14章:事後報告と厄難
陰鬱な月曜日がやってきた。日曜日を何もせずにダラダラと過ごしていたらいつの間にか日付が変わっていた。
今日もいつも通り早くに登校して、自分の席で寝たふりをながら時間が来るのを待っていた。
しばらくしてクラスメイトが集まってきたが、いつもみたいに騒がしくはならなかった。
会話をしていない訳ではない。何があったのかは分からないけど、静かだと調子が狂うから止めてほしいものだ。
それに心なしかお通夜みたいな暗い雰囲気も漂っている気がする。教室の空気に滅入っていると先生が入ってきた。
「はい、ホームルームを始めます。今日は出席を確認する前に話さなければならない事があります」
先生はそこで言葉を区切って教室全体を見渡した。それも1人1人の顔を確かめるようにゆっくりと。
「みんなも知っていると思うけど、先日のサバイバル訓練中に魔族による奇襲がありました。幸いこのクラスは軽い怪我を負うだけで済みましたが、ほかのクラスでは死亡者が出てしまいました」
教室は静かだった。時折、鼻をすする音が聞こえてくるが、声をあげて泣くものは居なかった。
「それでは、亡くなった方の冥福を祈って黙祷をしましょう。みんな、目を閉じてください」
俺は言われた通りに目を閉じた。そうして静かなまま時間は過ぎていった。
しかし、昼休みになると、朝の様子が嘘だったかのように、普段と変わらない風景がそこにはあった。
みんな楽しそうに友達と話をしていた。誰一人として悲しそうな顔をしている人はいない。
明るく振る舞う事で嫌な事を忘れようとしているのかも知れない。それとも土日で気持ちの整理がついたのだろうか。
分からない事だらけだ。
その日の夜、おばあちゃんの知恵袋ことクロに聞いてみると、意外な答えが返ってきた。
「それはこの学校に来る生徒はみな、死ぬのは仕方のない事と割り切っているからです。ところで、ここの教育方針を覚えていますか?」
「いや」
「ですよね。改めて、ここの教育方針は実戦で戦える人材を育てるというものです。戦場において味方が死ぬ事、それも友人が死ぬ事は日常茶飯事です。その事で一々動揺していては自分も殺されてしまいます。そこで、早い人なら中等教育から、遅い人でも高等教育の1年目から知人の死について考える授業があります。その授業を通して各々が納得できる理由を見つけて折り合いをつけているのです」
クロの説明を聞いてなんとなく理解する事は出来た。俺も考えておく必要がある事だ。
あ、俺には死んだら悲しくなるような知人は居なかったな、そう言えば。
そうして火曜日になった。今日は特に何もない普通の日だ。
午後の実戦訓練の事を思い気が重くなりがら、理科室に向かっている。
本当は理科室なんて名前ではなく魔法薬学室だが、雰囲気が理科室っぽいから俺はそう呼んでいる。
そう、1時間目は魔法薬学の授業だ。いつもは教室で薬の調合方法を習っているが、今日は小テストを兼ねて実際に作ってみるそうだ。
周りのクラスメイトも―――主に男子だが―――初めて薬を作る事に興奮しているようだ。
理科室に入ると先生がもういた。先生は入ってきた人から順番に箱を渡していた。
箱を受け取ったやつは入口に近い席から順番に座っていた。俺は最後の方だったから席が奥にしか残っていなかった。
仕方ない。俺は先生から箱を受け取ると、中央の通路を歩いて奥まで行った。
理科室には長机が2つあり、机の片側に10人は座れるくらいの長さがある。
このクラスは全員で40人いるから結構ギリギリだったりする。もうちょっと余裕を持とうよ。
そんな事を考えながらも、俺は黒板に向かって左側の机、中央通路側の席に座った。
