようと奮闘していた。狼も猟師には弱いらしく、後一息のところで狼を倒せたというのに。
「あなたがあの時、下らない理由で猟師を落とさなければああぁ!」
狼にやられたわけでなく、『落としちゃったから』といけしゃあしゃあ語る男は悪いことをしたとは思っていない。
曰わく。
「下らなくなんかない。こいつ、雪木を見るなり、『危ないから下がってて、お嬢さん』だなんて優しい言葉をかけ、さらには狼を一発で仕留めるというかっこいいところを見せつけようとしたんだよ?君の好感度を底上げし、いずれは君と恋人関係になろうと企んでいた紙屑なんだ。燃え消さなかっただけでもずいぶん譲歩したんだけどね」
曰わくとまとめても、理解出来ない破壊的思考回路には返す言葉も見つからない。ああ、つまるところを話すならば。
「君に恋心を抱くのは俺だけでいいんだ」
彼は、私に惚れていた。赤ずきんの登場人物ではない。そうして、私の所属する図書館『フォレスト』の従業員でもない。一般的に聖霊と呼ばれる人種である彼は、何故だか人間たる私に惚れたらしい。しかもか、ぞっこん。それはもう、ぞっこんという言葉がピンクのドロドロに溶けて呑み込まれてしまうほど私を愛してしまった彼には。
「だからって、事件早期解決がための人物を落とすなああぁ!」
「そうして、俺を落としにかかるかぁ。俺はもう色んな意味で君に落とされたというのに、なおも過激に求愛してくれるなんて、もっと体重をかけて首絞めなきゃ」
いっそ、お前を落としてやろうかっ!な怒りの表現も、彼にとってはご褒美でしかなかった。脱力する。職務に戻らなければ。
「こんな紙屑より俺を使えばいいんだよ。迅速に、あの狼を灰にしよう。ーーというか、したいんだよね。俺の雪木と何時間も話せるなんて、苛ついてしょうがない」
「そんなバイオレンス思考だから、あなたには任せたくないのですよ」
「その拡声器、いいよね。これで雪木の声を直に耳で聞いて、鼓膜が破けたらと思うと興奮する。鼓膜ってさ、再生するらしいから何度でも君の声でーー」
「拡声器使用不可になりましたが、狼さん聞こえますかー」
聞こえるよーの返答を貰えたので、本気で鼓膜を破りかねない彼を無視して話を続ける。
「赤ずきんちゃんを拉致してからだいぶ時間が経っているでしょう。そろそろ、休憩にしませんかー。水と食料をお持ちしましょう」
「その手には乗るか、バーカ」
「では、この休憩は赤ずきんのトイレタイムも兼ねてますー。生理現象に抗っては体に毒ですよー」
「あ、あか、赤ずきんの、とと、トイレ!?お、俺は、その覚悟もあるぞ!」
「何の覚悟だ変態狼!ーーげほん、えー、ともかく赤ずきんちゃんを解放しなさーい!」
「するかー!今すぐにこの物語を、俺と赤ずきんが結婚するまでの話に改竄しろ!図書館の奴らなら出来んだろ!」
やはり、話は平行線か。あるべきではない内容に変えることは、物語の改竄を意味する。図書館創設者たる上位聖霊ブックと、司書長たる上司の許可があれば出来ないこともないが、長年語り継がれている歴史を自分勝手に変えることを良しとしないのは明白。唯一の例外があるとすれば。
「おい、お前。雪木を侮辱する口に熱した石を詰め込んでやろうか」
隣にいた彼はいつの間にやら、狼の口を掌握していた。聖霊と言っても彼の姿は成人男性のそれと同等というか、上位というか、身長180越えの手による掌握はバスケットボールを片手で持つがごとく余裕綽々と狼を悶絶させていた。
「腹に詰める石は全て口を通して入れてやろう。井戸の水を干上がらせて、深い深い底に叩き落とした後、上からコンクリートを流し込んで埋め立ててやろうか。ああ、その前に彼女への詫びとしてその毛皮を剥いで売り飛ばそう」
「暴力禁止です売りません!」
「そっか。君の世界にはこちらの物は持っていけないものね。でもせっかくだし、こいつの毛皮で試してみようよ。仮にも持っていけるなら、俺の皮で出来た指輪を君の左手薬指に巻き付けたい」
「恐ろしいこと言ってないで、戻って来て下さい!」
見境なく暴力ーーそれもひたすらに残虐なことをしようとする彼を制するのもまた私の仕事。ホイッスルがあれば、ピーピー鳴らしたい心持ちで彼に呼び掛けた。
「戻って、だなんて。ごめんね、雪木。俺とそんなに離れたくなかったんだね!」
都合いい自己解釈と誇大妄想を携えた彼は私に頬ずりが出来る距離まで戻ってきた。ひとまず、これで狼さんの命は救われた。
「って、なんで戻ってきたああぁ!」
せっかく狼を捕まえていたのに!赤ずきんに危害を与える前に、がしっと捕まえていたというのに、この人は!
