第5章
第5章
義足が届いた。
装着してみる。聞いていた通り、かなりきつい。でも、これで、松葉杖なしで歩けるようになるんだ。
以前の私に、少しだけ、近づけるんだ。
2日後から、義足の練習をするため、2週間、入院しなければならない。
せっかく、家に戻ったのに、また入院。
今回は、歩くという目的があるけど、病院は、いろんな事を思い出させる。
やっぱり、入院は嫌いだ。
入院する前日、 島野さんから、電話があった。
島野さんは、入院中、東京からわざわざ、お見舞いに来てくれた。
才能があるんだから、何年かかろうと、コピーライターとして再出発するんだ、と励ましてくれた。
東京に帰ってからも、心配して、何度も電話をくれた。
リハビリは、辛くない?
ちゃんと、筋肉トレしてる?
松葉杖で、もう歩けるようになった?
もう退院できそう?
自宅に帰った気分はどう?
義足、できたの?
いつ、仕事に復帰するの?
私から振ってしまったのに、今も、島野さんは優しくしてくれる。
2週間、入院して義足の練習をします、と言うと、死ぬ気で頑張れ、と。
早く、歩けるようになって、仕事場で、島野さんに会いたい。頑張りました、と伝えたい。
2週間のリハビリを必死でこなした。
体重のかけ方から始まり、自分の意思で動かない人工の膝の使い方。思った以上に
大変だったけど、退院の日を目標に、努力を続けた。
リハビリの病院は、私の予想とは、大きく違っていた。
入院している、みんなが明るいのだ。
足をなくした事を、不幸だと思わず、また歩ける事が幸運だと。
営業マンとして、また、バリバリ仕事をしたい。
高校の卓球部に戻って、高校最後の大会に出たい。
行きたかった山に、もう一度主人と登りたい。
毎朝の日課だったゲートボール場に早く戻りたい。
中断したサイクリングでの日本一周を再開したい。
みんなの目標は、日常に戻ること。
誰も、特別ではなかった。
ゲートボールのおじいちゃんに聞かれた。
渚ちゃんの目標は?
仕事、かな。
若い女の子が、そんな寂しこと言っちゃだめ。男前を見つけて結婚するとか、子供を5人生むとか、もっと、若い子らしい事、言ってごらん。必ず、叶うから。
神様は、そんなに、意地悪じゃないよ。
まだ、18歳だという女の子は、体の形はちょっと変わったけど、自分自身は何も変わってない。これまでも、これからも、今まで通り、歌って踊れるアイドルを目指していく。足がなくったって、私は私なの。と笑う。
私は、何が変わったんだろうか。
そして、何が変わらなかったんだろうか。
たぶん、足が1本、なくなっただけで、何も変わっていなかったんだ。
夢を捨てる必要なんて、ないんだ。
人生の先輩と、一回りも年の離れた女の子に、大切な事を教えてもらった。
母には、退院の日は、迎えに来なくていいと、伝えてある。
自分で歩いて、帰るから、と。
退院の日。ゆっくり、自分の足で、病院の外に出た。
涙があふれた。立ち止まり、涙を拭いていると、後ろから、ふいに、抱きしめられた。
感覚ですぐに、わかった。アルムだ。
また、涙があふれてきた。
アルムが耳元で、おかえり、頑張ったね、とささやいた。
うん。
それ以上、言葉が、でなかった。
駅まで、歩くという私を、アルムが心配そうに見ている。手を貸そうか、と言ってくれたけど、断った。
ひとりで、歩きたかった。
「今日の事、どうして、わかったの。お母さん?」
「島野さん。」
「島野さん?」
「そう。島野さんに、渚の事、ずっと聞いてもらっていた。」
「だから、島野さんから頻繁に電話があったってわけ?」
「聞いて欲しいって、頼んでた。」
「島野さんは、私の事を心配してたんじゃなかったってこと?」」
「島野さんも心配してた。」
「どうして、島野さんに頼んだの?」
「僕が会うと、渚が辛くなるから。」
「別れるって言った事、本気にしてなかったの?」」
「僕が帰った後、渚、大声で泣いてた。」
「聞いてたの?」
「嫌いなら、あんなに泣かない。」
「だって。」
「好きなのに、どうして別れる?」
「アルムの負担になるから。」
「ならない。」
「違う。アルムが負担と思うから。」
「そんなこと、思わない。」
「片足の女なんて、アルムに似合わない。」
「悲しい。どうしてそんな事、考える?」
「私は、アルムに相応しくない。」
