12章:一難去ってまた一難
どうも学校で本当に休憩できるのが、学食でおばちゃんと話をしている時だけになった俺です。
四方と出会って2日経ち、今日は水曜日だ。まだ折り返し地点に来た所で、今週はまだ半分以上ある。
ウンザリしていると教室が騒がしくなっている事に気がついた。因みに今は朝のホームルームの最中だ。
「はいはい、みんな静かにしてね。もう一度言いますが、これからサバイバル訓練を行います。これから詳しい説明をするので、ちゃんと聞いてください」
サバイバル訓練をするのか。この間してきたばっかだから正直したくないんだけど。
俺の気持ちなど知る由もなく先生は説明を始めた。それと同時にプリントが配られたから、先生の説明を無視しプリントを読む。
プリントにはサバイバル訓練をする理由やシチュエーション、禁止事項等が書かれていた。
理由は簡潔に言えば生きる力を養う為だ。それは良いのだがシチュエーションは必要なのだろうか。
雰囲気作りの為なのだろうが、こんなのでやる気が出るのはおこちゃまぐらいだ。
シチュエーションは放っておくとして、この中で一番重要なのは禁止事項だ。
幾つか書かれているが、下線を引いてまで強調して書かれているのは『転移の使用禁止』。
どうやら無人島に連れて行かれるらしいが、その島から外への転移を禁止すると言う事みたいだ。
島の中であれば転移を使っても良いらしい。他の禁止事項は気にする程のものでは無かった。
そして、俺には関係のない事が下の方に書かれていた。グループでの参加を許可すると言う内容。
先生からその説明を受けるとクラスメイト達は「一緒に組もうぜ」等と話し始めた。
俺はみんなが騒いでいるのを尻目に、先生に1人で参加する旨を伝えた。先生は何も言わなかった。
その後は続々と決まった所から先生に報告していた。俺の知る限りでは1人で参加するのは俺だけの様だ。
多い所で6人で組んでいて少ない所でも3人はいた。皆が楽しそうに話しているのを見ないようにクロと遊んで待った。
暫く経った頃、先生は立ち上がり何かを配り始めた。配ったのは全部で2種類の紙だ。
1枚はよく見る転移魔法陣が書かれた紙で、もう1枚がハートの形をしたシール。
先生の説明によると、このシールは身体のどこかに貼る事で効果を発揮するタイプのアイテムらしい。
その効果は一定のダメージを受けると特定の場所に転移させるもので、転移先は大体病院に設定されている。
と言うのも、ダメージを肩代わりしてくれるものではないので、飛ばされたものは漏れなく重症だからだ。
取り敢えず右手首にシールを貼っておく。今更ながらこれは剥がれるのか心配になって来た。
飛ばされる時に消えるらしいが、ダメージを受けなかったら飛ばされないし、消えないって事じゃないのか。
まぁ、便利な機能がある訳だからあっても損じゃないけど、このままじゃ恥ずかしくて半袖を着れない。
一抹の不安を抱いているとみんなが動き出した。どこに行くんだ。考え事をしてたから先生の話を何も聞いていない。
何するのか聞けるほど仲のいい人はいない。こんなところでボッチが仇となるとは。
仕方ない流れに身を任せるか。見知らぬ男子達の尻にホイホイついて行くとどうやら玄関に向かっている様だ。
男子達の会話を聞くに着替える為に一度寮に帰るみたいだ。制服のままじゃ動き辛いもんな。
時間制限があるらしく服を選びたい女子や一部の男子が走っているのが見て取れる。
俺はいつものコートを着るからのんびりでいいか。禁止事項に武器の携帯は書かれてなかったからサバイバルナイフも持って行こう。
何だかサバイバル訓練が楽しみになって来た。よくよく考えたら座学が潰れるから嬉しい事じゃないか。
その後、寮の自室で着替えてからは時間になるまでクロと一緒にまったりと過ごした。
テーブルの上に置いておいた魔法が書かれた紙が光り出すと、気づいた時には鬱蒼と生い茂る木に囲まれていた。
サバイバル訓練の開始だ。足元を見てみると小さな袋が落ちていた。明らかに用意されたものだ。
袋の中には小さく折り畳まれた紙と何かの部品が入っていた。部品は無視して、紙を広げてみる。
紙は2枚重なっていて、1枚が何かの図面で、もう1枚に文章が書いてあった。
図面はルーペの様なもので、文章の内容としては以下の様な事が書かれていた。
『一緒に入っていたのは魔動器の部品で、その魔動器は調べたものが食べられるかどうかを判断する器械。
他の部品は別のグループが持っているので奪い取って完成させなさい。
※部品はボックス内に入れない事』
奪い取ってか…これでシールを渡された理由が分かった。ただサバイバルをするだけじゃない。戦闘訓練も兼ねていたのか。
どうしようか。別に無理に奪いに行く必要がないんだよな。俺のボックス内に携帯食料が1週間分入ってるし。
プリントによれば、このサバイバル訓練は金曜日までの予定だったから余裕で生き残れる。
となれば方針は決まった。金曜日まで隠れて過ごして、魔動器の部品集めはしない。
いつまでもここに居てもしょうがないから洞窟でも探すか。俺は右に向かって歩き出した。
歩いている途中に拾った木の枝を振りつつ散策していると、水が流れる音が聞こえてきた。
洞窟探しは後回しにして音の出所を見に行く事にした。
水属性を持っているから水を確保する必要はないが、魔力の節約の為にもぜひ手に入れておきたい。
音に近づくにつれて水とは別の音も聞こえる事に気づいた。人の声だ、それも複数の。
慎重に歩いていると川が見えた。そして、遠くに男が2人と女が3人のグループも見えた。
こんの、リア充共がぁ~。ボッチの俺に対する当てつけか。いいぜ、その喧嘩買った。殲滅してやる。
俺は茂みに隠れながら川に手を突っ込んだ。ひんやりとして気持ちいいが今はそれを堪能している場合じゃない。
川に魔力を流して一部の水を操作できるようにする。奴らの足元まで魔力を流して魔法を発動させる。
【水牢】
奴らを捕らえようと足元の水が動き出した。リア充共は突然の事に対処する事が出来ずに捕まった。
俺は辺りに気を配りながらも5つの水の球体に近づいた。球体の中では苦しそうにもがく奴がいれば、既に気を失った奴もいる。
リーダー格の奴の腰を見ると部品が入っているであろう袋があった。集めるつもりはなかったが取り敢えず奪っておく。
いつまでも捕まえておくのは忍びないと思い水牢を解除する。地面から少し浮いていた為にみんな川底に叩き付けられた。
水の弾ける音に混ざって何かがぶつかった鈍い音も聞こえた。死体蹴りとか最低だな、死んでないけど。多分。
もう一度川の水を操作して岸に上げてやる。生きているのを確認する為に手首と首に手を当てて脈を計る。
勿論男子だけだ。女子に触れないし、触っている所を誰かに見られでもしたら誤解されかねない。
脈は計り辛かったけど脈動を感じる事が出来た。取り敢えず生きてはいる様で胸を撫で下ろした。
俺は5人を地面の上に放置して探索へと戻った。本来ならここで止めを刺すべきなんだろうけど敢えて見送った。
ほら、サバイバル訓練は始まったばかりだし、こいつらもまだ楽しみたいだろうし、な。
……俺は誰に言い訳しているのだろう。
本音はそうでない事ぐらい自分の事だから分かっている。本当は怖くて止めを刺せないんだ。
今回はシールが配られているから即死じゃない限り助かるのは理解している。
でも、万が一刺し所が悪くて死んでしまったら、と考えるとどうしても行動に移せない。
それに、相手は言葉の通じる人間だ。今まで相手してきた獣とは根本的に違う。
