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たえよいつか  作者: 甲姫
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<二日目> The Selfish gene

 微生物、主に菌やウィルスは病原体として人間に忌み嫌われる傾向にあるが、それは不当な評価である。

 奴らに他意は無い。他種に対する意図など何も抱えていない。

 遺伝子の存在意義はあくまで自己中心的である。遺伝子の複製、繁殖、それのみが生物としての最大で唯一の目的なのだ。その過程のどこかで他の生物を害する結果となろうとも、たまたまのこと。


 ――と、教授は言った。私は彼女からこの一説を学んで、感心したのを憶えている。





 主任と自称した男は私の身の拘束を解き、ベージュ色のプロテイン・シェイクが入ったタンブラーと着替えを置いて、部屋を去った。ベルトを外されても私はすぐには動けなかった。と言うのも、麻酔の名残が下半身に残っていたからだ。

 与えられた栄養を摂取し、寝間着の袖に腕を通すと、いくらか人心地がついた。それから半日寝込み、再び目を覚ました。


(ひどいものだな)


 私が起きたベッド(?)の後ろには洗面台と洋式の便器がある。つまりはそういうことだった。

 なんて無茶な話だろうか。私に此処でずっと生活しろと、暗に命じているのだ。

 独房。部屋の隅の監視カメラだけでなく、腰から上の高さの壁はガラスでできていた。こちらからは鏡に見えてしまうが、私はそんなものに騙されやしない。マジックミラーと考えるのが妥当だ。私の一挙一動は見張られている。

 これまでに扱ってきたモルモットに申し訳ない気持ちになってきた。


(そうか、私はモルモットを扱う研究に携わっていたのだな)


 あれから時々こうして、過去に関する記憶を手繰り寄せることがある。しかしどうしても、肝心なことは思い出せない。

 主任に至っては私に「執着」が芽生えないようにと、あれ以上は何を訊いてもかわされてしまった。


(そもそも此処はどこなのか。あの言い方だと、故郷たる日本ではないな)


 情報が欲しい。己の内に見つからない以上、外から仕入れるとしよう。

 私は便器の蓋を閉じて腰を掛け、壁に背を預ける振りをして、ミラーの向こうの音を拾わんと耳をそばだてた。案の定、言葉の応酬が微かに聴こえる。会話の内容を必死に拾うと、それはアメリカ英語で交わされていた。


「Why do you suppose he's the only one that survived?」 (なあ、何であいつだけ生き残ったんだと思う?)

「Don't ask me. Did you look at the modeling results?」 (俺に訊くなよ。モデリングの結果見たか?)

「I did. But no variables could be isolated; the only thing he had in common with everyone else was that he happened to work in the same building.」 (見たけど……)


 最後の言葉は早口だったためか、私の理解力では脳内翻訳が追いつかなかった。このプロセスのたどたどしさから察するに、私の母国語は日本語であり、英語は第一言語ではなかったようだ。


(もどかしい。こんなことがわかっても無駄だ。家族構成はどうなっていた? 私が働いていた遺伝子研究ラボとは一体)


 またパニックの波が押し寄せてくる。これではいけない、せめて別のことを考えて気を紛らわせよう。

 生存者。モデリング。同じビルディングで働いていた(と、遅れて脳内翻訳が吐き出す)。不幸な事件。


(事故ではなく事件? この表現の差に意味はあるのか、無いのか)


 ラボが事件に遭い、私だけが生き残った。理由を知ろうとして、彼らはモデルを組み立てて当時の状況をシミュレーションした。

 ところが理由は依然として明らかにならない。

 監禁と言うよりは、隔離されている――そこまで事実を継ぎ合わせても実感は伴わない。記憶喪失者であると、どうやっても悲壮感は生まれないのだなと妙に納得した。

 ならば私は、「何」に侵されたと言うのか。

 ぜひ誰かに教えて欲しい。

 私は物思いに耽りながら項垂れた。


「遺伝子の研究……組み換えか? 大腸菌でも弄ってる間に人に激しく害のある型ができてしまったとか……」


 自分で呟いておきながら、ばからしくなってきた。SFドラマじゃあるまいし。せめて外の世界の様子がわかれば、新種によるパンデミック展開の有無が知れるのに。大体、身体には何ら異変が表れていない。或いは私の中で一体何が起こっているか。

 考えるだけで労力の無駄に思えてきた。

 私は台の上にのそりと上がり、横になった。諦観の気持ちに揉まれながらも眠気に身を任せようとした――


『ああ、ダメダメ。寝てる場合じゃないよアンタ』


 ――どこから!?


 起き上がるまではしないが、両目を限界まで見開いた。四方八方を凝視しても部屋には私しか居ない。声は遥か上からもう一度降ってきた。


『外は至って平和さ。確かにパンデミックが危惧されてるけど、源泉はアンタだ』


 若い女の声は、換気口から流れ出たのだった。

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