「誰がそんな事、決める?」
「みんな、そう思うから。」
「みんなじゃない。渚が勝手に決めてる。」
「自信なんて、持てるわけない。」
「怒るよ。」
「だって、こんな体なのよ。」
「渚の体が、好きになったんじゃない。」
「わかってるけど。」
「僕の両手がなくなったら、僕と別れる?」
「‥‥」
「渚は、そんな事気にしないって。そんな事で別れないって言う。」
「アルム。」
「僕も一緒。わかる?」
「わかる。」
「だったら、別れるなんて、もう言わないって、約束。」
「アルム。」
「でもね、別れるって、渚が言ったから、卒業できた。」
「本当?」
「博士号も取れた。渚に褒めてもらいたいから、僕も、頑張った。」
「おめでとう。」
「渚も、夢も、あきらめないから。」
「本当はね、アルムに歩いているところを、一番に見てもらいたかった。自分の気持ちにうそをついていたの。」
「渚、本当によく頑張ったね。」
段差のあるところは、アルムに助けてもらったけど、電車を乗り継ぎ、歩いて家に帰った。
出迎えた母は、アルムを見て、あらまぁ、と笑った。
アルムが来てくれて、母はとてもうれしそうだった。
絶対、元に戻ると思ってたのよ。アルム、こんなことになっちゃったけど、もう一度、この子の事をお願いしてもいいかしら?もちろん、とアルムは答えた。
夜には母が、退院とアルムとの再出発のお祝い、と言って普段ではお目にかかれない豪華な料理を作ってくれた。
「お母さん、アルムにはあまいんだから。」と七海。「お姉ちゃんの事、応援するから、アルムの友達、紹介してね。きっとよ。」最初は、しおらしかったけど、やっぱり、七海は七海だ。こっちの方が、落ち着く。
母の手料理を、勢いよく食べ終えたアルムが、今度は、僕が韓国料理を作って、ごちそうします、と話している時、ふいに思い出した。
「ねぇ、お母さん、アルムに似ている、大好きな俳優って、誰?」
母が名前を言う。
ふたりで、大笑いした。
何?と聞く母に、アルムが、兄です、と言うと、うそ、うそでしょう?本当なの?と驚いている。
アルムの、今度連れて来ます、の言葉に、 いつまでも、大興奮状態が続いていた。
帰る、と言うアルムに、今日は遅くなったから、泊まっていきなさい、と母が引き留めた。
そして、私のTシャツとジャージとバスタオルを持たせ、浴室へと追い立てていた。
自分の部屋に入り、義足を外した。
お風呂から上がった、アルムに部屋で待っていてもらい、松葉杖で浴室へ行った。
部屋に戻ると、アルムが、私から松葉杖を取り、抱っこして、ベッドに連れて行った。
「重いでしょう。」
「軽い。全然、平気。」
「アルム、見て欲しいものがあるの。」
「何?」
覚悟を決めて、着ていたトレーナーの裾を捲り上げた。
左の胸の下から腰にかけて、消えることのない、いくつもの傷痕。
アルムの顔が一瞬、翳る。
「ひどいでしょう。醜いよね。」
「渚。知らなかった。こんなに、痛い思いしてた事。」
アルムの指が、優しく傷痕を撫でる。
痺れるような感覚が、体を駆け巡る。
「嫌われたくないから、言えなかったの。」
「ごめん。渚の体にも、心にも、いっぱい、傷つけた。」
「こんな体でも、私の事、本当に、好きでいてくれる?」
私をベッドに倒し、傷痕に、アルムがキスをする。
「どんな傷があっても、渚を嫌いになんかならない。」
「不安だったの。」
「僕が、守るから。渚が、これ以上、傷つかないよう、僕が、絶対、守る。」
「ありがとう。アルム。」
長いキスの後、アルムが聞いた。
したい。大丈夫?うん、と小さく頷いた。
階段の上り下りが、スムーズにできるまでになった頃、社長に、仕事がしたい、と連絡した。
そう言うと、思ってたよ。デスクはそのままにしてあるから、すぐにでも戻っておいでよ。と言ってくれた。
本格的に、職場復帰したけど、事務所への往復は、やっぱり、きつかった。
通勤ラッシュを避けるため、早朝に出勤する。退社は、夕方のラッシュの終わった後。
社長は、仕事のある時だけ、出勤する形でもいいと言ってくれたけど、もうこれ以上、甘えるわけにはいかない。
それに私も、早く以前のように、仕事をこなしていけるように、なりたかった。
木曜日の夜、まだ帰宅しない私に、
「病み上がりなのに、 仕事、し過ぎだよ。」と社長。