そんな俺の鬱々とした気分とは逆に物事は好転する。目の前に洞穴が現れた。
入口は背の高い草に隠れていて目を凝らさないと見つけられない。いつもなら見逃していた。
さっきまで考えていた事を無理やり忘れて、洞穴を見つけた事を素直に喜ぼう。
早速洞穴の中に入ってみた。中は当たり前だが暗くジメッとしている。ボックスの中から懐中電灯を取り出した。
これは所有者の魔力を消費して照らしてくれる。かなり明るくなった洞窟の奥に向けて歩いていく。
懐中電灯で遠くまで照らしているのに一向に行き止まりが見えない。深くまで続いているのか。
理想としては浅くもなく深くもない洞穴が良かったのだが、続いているものは仕方がない奥まで行ってみよう。
反対側に地上と繋がる場所があった場合、安心してここを拠点にする事ができない。
早く行き止まりになれ、と思いながら歩いていると三叉路に出くわした。今一番会いたくなかった。
選択肢は、今まで歩いてきた道とほぼ一直線で続く道、それと、斜め右に続いている道。
迷う事なく後者の道を進む。俺はダンジョンを隅々まで探索してから先に進むタイプの人間なんだ。
ここに宝箱があるとは思えないが、それでも探索せずにはいられない。
右の道を暫く歩いているとそれなりに広い場所に出た。すぐさま壁に背をつけて懐中電灯で部屋を照らす。
この部屋はただ広いだけで何もない様だ。行き止まりかとも思ったが左側に1つ穴があった。
わざわざ部屋の中央を通る必要もないから、左手を壁につけながら穴に向かう。
自然に出来たものだろうから、何かを期待するのは間違っているかも知れないが拍子抜けだな。
もうすぐで穴に着くと言うところで、左の方からカチッという音がした。嫌な予感しかしない。
あと少しの所で穴に入れたと言うのに、当の穴は土で塞がれてしまい、戻ろうにも来た道も同じ様になっている。
いきなり閉じ込められた事に憤りを感じていると、突然部屋が明るくなった。
眩しさのあまり目を瞑っていると、この空間に何かが現れた気配を感じた。
目を開けるとそこには大量の血気盛んな魔物がいた。これは死ねる。
「クロさん、クロさん、やっちまってくだせぇ」
「これも試練だと思って頑張ってください。私はあそこで見守っていますから」
クロは俺の頭の上から飛び降りて壁際に座り込んでしまった。ちくせう、やっぱり助けてくれないか。
それでも死にそうになったら、なんだかんだ言いながら助けてくれるだろう。
あっ、朝の事を思い出したら自信が無くなってきた。
救援は諦め魔物達をよく見る。最前列には狼がズラッと並んでいて、そのすぐ後ろには棍棒を持ったブサメンが立っている。
ブサメンは恐らくトロールだろうが、その体色はよく言われる緑ではなく紫だ。はっきり言って近づきたくない。
その後ろにも何かといる様だが、トロールの背に隠れて見えない。
悠長に観察していると、狼達が痺れを切らしてこちらに向かって走って来た。
安定の地面から針を生やして牽制する。いつもより長く太い針にしてより一層近づけなくした。
案の定、針の手前で狼達が止まった。岩塊で狙い撃ちしていこうと準備していると、狼達は引き下がってしまった。
多少遠くに行こうと関係ない。狼はある程度後ろに下がってから、また走って来た。
犠牲覚悟の突撃かと思ったが、針の手前まで来ると跳んだ。慌てて岩塊の生成を止めて鉄刀を構える。
狼達は無傷で跳び越えてこちら側にやって来た。……予想外デース。
こんな事になるなら俺の足元近くまで針で埋め尽くしたら良かった。そんなは後の祭りだけど。
狼達が一斉に襲い掛かって来た。やるしかないか。右側から襲ってきた狼の顔面に向けて鉄刀を振り下ろした。
その攻撃は簡単に避けられ狼の鼻先を掠めるだけに終わった。
がら空きになった背中に激痛が走った。歯を食いしばって痛みを耐えて、振り向く勢いに乗せて鉄刀を振りぬく。
すぐ後ろにいた狼の背を切り付ける事が出来た。狼が怯んだ隙に頭目掛けて鉄刀を振り下ろす。
さっきとは違い避けられる事無く当たった。地面に叩き付けて頭を陥没させる。よし、1体倒した。
周りの狼達が黙って見ている筈もなく、左腕に噛みついてきた。その狼を壁に叩き付ける。
歯がさらに深く刺さり痛みも強まるが一切無視し、鉄刀を心臓に突き立てた。これで2体。
後は4体残っているが、続けて2体やられた事で警戒しているのかすぐには襲ってこない。
襲ってくるまで待っている意味もないのでこちらから仕掛ける。さっき作った岩塊を狼達に飛ばす。
それと同時に俺も近くにいた狼に近づく。鉄刀を思い切り薙いだが、当然避けられた。
続いてさっき飛ばした岩塊がその狼に襲い掛かるが、これも後ろに跳ぶ事で避けられた。
どちらも避けられてしまったがこれでいい。元から当てる積もりはなかった。
後に下がって避けた狼の足元に広がるのは針の山。狼は空中で身動きが取れず、バランスも崩して上手く着地できなかった。
狼の悲痛な鳴き声を聞きつつ、残りの狼達の方に向き直る。
今度は一斉に襲い掛かって来た。これこそが狼達の狩りの本来あるべき姿だ。
1体づつ来ていたのは完全に舐められていたからか。こうなるともう手が出せない。
1体に狙いをつけて鉄刀を振ろうとしても、残りの2体が邪魔をしてきて上手くいかない。
敢えて狙いをつけずに無茶苦茶な方向に鉄刀を振る。当たり前な事だがそんな攻撃が当たる訳もなく徒労に終わった。
血を流し過ぎた。脳に酸素が十分行き渡ってないのか、意識が朦朧として考えをまとめられない。
あぁ、ダメだ、寒い、さむい、寒い。部屋全体がまるで冷凍庫になったかのように寒い。それに、眠い……
◇ ◇ ◇
「……ぅあ……さ、さむっ。……どうなってんだコレ」
目の前に氷柱が幾つも見える。どうやら俺は今、地面に倒れているみたいだ。
起き上がろうとしたが、頬が地面にくっついて中々離れてくれない。痛い思いをしながらなんとか起き上がった。
起き上がって見た景色にまた驚いた。何もかもが凍り付いていて銀世界を形成していた。
凍り付いているだけでなく、吐く息が白く見える程大気が冷えている。一体何がどうなったらこんな事になるんだ。
「この状況について説明しましょう」
何時の間にか近くに来ていたクロが突然話し出した。
「まず初めに、これはマスターの魔力暴走によって引き起こされた惨状です。3体の狼達の猛攻により疲弊したマスターは、それまでに血を多く流していた事もあり気絶しました」
そう言えば、背中をひっかかれたり、腕に噛みつかれたりしたな。あの時は気にもしなかったが結構出血してたのか。
「ここからが問題なのです。マスターは気絶する前に何とか反撃しようと、無意識に魔力を集めていたのですが、気絶した事でその集めた魔力は行き場を失い、結果として暴走してしまったのです」
クロは大した事なさげに淡々と話している。クロさんマジクールビューティーっす。
「しかし、普通の魔力暴走ならこうはなりません。マスターが完全に意識を手放す前に、大量出血による寒気を起こしていて強く『寒い』と思いました。そして、そのイメージが魔力に作用した為に魔力は氷属性となって暴走し、この様な状況を作り出しました」
クロは説明を終えると毛繕いを始めた。体を丸めて後ろ足の内側を器用に舐めている。かわえぇ。
クロを眺めながらさっき説明された事を頭の中で再生し直す。さっき聞いた時に何かが引っ掛かった。
この状況は俺の魔力暴走で起こったんだよな。しかも、普通の暴走でなく、氷属性の魔力暴走………ん?氷属性?
