第六話
ガタガタと体が揺れている。それに、誰かの話し声も聞こえる。
一際大きく揺れたところで、私──花澤真由理は目をさました。
「いっっ…………ちょっとは静かに運びんさいよ臥堵!!」
私の隣にいた赤毛の女の子が、尻餅つきながら誰かに叫んでいた。勝ち気そうなつり目に両頬にあるソバカスが特徴的な女の子だ。
ぎゃーぎゃー騒いでる所為で、可愛らしい顔が台無しになっている。
「あ、あの…………」
体を起こして、女の子に訪ねた。
「お? 目、覚めたみたいんね」
人懐っこい笑みを浮かべ女の子が身を乗り出してくる。好奇心旺盛なのか、女の子の綺麗な蒼い瞳が輝いて見えた。
「いやー、驚いたんよ? 急にアンタが降ってきてさ」
「えっと、ここ…………どこですか?」
「ここは、『義楼旅団』の宿舎!」
周りには、質素ではあるが生活に必要最低限の物品が置かれている。宿舎だと言われれば、確かにそのように見える場所だった。
木で出来た格子を布で覆われている所を見る限り、ここはテントの中のようだ。
「そうそう、体どこか痛いところないん?」
赤毛の女の子が心配そうに、顔を覗き込んでくる。
体を触り、確かめるけど痛みを感じる箇所は無かった。
「はい、どこも痛くないです…………。さっき、『降ってきた』と言ってましたけど…………、一体…………」
「言葉通り、降ってきたんよアンタ。ちょうど、ウチらの円蓋に落っこちてさ、ほら、あれ」
女の子が指を指した天井には、大きな穴が空いていた。人一人分ぐらいの大きさだ。
「運が良かったんね。もし、円蓋以外の場所に落ちてたら、アンタ死んでたかもしれんね」
「あわわ…………、すみません!! ああ、どうしよ?!」
「いや、穴ぐらいどうってこと無いし。それより、自分の身心配せんといかんね。危うく死ぬところだったんよ?」
落ちている時の記憶が無い為か、全く死に直面したという実感が沸かない。それよりも、テントを壊してしまったと言う罪悪感で頭が一杯になっていた。
「あの…………必ずお詫びしますので」
「だから、円蓋のことは気にせんでいいんよ。それより、アンタ何で空から降ってきたん? そもそも、どこから来たん?」
どこから? えっと、確か私は放課後に帰り支度をしててそれから…………。
………………………………。
思い出せない。何故だか、靄が掛かったような感じでわからない。
「判らないんです…………。気づいたらここに」
「そう…………」
「え…………っ」
ソッと赤毛の女の子に抱き締められた。慈しむように、優しく頭を撫でくる。僅かに香る柑橘系の香りが、鼻腔を擽った。
その香りが、とても懐かしく感じる。
「ウチは沙乙。この『義楼旅団』団長の娘! 記憶が戻るまでここに居るといいんね。話はウチから通しておくんよ」
どうやら、記憶喪失と思われたみたい。でも、強ち間違えじゃ無いかな? 現に記憶の一部が思い出せないし…………。
「はい、よろしくお願いしますね沙乙さん。私は花澤真由理って言います」
「はなざわまゆり? 長ったらしくて変な名前ね」
そんなに可笑しな名前かな? もしかして、名字と名前の区別がついていない?
もしかしたら、名字という概念が無いのかも。
「えっと、花澤が名字で、真由理が名前です」
「みょうじ? なんだか分かんないけど、真由理が名前で良いんだね?」
「はい」
「じゃあ、真由理。歳もウチと変わんそうだから、互いに敬語はなしってことでんね!」
端から沙乙は敬語使ってないじゃん…………。まぁ、気にしてないけどさ。
「うん、分かったわ沙乙」
言うと、沙乙は納得げにうんうんと頷いた。
「ちょいと失礼するんぜ、沙乙。お、嬢ちゃん目ぇ覚めたみたいんだな」
のそっと巨漢がテントの中に入ってきた。
「あ、おっとう! 女子の部屋になにズケズケ入り込んできてるんよ!」
巨漢の男性に食い掛かっていく沙乙。しかし、男性は軽く受け流し、私の前に座った。
会話からして、沙乙の、お父さんなんだろうけど…………物凄い威圧感! 屈強な体をしていて強面な顔。ただ、面と向かって座っているだけなのに、気迫に圧され息がしずらい。
「嬢ちゃん、気分はどうだいん?」
「え、…………あっ」
答えようにも、うまく声が出なかった。
頬を冷たい汗が伝う。喉が異常に乾く。身体中の毛穴が開いていく感じがする。
咄嗟に沙乙が、間に割り込んできた。
「おっとう! いきなりそのおっかない顔面、目の前に晒されたら答えられんね。真由理、恐がってるんよ」
「む…………」
娘の一言にややショックを受けた様子の男性。ちょっと距離を置き、これで良いかと沙乙を見る。
「ごめんね、おっとうはこの通り厳つい顔してんから、恐かったんでしょ?」
「えっと、ちょっとビックリしただけだから…………」
実際、ちょっと所では無かった。危うくも…………ウゥンッ!!