先生は全員が箱を受け取り席に着いたのを確認すると、さっそくテストの説明を始めた。
「今日は先週にも言いましたが、テストをします。ちゃんと覚えてきましたか?忘れていたという人の為に言いますが、今日は回復薬・魔力薬・活力薬のいづれかを作ってもらいます。それでは箱を開けてください」
先生の掛け声でみんな一斉に箱を開けだした。俺も箱を開けて中のものを確認する。
中には数種類の草、紙、三角フラスコ、アルコールランプ、三脚台、金網、液体が入ったボトル、すり鉢とすりこぎが入っていた。
紙を手に取り見ると『回復薬』と書かれていた。俺が作るのは回復薬という事か。
「はい、箱の中にはたくさん入っていますが、それをすべて使うという訳ではありません。必要なものだけを使って紙に書かれたものを作ってください。それから、お題を教えないでください。出来たら各自紙と完成したものをもって私のところに来てください。それでは始め」
俺はまず草を見た。確か、回復薬に必要なのは3種類の草だったかな。
1つ目は葉の形が丸いやつで、2つ目が細長いもの、3つ目がギザギザに尖ったものだ。
いくつもある中で丸いものと細長いものは見つける事ができた。ただ、3つ目が見つからなかった。
いや、見つけた事には見つけたのだが、2種類あった。どちらも見た目は尖ってているが触り心地が違った。
この草にはもう1つ特徴があったはずだけど何だったか。俺は何となく草をひっくり返してみた。
右手に持っている草は裏側も緑だったが、反対の草は白かった。そうだ、これだ。
回復薬に必要なのは裏が白い草だった。白い方だけを取り出して残りは箱にしまった。
よしこれで作り始められる。まずはアルコールランプに火をつけよう。
アルコールランプを机に置いて火をつけようと、マッチを探したが見つからなかった。
草の下に隠れているのかと思いすべて取り出してもない。もしかして入れ忘れか?
横を見てみたがマッチのようなものは見当たらなかった。もしかして自前で火を点けないとだめなのか。
火属性を持っていない俺にはどうする事もできない。先生の隙をついてボックスからマッチを出すか。
先生の隙を伺う時にアルコールランプが目に入ったが、何か違和感を覚えた。
手に取って違和感の正体がわかった。形はアルコールランプなのだが、中にアルコールらしき液体が入っていない。
代わりに小さな塊が入っていて、底には魔法陣が書かれていた。試しに魔力を注いでみると火が点いた。
突然の事に手放しそうになるが何とか放さないでいられた。全く危ないところだった。
アルコールランプを三脚台の下に置いた。三脚台の上には金網を乗せて取り敢えず放置する。
次に三角フラスコにボトルの水を半分ほど注いだ。水の入った三角フラスコを金網の上に乗せ下準備は終わりだ。
水が沸騰するまでに草の処理をしておく。草はそれぞれ使い方が違ったはずだ。
確か、最初に丸い草をすり潰して出てきた汁を入れるんだったな。俺はすり鉢の中に丸い草をあるだけ入れた。
鉢から零れ落ちそうなほどあったが、使うのは汁だからこれぐらいで十分かも知れない。
俺はすりこぎで上から押さえつけるようにすり潰していった。3分ほど無心で潰していると草の量が減って汁が出てきた。
そこで三角フラスコを見ると底から小さな気泡が出ていた。ちょうどいい温度だ。
鉢を持ち上げて草が入らないように押さえながら三角フラスコに汁を入れた。
汁が入った途端に液体が緑色のような茶色の様なよく分からない色になった。この色は大丈夫なのだろうか、不安だ。
しかし、入れてしまった物は取り出しようもないのでこのままで行くしかない。
すり鉢を横にずらして次の作業に取り掛かった。細長い草を手に取り半分の長さになる様にちぎった。