「クロせんせ~、しつも~ん」
「はい、どうぞ」
「氷属性を持ってないはずだけど…」
「その事ですか。簡単な事ですから考えてみて下さい。詰まらない終わらせ方をした罰です」
詰まらないとか随分な言い草だ。こっちは死にかけたって言うのに。
簡単な事とは言うけど、寒すぎて頭が回らない。ボックスの中からジャケットを出して着る。
暖かくなった所で目の前に転がっている物体に気がついた。幾つも転がっている。
よく見ると狼達がバラバラになったものだった。芯まで凍っている様で血が全く流れていない。
グロいのはあまり得意じゃないから助かった。それでも見ていたいものでもないから、目を逸らし遠くを見る。
確か、向こうにも魔物がいた筈だ。氷柱になってしまった元針を越えた所に微動だにしない魔物達がいた。
氷柱を砕きつつ部屋の中央に向かう。針を魔力に還元しても氷柱は消えなかったから仕方ない。
やっとの思いで中央までやって来た。近くまで来ると魔物の迫力が増した様に感じる。
動く事は無いと分かっていても近寄り難い雰囲気がある。それでも近づくんだけどな。
オークって意外とデカいんだな。軽く2mは越えてるだろこれは。
オークの後ろに隠れていた魔物もはっきりと見えた。何種類かいる様だ。
まず、オークをそのまま小さくした様な形をしているゴブリンらしきもの。ただ、装備はオークよりも貧相だ。
後は粉々に砕け散った黒い物体や何故か体の一部が欠けているゴリラ(但し、黄緑色をしている)がいる。
そして、オークに次いで目を引かれるのが、土塊でできた不格好な体をしたゴーレムだ。
コイツを見てると俺も作りたくなってきた。まぁ、本物のゴーレムは作れないから似たモノになるんだけど。
新しいものを作る時に何かを模倣するのは、ある程度仕方のない事なのかも知れない。
ただ、今回形を模倣するのはゴーレムではなくオークだ。ゴーレムは不格好すぎて体のバランスがうまく取れなさそうだからな。
オークの最大の欠点はその醜さだけど、顔はのっぺらぼうにするから問題ない。
魔物達から少し離れてオークを穴が開くまで凝視する。外見を頭の中に刷り込む。
いつものように魔法に合う言葉を選び出す。
【土人形】
目の前にさっきまでは無かった大きな土の塊が一瞬にして現れた。どうやら成功した様だ。
形もしっかりとオークを模している。棍棒は持っていると言うよりも腕に拳に刺さっているように見える。
土人形は自律して動く事が出来ないから、俺の動きに連動して動かす様にした。
試しに右手に持った鉄刀を持ち上げると、土人形も一呼吸置いて土製の棍棒を持ち上げた。
俺と土人形の間には若干のラグがある様だが、概ね滞りなく動いた。
持ち上げていた鉄刀を斜め下に振り下ろした。俺の前には何もないから邪魔される事はなかった。
でも、土人形の場合は違う。土人形の前には俺が参考にしたオークがいる。
土人形はそんな事はお構いなく、俺の動きに合わせて棍棒を斜め下に振り下ろした。
棍棒はオークに当たると勢いを弱める事無く砕いてしまった。上半身を失ったオークの下半身はその場に倒れた。
その時、足元に居たゴブリンを数体巻き込んでいた。これは案外楽しいかも知れない。
ゲームをやっている感覚に陥って一心不乱に魔物を砕いて回った。
あらかた砕いた所で魔物が忽然と消えてしまった。元から存在していなかった様に跡形もなく消えた。
不思議に思っていると空気が震える程大きな音がした。咄嗟の事に耳を塞ぐ事も出来なかった。
頭の中が揺さぶられる感覚を味わいながら振り返った。後ろにはさっきまで確実にいなかった真っ黒な竜がいた。竜はもういいです。
慌てて土人形の後ろに隠れる。土人形を盾にしながら黒い竜を観察する。
黒い竜は全体的にとげとげしている。その突起物の先端からは黒いモヤが出ている。近づかない方がいいだろう。
兎に角ヤバそうってのが分かったから土人形を嗾ける。土人形が鈍重な動きで黒い竜に近づいた。
黒い竜は特に慌てる事もなくその場で横に一回転した。遠心力を味方につけた尻尾が土人形を真っ二つに割った。
土人形が呆気なく倒されてしまった。怪我させる事もなく終わるとか期待外れだな。どう考えても俺が悪いんだけど。
いやだな~、こわいな~。竜とか初日以来避けてきたのに、今回はクロに丸投げも出来なさそうだし腹を括るか。
奥歯がガチガチと鳴って煩いし、手汗も酷く握っている鉄刀を落としてしまいそうだ。それでもやるっきゃねぇ。
鉄刀を握りなおして黒い竜に向かって走る。さっき近づかない方がいいとか思ってたのにな…
でも、魔法は効かなそうだし仕方ない。まずは飛竜の時と同じように足を狙いをつける。
黒い竜の噛み付きを何とか躱して足に一太刀浴びせたが、鉄刀が皮膚の上を滑っただけに終わった。
硬すぎる。これは幾ら切り付けても傷一つ付かないかも知れない。早くも万事休すか……
打つ手が無くなった俺は逃げる事しかできなかった。黒い竜を常に視界に入れてブレスやら体当たりやらを避けていた。
それが出来たのも10分位なものだ。体力は無尽蔵にある訳ないし、インドア派の俺は尚更体力が無い。
次第に避ける事が出来なくなっていった。体当たりに掠っただけでも吹き飛ばされる。
地面に激突し意識が飛びかけた。痛みですぐに覚醒したけど、今は意識を飛ばしてたかった。
起き上がるのも面倒臭い、どうせ死ぬんだし起き上がって抗う事に意味を見出せない。
黒い竜は倒れたままの俺に近づいてきた。黒い竜の顔が視界一杯に広がる。竜の息って思ってた以上に臭いな。
黒い竜が口を大きく開けて噛み付こうとしてきた。いいよ、喰えよ。ただ、すこぶる不味いだろうけど。
てか、口ってこんなにも大きく開くんだな。こういうの見てると突っ張り棒を間に入れたくなってくる。
今手元には鉄刀しかないから、これで代用するか。閉じようとしている口に素早く鉄刀をいれる。
こんな細い刀じゃ竜の強靭な顎には勝てないだろうけど、嫌がらせ位にはなるだろう。
もう、いいや……さよなら、第二の世界。戦いばっかりだったけど、案外楽しかったよ。
いつまで経っても痛みが来ない。意識がハッキリとあるから、まだ生きているとは思うけど。
今はどういう状態だ?恐る恐る目を開けてみると依然として黒い竜の口内が目の前に広がっていた。
今にも噛み付いてきそうなのに口を閉じる素振りが全くない。どうしてだ。
原因を考えていると突然、黒い竜が口を開けたまま空気を吸った。…ブレスが来る。咄嗟に横に跳んだ。
ブレスは何もない地面に向かって放たれた。ブレスによって発生した風に押されつつ考える。
どうして黒い竜はいきなりブレスを放ったのか。口を閉じなかった理由は何なのか。考えても分からない事だらけだ。
黒い竜が今度は自身の頭を壁に叩き付け始めた。黒い竜の奇行に驚いたが、一瞬口の中で光ったのが見えた。
アレは鉄刀だ。俺が苦し紛れに入れた鉄刀がまだ残っていた。でも、なんでまだ残ってるんだ。
あんな細い棒すぐに折れるだろうに。棒と言ってもただの棒じゃないけど、それでもショボイ能力があるだけだ。
『壊れない』って言うショボイ能りょk………あぁ、そういう事か。
壊れない刀が口の中にすっぽりと嵌まってしまって、外す事が出来なくなってしまったんだな。
さっきのブレスも頭を壁にぶつけているのも、全ては鉄刀を破壊せんが為だったのか。
黒い竜を眺めていると急にこっちを見てきた。竜の瞳が『こうなったのはお前のせいだ』と語っている。
黒い竜がブレスを放つ体勢に入った。今度は鉄刀を破壊するためではなく、俺を消滅させるために放つ様だ。
俺はこの時を待っていた。ブレスを放つ前に必ず空気を吸い込むために隙が生まれる。
その隙に竜の喉に右手を向けて、掌から土の棒を伸ばした。棒は喉の奥に入っていった。
竜は喉に入って来た異物に驚きブレスを放つのを中止し、吐き出そうと首を横に振った。
俺はすかさず棒を太くして折られ難くした。結果、棒は折られずに済んだが、右手と繋がっている為に俺は振り回された。
目の前が回って地面が何処かも分からなくなっても棒を伸ばし続けた。
ある程度伸ばしたら棒からあちこちに針を生やした。表面が硬いからと言って内側も硬いとは限らない。
針が黒い竜の体を突き破り表に出てきた。その頃には黒い竜の瞳から光が消えていた。……勝った…のか?
