第壱話
「ぐらぁ! 起きやがれ蒼牙!!」
バシンッと後頭部に強い衝撃を受け、俺──藤袴蒼牙は目を覚ました。
まだ、眠気も抜けきれておらず、視界がぼやけている。
「やっと、起きたか…………。もう、放課後だぞ。何時間寝れば気が済むんだ?」
俺の頭を叩いた張本人──木下匙がため息を吐きつつ睨む。
角刈りで誰もが認める、猿顔であだ名がそのまま『猿』。行動自体、猿のごとく高い場所を好む傾向にある。
まぁ、そんなことどうでもいい。
「何時間でもいいだろ。俺の勝手だ」
そう言い、俺はまた眠りに着く。
「ごらぁ! だから寝るなっつ~の! 今日、放課後一緒に駅前でナンパするって約束しただろ!!」
はて? そんな約束したか?
「覚えておらん。ナンパしたきゃ一人でしな」
「嫌だよ! するならお前も一緒だ。その方が成功率が上がりそう」
「…………ヘタレ」
ピクリと匙の眉が僅かに動く。
「誰がヘタレだ!! ごらぁ!!!」
「お前だ、お・ま・え」
こいつに絡まれると、面倒なことこの上ない。
さっさと帰って寝よう。
しかし、そうは問屋が卸さない。がっしり肩を匙に掴まれ止められた。
「おい、ちょっと待て。俺の事、ヘタレだなんだ言っておいて逃げ帰れると思うなよ?」
「別に、逃げ帰るわけじゃねぇよ。面倒だから帰るだけだ」
「フッ、今日は帰らせねぇぜ。俺がヘタレではないところ見せてやる!」
やる気を滲ませている匙だが、友人にナンパを見守ってもらう時点でヘタレではないかと思うのだが。
ガタッと物音がした。
教室には、もう俺とこのバカだけだと思っていたら、まだ生徒がいたようだ。
彼女、学級委員長を勤める花澤真由理はこちら(匙のみ)にジトッとした視線を送っている。
御下げで銀縁眼鏡を掛けており、左目の下にある泣き黒子が特徴的な女子だ。一見、典型的な地味な女の子だが磨けばそれなりの美少女になると思う。
花澤からの軽蔑の視線をどう勘違いしたのか匙は、
「なぁ、花澤ってもしかして、俺に気があるんかな?」
などと、痛い 妄言を宣う。
それは、絶対ないな。
「アホな事言ってんな」
「アホとはなんだ! 失敬だな!!」
俺とアホの会話を横目に、花澤は帰り支度を整える。
俺もこんなアホに付き合ってたら、いつ帰れるか分かったもんじゃない。
「あ、どこ行くんだよ!」
「帰る、お前はナンパでもなんでも好きにやればいいだろ」
「待てよ!…………って、なんだ?」
唐突に視界が歪んだ。そして、妙な浮遊感が身体全身を駆け巡る。
軽い乗り物酔い状態となった俺は、立っておられず机に手を付いた。他の二人も同じ症状が出ているらしく、ぐったりしている。
…………この感覚、以前にも。
「ま、まさか!!」
気付いた時には、もう遅く。教室を眩い光が覆い尽くし俺は意識を失った。
◇◇◇
「────っ」
鳥の囀ずりが聞こえる。
朦朧としながらも意識を取り戻し、身を起こす。
俺は、教室にいたはずなんだが、辺りは木々で生い茂る森林の景色が広がっている。
「おっとと…………」
立ち上がろにもうまくバランスを保てない。まだ、少しだけ酔っているようだ。
腰を下ろし、木の幹に身体を預ける。
しっかし、ここはどこだ?