この半分にした草は沸騰直後に入れる。まだしばらくは沸騰しそうにないから、もう1つの処理も済ませておく。
処理といっても茎から葉を毟り取るだけだ。何枚か毟っている間にまた気泡が出てきた。
毟るのを中断して草を数枚入れた。草を入れてちょっと待つと草の繊維が離れ始めた。
最後には完全に溶けてなくなってしまった。そして液体はさらに色を濃くしもはや黒色になってきている。
若干やばい気がしてきたが今更引き返せない。材料は合っている筈なんだ。そう悪い結果にはならないと信じよう。
俺は最後に尖った葉を手に取った。これだけは少し特殊な使い方をする。
葉の先端部分を三角フラスコの口にあてがった。それから葉に魔力を流した。
葉が少し光ると先端から綺麗な液体が出てきた。そう、この葉の特性に『魔力を流すと液体を出す』と言うものがあるのだ。
ただ、1枚から出てくる量は少なく葉が大量に必要になってくる。1枚目の液体が三角フラスコの中に入ると一瞬液体が綺麗になった。
しかし、すぐに元の濁った液体に戻ってしまった。俺はその後間髪入れずに液体を入れ続けた。
そうして、何枚目かでやっと透き通るような青色をした液体になった。やった、これで回復薬は完成だ。
完成した回復薬を先生に持って行く為に席を立った。その時に軽く周りを見たが完成している奴はまだいないようだ。
俺が一番か。なんだかちょっぴり嬉しくなりながらも中央通路を歩いた。
ちょうど半分まで歩いたところで事件が起こった。突然足元でガラスが割れる音がした。
そして次の瞬間には視界がピンクで覆われた。すぐに息を止めたが、止める時に軽く吸い込んでしまい盛大に噎せた。
それからは悪循環にとらわれ咳き込み続けた。席をしている間になぜだか分からないが、ズボンがずり落ちてきた。
慌てて右手でベルトを掴みズボンを引き上げた。左手はフラスコを持っていて塞がっている。
為す術もなく時間だけが過ぎていった。しばらくしてやっとピンクの何かは消えていった。
視界は戻ったがいつもより視線が若干低くなった様な気がした。そうでもないか…
結局、何があったのか地面を見ようとして、そこにあるはずのないものが目に入った
嫌な予感がしてベルトを掴んでいる手を少しだけ下げた。指を伸ばしズボンの股を押すと抵抗もなくへこんだ。
あるべきモノがそこにはなかった。そしてさっきからチラチラと視界に入ってくる長い髪の毛。これはもう疑いようがない。
俺は女になってしまったようだ。
このまま固まっている訳にもいかないので、取り敢えず先生の所に行った。
先生の許まで行くと回復薬が入った三角フラスコを渡した。
「先生、お題の回復薬が出来ました。…それで、あの…保健室に行ってきても良いですか?」
「あ、ああ。行ってこい…」
先生は戸惑いながらもフラスコを受け取り返事をした。俺は先生の横を通って理科室から出て行った。
理科室から数歩離れると後ろからは驚きの声が響いてきた。はぁ、憂鬱だ。
ベルトを締め直し改めて自分の体を見た。その時に否が応でも目に入ってしまうのが胸だ。
胸は大きいと言い難いが小さい訳でもない。感覚的に、所謂BかCカップはあると思う。
あくまでも感覚だから実際は分からない。それに俺としてはもう少し小さくても良いと思う。
この大きさでも重たいと感じるし、何よりも、胸が中の服に当たって痒い。
そんな胸の事も然る事ながらイチモツの方も問題だったりする。今まであったものがないと落ち着かない。
このまま一生戻らなかったらどうしよう。女として生きていかないといけないのか。
…それはそれでありかも知れないな……いや、やっぱなしで。女と言えば付きまとうアレがある。
アレは相当辛いものだと聞くし、辛いなら経験したくない。