棒を魔力に還元してその場にへたり込んだ。途中ダメかとも思ったがなんとか勝てた。まぁ、まぐれなんだけど。
勝利の余韻に浸っていると黒い竜が粒子になってふぁっさ~と空に消えていった。
あぁ、お金が消えていく。あの硬い皮膚を売れば絶対高い値がついたのに、残念。
「う~ん、想像していたものとは違う展開になりましたね」
「さいですか」
クロが如何にも残念そうに言う。一体どんな展開を望んでいたのやら。
「弱いのが全ての原因ですね。特訓しましょう、そうしましょう」
使い魔のくせに随分な事を言ってくれる。クロの戯言は無視して部屋の中心を見る。
黒い竜が消えた後に棺の様なものが現れていた。地面に落ちていた鉄刀を拾って棺に近づく。
なんかこの棺、ファラオでも入っていそうだ。今度はゾンビと戦えってか。
「何が入っているんでしょう。開けてみて下さい」
クロが何時の間にか肩に乗っていた。猫の頼み事とあらば叶えてやるのが世の常と言うものだ。
腰を入れて蓋を押す。…押す。……押す。………おす。
「無理だ」
一ミリも動かない。コレは鍵がかかっている可能性があるな。
「鍵はかかってないですよ。さぁ、頑張って開けて下さい」
この猫は鬼か。そして、開けようとしている俺は阿呆か。阿呆だったわ。
ただ押すだけではさっきの二の舞になる。何か手を打たないと。
「身体強化をすればいいのです。転移が出来たのですから出来ますよ」
「お、おう、分かった。…にしても今日はやけに饒舌だな。何かあったか?」
「いえ、特には…しいて言うのであれば、出番は自ら獲得するものだと思ったまでです」
出番も何もいつも俺の頭の上にいる気がするのだが…クロの意味不明な言葉を聞き流して棺に向き合う。
転移の時の要領で体に魔力を纏わせる。この間、転移を散々練習したから難なく纏わせる事は出来た。
これで身体強化が出来たのだろうか。両手を開いたり閉じたりしてみる。変化は感じられない。
失敗したかも……えぇい、押してみれば分かる事だ。ウジウジ考えるのはその後にしろ。
また、腰を入れて蓋を押す。さっき以上の力を入れて。
蓋は簡単に開いた。ただ、あまりにも簡単に開いた為に、踏み止まる事が出来ず向こう側の縁に頭を勢いよく打ち付けた。
頭は少し痛んだ程度で済んだが、縁が粉々に砕けた。俺の石頭も強化されている様だ。
早々に体に纏った魔力を霧散させる。気持ちを切り替えて棺の中を見た。
中には溢れんばかりの金銀財宝が…………入っている訳もなかった。
中には古ぼけた刀が入っていた。こんなのそっ閉じ以外の選択肢がないじゃないか。
棺の反対側に回って身体強化をし蓋を持ち上げる。今度は力加減に気を配りながら蓋を閉じていく。
「まてまてまてぇ~。なんで閉めるんじゃ~~」
刀が喋った気もするが蓋を閉じてしまった今では確認しようがない。今時喋る武器なんて需要が無い。
棺に背を向け音もなく現れていた道に足を向けた。2,3歩歩いた所で後からバコンッと言う何かが壊れる音がした。
「お主、ちと冷たすぎやしないかのぅ。儂を持ってみるくらいしたらどうじゃ」
宙に浮いた刀が鞘の先の方で俺のほっぺをペチペチと叩いてくる。素早く鞘を掴み勢いを殺す事なく地面に叩き付けた。
「痛い、痛い、痛い。やめるのじゃ。折れてしまったらどうしてくれるんじゃ」
折ろうとしてんだよ、こっちは。あと、さっきから『じゃ、じゃ、じゃ』五月蝿い。
「話を聞かんか。…おほん、力が欲しくないか?儂を使えば―――「いらん」―――食い気味で言わんでもよかろうに…」
叩き付けられながらも話をしてくる根性は認めるが、それとこれとは話が別だ。
リズムを刻みながら叩き付けていると、強く握り締めていた筈なのに刀が手から離れた。
「そもそも、なんで刀が喋ってんだよ。訳分からん」
「それはのぅ……儂じゃからじゃぁ!!」
さて、あの道の奥はどうなってるのかな。また戦いになったら面倒だし、今度こそ死ぬかも。
「ちょぉっっと、まてぇぇえい。冗談じゃ、冗談。ちゃんと説明するから待ってくれ」
「初めからそうしろ」
刀が一瞬のうちに目の前に回り込んできた。今度こそちゃんと説明するそうなので腰を下ろして聞く体制に入った。
「武器には称号と言うか裏ステータスとも言うべきものが存在するのじゃ。因みに儂の称号は『竜を狩るもの』・『忠誠を誓いしもの』等があるのぅ」
これは初耳だ。武器と言う事は魔武器だけでなく普通の鉄で造った様なものにもつくと言う事か。
「称号はただつくだけじゃないぞ。効果がつく事もあるのじゃ。儂ので言うと『竜を狩るもの』は竜に対して与えるダメージ量が増える、と言った具合にのぅ」
これからは称号の事を念頭に置いて武器を使っていくのもありかも知れないな。
立ち上がって尻に付いた土を払う。目の前に浮かぶ古ぼけた刀を見据えた。
「有意義な事を聞いた。ありがとう。それじゃ、達者に暮らせよ」
「そうじゃろう、そうじゃろう」
話が終わったみたいだから、刀を避けて奥にある道を目指して歩き始めた。
また、刀が回り込んできた。今度は鞘からその刃を出し大袈裟に左右に数回振った。やれやれ、とでも言っている様だ。
「この流れもいい加減止めないかのぅ。さっきの説明で儂の有用性は分かったじゃろう。何故持って行かぬ」
「称号は武器なら何でもつくんだろ。じゃあ、お前である必要はない訳で、俺にはコイツがあるからな」
この刀が見えるかどうかは分からないが、鉄刀を上げて応える。刀じゃなかったら持って行くか考えたんだが。
刀はと言うと「盲点じゃったぁ」とか言って衝撃を受けている。あほだな、間違いない。
刀を無視して進もうとしてある考えが頭に浮かんだ。先に進む必要なくね?
先に進むとさっき考えてた様に、また戦わないといけなくなるかも知れない。
それに比べてここは安全と言っても差し支えないじゃないか。ずっとこの部屋にいるが魔物が現れる雰囲気が無い。
心配なのは天井が崩れてくる可能性があるだけだし、それくらいなら俺の魔法で補強できる。
うん、やっぱり進む意味ないな。となれば早速補強を始めようか。
まずどうしようか。柱を建てるか?…それだけじゃ、完全には防げないか…
壁と天井―――部屋はドーム型で厳密には壁と天井の区別が出来ないけど―――に一枚岩を被せてみるか。
それから真ん中にぶっとい柱を建てとけば崩落は防げる……筈、たぶん、恐らく、きっと。
壁に手をついて岩を被せていく。じわじわとアメーバが動く様に岩の面積が増えている。
同時に【過回復】を発動させているから、魔力の消費と回復が釣り合って事実上、魔力消費なしで魔法を発動できている。
「何をしとるんじゃ?」
岩が地面に当たった。これで大体1mか。結構時間がかかるな。ここからは縦方向ではなく横方向に伸ばしていく。
「無視か?無視するのか?」
縦に伸ばすと倒れてくるかも知れないからな。基礎作りは大切だ。ただ遅いのが難点だな。
「いいじゃろう。そっちがその気なら、こっちにも考えがあるぞぃ」
この調子だと今日中に全部を覆う事が出来ない。どうしたものか。
「ほれ、ほれ、ほれ。どうじゃ、儂のこの動き。惚れ惚れするじゃろう」
「さっっっっきから、うるせぇぇぇぇぇ!!!こっちは集中してんだよ!!クロ!黙らせろ!!」
「かしこまりました」
目の前で変な動きをしていた刀がクロに押さえつけられた。やっとこれで集中できる。
岩は部屋の半分くらいまで進んでいた。さっき声を出した拍子に魔力も余計に流してしまったらしい。
やってしまったものは仕方ない。魔力を大量に流して一気に基礎部分を完成させた。
壁から手を離して出来具合を確認する。うん、いいんじゃないかな。
一通り確認が済んだところで、屈んでクロに押さえられたままの刀に話しかけた。
「お前は何でそんなに俺に執着するんだ?」
「それは、儂を解放してくれた事も然る事ながら、竜を打ち負かす程の力を持っておるからじゃ」
「つまりは、強者である事がお前を使役する条件と言う訳だ」
「そうとも言うのぅ」
竜を倒したのだって偶然の産物だし、俺は同年代に比べて弱い方だ。アイツの方が適任だな。
「クロ、ソイツを四方の所に送っとけ」
「はい」
「なっ!?どうい――――」
刀は何かを言いながら消えた。一気に周囲が静かになった。ちょっと寂しい気もするけど、これでいいんだ。
