第八話
部屋の引き戸が叩かれる音で目が覚めた。
「颯慈さん、朝食出来ましたよ。
いつまでも寝てないで下りて来てください」
戸越しに聞こえてくる声。
今、俺が下宿している旅籠屋の主人の娘──銘の物だ。
この旅籠屋に下宿して、早一ヶ月。
ほんの少し留まるつもりだったが、何やかんやでずるずると居続ける事に…………。
理由は、ちょいっと宿先で問題を起こしてしまって宿に迷惑掛けてしまたその責任を果たす為だった。
俺としてはもう十分責任は果たしたと思うんだけど、
「颯慈さん! まだ寝てるんですか!?
いい加減起きて来ないと、部屋に入って叩き起こしますよ!」
部屋の外で騒いでるじゃじゃ馬娘のせいで中々この旅籠屋から出発出来ないでいる。
まだ、責任果たしていないとか言って引き留め。何かと口実付けて雑用押し付けてくる次第。俺にこれ以上どう責任果たせって言うんだ!?
「ぐぬぬぅ…………颯慈さん! 入りますよ!」
「だぁーっ、ちょっと待て! 起きてるから、先下行ってろ!
俺も着替えてから直ぐ行くから」
「早くしてくださいよ。朝食冷めちゃいますから」
「はい、はい」
いつもあの調子だ。朝っぱらからぎゃーぎゃー騒ぎやがって。おちおちゆっくり寝ていられねぇ。
あのじゃじゃ馬娘の所為ですっかり目が覚めちまった。
直ぐに行くって言っちまったし、二度寝すんのもな。しかたねぇ、起きるか。
部屋の箪笥から着替えを取り出し袖を通す。
無地の黒い胴着に白い襦袢、白い腰帯に紺色の袴。姿見で自分の格好を確認する。
随分と手慣れてきた。この世界に来た当初、着付けは春蘭によく手伝って貰っていたっけ。
そうそう、なぜ、和服に着替えているかと言うと。
着てきた制服は、こちらの世界では目立つ。だから、褒美で貰った金を使い服を調達した。
俺の居た世界──地球の日本の和服がこの世界と言うよりもこの大陸にある國の主流だ。建物も木造で街並みが江戸時代のよう。
初めて訪れた時は、タイムスリップでもしたのかと思った。
着替えを済ませ、一階の食堂へ足を運ぶ。
食堂は旅籠屋の入り口から続く通路をまっすぐ進み、左右に分かれる突き当たりを左に進むと暖簾がある。そこは、宿泊客のみならず、従業員も食事をとる場所だ。
暖簾を潜ると、数人の従業員が朝食を摂っていた。
「お、颯慈やっと来たか」
「おはよう、丹治さん」
旅籠屋『呀蒼郭』の従業員、丹治さんが頽來と言う魚の塩焼きをくわえながら振り向く。
丹治さんは何かと俺のこと気に掛けてくれていて、色々と相談にも乗ってくれる兄貴分的な人だ。
歳は俺より五つ上だが、もし元の世界に戻っていなかったら俺の方が歳上だったんだ。年下だった奴がいきなり年上に。丹治さんからしたら普通に成長したんだろうけど、俺からしたら不思議な気分だ。
「おう、おはよう! なんだ、颯慈…………。
また、お嬢に叩き起こされた口か?」
丹治さんは銘の事を“お嬢”と呼んでいる。
大きな旅籠屋の跡取り娘だから間違いじゃないんだろうけど、その言い方じゃ極道の娘のようだな。
「そんなんじゃないよ。ぎゃーぎゃー騒がれただけ。
煩くて敵わねぇから起きてきた」
「相変わらずだなぁお嬢も…………。
甲斐甲斐しく毎日起こしに行くなんて。
相当、颯慈にお熱なんだな。くぅーっ、憎いねこの色男!」
からかうように丹治さんが肘で小突いてくる。
「そんな訳ないだろ。おちょくるのもいい加減にしてくれ」
「はぁ…………。全く気付いてないのな。
こりゃ、お嬢の恋路は苦難な道になりそうだ」
「ん? なんか言ったか?」
「んや、なんでも」
何やら、丹治さんが呟いていたみたいだが聞き取れなかった。
朝食を受けとり、席に座る。
白米に味噌汁、漬物、焼き魚の和食だ。和食が好きな俺としては嬉しい朝食。衣服や建物からして、この國の文化は日本に近しい。と言うことは勿論食も和食がメインだ。
嬉しいね。日本人なら和食だよ!