「雪木が戻ってと言ったから。俺は雪木のお願いごとしか聞かないよ」
「そうじゃないそうではありません!赤ずきん救出のために尽力をですねー!」
くどくど言いたくなったところで、きゃあという幼子の悲鳴。
「どいつもこいつも、邪魔しやがってぇ!俺と赤ずきんが結婚しない物語なんか、こっちから願い下げだあぁ!」
気性荒ぶる狼が大きく口を開けた。立派な白い牙がぎらつく口が、今にも赤ずきんを頭から飲み込もうとする。
「話が違いますよ!飲み込む前に、きちんとおばあさんの衣装に着替え、おつかいに来た赤ずきんが」
「ふえぇ、おばあさんのお耳はどうしてそんなに、大きいの?」
「それは赤ずきんの声をよく聞くためーーって、やるかあぁ!」
赤ずきんの言葉に条件反射で決められた台詞を言うも、はたっと気付き呑み込み続行。狼に呑み込まれて赤ずきんが死ぬことはない。しかして、赤ずきんを救い出すにはあのお腹を切るしかないが、その役の猟師は気絶中。仮にも、赤ずきんを呑み込んだまま狼に逃亡でもされたら。
「ここじゃないどこかで、赤ずきんと幸せになってやる!」
「どこかの断崖絶壁から無理心中確定な常套句ですから、それ!」
周りの反対を押し切って駆け落ちしたカップルの『幸せになってやる!』はバッドエンド。何としてでも阻止しようとした矢先。
「お待ちになりなさい!」
この場でその台詞(決まり文句)。救世主に違いない。きっと、全ての物事を解決してくれるであろう期待を胸にその救世主を崇めれば。
「赤ずきんは、このばあばが決めた相手と結婚するに決まっているんじゃ!」
ピンクのナイトガウンに、フリルたっぷりのナイトキャップを被ったおばあさんがそこにいた。
「え、えぇ……」
救世主のイメージとはかけ離れた存在のおばあさんだが、当の人は狼を恐れず果敢に言葉を投げつける。
「おまえさんのような毛むくじゃらに、かわいいかわいい孫を任せられるものか!」
「だからって、結婚相手にそんな猟師を選ぶってのかよ!」
「猟師なんぞに、かわいいかわいい孫をやるものか!おお、ちょうどいいのぅ。そこな図書館。かわいいかわいい孫に相応しい、小リスのような愛らしく無垢なそれはそれは玉のような少年を物語の登場人物に書き加えてくれぬか。このままでは、この不細工な猟師に孫を取られてしまうのでな」
おばあさんに、無理難題をふっかけられた!ここは無難な回答として、『上と相談してみます』と言うべきか。しかして、今はそれどころではない。今にも赤ずきんが、狼に。
「お待ちなさい!」
ああ、今度こそ、救世主がと涙すれば。
「赤ずきんは、どこにもお嫁に行かせません!かわいいかわいい赤ずきんは、ずっとママと一緒に暮らすのよ!」
赤ずきんの洋服とペアルックなママさん登場で、涙引っ込みました。
「結婚だなんていわば大博打!付き合いたての頃は優しかったあの人も、結婚して三年どころか一年経てば釣った魚に餌はやらない家庭ほっぽり出して遊び歩くクソ亭主に豹変!しかもか、ことあるごとに孫孫と何かにつけてかわいいかわいい赤ずきんを呼び出しては泊まらせようとする姑つき!こんな不幸な結婚生活をママのかわいいかわいい赤ずきんに味わあせてなるものですかっ!」
「嫁の分際でしゃしゃり出るんじゃないよ!物語の序盤にしかいないじゃろうに!」
「お義母さんこそっ!狼に丸呑みされて終盤に助けられる程度の出番じゃないですか!第一、お義母さんが狼なんかに呑まれなければ、かわいいかわいい赤ずきんが怖い思いをすることもないのに!毎回毎回、かわいいかわいい赤ずきんを呼び出さないでもらえます!?」