鉄刀を持って部屋の中央に向かう。中途半端に減った魔力が回復するまで素振りでもしておこうか。
素振りをしながら称号の事について考えてみる。称号はどうやったらつくんだろう。
あの刀についていた『竜を狩るもの』は何となく想像がつく。
どうせ、ゲームでよくある感じの、竜を100体狩れば~、みたいなヤツだろ。
そう言う称号は、同種を一定量、それか特殊なヤツを討伐した場合につくと考えられる。
あとは、ある行動をすればつくものもあるんだろうな。ゲームだとそうだし。
「結局、アイツが喋ってた理由は何だったんだ…」
「それは『話し相手』と言う称号がついていたからですね。因みにこの称号がつく条件は≪1年間ずっと話しかける≫です」
つまりはアイツの元持ち主は喋りもしない刀に毎日話しかけていたのか。まさに、狂気の沙汰だな。
幾らボッチの俺でもモノに話しかける様な真似は出来ない。俺にはクロがいるけど、いなくてもしない自信がある。
これで鉄刀がいきなり話し出すような事はないと言うのが分かった。一安心。
使ってる時に喋られたらビックリするし、不平を漏らされた時にはショックで立ち直れないかも知れない。
立ち直れないは言い過ぎにしても十分あり得た事だ。その可能性が消えた今では心置きなく鉄刀を使う事が出来る。
10分も素振りをしていると魔力が十分回復していた。壁造りに戻りますか~。
今度は初めから大量の魔力を流した。ちんたらやってるのは性に合わないのがさっきので分かった。
新しく造った壁は全体の半分位まで来ていたから、臨時の支えをつけておいた。
◇ ◇ ◇
一段落ついたところでお腹が鳴った。結構動いたし仕方ないが、意識し出すと余計に腹が減ってきた。
「今何時」
「そうねだいたいね」
「今何時」
「ちょっと待ってて」
「今何時」
「まだはやい」
「クロはノリがいいな~。で、何時?」
「午後1時32分13秒です」
午後1時と言う事は昼ご飯か。あぁ、おばちゃんの定食が食べたい。熱々のご飯にいい具合に焼けた鮭、今はそんな気分だ。
そんな事を思っても手元にあるのは味気ない携帯食料と干し肉だけ。悲しい、いや寧ろ空しい。
我慢して携帯食料を食べつつ、水筒の水を飲む。今度は茶葉とか用意しておくかな。
携帯食料を2本胃の中に押し込み、水で膨らませて誤魔化す。俺、この訓練が終わったらたらふく食べるんだ……
食べた後は激しい運動をしてはいけない、と聞いた事があるから座ってボーっとする。
もの凄く暇だ。こんなのがあと2日も続くのかと思うとげんなりしてくる。
「他の奴等はどうしてんだろうな」
「映像を出しましょうか?」
「そうだな、出してもらおうか…あ、いややっぱいいわ。クラスに知り合いなんていねぇし、四方には興味ねぇし」
「そうですか」
あぁ、どうやって時間を潰そうか。魔法の練習とかやる事はあるが、どうにもやる気が起こらない。
地面に寝転がって天井を見上げる。天井には土と氷柱ぐらいしかなくて、これと言って面白いものは見当たらなかった。
そう言えば凍ったんだったな。クロが言う事には俺の魔力暴走で起こったとの事だが。
考える前に【究明者】を発動させておいた。俺の中で考え事と言えばコレを発動させる流れになりつつある。
でも、今回はある程度の見当はついている。恐らく水属性が氷属性に変化したのだろう。
ただ、腑に落ちない点も幾つかある。さっきから氷を出そうとしても一向に出てこない。反対に水は簡単に出てきた。
考えられるのは水属性が氷属性に変化したのではなくて、新たに氷属性が付与されたのではないか、と言う事。
その場合、なんで氷属性が使えないのかが分からないが、大体当たってるんじゃないかな。
帰ったらギルドで調べて貰おうかなぁ…
十分休憩は取れたと思うし、作業の続きに取り掛かった。もう、一気に全部覆ってしまおうか。
残っているのは半分に満たないくらい。これなら、魔力を全部使えば中央に大きな柱まで建てられると思う。
あの気持ち悪さが襲ってくるのかと考えると気が重くなるが、中途半端に残しておくのも面倒臭い。
深呼吸をして吐き気に耐えられる様、気持ちを整える。壁に手をつけて全ての魔力を流した。
壁は今までの比じゃないくらいの速さで覆っていき、1分もしない内に柱まで完成した。
それと同時に目の前が眩んだ。どっちが地面なのか、俺は地に足をつけているのか分からなくなった。
それでも覚悟していたから、焦る事なく【過回復】を発動させた。暫くふらふらとしていたが、次第に焦点が合ってきた。
いつの間にか額から汗が出ていた。コートの袖で汗を拭って部屋の中を歩く。
いま地面に寝転んだり座ったりしたら吐く自信しかない。歩き回るついでに壁と柱の完成度を見た。
壁は当たり前の事だが継ぎ目がなく綺麗だったけど、柱はもう2回りぐらい太くてもいいかも知れない。
手を加えるのは後でするとして、魔力量が増えているだろうし久しぶりにギルドカードを見てみるかな。
ギルドカードが変更されている場所は意外にも2つあった。魔力量と属性が変更されていた。
属性も更新されるのか。ギルドで調べてもらう必要はなくなったな。手間が省けてよかった。
まず魔力量を見ると、これは確認するまでもなく分かっていた事だが、前よりも20%増えていた。
これはいいとして、問題は属性の方だ。属性には新しく氷属性が加わっていた。
にも拘らず、さっきから氷属性の魔法が発動できない。これはどういう事だ。
さっきまでは、本当は氷属性がないから発動できないんだと思っていたけど、これを見る限りそうではないらしい。
こうやって掌を上に向けて【氷球】って言っても出来なかった………んだけど出来ちゃったよ。
俺の手から少し離れた場所を浮かんでいる氷の球がそこにはあった。何で今度は出来たんだ。
「あっ、氷属性の魔法を発動できたんですね」
「あぁ。さっきはどうやっても出来なかったのにな…何でなんだ?」
「それはですね。頭がちゃんと理解したからです。先程までは氷属性があるかも知れないと思っていても、心の奥底でその可能性を否定していたのです。なので、その気持ちが魔法の発動を阻害していた、と言う訳です」
クロの説明を聞いて何となくではあるけれど理解する事は出来た。つまりは、気持ちが重要って事だ。
ふとある事を思いついたから試してみる。まずは普通に【水球】を発動させる。
それからある事をイメージしながら指を閉じた。すると目の前に浮いていた水が一瞬で氷になった。
よし、上手くいった。昔に理科の授業で習ったことがこんな形で活かされるとは思いもしなかった。
そもそも氷は水が冷やされて出来るものだが、どうして冷やさると氷になるのか。それは分子構造に起因する、らしい。
水とは水分子がたくさん集まって出来ているらしいが、実はその水分子は絶えず動いているんだそうだ。
その動いている水分子が規則正しく並んで動かなくなると氷になるらしい。
詳しい事はよく覚えてないけど大体こんな感じだったと思う。んで、もう1つありたい事がある。
氷が出来たと言う事は逆にお湯にすることも出来るに違いない。水分子が水の時よりも激しく動くとお湯になるらしい。
これはさっきよりもイメージがし辛い。とにかく何かが動いている様子を思い浮かべる。
氷の球は微動だにしない。それでも辛抱強くイメージし続ける。次第に氷が解けてきた。
そこからは速く、氷が全て溶けたかと思った次にはもう湯気が出ていた。近くにいると熱気も感じた。
やりたい事も終わり、暇になったから仕方なく魔法の練習をして残りの時間を過ごした。
次の日も質素な食事を食べ、魔法の練習をしていると何時の間にか1日が終わっていた。
そして、今は3日目の朝だ。今日は最終日だが特に変わった事はせず、この部屋の中で1日を過ごすつもりだ。
朝の日課の素振りをしようと鉄刀を持った時、立っていられない程の地震が起こった。
補強していたおかげか天井が崩れてくる事は無かった。地震はすぐに収まった。
おおかた、四方辺りが最終日だからって暴れているのだろう。ほんと迷惑な奴だ。
今も時々振動が伝わってくるが、最初ほどではないから気にしないで素振りを始めた。
素振りを終えるとその場に腰を下ろした。汗をかいたから、お湯に浸しておいたタオルを絞って体を拭いた。
早く帰って風呂に入りたい気持ちが強まってきた。昨日もこうやって体を拭いたけど、浴槽に浸かって疲れを癒したい。