「急ぎの仕事じゃないから、渚ちゃんは、明日から3連休だ。」
まだ、やりたい事が、と言うと、
「明日、出勤したから、クビだ。」
強制的に、休みを取らされてしまった。
翌日、アルムと、久しぶりに哲学の道を歩いた。
「久しぶり振りだ。」
「社長のおかげね。」
「いい社長だね。」
「そうね。すごく、いい人。」
キラキラと輝く木漏れ日。手を繋いで、ゆっくりと歩く。
「ここに来ると、気分が落ち着く感じがするの。」
「渚が、入院してた時、ここに来たよ。」
「誰と?」
「ひとりで。渚に会えなかったから。」
「寂しかった?」
「すごく。」
「ごめんね。」
「いいよ。またふたりで、来れたから。」
「アルム、私、変わった?」
「最初に神戸で会った時から、渚は、ずっと同じ。どうして?」
「いろんな事があったから。」
「全然、変わってないよ。」
「よかった。あのね、同じ病院に入院してた18歳の女の子が、足がない事を、体の形がちょっと変わっただけ、って言うの。」
「うん。」
「私は、足がなくなったら、いろんな事が、変わってしまう、って思ってた。」
「だから、別れよう、って。」
「でも、何も変わらない事をいろんな人から教えてもらった。」
「感謝しないと。」
「うん。私、もっと強くならないとね。」
「渚、お願いだから、これ以上、強くならないで。」
「ひどい。私、そんなに強い女?」
「冗談だよ。」
銀閣寺近くのビストロで、遅めのランチをワイン付きで、楽しんだ。
「アルム、私、一人暮らしするわ。」
「急に、何で?」
「通勤が、大変なの。だから、事務所の近所に引っ越そうかな、って考えてる。」
「僕を、無視してる。」
「無視なんて、してないけど。」
「一緒にいたい気持ち、無視してる。」
「一人暮らしに、反対なの?」
「もちろん。ふたり暮らしならいい。」
「アルムも、引っ越すって事?」
「そう。一緒に暮らそう。」と言い、アルムが私の横に来て、その場に跪いた。
アルムが、ジャケットのポケットから取り出した、赤いケースの蓋を開けた。
ダイヤモンドの指輪が、入っていた。
「結婚しよう。」
思いがけない、プロポーズ。
「はい。」
私の手を取り、左手の薬指に、指輪をはめてくれた。
お店の中で、拍手が起こった。
周りのテーブルのお客さんが、会話を聞いていたようだ。
恥ずかしくて顔を赤くしている私の横で、やっと彼女がオッケーしてくれました、とアルム。
お店からプレゼントです、とシャンパンが届いた。
アルムって、モデルだけじゃなくて、俳優でもやって行けそうと、思ってしまった。
指輪は、事故に合う日、六甲の夜景を見ながら、プロポーズして渡すつもりで買っていたらしい。
アルムの部屋のベッドの中で、その事を初めで聞いた。
「ありがとう。すごくうれしかった。」
「喜んでくれた?」
「一生、忘れない。」
「もっと早く、指輪、渡したかった。」
天井に左手をかざし、薬指を見た。
「大きなダイヤモンド。こんなに高価なものでなくてもよかったのに。
「モデルのギャラ、高いの知っているでしょう?」
「でも、無理しないでね。」
「渚には、何もプレゼントしていないから、指輪は、特別。」
「左足で、よかった。」
「何で?」
「左手なら、指輪をはめてもらえなかったでしょう。」
「両手がなかったら、ペンダントにしてあげるから、心配いらない。」
そう言えば、とアルム。1か月後に、お兄さんの来日に合わせて、ご両親が挨拶をするために、日本にいらっしゃると言う。
えっ、とベッドから飛び起きた。
「どうしてそんなにびっくりするの?」
「今度、会う時は、韓国語でコミニュケーションとりたいから、韓国語勉強しようとおもってたのに。」
「なんだ。僕がマンツーマンでいつでも教えてあげるよ。」
「アルムにも内緒で、話せるようになりたかったの。びっくりさせたかったのに。」
「渚、かわいい。かわいいは、韓国語でー」
ベッドの中で、レッスンが始まった。
結婚が、現実味を帯びてきた。
事故の前、最初に結婚を考えた時は、不安と期待が入り混じり、心に波があった。だけど、今回は、とっても穏やかに受け入れられる。
私には、1本の足しかない。
だけど、アルムの足を合わせると、3本になる。
1本の足では、乗り越えることが困難な道でも、3本あれば、前に進める。
アルムが、私に、教えてくれた。