修羅場の豪速球キャッチボール勃発。嫁姑はどこの世界も仲違いするものらしい。
「俺は雪木と結婚しても、一生愛すよ。三年でも十年でも、むしろ永遠に夫婦にいられるような方法を探して、雪木と二人っきりで生きていくのが俺の夢」
後ろから私を抱きしめながら夢語る彼に構うことはしない、断じて。この嫁姑戦争をどう止めるかと思ってたけど、そもそもの元凶は現在進行形だった。
「てめえらがそんなんだから、俺が赤ずきんを連れていくんだよ!会えばすぐ赤ずきんを取り合う醜いケンカばかりしやがって!そんな劣悪な家庭環境に赤ずきんを置いていけるか!俺が赤ずきんの面倒を見てやる!」
え、狼が実はまともな性格だったドンデン返しパターンに?
「そうして、赤ずきんと結婚して子どもを八人ぐらい作ってやる!」
やっぱり、狼は変態だった。嫁姑戦争に狼も参戦しているものだから、のどかな世界が今にもひび割れそうな喧騒ぶり。もうこれ以上の喧騒はないだろうと思っていたけど。ーーああ、これもまた常套句(お約束)か。
「待ちたまえ!」
物語、最後の登場人物。彼がチッと舌打ちしたところから、誰かは見ずとも分かる。第一印象から救世主らしい人物に期待寄せるも、引っ込めた涙は流れない。なんせ、もう。
「赤ずきんと子作りをするのは、この僕だ!」
一番こいつがアウトでしたーというお約束確定は目に見えていた。狼曰わく、事実にしろ言い方ってものがある。の言葉を思い出す。本当に言葉を選ぶのって大事だと常々学んだ。
「赤ずきんと世帯を持つのはこの僕である!物語の終盤にそういった結末は書かれていないが、誰が読んでも、赤ずきんを救いし僕が彼女と結ばれるのは自明の理!読者の皆様はきっと、僕と赤ずきんの幸せ家族計画を想像してくださっていることだろう!ーーおっと、うっかりしておったな。赤ずきんが子を設けるためには年齢的に」
「落としていいです」
了解と一つ返事で事を成してくれた彼は、また猟師を深い眠りへ誘ってくれた。
「もう、あなたに任せてもいいですか……」
「暴力を肯定するほど、この場に疲れてしまったんだねぇ。終わったら逆膝枕してあげるから、早めにするね」
なるべく暴力なしでと言いたいが、言わずとも彼は私の思いを汲んでくれるだろう。きっと、さっきみたく狼を捕まえてくれると見ていれば。
バンッと、彼は猟銃で狼の脳天を打ち抜いた。
「私の期待は何処に!?」
「可及的速やかに赤ずきんを救出したよ」
偉いでしょ、誉めて。な彼にチョップをしておく。
「なんてことをしてくれるのですか!物語の住人でもないあなたが、こんな“舞台外”(ページ外)で、こ、ここ、殺しをやるだなんて!」
物語上で死んでしまうことは死ではなく、単なる“物語上のおはなし”に過ぎない。“物語のおわり”になり、また“物語のはじまり”に戻れば、その人物は出演できている。私たちがいるこのページ外は、物語外。正真正銘、登場人物が生存しているここで発生するイレギュラーは自動修正不可。リセットが利かないからこそ、我ら図書館に勤務する者は慎重に行動していかなければならないというのに。
「あなたという人はあぁ!」
この歩くイレギュラーさんめっ。更なる責めをしようとすれば、待って待ってと狼を指差す。たたたっと倒れた狼の腕より逃れた赤ずきんがこちらに駆けてくる。赤ずきんちゃんっと、手を伸ばしたママさんばあばさんではなく私に飛びつくあたり、本当に劣悪な環境にいたのかもしれない。さておき。