俺の将来について真剣に悩んでいると手洗い場が見えた。手洗い場には当然鏡が設置されていた。
自分の外見がどうなっているのかが気になり、足を止めて鏡を見た。
鏡の中には、憂鬱そうな顔をした髪の長い女がいた。あれ?結構美人なほうじゃね、これ。
「マスターって意外と自分の事が好きですよね」
「どぅぇ!?…く、クロ、起きていたのか…」
「ええ、ピンクの煙に包まれている時から。それと、胸のサイズはBですよ」
それは要らない情報…でもないけど今はいい。……そっかぁ、これがBかぁ…
いろんな発見をしたところで保健室に着いた。授業中と言う事もあって着くまでに誰とも会わなかった。
中に入る前にノックをしようとして止めた。中から会話が聞こえてきた為だ。
会話の内容から先生と生徒ではなく、先生同士で話しているようだ。壁越しでも楽しそうにしているのが分かった。
会話の邪魔をするのは気が引けたが、こちらは急を要する事かも知れないからなりふり構っていられない。
それでも控えめに扉をノックした。会話が止まり事務的な声で「どうぞ」と言うのが聞こえた。
俺は恐る恐る扉を開けて中に入った。中には眼鏡をかけた女性と髪がパイナップルの様になっている女性がいた。
どちらも白衣を着ていた。
眼鏡とパイナップルのどっちが保健室の先生なんだ。もしかしてどっちもか。悩んでいると眼鏡の方が話しかけてきた。
「こちら、どうぞ。それで、どうしましたか」
「あ、えっと、魔法薬学の授業で煙?を吸って?浴びて?しまって、えっと、その、女になってしまって……治りますか?」
「ちょっと失礼します」
眼鏡さんは真っ先におでこに手を当ててきた。熱で可笑しな事を言っていると思われたのだろうか。
その後は触診が始まり一通り診たところで手が止まった。
「どこも悪いところは見当たりませんが、本当に男だったのですか?」
これが当然の反応なのかもしれない。突然女になりましたなんて言われたって俄かに信じ難い。
この格好を見たら分かるだろと言いたくなったが、制服なんていくらでも用意できるから説得力に欠ける。
すぐに反論出来なかったからか眼鏡さんの目つきが鋭くなった。何か言わないと…
「あ、アレがあります。ギルドカード。ちょっと待ってください。今出しますから……あった…どうぞ。どうですか、これで証明になりますよね」
「……うそ…ほんとだ。…男と言う事は分かりましたが、先ほども言った通り身体的には異常はありませんでした」
眼鏡さんはギルドカードの写真を見て納得してくれた。
ついでに横で静かに話を聞いていたパイナップルさんも見ていて驚いていた。
「これはもうあなたの分野でしょ。あ、この人は呪術関係を教えてる先生なんです。ほら、見てあげて」
「しょうがないねぇ。ちょっと眩しいから目、閉じてなさい」
パイナップルさんが前に出てきて手をかざしてきた。すると瞬く間に魔法陣が展開された。
俺は慌てて言われた通りに目を閉じた。直後、瞼の向こうで光が点滅した。
「もう開けても大丈夫よ。…う~ん…うん。心配しなくても明日には治ってると思うわ」
「本当ですか?よかったぁ」
「それにしても不思議なものね。授業で扱われるようなものでこんな事が出来るものを作るなんて…」
パイナップルさんはしきりに感心していたが、当事者としては面白い事ではない。
ただ、明日には治ると聞いて一安心した。原理を聞いても理解できないだろうし聞くのは止めておこう。
それよりももう一つ問題が残っていた。帰ろうとして浮かした腰を下ろし眼鏡さんに向き合った。
「あの、包帯を頂けませんか?」
「あら、どうして?」
眼鏡さんは訳が分からないといった顔をしている。いきなり話が変わって困惑するのは分かるが、察してほしいものだ。