「やっと、来ましたね」
「ん?」
味噌汁を啜っていると、銘が声を掛けてきた。
「何だよ。ちゃんと食堂に来たじゃねぇかよ」
「もっと早く来てください! 颯慈さんにはやってもらう事がいっぱい有るんですからね! さっさと食事済ませてください!」
今度は何させる気だ?
まったく、俺を馬車馬の如く働かせ過労死させるきかよ。
「はぁ…………」
朝食を済ませ、銘から言い付けられた玄関の掃除の最中。
箒で塵を掃き戸を拭きピカピカに。
我ながらいい仕事だ! 汚れ一つない!
一息つき空を見上げる。
この世界に来たのは俺一人ではない。
匙の奴はどうでもいいけど、花澤が気になる。
人拐いに捕まって奴隷とかになっていなければいいんだが。いや、もしかしたら、人里離れた所に飛ばされ飢え死にしていたりするかもしれない。
…………。
いかん、いかん! ネガティブ思考はやめよう。きっと、生きてる大丈夫だ。
でも、心配だ。本当なら今ごろ花澤を探しに行ってる頃なんだが…………。
どうにかして、探しにいかなければ。
ボーッと空を眺めているとひょっこり銘が顔を出した。
「颯慈さん、掃除終わりましたか?」
「駄洒落?」
「なっ、だ、誰も駄洒落なんか言ってません!
掃除は終わったのかと聞いているんです!」
「ああ、終わったよ」
「では、買い出しに行ってきてください」
朗らかな笑みを浮かべ紙を渡してくる銘。
人使いの荒い奴だ。仕事終わった直後の奴に微笑みながら次々と仕事を頼んでくる。俺は従業員じゃねぇんだぞ!
「なにか、言いましたか?」
「いえ、なんでも…………」
心の中読めるのか?
恐ろしい…………。
逆らうと後が怖い。ここは大人しく従うのが最良か。
「買い出しが終わったら、各部屋の掃除、その後倉の整理ですからね」
「鬼…………」
「い い で す ね?」
銘の背後に般若が見える。
「は、はい…………」
「では、早く買い出し済ませてくださいね」
言うだけ言って銘は宿に戻っていく。
俺、何時になったらここから動けるようになるんだろう…………。
◇◆◇
銘に頼まれた買い出しを済ませる為、八百屋に赴いていた。
野菜から果物まで新鮮な品が目に写ってくる。
「おや、そうちゃん。いらっしゃい」
「おばちゃん、ここに書いてあるもの全部頂戴」
店主であるおばちゃんに紙を見せる。
「あら、こんなに…………そうちゃん、一人で全部持てるかい?
なんなら、アタシが品物送るけど」
「ん~、じゃあそうしてくれる?」
「あいよ! そう言えば、そうちゃん。
大分、仕事が板について来たんじゃない?」
おばちゃんが箱に品物を詰めながら訊いてくる。
「俺は呀蒼郭の従業員じゃないんだけどね。
やってる内に慣れたよ」
「ハハハッ、そのまま正式に従業員になったらどうだい。
銘ちゃんもそうちゃんのこと気に入ってるみたいだし」
「ならねぇよ。俺にはやらなきゃなんねぇ事がある。
あと、銘は俺のこと都合の良い労働力としか見てねぇよ。
気に入ってるとか有り得ないね」
「朴念人とはこの事だね。銘ちゃん可哀想」
またか、丹治さんといいおばちゃんといい。まるで銘が俺の事好きだって言ってるみてじゃねぇか。絶対ありえないっつーの!
何なんだよまったく…………。
領収書を受け取ったあと、俺は腑に落ちない気持ちのまま八百屋を後にした。