とにかく、人として大事なものを失うところだった。
「オホンッ! で、嬢ちゃん気分はどうだいん?」
咳払いをして、もう一度沙乙のお父さんが聞いてくる。
「は、はい、頗る良好です!」
「そうか、ならいいんだ」
表情を綻ばせる沙乙のお父さん。見た目厳ついだけで、本当は優しい人なのかな?
「あ、そうだ! おっとう、暫く真由理を旅団に置きたいんだけど、良いん?」
「そいつは、構わねぇんよ。人手が多いに越したことはねんだからんよ」
気さくな笑顔を浮かべ、お父さんは沙乙の頭を撫でた。
沙乙は撫でられ、むず痒そうに笑っていた。
仲のいい親子ね。見ていると、とても微笑ましく思えてくる。
「団長~、準備出来ましたぜぇい!」
テントの外から声が掛かった。
聞いた沙乙のお父さんは、腰を重たそうに上げ外へ向かっていく。
「あいよぅ~、今いくんよ!」
「準備、出来たみたいんね」
お父さんに続き、沙乙も外へ出ていく。
私一人、ベッドの上にいるのもなんだし外へ出ようか。なんて、考えてたら、沙乙がひょっこり顔を出した。
「真由理はそこで、じっとしててんね。ちょっと、揺れるんから何かに掴まっといてんね」
へ? 揺れる?
沙乙が戻っていった直後、テントが大きく揺れた。
「え、ええええっ!? なに、なんなの!?」
ドスンという大きな音と共に揺れは収まっていった。
外に出ると、そこは船の甲板だった。
この船は帆を張り、風を受け推進力を得る帆船のようだ。今時、珍しい。博物館でしか見たことのなかった私は、物珍しく辺りを見渡した。
ん? 潮の香りがしない?
帆船があるというのに、全く潮の香りがしていない。
海の上なら、しても可笑しくないんだけど。
船の端まで行き、海面を覗き込む。そして、私はそれを見て言葉を失った。
そこにあったのは、海面ではなく雲海と隙間から見える緑豊かな大地だった!
「な、なにこれぇぇぇぇぇぇぇ!?」
もう、叫ばずにはいられない。目の前で起きている現象に理解が追い付かず、脳が混乱している。
夢、幻? 試しに自分の頬をつねってみた。
「痛い…………夢じゃ、ないんだ」
飛行機や飛行挺ないざ知れず、船そのものが空を飛ぶなんて聞いたことがない。
「あ、驚いたん?」
後ろから沙乙が声を掛けてきた。少々自慢げと言うか、得意気な顔をして近寄ってくる。
「普通に暮らしてたら、こんな体験することもないからんね。まぁ、真由理は天から落っこちるなんていう、すんごい経験してるけんどもね」
「落っこちたって…………私、記憶に無いから、そんな実感が沸かないよ。それより、この船どういう原理で浮いてるの?」
プロペラを使って浮かせている訳でも無さそうだし、一体どうやって…………。物理法則ガン無視の現象なんですけど…………これ。
沙乙は、待ってましたと言わんばかりに説明を始めた。
「んっとね、この船は、船底に付いている『扶翼』と『排気口』からでる圧縮された空気によって浮いてるんよ」
圧縮された空気を利用してって、この船ホバリングしてるって訳? でも、これだけの巨大な船を浮かばせるには、莫大なエネルギーが必要なはず。
それも、核燃料ぐらいの高エネルギーが。
「扶翼と空気圧だけで浮かんでいるなんて…………一体どんな動力源なんだろう」
「動力源は、呪結石っていう高密度の呪力を内包している鉱石を使ってんよ」
沙乙の口から、訳の判らない単語が次々と出てくる。
呪結石? 呪力? なにそれ?
あまりにも、意味不明なことで私の頭上には疑問符がいくつも浮かび上がった。
「ねぇ沙乙、呪力ってなに?」
「え、呪力知らんの?」
素直にうんと答える。すると、沙乙は有り得ないと言いたげな顔をした。
そんな顔されても、知らないものは知らない。初めて聞く単語なんだから。
「真由理、いくらなんでも呪力を知らんって冗談でしょん」
「本当に知らないんだけど…………」
「…………マジで?」
冗談と受け取っていた沙乙は、私が真顔で知らないと答えると、愕然とした表情を作った。