「えっと、ちょっと、その、胸が当たって…痛いんです」
「あぁ、そう言う事。はい、どうぞ。あっちのベッドがカーテンで仕切れるから…」
眼鏡さんから包帯とテープを受け取るとベッドに行きカーテンを閉めた。
はぁ~、なんで俺がこんな目に合わなくちゃいけないんだ。クラスに1人位イジられキャラがいるだろ…知らないけど。
文句を言いながらも服を脱いでベッドの上に置いていった。全部脱いだ事で更に自己主張を強める胸。
あぁ、やっぱり思い違いじゃなかったのか。いつまでも胸を見て嘆いている訳にもいかず包帯を巻き始めた。
1人で巻くのに悪戦苦闘したが、何とか巻く事が出来た。包帯は苦しくならない程度に巻いたが結構胸が潰れた。
今では服を押さえないと膨らみが分からないぐらいに小さくなった。
これで擦れなくなったが何故だかほんのちょっぴり哀しくなった。心も女よりになったのだろうか。まぁいい。
気持ちを切り替えてカーテンを開けた。2人の先生はまた会話を再開していた。
「ありがとうございました。テープ、お返しします。それでは失礼します」
「あぁ、待て。良かったら、その元凶の薬を作ったやつに放課後にここに来るように伝えてくれ」
「あ、はい」
去り際にパイナップルさんに伝言を頼まれてしまった。軽く了承してしまったが、誰が作ったのか知らなかった。
今更、やっぱできません、なんて言えるはずなく、俺は黙って保健室を出た。
理科室に戻ると先生が心配そうに話しかけてきた。
「大丈夫だったか?」
「はい、明日には戻るそうです」
「そうか。良かったなぁ。そうだ、コイツには俺の方からきつく言っておいたからな」
先生はそう言いながら横にいた男子生徒の背中を押した。そいつは赤い髪をあちらこちらに跳ねさせていた。
「すまん!俺の手が滑ったばっかりに大変な目にあわせちまって…ほんとうにすまんかった!」
赤髪くんが突然頭を下げて謝ってきた。それも腰から折れていて綺麗な形だった。
「頭を上げてください。さっきも言った様に明日には治りますから大丈夫ですよ」
「…天使かよ……いや、何でもない。ともかく、この埋め合わせはするつもりだから何でもいってくれよな」
そういって赤髪くんは自分の席に帰って行った。埋め合わせなんて必要ないけどそれでは相手の気が済まないのだろう。
後でジュースを1つ奢ってもらうとして、俺も自分の席に戻った。
中央通路を歩いている時に小声で「天使だ」「いや、女神だろ」などと話しているのが聞こえてきた。
男子諸君よ、天使・女神以前によく思い出してほしい。俺は男だ。今は女だけど本質的には男だ。
その後は取り立てるような事もなく片づけが進められ、授業は終わった。
片づけている時に重要な事を思い出した。さっきの赤髪くんに伝えないといけない事があった。
タイミングを逃して言えずにいた。言うなら教室に帰っている今しかない。
意を決して前の方で友達と話をしている赤髪くんを呼び止めようとしたが、言葉が出てこなかった。
呼び止めようにも赤髪くんの名前を知らなかった。どう話しかけようか迷っていると教室が見えてきた。
教室に入ってしまうとそれこそ話しかける勇気がなくなってしまう。もう迷っている時間はない。
俺はヤケクソ気味に、しかし、優しく、赤髪くんの肩をつついた。赤髪くんは歩きながら首を回して後ろを向いてきた。
つついてきたのが俺だと分かると慌てて体をこちらに向けた。
横にいた友達は教室の近くまで来ていた事もあり、先に教室に戻っていった。
「どうした?」
「伝え忘れていた事がありまして…保健室の先生から、放課後に保健室に来るように、とのことです」
「おっけおっけ、放課後ね。りょうかい」