そんな事を思っても今日は始まったばかりだ。詰まらない考えを消し、朝食の準備を始める。
準備と言ってもコップに粉末スープの素を入れてお湯を注ぐだけだ。携帯食料とこのスープが俺の朝食になる。
当然ながらこのお湯は体を拭いた時のものではない。使い回しするほど水には困っていないからな。
朝食を食べている間も振動は止むことなく、コップの中のスープに波紋を作り続けていた。
空になったコップを水で軽く濯いで乾かさずにボックスの中に放り込んだ。
全ての片付けが終わり、立ち上がってその場で伸びをした。それだけでは疲れは取れないけど少し楽になった。
この訓練がいつ終わるか知らないが、少なくとも夕方には終わるだろう。それまでに出来ればいいんだけど。
今日は、部分強化・属性強化を試そうと思っている。身体強化が出来たから出来るだろうけど練習するに越した事はない。
まずは部分強化をやってみるか。脚力強化をする為にイメージをする。
ちょっとズレたイメージかも知れないけど、ズボンを穿く様なイメージが自分的にしっくり来た。
イメージに合わせる為に足を上げてズボンを穿く動きをした。両足ともにイメージ上のズボンに足を通した。
これで足が速くなっているといいのだけどどうだろう。確かめる為に実際に走ってみた。
部屋を1周してみた感想は速くなった気があまりしなかった。ズボンをイメージしたから魔力の膜が薄くなったのかも知れない。
それなら、と重ね穿きするイメージをして再度走った。今度は確かに速くなったのを感じた。でも、まだ遅い。
その後も速く走る為に重ね穿きをするイメージをして、その度にズボンに足を通す動きを繰り返した。
重ね穿きの甲斐あって走る速度は普段の2倍になった。2倍になるのに重ね穿きした回数は20回だ。
いい加減面倒臭くなってきた。実戦で20回もズボンを穿く動作をしている余裕がある筈がない。
だから、動作を省略する為にショートカットキーを設定しようと思う。パソコンなんかでもあるやつだ。
俺の知っているショートカットキーはF5が更新するってぐらいだけど、それでも結構便利だった気がする。
……あれ?そうでもなかったか?……何はともあれ、ショートカットキーはあれば時間の短縮になるのは間違いない事だ。
キーとなる言葉を実はもう考えてある。それは長くなくそれでいて的確に表現している『掛』と言う言葉だ。
『掛』は掛け算からとってきたのだけど、思いついた時は自分の頭の良さに戦慄した。それは冗談として。
今の20枚穿きの状態を2掛と設定する。そうすると自動的に普段の2倍が2掛と言う事になる。
後は数字を変えるだけで一瞬で普段のその数値倍に相当する脚力強化を施す事が出来る。
机上の空論にならない事を祈りつつ、「脚力強化、3掛!」と気合を入れて言った。
見た目的には何も変化が起こっていない。走ってみるしかない様だ。向こう側の壁を目指して走った。
部屋の中央にある柱がすぐに後ろに流れて行き慌てて足を止めた。それでもすぐには止まらず壁に衝突した。
咄嗟に横を向いたから正面衝突は免れたが、右肩が砕けてるんじゃないかと疑うぐらい痛い。
痛みの代償として脚力強化の成功を確認できた。普通に戦う分には2掛でいいかも知れない。
念のため4掛も試してみたかったけど、3掛でこれではもっと広い場所で試した方が身のためだ。
脚力強化を早々に打ち切り腕力強化を試す。今度は初めから『掛』のショートカットキーを使ってみる。
その前に土人形を3体用意しておいた。まずは素の状態を把握しておかないと比較できない。
目の前に立つ土人形達の内1体の前に立ち思い切り殴り掛かった。ボスッと言う音を立てるだけで罅も入らなかった。
この場合、土人形が硬く出来た事に喜ぶべきか、己の貧弱さを嘆けばいいのか悩む。何にせよ手が痛い。
手の痛みが引いてきたところで早速腕力強化を試してみる。まずは2掛から始めた。
腕力強化を施して土人形を殴ると見事土人形を砕く事に成功した。でも、手の骨も砕けた。
「く…クロ…治してくれぇ…」
「仕方ないですね。…はい、治しましたよ。もう泣き止んで下さい。マスターの泣き顔は見たくありません」
「それどっちの意味で?」
「さぁ?どっちでしょう」
不安になるからか醜いからかのどっちかだとは思うけど、不安になるからと言う事にしておこう。
それにしても手の骨が砕けるなんて夢にも思わなかった。強化をしたら手もその分硬くなると思い込んでいた。
右手の調子を確かめる様に指を閉じたり開いたりしてみた。特に不具合は見当たらない。良かった。
部分強化は一先ずこれ位にして、次は属性強化をしてみようか。属性強化は全身にかける。
最初はよく使う土属性にしてみた。まずは2掛。これは普通の身体強化と大差なかった。
今度は思い切って5掛。ここで目に見えて変化が起こった。手の周りに茶色いオーラの様なものが見えてきた。
今ならいける気がして残っていた土人形に殴りかかった。土人形は砕けなかったが胸元に拳大の風穴が開いた。
それにも驚いたが一番は手の骨が砕けなかった事だ。手は至って綺麗だった。
2掛で骨が砕けたのだから、5掛なら手がミンチみたいになって然るべきなのにそうはならなかった。
これが土属性強化の恩恵なのか。普通の強化に加えて身体が頑強になる効果がついたと考えて間違いないだろう。
それは良いのだけれど、このオーラの様な茶色の靄が気になってしょうがない。
属性強化した時に自然と出るモノだと思えなくもないが、ただこの靄が不規則に漂っている様には見えない。
よくよく目を凝らしたら茶色の靄に濃い部分と薄い部分がある事に気づいた。
確証は無いが属性強化をさらにしたら、濃淡がもっとはっきりするんじゃないか。
早速10掛をした。思惑通り形が分かり易くなったが、それでも靄のままだった。
今の状態で分かる事は手の甲に筋が1,2……5本浮かび上がってくるかも知れないと言う事だけだ。
じれったい…じゃあもう20掛だ。属性強化を20掛にするとハッキリとした物質として姿を現した。
さっき見て取れたように手の甲には5本の筋が浮かび上がり、それぞれが指先まで伸びている。
これを見てふと昔見た人体模型を思い出した。人の手って一皮剥けばこんな感じになってた気がする。
目線を下げると足にも変化が起こっていた。脛を保護する様に前面に装甲がついていた。
ただ、その装甲は中央に近付くにつれて盛り上がっている。頂点は尖っていて軽く触れるだけでも切れてしまいそうだ。
「…なんだコレ」
「それは『魔装』と呼ばれる状態です。属性強化を大量の魔力で行う事で『魔装』が発動し、属性ごとにその形を変えます。例えば、その土属性ですと、ご覧の通り拳と脛に装甲がつき、コートの様なものを着た状態になります」
「ふぅ~ん、そうなんだ……っ!?」
クロの説明を聞いていたら突然、魔装が解除された。不思議に思っていると間髪入れずに吐き気がやってきた。
あぁ、魔力切れだ。俺は慌てる事なく【過回復】を発動させて魔力の回復を行った。
体感では30秒も魔装状態を維持できていなかった。それまでに色々と消費していたから仕方ない事ではあるか。
「クロ、魔力が満タンの状態で魔装をどれくらい維持できる?」
「そうですね……大体2分です。正確には1分58秒23ほど維持できます」
「2分か…」
長いような短いような微妙な時間だ。時間を延ばそうとしたら魔力量を増やすしかないのか。
「【過回復】使いながらだったら?」
「それでも2分12秒58までしか延びませんね」
14秒くらいしか変わらないのか。維持するのにも結構な量の魔力が必要と言う事だ。
魔力回復もほどほどに水属性の身体強化をした。それも魔装が発動する20掛で、だ。
見た目には何も変化が無い。失敗したか。手をよく見ようと腕を上げる時に違和感を覚えた。
いつもよりも動きが鈍い気がする。いや、鈍いと言うよりも身体が重いと言った方が的を射ているか。
「クロ、これは?」
「水属性の魔装は身体が水っぽくなります。なので、物理攻撃や魔法は効かなくなります。さらに、水っぽくなるだけで本質的には水ではないので蒸発したりはしません」
水属性の魔装は無敵と言う事は分かった。これからは水属性も使う様にしようか。