あの感覚、間違いなく『転移』したんだ。
なら、俺の予想が正しければ、ここは…………。
「いや、確証がない。まずは、この森を抜けないとな」
少し、休憩をとったおかげで身体が楽になった。
方角を確かめるため、木を駆け昇る。
地上からでは、木々の枝や葉が邪魔で太陽の位置がわからねぇからな。
太陽はすでに地平線に沈み掛かっていた。
「太陽がそこにあるってことは、あっちが西か」
大雑把な方角を確かめ、続いては近くに町や村が無いか探す。しかし、森が広がっているだけで人の気配はない。
しかたない、地道に森の出口を探すか。
幸いなことに、俺はサバイバル知識をほんの少しかじっている。付け焼き刃ではあるが、数日は生き延びる事は出来るだろう。
木から降り、まっすぐ突き進む。途中、食べられそうな実や葉を集める。
今日の夜はこれで過ごすしかない、か。
少々物足りないが、飢えを凌ぐには十分。
ん? あれは…………。
数十分歩いたところで、雨露を凌ぐのに丁度いい洞窟を発見した。
よかった。辺りも暗くなり始めていたから早めに寝床を見つけておきたかった。
洞窟の中に入り、一息着く。
あの時、『転移』したのは俺だけじゃない。
匙に花澤。あの二人、別々の場所に飛ばされたのか?
二人とも無事だといいんだが…………。
採ってきた赤い実を一粒掴む。この赤色を見てると嫌な苦手な奴を思い出してしかたない。
実を口に放り込み、噛み潰す。酸味が口の中に広がった後、甘味が後を追ってきた。
ギュルルルル…………。
「足りない…………」
ああ、牛丼食べたいな~。
などと、思っていると、
「ンンーーーーーーッ!」
と、唸り声が聞こえる。
薄暗い中、大きな袋を抱え急ぐ二人組が木立の向こうに見えた。
よく目を凝らすと、袋がモゾモゾと動いているのが判る。
その袋から、人の足が飛び出した。
あれ、間違いなく誘拐だよな。
気配を殺し、先回りする。
「おい、誰も来てないか?」
二人組の内の袋を抱える大柄な男が、振り返りながら問う。
「へい、兄貴。誰も来ちゃいやせん」
後方を走る線の細い男が応える。
「ふぅ…………よし、あともう少しだ。急げ!!」
「へい!」
いかにも小者臭のする二人組の前に飛び出す。
「オッサン達、そんなに急いでどこ行くんだい?」
「なんだ、小僧。邪魔だどけ!!」
ほんと三下臭い台詞だこと…………。
「そりゃ、出来ないね。その袋降ろして貰おうか」
「ちっ、牛頭。このガキ殺せ」
「へい。ケケケッ、悪いが死んでもらうぜ」
悪いと思ってんなら来ないでくんない?
腰に挿した剣を抜き牛頭と呼ばれた男が襲い来る。
遅いな、でも避けるまでもないか。
降り下ろされた剣を片手で受け止める。
「な、なにぃ!?」
「これが本気?」
「ヘッ、全然本気じゃねぇっての!」
牛頭が横殴りに剣を振るう。が、剣先が俺の身体を掠める事はなかった。
がむしゃらに剣を振り続ける牛頭。一つ一つの動作が荒く動きを読むのは容易い。俺は難なく斬撃を避ける。
ちょっと、足で牛頭の足元を引っ掻けると、体勢を崩し倒れ込んだ。
「ドゥハァ!?」
「なにしてやがる牛頭! このマヌケ!」
いつまでも始末出来ない牛頭に怒り浸透の大柄な男。
おーお、自分は何もしてないのに酷い言い様だ。
「くっそう…………。ぶっ殺してやる!!」
殺気の籠った目をこちらに向け、牛頭が突っ込んでくる。
牛頭の突きを避け、顎を強く殴り付ける。
顎を強く揺さぶられた振動がそのまま脳へ達し、脳震盪を起こした牛頭は力なく地に倒れた。
「さて、次はアンタだよ」
「クッ…………」
大柄の男は袋担ぎ、一目散に逃げ出した。
形勢不利とみなや、即座に撤退。潔いんだが、逃がすわけにはいかないんだよな。
俺の脚なら、簡単に追い付く。
男を追い越し、前に立ち憚る。
「無駄だ、その袋を置きさっさと失せな」
「な、なめんじゃね、くそガキがぁ!!」
剣を片手に挑んでくる男。攻撃を見切り、男の鳩尾に拳を叩き込む。
まったく、手こずらせやがる。
放り出された袋に近づき、袋の口を開ける。
中に入れらていたのは、白髪…………いや、青みがかった銀髪の少女だった。年は十歳前後だろ。
着ているきらびやかな着物からして、どこぞの貴族のお嬢様か。