「それだけですので、では」
俺は自分の思う限りの自然さで会話を打ち切り、足早に教室に入った。
その後の授業は特に問題もなく進んでいった。しかし、休み時間はそうもいかなかった。
休み時間になるたびに他のクラスの奴らが見に来て、教室前の廊下は男子に埋め尽くされた。たまに女子の姿も見えた。
散れ、俺は見世物じゃないぞ……と言えたらどれだけ楽か。勇気のない俺は寝たふりをするだけで精一杯だった。
昼休みになると俺よりも自分の飯が大事らしく、俺を見に来る人の数は目に見えて減っていた。
俺も昼ご飯を食べに学食へと向かった。学食に着くと食券を買う為に並んでいる人の脇を通って奥に進む。
物陰に隠れるように設置されている券売機で、から揚げ定食の券を買ってカウンター席に座った。
「あら、いらっしゃい…ってどうしたんだい?」
「いえ、ちょっと授業でへまをしてしまいまして…あ、コレお願いします」
「ん?あぁ、から揚げ定食ね。それにしても災難だったねぇ。戻るのかい?それ」
「ええ、明日には戻るそうですよ」
俺はおばちゃんと他愛もない会話を食べ終わるまで続けた。辛い学校生活のなかで唯一心が休まる時間だ。
ずっと話していたかったが、次は実戦訓練だから体操着に着替えないといけない。
俺は惜しみながらもおばちゃんに別れを告げて教室に戻った。
教室では何人かがすでに着替え始めていた。俺が入ってきたのを見た奴らの目つきが明らかに変わった。
ここで着替えるんじゃないか、そう期待を込めた目つきだ。俺はその視線に気づかない振りをして自分の席に向かう。
カバンから体操着が入った袋を取り出したとき、誰かの唾を飲む音が聞こえてきた。
俺は袋を持って教室を出た。ドアが完全に閉まると同時に教室の中にいた男子はみんな倒れた。
当たり前だ。いくら心が男だと言ってもあんなケダモノばかりの場所で着替えられる訳がない。
だからと女子更衣室に行こうものなら警察の世話になってしまう。それは避けなければならない。
当然俺が向かうのは保健室だ。1時間目の様にベッドを貸してくれる事だろう。
保健室に着き先生に事情を話すと思っていた通りベッドを貸してくれた。
着替えはすぐに終わったのだが、髪が邪魔をして着替え辛かったし、戦い辛くなるのも容易に想像できる。
「すみません。輪ゴムを貸してください」
「いいけど、何に使うの?」
「髪を縛ろうかなと」
「やめとけ、やめとけ。私も髪ゴムが見当たらなかった時に輪ゴムを使ったんだけど、取る時が痛いのなんのって…私のを貸してあげるからコレを使いなさい」
そう言ってパイナップルさんが自分の髪から髪ゴムを取ると渡してきた。
髪ゴムを取られた髪は、パイナップルの形を保っていられなかった。あぁ、パイナップルさんのアイデンティティががが…
借りた髪ゴムで髪をうなじの辺りで1つに纏めた。俺は保健室を出たその足で第一闘技場に向かった。
第一闘技場にはもうすでに殆どの生徒が集まっていた。クラスメイトがいる場所に着いた時にチャイムが鳴った。
しばらくして先生がやってきた。説明も疎かに戦う場所の割り振りを発表していく。
みんなの場所が発表されると移動となった。俺はCだから入り口に近いほうだ。
今回も俺のクラスからはSクラスに挑戦する奴は出てこなかった。自分の実力を分かっているのか、臆病者なのか。
俺はSクラスには勝てないと思ってるし、何かの間違いで勝ってしまったら面倒だ。
そんな事を考えているとCの場所に着いた。他の人はまだあまり集まっていなかった。
今いるのは金髪巨乳と緑髪男子だけだ。金髪巨乳とだけは戦いたくないなぁ。
見た感じ高飛車っぽいし、何より巨乳なのが気に食わない。…あれ?なんで巨乳にこんなにも嫌悪感があるんだ?
