第肆話
おいおい、ちょっと待ってくれ。
俺が居た時は、甲歴457年だった。
「ち、ちなみに…………今年は何年だ?」
「何年って…………甲暦467年ですよ。おかしなこと聞きますね」
こ、こんな事ってあるのか。俺がこの世界にいたときから、すでに十年過ぎている。
元の世界で過ごしたのはたった一ヶ月。それが、この世界では十年過ぎていた!?
理解しがたい状況に、脳が混乱する。
「どうしたんですか? 顔色がよろしくありませんよ?」
心配げに芯羅が顔を覗き込んでくる。
「い、いや…………なんでも、ないんだ」
よくよく辺りの様子を見渡す。通りを行き交う人々はいきいきとしており、不安げな表情をしているものは一人もいなかった。
あの当時は、隣国の『呉渕國』と戦争の真っ只中だった。戦争はどうなったんだ?
都の様子からして、勝ったとは思うんだが…………。
「もう一つ聞いてもいいか?」
「ええ、良いですよ」
「十年前、この國は、隣国の呉渕國と戦争してたはずだ。芯羅が生まれる前の話なんだが…………何か、聞いてないか?」
「ん? 颯滋さんよくご存じですね。確かに、私が生まれる昨年、大きな戦がありました。燭國の人間なら誰しもが知っています。
戦禍は苛烈に國全土へ広がり、戦場では大勢の兵が死んでいきました。長期化した戦でした。
ですが、敵國の守護神『煌紅武神』を我が燭國の守護神『蒼剣武神』様が身をていし倒してくれたおかげで勝利いたしました」
戦にはやはり勝ったのか。しかし、芯羅の話に出てきた、『煌紅武神』と『蒼剣武神』ってのが気になる。
「芯羅、その『煌紅武神』と『蒼剣武神』ってのはなんだ?」
「どちらも、それぞれの國の守護神です。『煌紅武神』、名は徨閠。州仂大陸随一の槍使いと称されていた御方です。そして、我が燭國の守護神、『蒼剣武神』、名は蒼牙。二刀流の使い手で、実力は徨閠と同等もしくは以上と言われていました」
なにそれ、俺あのあとそんな仰々しい呼ばれ方してんの?
「そう言えば、颯滋さんの名前、なんだか蒼剣武神様の名前に似ていますね」
う、ちょっと安直すぎたか。ただ単に、「が」を「じ」に変えただけだし…………まずかったか。
「偶然だろ、似たような名前なんてどこにでもあるだろう」
「怪しいですね…………。翡翠を呼び出したといい、その名前といい。偶然にしては不自然過ぎます」
結構目敏いな。
ジトっとした視線を芯羅が向けてくる。
その視線に、ギギギ…………と首を背ける。
「なんで、首を背けるのですか?」
「……………………」
「…………、もういいです。これ以上、深く追求しません」
「た、助かるよ」
前方から、一台の馬車が近付いてきた。
俺たちの前に止まり、騎手が車の戸を開ける。
「どうぞ、姫殿下」
どうやら、宮廷からの使いらしい。
素直に乗り込む芯羅に続き、乗り込む。
と、翡翠がいることを思い出した。
「翡翠、俺たちは宮廷に向かう。先に行っておいてくれ」
言うと、翡翠は一足先に宮廷へ飛んでいった。
すれ違う人たち皆、芯羅の顔を見ると歓喜し手を振ってきた。男女問わず、老人、子供、すべて笑顔を向けていた。
車の中から手を振り返す芯羅。この光景を見ていて、芯羅は本当に国民から愛されているのがよくわかる。
しばらく、大通りを進むと政務を行う大内裏が見えてきた。その後ろに王族の寝所がある宮廷がある。
仰々しい門の前に門番が二人。馬車を確認したのち、馬車を通し、また門を閉めた。
久々にここへ足を踏み入れるが、相変わらず贅を尽くした建物だこと。
権威や地位を誇示するのが大切なのはわかるが、もうちょっと押さえて浮いたお金を国民のために使った方がいいんじゃないか?
「姫殿下、ご到着いたしました」
大内裏の出入り口に馬車を止め、騎手が車の戸を開けた。
「陛下がお待ちしております」
「分かりましたわ…………」
芯羅が車を降り、大内裏へ向かっていく。
行きたくないなぁ。今の國王、呂伯なんだろ? 俺に気づいたらどうなることか。
いっそのこと、ここで逃げ出すか? 翡翠は先に宮廷の方に飛ばしてあるし、呼べばすぐ来るはずだ。
なら…………、
「颯滋さん、なにをそんなところでボーッと立ってるのですか? 行きますよ」
そうですよね、そうそう事がうまくいくはずがありませんよね…………。
芯羅に呼ばれ、渋々ついていく。
大内裏に入って早々に目についたのは、初代燭國王『伯琿』のどでかい肖像画。そして、豪華な装飾品の数々。
なんか、前よりも多くなってないか?
