カミナリハプニング
その日は朝から大雨だった。
「夜から雷が鳴るかもしれないって言ってたからな。部屋の戸締りをしっかりしておけよ」
千葉センセの言う雷というフレーズに真っ先に反応したのは敦典だった。
「雷!? せんせー、まじで!?」
その表情はおびえているというよりもむしろ興奮している様子で、目はきらきらと輝いている。待ちきれない様子で立ち上がりかけた敦典の肩をぐいと下に押し込んだ政良がため息をつく。
「……飯の間は座ってろ」
「はあい!」
それに珍しくいい返事をした敦典。りんこは少しひきつった笑みを浮かべた。
「……アツくんは雷平気なの?」
「好きだよ! ぴかって光るのかっこいいじゃん!」
5歳児らしい無邪気な発言にその顔も緩む。もしかして怖いの、とからかうように尋ねた敦典に、ちょっと困ったようにりんこはうなずいた。
「あんまり得意ではないかな」
「へえ……」
ようやくりんこをぎゃふんと言わしめると思ったのか、敦典の口角がますます上がっていった。
身構えすぎていたのだろうか、その日敦典は想像以上におとなしかった。もちろん子供らしく騒いだり走ったりすることはあった。とはいえ天気のせいもあるのだろうか、外からカエルだのヘビだのを持ってきてりんこを驚かせようとすることはなかった。
もっともそんなものを持ち出したところで、ここに来る前から自然の中で育ったらしいりんこにとってそいつらは日常の中にいるもので、叫び声のひとつも上げないものだから敦典はつまらなく思っていたようだが。
ともかく、敦典は絵本を読んだり茜に構ってもらったりと、彼なりに忙しい様子だった。そのおかげなのか俺はいつも以上にみっちりとりんこの指導を受け、こなした課題の量と密度の濃さに夕方には俺は机に突っ伏していた。前々から思っていたことだが、普段穏やかな彼女は勉強のことになるとややスパルタになる。そんなところまでいとこに似なくてもいいものを。
「……ほんと、今日だけでテスト前1か月分くらい勉強した気がする」
「ひろくんの普段の勉強量はテスト1か月前も1週間前もそんなに変わらないと思うな」
笑顔で繰り出される容赦ないことばにため息が漏れる。図星のうえ疲れているので反論すらできない。りんこは慰めるようにテキストの表紙を撫でた。
「でも今日は本当によく頑張ったね。あとは寝る前に何やったか確認だけしてね。そろそろ片付けて晩ご飯の手伝いに行こ」
茜と政良が立っているだろうキッチンに目をやって、俺ものっそりとうなずいた。
***
転機が大きく変わったのはその夜のことだ。女子たちが風呂に入っているころは、なぜか昼以上にそわそわした様子で稲妻を見たいとぐずっていた敦典も遊び疲れて早々に眠り、風呂を済ませた俺と政良も2階で別れる。いつもどおり、俺は今までの部屋で、そして政良はいま敦典が眠っている部屋で寝る。
「風も強くなってきたな。台風か?」
がたがた音を立てる窓を見ながら階段を上っていると、違うだろと即座に政良の答えが返ってきた。
「でも風強いな。おまえ窓の鍵閉めたよな?」
「今日開けてねえよ。そっちこそ、起きだした敦典に窓開けられてないといいな」
からかうように言えば、本気で嫌そうな顔をされた。
「……そしたら膝詰めで説教だな」
「うわ、食らいたくねえなそれ」
雨が窓を強くたたきつける音がする。それに目をやった政良は、おもむろに口を開いた。
「……なあ博基、」
ただそれははくはくと何かを言いよどむように開いたり閉じたりを繰り返し、
「どした」
「…………いや、なんでもない」
結局ことばにはならなかった。沈黙の間に振り返ってみたが、その表情からは何も読み取れない。
「なんだよ、変な奴。おまえまで雷が怖いなんて言わないよな」
「誰が言うかよ」
それは即答だった。頭をひとつはたかれ、おやすみという言葉とともに政良とはそこで別れた。
いつもの半分の人口密度の部屋で、りんこに言われた通り今日やったことをひととおり確認する。
「……やっぱり今日の勉強量はやばいって……」
本当に進学できるのか、一抹の不安を感じながらノートを閉じ、敷いた布団にダイブ。タオルケットだけをかけて、時計を確認すれば23:00の少し前。ガラスをたたく雨音をBGMに、休息を欲していた脳はあっという間に俺を眠りへと引き込んだ。
***
自分のシャツを引く感触と、そこにたしかにいる人の気配でふと目が覚めた。雨の音は眠る前よりもさらに激しくなっている上、雷も鳴っていた。そう近くはないらしいそれに少しだけ安堵の息をついて、それから。
「……誰? 政良? 敦典か?」
寝返りを打って確認しようにも、その手はずいぶん強くシャツを握っているようだ。その上ご丁寧に俺のタオルケットまでかぶっているようで、どうにも動きづらい。どうしたものかと考えた挙句、俺はそのシャツを脱ぐことにした。
それすらも難航しつつどうにか脱いで、目の前に現れた光景に思わず目を丸くした。
「なんっ……え、は? ……まじでぇ……?」
そこにいたのは予想していた敦典でもなければ、まして政良でもなかった。この時間、ここに――そう、男子の部屋にいるはずのない。
「……っおい、りんこ」
さっと頭の中によぎったのは、人生の半分以上を過ごしてきたこのたんぽぽ園での5つのルール。
――二、門限は小学生以下、中学生、高校生それぞれ17:00、19:00、21:00とし、22:00以降は異性の部屋は立ち入り禁止とする
ほかのルールならまだしも、この22:00以降立ち入り禁止の異性部屋は、見つかるとあらぬことまで疑われるのできまりが悪い。まして、中学3年生という微妙な年齢にいる俺たちにとってその話題はいくらかデリケートなのだ。
大きな声を上げないように、囁きながらゆすり起こす。ごろりとこちらを向いたその頬やまつげが濡れていて一瞬どきりとした。
「……こ、わい……たすけて、おにいちゃ……」
「りんこ?」
「おかあさん……ごめ、なさい」
「りんこ、おいりんこってば」
泣きながらうなされているりんこの肩を強めにゆすると、やがてはっと目を覚ました。がばりと起き上がったりんこはまわりを見回し、俺と目が合うとその目を丸くして、
「~~~~っ!?」
「っ悪い、許せ」
叫びだされる寸前にその口をどうにか塞ぐことに成功した。