大きすぎるよりもほどほどの大きさが良いけど、大きいから嫌いとか思った事はないんだけどな。
悩んでいる間に全員集まったらしく先生が号令をかけてみんなを集めた。
今回は何でもありで戦うのではなく、使い魔との共闘はなしらしい。
使い魔を呼べない時に戦う場合を想定しているらしい。それでも魔武器の使用は許可されている。
俺の場合は常に使い魔が傍にいるから、そんな事にはならないけどそれを言っても仕方がない。
1戦目は呼ばれなかったからクロを撫でながら観戦した。戦っているのはあの緑髪男子と紫髪男子だ。
どちらも魔法を放っていて遠距離戦になっている。身体強化はしていないようだ。
魔法の撃ち合いになると魔力量が多い方に軍配が上がるのが必然だ。
自分の魔力量に絶対の自信がないとしてはならないし、学生の内にこの戦い方で慣れてしまっては実戦に活かせない…と思う。
案の定、試合が始まってすぐにどちらも肩で息をするようになった。魔力が底を尽きかけているに違いない。
そして、双方共になけなしの魔力で身体強化を施して、武器を構え舞台の中央で衝突した。
片や緑髪はバスタードソードを握り、片や紫髪は双剣を握っていた。
どちらも疲弊しており動きに精細さを欠いていたが、紫髪がその手数の多さにより辛くも勝利した。
試合が終わると先生から総評と改善点が告げられる。
途切れ途切れに聞こえてくる言葉から察するにやはり、自身の魔力量を考えて戦え、と言っている様だ。
先生からの講評を聞き終えた2人は舞台から降りた。先生は紙に何かを書いてから次の生徒を呼んだ。
当分呼ばれないだろうと油断していたら呼ばれてしまった。俺はクロをその場に残し舞台に上がった。
舞台の上にはすでに相手の生徒がいた。嫌な事に、本当に最悪な事に相手はあの金髪巨乳だった。
相手が金髪巨乳だと言う事に落胆しながらも、戦闘準備をしていると先生に呼び止められた。
「ちょっと、きみ。五十嵐麟児くんじゃないだろう。今すぐ降りなさい」
「いえ、私で合っています。コレが証拠です」
俺は先生にギルドカードを見せた。先生はギルドカードと手元の資料とを何度も見比べた。
「君がそうだったのか。事情は聞いているよ。……それにしても…」
先生の間で一応は情報が伝わっていた様だ。最後の方はよく聞き取れなかったけど重要な事ではないだろう。
鉄刀の鞘を左手で握りながら舞台の中央に向かった。舞台の中央では金髪が何やら勝ち誇った顔をして立っていた。
「貴女、男みたいな名前ですわね。まぁ、貴女の様な体の方にはお似合いですわ」
そう言って金髪は胸を強調しながら高笑いをした。別に俺は男だから気にしないが、お灸を据える必要がありそうだ。
俺の反応が面白くなかったのか、高笑いはすぐに止んだ。遠くで誰かが戦っている音を聞きながら静かに見合った。
沈黙を破ったのは先生の試合開始の合図だった。俺は一先ず後ろに下がった。
相手も同じように下がったので、俺と相手の間にそれなりの距離が生まれた。
距離が開いた場合に選ばれる攻撃手段は魔法であり、金髪も例に漏れず魔法の詠唱を始めた。
俺は5掛の土属性強化を自分に施した。茶色のオーラが体を包んでいるのを確認してから転移をした。
転移場所は金髪の真横。詠唱に夢中になっている様で金髪は俺に気づいていない。
俺は出来るだけ素早く鞘から鉄刀を抜き、その勢いのまま金髪の無駄に大きな突起物に目掛けて振り下ろした。
しかし、その攻撃はすんでのところで気づいた金髪に避けられてしまった。
「あ、貴女!どこを狙っているの!?」
「いえ、そのご自慢の脂身を削ぎ落として差し上げようかと思いまして」
「お、大きなお世話よ。それに、脂身なんて言わないで」
いつもなら無視して攻撃をしていた所だが、敢えて応えてみたら面白いものが見れた。
自身の胸を後生大事に抱いている様は狂おしい程に滑稽だった。