身体が重たく感じたのは、身体が水っぽくなって重力に対抗する力が弱くなったからか。
「その魔装を纏っている間は身体が切られようと吹き飛ぼうと修復します。ただ、修復するときにも魔力を使うので、攻撃を受けすぎるとすぐに魔力が枯渇してしまうのでご注意下さい」
うまい話には必ず裏があると言う訳だ。最強の盾を手に入れたと思えばそれは時間制限付きの借り物だった。
何にせよ魔力量を増やす必要があるし、その為には魔力を空にする必要がある。
魔力が切れるまでそう時間はかからなかった。すかさず【過回復】を発動させた。
ある程度回復するまで鉄刀を振って時間を過ごした。今日は魔力量を増やす事に集中しよう。
【過回復】を使っていて、魔力量を増やすには魔力が半分以上の時に1分以内に全て使い切る必要がある、と言う事が分かった。
効率よくやろうと、ちょっとだけ回復しては空にして回復する流れを10回ほど繰り返していた。
それで、結構増えたと思って確認したらそうでもなかった時の徒労感は筆舌に尽くしがたいほどだった。
30分位いじけてから吹っ切れて【過回復】の検証を始めた。それで分かったのがさっきの様な条件だ。
それからは効率的に魔力量を増やす事が出来たと思う。ただ、魔力量が増えるたびに時間がかかるようになった。
魔力が増えて嬉しいやら、時間がかかる様になって悲しいやら、嬉しい悲鳴が止まらない。
俺の心の叫びに呼応するように、ポケットに入れていたギルドカードからパンパカパーンと言う音が聞こえてきた。
【究明者】を獲得した以来久しく聞いていなかった音だ。この音が聞こえてきたと言う事は何か称号がついたのか。
逸る気持ちを抑えていつもよりも丁寧に、割れ物を扱う様にギルドカードを取り出した。
結果から言うとスキルは増えていなかった。ただ、【過回復】の表記が変わって【過回復Ⅱ】となっていた。
Ⅱと言う事はつまりランクアップしったって事だよな。スキルにも熟練度の概念が存在していたのか。
魔力量の欄を見ると最大魔力量が1,945,633.2になっていた。.2ってなんだ、小数点以下は切り捨てでいいだろ。
それはいいとして、最大が何時の間にか百万を超えていた。やった、これで俺もミリオネアだ。
……金じゃないけど。百万もあれば大抵の事は出来そうだ。魔装の維持時間も長くなっている事だろう。
それは後でクロに聞くとして、今は【過回復Ⅱ】の詳細を確認したい。過回復Ⅱの効果はなんじゃらほい。
『過回復Ⅱ:魔力を通常の4倍回復する。特例として魔力が0の時に発動すると最大魔力量を40%増加する』
前よりも回復速度と魔力量の増加率が上がった。けど、微妙な感情しか出てこないのはどうしてだろう。
それもこれも最大魔力量が思っていたよりも増えていた事が原因だ。人間って目標がなくなると幸せを感じられなくなるんだな。
新たな目標が見つける気力も湧いて来ないから、天から降って来るのを待つ事しか今の俺にはできない。
「……まぁ、いいか」
「どうかしましたか?」
「いや、何でもない。あっ、そうそう、今なら魔装を何分維持できる?」
「25分42秒です。【過回復Ⅱ】を併用したら30分近くまで維持できます」
結構長くなったもんだ。30分もあれば大抵の敵には勝てるかもしれない。
さてと、もうひと踏ん張りするか、と思ったけど腹が減った。やりたい事も区切りがついたし昼ご飯にしようか。
ボックスの中から焚き火セットを出して火をつけた。燃え広がるまでの間、空きっ腹に干し肉を入れる。
空腹感が多少は緩和され昼ご飯の用意を再開した。焚き火セットと一緒に出した飯盒とお米から手をつけた。
お米をいい加減に磨いで飯盒にお米と水を適量入れた。飯盒炊飯は小学生の頃にやった記憶を思い出しつつした。
飯盒が火に触れるか触れないかの絶妙な位置で固定して後は放置だ。次の食材はなぜかあった南瓜と玉ねぎだ。
何時入れたのかさっぱり思い出せないけどこの際どうでもいい。2つとも食べやすい大きさに切っておいた。
南瓜と玉ねぎを鉄串に交互に刺して、火の周りを囲むように地面に突き刺した。
こうなると肉が欲しくなるが、無かったはずだから諦めるしかない。けど、取り敢えずボックスの中を見てみるか。
野菜はそのままボックスの中に放り込む事が出来るけど、肉は中々そうはいかないからな。
あるはずないと思いながらもボックスの中を探していると大きな肉が転がっていた。あれは、火焔鳥だ。
そう言えば売るの忘れてたな。この際食べてしまうのもアリかも知れない。
サバイバル最後の日くらいは出来るだけ豪華なものを食べたい。てか、肉が食いたい。
火焔鳥を取り出そうと手を伸ばしたが途中で止めた。火焔鳥の羽の処理をどうしよう。
毟り取ればいいのかな。こんな事なら鳥の処理の仕方ぐらい調べておけばよかった。
取り敢えず火焔鳥を取り出した。かなり大きい。これ全部は処理しきれないから羽を毟る前に八等分にした。
内臓は地面に穴を開けてそこに捨てておいた。内臓は嫌いじゃないけど素人が手を出したら危険な気がする。
肉の塊を1つだけ残して後はボックスの中に入れた。ナイロン袋とかが無いからそのままだ。
残った肉の調理に取り掛かった。まずは羽を毟り取った。いや、毟り取りたかった。
幾ら力を入れて引っ張っても一向に抜ける気配が無かった。削ぎ落とそうか。でもな、鳥の皮は好きだから食べたい。
「クロ、どうやったら羽が抜ける?」
「60度のお湯に1分つければ抜けますよ」
さっすがはクロさんだぜ、おばあちゃんの知恵袋みたいに何でも知ってる。
早速、お湯を用意しようと思ったが鍋が無かった。ついでに温度計もタイマーもない。
だが、大した問題ではない。お湯は【水球】を沸騰させればいいし、温度も時間もクロに計ってもらえばいい。
【水球】を1つ出して水分子が激しく動いているイメージをした。水球はすぐに沸騰して湯気を出し始めた。
「これ何度くらい?」
「138度です。その中に入れるとお肉が変形してしまいますよ」
沸かし過ぎたみたいだ。何とか温度を下げて60度にする事が出来た。意外と下げる方が難しかった。
火焔鳥の肉を水球の中に入れて1分待った。待っている間ずっと肉を見ていたけど何も面白い事は無かった。
水球を消して肉を取り出した。肉は支えを失って重力に押され地面向かって落ちていく。
俺はすかさずまな板を肉と地面の間に差し込んだ。肉はまな板に当たり軽く跳ねてからまな板の上に乗った。
胡坐をかいて足の上にまな板を置いてから、肉についている羽を抜いた。お湯につける前と違い簡単に抜けた。
偶に皮が羽に引っ付いて剥がれてしまったが許容範囲内だ。肉を食べやすい大きさに切って鉄串に刺していく。
串は全部で16本になった。これは明らかに多い。食べきれないだろうけど、今更残すことも出来ない。
今度からはボックスの中にもポリ袋かタッパーを入れておこうかな。
肉の下準備が終わった所で放置していた飯盒の様子を見た。残っていた鉄串で飯盒の側面を叩いた。
飯盒からは鈍い音が帰って来た。炊き上がったか。飯盒を火から放し、逆さまにして地面に置いた。
飯盒の代わりに長い足付きの金網を火の上に設置した。金網の上に串を8本並べた。
金網が思ったよりも小さくて全部は乗らなかった。残りはまな板の上に置いて後で焼くつもりだ。
薪を足したり風を送ったりして火の調節をしていると、肉が焼けてきた。美味しそうな匂いも漂ってきた。
この匂いだけでもご飯が食べられそうだ。適度にひっくり返して両面ともにじっくりと焼いた。
ご飯の蒸らし時間が終わった頃には肉がいい感じに焼けていた。もう我慢できない。
俺は肉が刺さった串を手に取って、そのまま何もつけずに食べた。
美味い。噛んだ瞬間に肉汁が溢れてきた。夢中になって食べていると何時の間にか1本食べ終わっていた。
この前食べた飛竜の肉は高級食品感があったけど、これは庶民的な味で何個でも食べられそうだ。
それに、肉には何も下味をつけていないのに、ちょっと辛くて食が進んで仕方がない。
もう1本食べようと手を伸ばした時、誰かに見られている気がして横を見るとクロが恨めしそうに俺を見ていた。
飯盒の蓋をエサ皿代わりに使い、肉を盛ってクロの前に出した。クロは顔を肉に押し付ける様に食べ始めた。
クロはやっぱり可愛いなぁ。勢いよく食べている姿もまた愛らしい。猫は最高だ。