「ん、んんー。な、なんだこれ」
むくりと起き上がる狼さん。額には吸盤つきのダーツが一本。棒の部分に『雪木LOVE』という、なんともおぞましい文字がかかれた旗がたなびいていた。
「猟師の銃は本物のはずでしたが」
「物語改竄」
ふぅ、と猟銃より出る硝煙を吹いてカッコつける彼だった。
「もっとカッコつけに相応しいことに使ったらどうですか、その能力は……」
聖霊たる彼の能力は、物語の改竄だ。既に出来上がっている物語を直接的に崩壊させる改竄は出来ないが、それ以外であれば彼の思い通りの改竄が可能。全ての物語において、神にも等しい存在ともなれる。陰ながらチート能力と私は呼んでいる。
「本当なら出し惜しみもしたくなる能力なんだけどねぇ。問題が解決すれば、雪木が帰ってしまうからね。俺は物語でしか存在出来ないのに。いっそ雪木がもう二度と帰られなくなるほどの大問題ーー猟銃を火炎放射器に変えて、辺り一面を焼け野原にしたい気持ちを抑えたのだから、誉めてほしいけどなぁ」
先ほどはチョップの形をしていた手を撫で撫でに変えておく。満足げな顔をされた。
物語を直接的に崩壊させる改竄は出来ないにせよ、改竄後の彼の行動は未知数となるため彼の手による間接的な崩壊は可能。頑張ったね!よりは、よく堪えましたね……という頭ナデナデだった。
「くそっ、こんな玩具で俺が引くとでも思ってんのーーどわっ!」
玩具にしては威力はあるらしく、彼が発砲する度に狼は後退していく。ダーツの一つ一つに、『雪木は俺のお嫁さん』『雪木にキュンキュン』『雪木、マジ天使』『雪木にメロメロ』『雪木あいらぶゆー』などと、私にとっての呪いが表記された旗がついていたけど見なかったことにしよう。
「あ、弾が切れた。しょうがない。これでトドメを刺してくるね」
「銃は撃つものですよ!」
刺突の構えをされた銃身を下げさせる。狼にはそろそろ白旗をあげてほしいものだが、引きはしないらしい。
「赤ずきんと、俺はああぁ!」
「もう、やめてよぅ!」
幼女の声はよく響くものだった。泣き声ならば、尚も響く。大きなおめめに涙をたっぷり含ませながら、怖いだろうに私の体を小さなおててでギュッと握って、懸命に訴えかける。
「みんなで、仲良くしようよぅ!ケンカしちゃダメなんだよ!ここは、あったかくてやさしい世界なんだから!ふえぇ、みんな笑顔でなきゃイヤだよぅ!わたしは、みんなと一緒におはなしを進めたいのにぃ!」
「赤ずきんちゃん……」
小さな体に似合ったささやかな願い。そんな願いさえも叶えてやれず、女の子を泣かしてしまっていると誰もが心を痛めた。皆が皆、自分勝手な願いを持つ中で、酷い目に合わされたというのに。
「みんなわたしの大好きな家族なんだよ!」
大好きだと、家族だと言われてしまえば、小さな願いも叶えたくなる。
「ごめんね、赤ずきんちゃん。ママ、あなたの帰りを待ってお家にいるわね。帰ってきたらいっぱい誉めてあげるから、気をつけて行ってくるのよ」
「赤ずきんや。ワシのもとに来ると怖い思いをさせてしまうが、許しておくれ。おしまいになるまで、ばあばがそばにいるから気をつけて来るんじゃよ」
それぞれの場面へと戻る、ママさんと、おばあさん。そうして。
「すまねえ、赤ずきん。お前のこと好きだから、あんな結末にしかならないことが嫌だったんだ。何とか物語を変えられねえかと思ったがーーんなことしたら、お前と出会えなくなるかもしんねえしな」