芯羅は肖像画に向かって一礼していた。それに倣い、俺も一礼。
肖像画の下にある通路を通り、奥の広間へ。
兵士が扉を開け、芯羅が入っていく。続き俺も中へ。
蒼いカーペットが入り口から玉座へと敷かれており、それを挟むように六人の兵が並んでいた。
他の兵士たちとは、発せられる雰囲気がまったく違う。佇まいからして、只者ではない。
数人だが、見覚えのある人物もいた。
コイツらもいるのか…………。少々顔ぶれも変わっているが、懐かしいな。
「……………………?」
縦に入った傷を右目に持つ隻眼の男───嶷羽が鋭い視線を向けてきた。
サッと、直視されないよう顔を背ける。
嶷羽のやつ、さらに厳つくなったな。あの鋭い目付き、俺苦手だ、すべて見透かしているようでさ。それに、結構勘が鋭い。もしかして、バレた?
ちらりと、嶷羽へ視線を向けると、すでにこちらに見向きもしていなかった。
ホッとしたのも束の間、また何やら視線を感じる。
「ふむ……………………」
「………………………………っ」
今度は、玉座に座る呂伯からだった。
いっちょまえに顎に蓄えた髭を撫で、俺の事を凝視している。
うぁ、そんなに見ないで!!
呂伯の視線を遮るよう芯羅が前に出た。
「御父様、多大なる御心配をお掛けして申し訳ございません。燭國王、呂伯が娘、芯羅、只今帰還いたしました」
「うむ、よくぞ無事に帰ってきた」
芯羅に軟らかな微笑みを向ける呂伯。その顔は、王ではなく、娘の無事を心から喜ぶ“父”の顔だった。
あの呂伯が、今では一國の王で父親とは…………まるで浦島太郎にでもなった気分だ。
さすが、十年は過ぎただけある。呂伯の顔には貫禄が出始めてきていた。
歳は、まだ二十代後半のはず。その歳で貫禄が付き始めたとか、さらに年取ったらどうなるんだ? かなり厳格な王に見えるのか?
「御父様、こちらの御方が私を助けてくれた颯滋様です」
芯羅が手を傾げ、俺を紹介する。すると、周りからの視線が一気に俺へ突き刺さった。
不思議そうに見つめる者。訝しげに見つめる者。ただ単純に好奇な視線を送る者と様々だった。
中には顔見知りもいるしな。はやくこの場から逃げ出したい!
でも、挨拶くらいしておかないとな。
「お初にお目見え致します。私は、宛の無い旅をしている流浪人。颯滋ともうします、陛下」
「…………、貴殿。颯滋と申したか、以前余と会ってはおらぬか?」
一瞬、笑いが吹き出しそうになった。だって…………、あの呂伯が『余』だって!
両手を上げて、笑いだしたい所だがそうもいかない。
下手したら、殺されてしまうからな。一応相手は國王なんだし。
「陛下、私は過去に一度もこのように陛下とお会いしたことはありません。何方かとお間違えなさっているのでは?」
「……………………、そうか。判った。可笑しな事を聞いて済まぬ」
「いえ、お気になさらず…………」
「我が娘を救ってくれた貴殿に何か褒美を与えなくてはな」
呂伯は官僚に何か持ってくるよう指示した。
官僚が持ってきたのは、袋と紙をだった。
「その袋には、硬貨三百両入っている。それと、そちらの紙は今回の功を示す書だ」
硬貨三百両!? この國で使われる硬貨で一番低い値が一文、一文を日本円に換算すると百円、十文で一寛。一寛は千円、十寛で一碌。一碌は一万。十碌で一両。一両は十万ってことは…………三千万!!
た、大金過ぎる。しばらく、働かずに行けるぞこりゃ。
「颯滋さん…………、目が銭になってますよ」
おっといかん、俺としたことが。
芯羅の一言により、我に帰り口端から漏れていた涎をふきとる。
「ありがたく賜り申し上げます、陛下」
官僚から、貨幣が入った袋と、功を称える書を受けとる。
袋の中には札束が一杯!! 良い軍資金が手に入ったぜ。
玉座の右側にある通路から、誰かの足音が聞こえてくる。
誰だ…………?
その足音は徐々に近付いて、通路の入り口から正体を現した。
絶世の美女といっても過言では無い女性が、姿を現したのだ。
美しい蒼みがかった銀髪を腰あたりまで伸ばしており、卵形の顔を包み込んでいる。切れ長の目に、薄い唇。何よりも穢れのない白い肌。
そして、どことなく芯羅に似ている。
と言うか…………あいつは、
「芯羅が帰ってきたとは真ですか?」
見間違える筈がない、この女性は俺がはじめてこの世界に来て最初に出会わした少女。春蘭だ。
訂正
通貨の値を文、寛、碌、両に変更しました。