しかし、避けられたのは予想外だった。5掛までしたのについてこられるとは思いもしなかった。
不思議に思い手を見てみるとあの茶色のオーラがなかった。何故だ。
転移する前は確実にあったはずなのに。ただ、身体強化は消えていない。
つまりは、と結論を出す前に思いっきり後ろに跳んだ。直後に目の前を火の塊が通過した。
金髪が放った魔法だ。当たれば致命傷を負いかねない威力の様だが、速度が遅く回避は余裕だ。
向こうの方で金髪が何やら騒いでいるが無視した。それよりもオーラが消えて身体強化が消えてない理由だ。
恐らくは、身体強化の外側の1枚を使って転移したのだと思う。
その可能性が高まったのがさっき跳んだ時だ。あの力のかかり具合が4掛の時と同じだった。
更に、身体強化も転移も体を魔力で覆う為、相互変換が容易に出来るのではないかと推測する。
今はそう思っておいて、正確な所は試合が終わってからクロと答え合わせをするか。
ともかく、何掛か身体強化をすれば、その回数分だけ転移を連続して行えると言う訳だ。
俺は魔装になる手前の19掛をしてから、遠くで何かを詠唱している金髪の後ろに目掛けて転移した。
金髪は詠唱に集中しているのか俺が消えた事に気が付いていない。俺は無防備な金髪の腰を思い切り蹴った。
金髪は鈍い音を奏でて前に吹き飛んだ。俺は金髪が飛んでいく方向を見てから、金髪の目の前に現れるように転移した。
こっちに向かって飛んできた金髪を蹴り上げてまた同じ様に転移した。
空中で態勢を崩しながらも金髪を蹴る事に成功した。何とか地面に目を向けて位置を決めてから転移した。
適当に転移したために金髪の軌道上ではなかったが歩いて調節した。
ちょうど良いところで金髪が飛んできた。俺はしゃがんで立ち上がる勢いを利用したアッパーをした。
また転移した先が空中だったが今度は体制を崩さないように、地面に叩き付ける様に腕を振り下ろした。
転移して殴る。転移して蹴る。転移して切る。転移して蹴る。転移して蹴る。転移して切る。
転移して、転移して、転移して、転移して…残り2回と言うところで誰かが俺と金髪の間に割り込んできた。
俺は何とか横を向き転移して避けた。一呼吸置いてからさっきいた場所を見ると先生が金髪を抱えて立っていた。
金髪は至る所から血が流れ痣が出来ていて意識がない様だ。いくら何でもやり過ぎた感が否めない。
先生はよくやったと言うだけで評価を告げることなく、舞台から降りる様に指示してきた。
金髪の事が気になったが俺に出来る事は何もないので、大人しく先生の指示に従った。
舞台から降りるとクロが迎えてくれた。
「お疲れ様です。見事なワンサイドゲームでした」
「ありがと」
俺は自分にあんなに残忍な面があったのかと驚愕してるよ。クロを撫でてささくれ立った心を癒す。
しばらくして先生が金髪を抱えて舞台から降りてきた。金髪は汚れたままだったが傷は殆どが治っていた。
先生が治癒魔法をかけたのだろう。これで恨まれる事はなくなったかな。さっきから周りからの視線が痛いけど。
視線を感じないようひたすらにクロをモフモフしていたら、いつの間にかすべての試合が終わっていた。
それでも消えない視線。……モフモフ。
保健室で制服に着替え、パイナップルさんに髪ゴムを返してから教室に戻る。
教室にはもうみんな戻っていて楽しそうに会話をしていた。一目散に自分の席に座ると先生が入ってきた。
ホームルームはすぐに終わった。俺は寮に帰る為に立ち上がると目の前に誰かが立ち塞がった。
赤髪くんだった。
「よ!考えといてくれたか?」
「…?…あぁ、アレですか。はい、考えましたよ」
「そうか。で?何して欲しい?」
「ジュースを1つ奢ってください」
「それだけでいいのか?…まぁ本人が良いならいいか…じゃ、行くか」
その後、赤髪くんにフルーツジュースを奢ってもらい、玄関で別れた。
ジュースをストローでチューチューと吸いながら、足取り重く寮に帰った。