くしゃりと、赤ずきんの頭を撫で、気絶した猟師を背負い消え行く狼さん。世界に平穏が訪れた。これで私の仕事は終了だが、せめてこの子の涙が止まるまでここにいてもいいだろう。業務外のことでも、小さな女の子を慰めるぐらい。
「お手数おかけしました、図書館の方。皆、かわいいかわいいわたしに骨抜きなものだから手込めにしようと躍起ですの。脇役をコントロールするのが主人公の勤めなのだけど、今回はいつもと違って“おいた”が過ぎましたわ。ごめんあそばせ」
「……」
「あら、図書館の方でもかわいいかわいいわたしに骨抜きにされるのね。あなたにはお世話になりましたから、抱っこぐらい許して差し上げますわよ。なんなら、幼女赤ずきんとしておねだりしてあげましょうか。ーーふえぇ、お姉ちゃん。こわかったよぅ。だっこしてぇ」
「……、セーレさん」
「なんだい、雪木」
「これはいったい……」
なんだと、彼ーーセーレさんに語りかける。
「ああ、赤ずきんが君に抱きついているという苛つく光景が目の前にあるね」
「いや、そうではなく」
同性にでも嫉妬丸出しな彼では話にならない。これはドッキリですよーとネタばらししてくれる人もいなければ。
「赤ずきん……さん?」
「ええ、なんですの?」
「理解しました……」
現実を受け入れるしかない。そうだよ。見た目はかわいいかわいい幼女でも、実際のところ赤ずきんという物語は私が産まれる前からあったんだ。見た目と中身が一致していなくともおかしくはない。赤ずきんちゃんもとい、赤ずきんさんから離れて、ことの次第を聞くことにする。
「ええと、今後、このような事態にならないための対策を講じたいのですが」
「さあ、どうしたものかしらね。今までならかわいいかわいい私の涙目上目遣いで、みんなをコントロール出来たのだけど今回の狼の暴走は予想外でしたわ」
「最近、狼さんに変わったことは?」
「わたしの知る範囲内でしたら、ないとしか答えようがありませんけど。でも、ポチに捕まった時、赤ずきんと結婚するとブツブツ話す傍ら、どこからともなく『思うがままにしろ。物語の先に行け』というポチの暴走を焚き付けるような声が聞こえましたわ。図書館の方々が来てからパタリと聞こえなくなりましたけど」
その赤ずきんさんの証言には、またかとしか言いようがない。
「絵本の住人の方々には注意喚起していることなのですが」と、一枚のビラを赤ずきんさんに渡す。『渡す』と言っても、私がこの世界からいなくなれば消える物だ。絵本界『訪問』のルールにおいて、私たち(こちら)の世界の物は携帯出来るものならば持ち込み可だが、その携帯者がいなくなれば共に物語界から消える仕組み。注意喚起のビラならば絵本界にバラまいてしまいたいものだが、そうも出来ないため図書館スタッフが要所要所にて物語界の住人たちに渡すようになっている。怪訝そうな顔をしながら、それを読み上げる赤ずきんさんも風の噂で聞いたことはあるらしい。ああ、と声を漏らす。
「『そそのかし』という虫が、入り込んでる。ねぇ……」
「小指にも満たない小さな黒い虫でそれ自体に攻撃性はなく、普通の虫同様、簡単に駆除出来るのですが、名前の通り、その虫は人を『そそのかし』ます」
「もっとマシな名前にしてあげればと思ったのだけど、確かにそうとしか言えない虫でしたわね。声だけしか聞いてませんけど、上手く狼をそそのかし、物語そのものを崩壊しようとしたのだから」
「対応策としてはこの虫の声が聞こえたら耳を貸さない、ということしかないのですが……」