俺が猫への愛情を再確認している間に、クロは山盛りにされた肉を一瞬で平らげていた。
クロが俺を見つめてきた。その目は「おかわりを下さい」と雄弁に語っていた。
俺は串から肉を取ってまた蓋の上に盛り付けた。今度はクロを眺めず俺も食事を再開した。
このままではクロに全ての肉を食べられてしまう。俺はなるべく早く口を動かした。
ただ、俺の辛い所は肉ばかり食べていられない所だ。南瓜と玉ねぎの串もある。
流石に猫であるクロに玉ねぎを食べさせる訳にはいかないので、俺が全部食べないといけない。
南瓜も玉ねぎも美味しいから良いのだけれど、やっぱり肉を出来るだけ多く食べたい。
肉はまだまだ残っているから、また後日食べれば済む話ではある。
でも、このキャンプ的な状況で食べる肉はいつもよりも格段に美味しく感じる。
言うなれば3日間サバイバルをしてきたと言う思い出が肉の下味となっているのだ。
俺は出来るだけ肉を沢山食べる為に、肉・肉・ご飯・野菜の順番で食べた。
食べる手が止まった頃には野菜の串が2本と肉の串が3本になっていた。結構食べた。
もう何も喉を通らないが肉と野菜は網の上で焼かれている。これをどう処理したものか。
何もないだろうけど取り敢えずボックスの中を漁ってみた。さっき散々探したから新しい発見は無いだろうと思っていた。
だがその予想を良い意味で裏切り、服の山の下からサランラップが出てきた。
サランラップを入れた覚えはないけれど、見つかったのだからありがたく使わせてもらう。
串を1本づつ丁寧にサランラップで包んで、金網、飯盒と一緒にボックスの中に入れた。
火を消す前にお湯を沸かしてお茶を淹れた。お茶は粉末タイプのものだったが普通に美味しかった。
火を消してから地面に足を投げ出して座っていると急に眠気が襲ってきた。
お腹がいっぱいになったのとサバイバル生活で疲れたからだろう。早く帰りたいな。
地面に手をついていて気づいた。朝からずっと続いていた地震が治まっていた。
魔法の練習をする気も起らないし、外の様子でも見に行ってみるか。
俺がのんびりと過ごしている間、皆はずっと殺伐とした生活を送っていたのかと思うと少し優越感を感じる。
俺は壁の一部を開けて久々に通路に出た。
最初に入ってきた道を歩いて入口まで戻ってきたが、入口が土砂で塞がれていた。
あの最初の地震が原因だろう。土砂に魔力を流して押し出した。それと同時に太陽の光が入って来て眩しい。
2日ぶりの地上は俺が洞穴に籠る前よりも荒廃していた。地面の所々に穴が開いていて、草木は全く生えていない。
四方の奴…暴れるのはいいけどもうちょっと環境に配慮しろよ…
視界を遮るものが無くなって、遠くまで見渡せるようになったが島の端が見えない。どんだけ広いんだ。
しばらくその場に立って何を見るでもなく呆然と見ていると、誰かが転移してきた。
髪が黒くて中肉中背の男だ。年は同じくらいだと思う。黄色のTシャツを着てベージュの短パンを穿いている。
左耳に3つピアスをつけている。横を向いているから分からないけど、恐らく右耳も同じようについている事だろう。
間違いなくアイツはチャラ男だな、うん。あまりお近づきになりたくないタイプの人間だ。
見つかる前に洞穴に戻ろうとしたが、一呼吸遅かった。チャラ男がこっちに気づいた。
手を大きく振りながらこっちに駆け寄ってきた。俺は逃げ出そうとする足を何とか抑えつつ小さめに手を振り返した。
「よっす、なんか大変なことになってんな。あっ、俺がやったんじゃないからな。俺はちょっと腹が急に痛くなって便所に行ってて、今回の襲撃には参加してないから。あぁ~あ、こんなに滅茶苦茶にして…アイツら…ったく、ほいっとこんなもんでいっか。んで、お前はここで何やってんの?あぁ、悪い、まずは俺からだよな。俺は―――ぐぅ~―――ダメだ、腹減った」
出会ってすぐにマシンガントークを始めたコイツを止めたのは腹の音だった。チャラ男こえぇぇ。
「冷めちゃってるんですけど、焼き鳥食べますか?」
「マジで!?食べる、食べる。サンキュー、助かった。いやぁ、朝から何も食ってなくてさ。マジで餓死するかと思ったぜ」
「そ、そうなんですか…ど、どうぞ」
俺はチャラ男にさっきボックスに入れた肉の串と野菜の串を渡した。チャラ男は串を受け取るとすぐに食べ始めた。
チャラ男が食べている間に周りをもう一度見渡した。周りはもうさっきまでの荒野ではなくなっていた。
チャラ男がさっきの話の中で『ほいっ』と言った時に、人差し指を軽く振っていたのだが、それだけで荒野に緑が戻っていた。
チャラ男ってこんなことも出来るのか、すげぇぇぇ。
俺がチャラ男に対して感動している間に、チャラ男は全ての串を食べ終わっていた。
「めっっちゃ美味かった。ありがとな。えっと…改めて、俺はルーナシア・アッシュベルトって言うんだ。気軽にルノって呼んでくれ。よろしく」
「五十嵐麟児です。よろしくお願いします」
どうしてルーナシアなのにルノなのかよく分からないが頷いておいた。
見た目は完全に日本人なのにカタカナの名前とか違和感がありすぎるけど、言うと怒られそうだし黙っておいた。
「飯のお礼に良い事教えてやるよ。俺、実は魔族なんだよ」
「…へぇ、そうですか」
「そうですかってなんだよ。リアクション薄いなぁ。まぁいいや。んで、良い事ってのは別で、今日の襲撃が上手く行っていれば大体1か月後にお前んとこの国に大々的に攻め入ろうって話があんだよ。だからさ、気をつけろよな」
コイツの話が本当であるならば、急いで誰かに伝えなければいけないな。
…と普通の人ならば思うだろうが、俺は違う。国への大襲撃?ご勝手にどうぞ。
特に今の国に思い入れはないから襲撃されようが知った事ではない。伝える相手を間違えたなチャラ男、いや、ルノさんよぉ。
ルノの方を見ると、俺があまり驚いていないからか眉間に皺を寄せていた。
「なんだよ、もっと『うわぁ~、大変だぁ~。早く皆に知らせなくっちゃ~』みたいなのねぇのかよ」
「いえ、今の話が本当かどうか分からないですし、仮に本当だとしてもご飯のお礼としてはあまりにも釣り合わない情報だな、と思ったまでです」
俺が尤もな理由を話すと、ルノは合点がいった様でまた話し始めた。
「あぁ、そんなの事か。それなら大丈夫だ。証拠はねぇから見せらんねぇけど、今のは確かな情報だ。んで、俺がお前に教えた理由は、もちろん飯の礼ってのもあるけど、こんなくだんねぇ事早く終わらせて欲しいんだ。俺ら魔族は別に人間に虐げられてきたわけでも貧困にあえいでるわけでもねぇのに、上の奴等は他の国を攻め取って世界を支配したいんだとよ。マジ意味わかんねぇ。俺はただ死ぬまでのんびりしてたいのに、一番強いからって戦線に立たせようとすんだぜ。あぁ~、思い出しただけでも腹が立ってきた。いや、すまん。今のは忘れてくれ。え~と、何はしてたんだっけか……あぁ、そうだそうだ。つまりは、脳筋野郎どもをやってくれって話」
話しが長すぎて途中から聞き流していたが1つだけ分かった事がある。このチャラ男に話しをさせてはいけない。
「そういう事だったんですね。分かりました。それでは早く他の人に知らせる為にもう行きますね」
「待てまてまて。またなんか分かったら知らせるからさ、ケータイの番号交換しようぜ。ケータイ、持ってるよな?」
チャラ男が面倒くさ過ぎて離れようとしたが止められてしまった。渋々携帯を取り出して番号を教えた。
今日ほどこの携帯にメール機能がない事を恨んだ日はない。コイツと電話すると長くなる事は想像に難くなかった。
「これでよしっと。じゃ、あまり帰るのが遅くなると怪しまれるからもう帰るな。また会おうぜ」
それだけを早口で言うと転移してしまった。嵐みたいに騒がしい男だった。
する事もなくなったから、俺は教えられた番号を登録した。登録名は『チャラ男』にした。
その後、暫くぶらぶらと散歩していると先生に会った。俺を見つけた時の先生はひどく驚いていた。
先生は何度も怪我がないか聞いてきた。怪我がない事を確認すると説明もせずに俺を掴んで学校に転移した。
俺が何があったのか聞いても『月曜に詳しい事は話す』の一点張りだった。
先生はまた島に残された人がいないか探しに行ってしまった。残された俺は腑に落ちないまま寮に帰った。