「無理ですわね。ポチのように決まられたストーリーに不服を持つ登場人物は多いでしょうから。それでもそれが運命だと受け入れているのに、『物語の先へ』だなんて、いったい何があるというのでしょうね」
うふふ、ともはや幼女とは思えない妖艶な笑みを浮かべる赤ずきんさんの目がセーレさんに移る。
「ああ、いけませんわ。平坦な物語ばかりの毎日に飽きて、少しの刺激を求めてしまう。これではかわいいかわいいわたしも、『そそのかされて』しまいますわ。どこかにいい刺激を下さる方はおりませんか」
「自惚れるなよ、この世でかわいいのは雪木だ。現代において、立てば雪木、歩けば雪木、座る姿も雪木だな。ということわざが出来るほど雪木の愛らしさは全世界に知れ渡っている!」
「いやそれ、あなたの中で出来た言葉なあげく、ことわざの改竄しても、結局のところどれもただの私で当たり前のことですからね」
立とうが歩こうが私の姿はそのままなわけで、ともかく。
「絶対に耳を貸さないで下さいよ。人生、平和が一番なのですから」
「分かっていますわ。図書館の方々に迷惑をかけては申し訳ないですからね。こう見えても、感謝はしているのですよ?わたしたち絵本の住人に“生活”を与え、そうして世界が朽ちないよう管理して下さる図書館の方々を」
スカートの裾を持って、お礼をする赤ずきんさんにはこちらもいえいえと恐縮する。
「にしてもーーあれだけ無口な聖霊さんがこんなおしゃべりになるだなんて。面白くありませんわ。ポチのお腹を縫える針と糸があるのですけど、いかがかしら?」
「安心しろよ。お前とのおしゃべりなんて、金輪際ないだろうからな」
「本当に変わってしまって、残念ですわ。昔のように無言で遠くを見つめ、全てが下らないとつまらそうにしているそのふてぶてしい横顔が素敵でしたのに。それを踏みつけて、屈伏させる夢は叶いませんでしたわね」
「お気に入りのポチ相手にやっていろ。何が『優しい世界』だ。耳を疑ったぞ。腹を切って、石を詰めて、井戸に沈めさせるような奴が言うセリフじゃないな」
「かわいいかわいいわたしに構ってもらえて史上の喜びのはずでしょうに」
減らず口をと悪態つくセーレさんを見て、相当古い知り合いなんだなと思う。セーレさんは数多の本を行き交うことが出来る聖霊さんだ。実際、セーレさんを引き連れて本の住人に会うとほとんどの人が、彼の顔を知っている。そうして、口々に言うのだ。
「良かったですわね」
「……、ああ」
そうして、私の預かり知らぬ言葉を交わす。私も関係者なのだろうけど、聞いたところで答えてはくれないし、登場人物たちも口裏を合わせたように教えてくれない。ただ、良かったね。と、そうして。
「聖霊さんをよろしくお願いしますわね、お嬢さん。では、ごきげんよう」
くるりとスカートを翻して、物語に戻る赤ずきんさん。また、可愛らしい幼女となって、来る人々の期待を裏切らない物語を進めてくれるだろう。
「また、よろしくと言われたのですが」
「それだけ俺と雪木はお似合いのカップルだと思われているのだろうね」
「あなたの恋人になった覚えはありませんよ」
「そんな酷いことを言うなら、いっそ本の世界に閉じ込めちゃおうか」
そしたら俺とずっと一緒だという彼には、笑っておく。
「あなたは優しい人ですから、そんなことは出来ませんよ」
昔の馴染みが、今の彼の姿に祝福の言葉を送るほど優しいくせに。そんな彼は寂しげながらも、私と同じ顔をする。
「またね」
「はい。次もまたよろしくお願いします」
そうして、彼とのお別れが訪れる。