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弾ける気持ちと炭酸水

 夏、快晴。昼過ぎで、程よく日陰も差してきた頃。視界の奥には肉厚の雲。ラフな服から伸びる手足と顔、それから首にも忘れずに日焼け止めを入念に塗り込む。小さなウエストバッグに水500mlのボトルとコインケースを入れて、玄関先で入念にストレッチをしてから首にタオルを引っ掛けた。


「茜、どこか行くのか?」

 勉強を頑張る受験生2人組に飲み物を淹れてからそんな準備をこなしていると、トイレ休憩から戻ってきたらしいひろに呼び止められた。

「ん、ちょっと外走ってくる」

「は? こんな暑い中行くのかよ、バカかよ」

「平気だって! 宿題終わっちゃったし、暇なんだよね」

「今日も外暑そうだから、行くなら気をつけてね」

 そんなあたしたちの会話が聞こえていたりんちゃんの言葉にうなずいて、何かあったら連絡する旨を伝えて家を出た。


 走るのは好きだ。その時の心持ち次第で、考え事をするも無心で走るも自分の好きにできるところがとてもよい。かといって部活に入ると園の手伝いをする時間がなくなるし、あたしにはこのくらいがちょうどいい。

 射す光に目を細めながら、耳に差し込んだイヤホンから聞こえるお気に入りのJ-POPとともに走り出す。行き先は特に決めない。適当にまっすぐ走って、適当なところで曲がって、適当に引き返せばそれでいい。

 失敗した、と気づいたのは、走りながら今も家で勉強を続けているであろう幼なじみのひろと大親友のりんちゃんのことを考えている時だった。しまった、水を飲むペースを間違えたのか、もうボトルはすっからかんだ。コンビニや自動販売機で買うのはちょっと高いだなんて変な貧乏性が顔を出して、近くのスーパーマーケットはどこだったかと頭で考えながら角を曲がる。


 あの受験生2人組がやたらと仲良くなったのはいつからだっただろうか。もっと幼い頃、それこそりんちゃんが来たばかりの小学生の頃なんかは、警戒心むき出しのひろと怯えるりんちゃんという決してうまの合いそうな2人ではなかったのに。いつからか、2人で勉強会を開くくらいには仲良くなっているのだから、人の縁というのは不思議なものだ。

 そういえば、自分も昔ひろのことをボロボロに打ち負かすくらいの番長だったっけ、と同時に懐かしい日々を思い出して笑みがこぼれた。

「茜?」

 心地よい低音に呼び止められた時、あたしは求めていたスーパーマーケットに向かって走っていた。すぐそばできょとんと銀縁眼鏡の奥を丸くさせているのは、今朝学校へ向かった政良だった。そういえば、この辺りは駅があったっけ。

「もう学校終わったの?」

「ああ、ちょうどさっき。お前はこんな時間に何やってるんだ」

 走りに来たこと、うっかり飲み物を切らしてしまったのでスーパーマーケットへ向かう途中であることを伝えると、コンビニに行けよとため息をつかれた。

「だめだよ、コンビニとか自販機のは高いんだもん」

 なんだよそれ、と政良はふきだしてから、ふと真面目な顔になる。

「でもそうやってスーパー探しているうちに熱中症とか脱水症状とかでぶっ倒れたらどうするんだよ。こういう時は金かけてでも早く何か買えよ」

 そっちの方が大問題なんだからな、と念を押されて頷く。とっくに通り過ぎてしまったので、もう近くに自動販売機もなければコンビニもない。もうすでにスーパーマーケットが一番近くなっていた。

 具合悪くないか?気持ち悪くないか?と念入りに確認をされて、その真剣な目にどきりと胸が高鳴った。

 政良は、施設にいる子どもにしては珍しく、将来が決められている。というのも、あたしも詳しいことは聞いていないからよくわからないのだけれど、実家が有名なお医者さんの家系らしい。たんぽぽ園への定期的な寄付と、政良が将来お医者さんになって神栖の家に入ることを条件に、神栖の家系ではない母方のいとこであるりんちゃんと一緒にこの園に来ることを許されたのだそうだ。

 こんなとき、彼はあたしのような……両親の顔も名前もわからないような子どもとは生きる世界が違う、と感じてしまう。あたしがあのとき、政良の卒業前に一方的に突きつけた約束は、本当に正しかったのだろうか。過去の行動の正解がわからなくて、足元が崩れそうになる。

「茜、おいぼーっとしてんな」

「え、あ、ごめん」

「本当に具合悪くなった? 大丈夫か?」

 数歩先で立ち止まって振り返った政良はやっぱり心配そうな顔をしていて、なんでもないよと首を横に振りながら駆け出した。

「あっこらおまえもう走るな!」

 大丈夫だよ、にかっと笑って彼の隣を、あるいはその先を目指し、弾む足で進む。この先、それこそ18歳になって園を卒業した後、たとえ一緒にいられないとしても、今一緒にいられる、それだけで十分に幸せなのかもしれない。


 スーパーマケットは、もう目と鼻の先。


***


 スーパーマケットではすっきりと甘いレモン味の炭酸水を購入した。冷たさと甘さと炭酸の辛さが喉にじゅわりと伝わって、乾いて熱くなっていた喉が癒されるのを感じた。

「……っはあ、おいしい!」

 それならよかった、と横で何の味もしないただの炭酸水を飲む政良は答えた。

「ねえ、そのただの炭酸っておいしいの?」

「甘くはねえよ」

 でも俺は甘いものが嫌いだから。そう答える政良は、確かにいつも甘いものはあたしかりんちゃんに分けてくれたし、コーラやリンゴジュースも好んで飲むところを見たことがない。

「俺は苦いもののほうが好きだから、これでいい」

「ふうん」

 ぽつりぽつりと会話を交わしてから、そろそろ帰るか、と立ち上がったころだった。


 不思議な感覚があたしを襲う。軽いのは頭なのか体なのか。自分の中のなにかがするりと体をすり抜けていくような気がして、ああ、倒れるのか、と気づいたのはその少し後だった。

「だから言っただろ、熱中症なめんな」

 少し冷たい手があたしを支えていた。博基よりひょろりと細い体形なのに、その意外にもしっかりした力にまたひとつ鼓動が高鳴った。

「ご、ごめん。ありがとう」

「少し休んでから帰るぞ」

 まだ少しふわふわする頭で体勢を立て直すと、政良はあたしの右手をとってさっきよりゆっくり歩き出した。少しだけ声のトーンが低い。怒らせてしまっただろうか、と情けなくもそんなことが気になってしまった。


 結局駅前の日陰があるベンチで少し横になって、政良が自販機で新しく買ってきてくれた水を首にあててくれた。

「吐き気とかないか」

「ん、大丈夫。頭がふらふらするけど」

「いくら日が陰ってるからって、夏なめてたら死ぬぞ。アスファルトの照り返しだってあるんだ」

「うん」

「走るんなら朝か夜にしろよ。……あ、やっぱ夜は夜で危ないからだめだ」

「だって朝は千葉先生の手伝いあるし……」

「じゃあせめて昼間は我慢しろ。それか夜はたまにだったらつきあってやる」

 いいの、と目を見開くと、そのくらいは構わないと少し怒ったような声が返ってくる。位置が悪いのか、政良がどんな顔をしているのかが見えない。

「でも、夜道をひとりで走ろうとするなよ。世の中物騒なんだから」

 ぐしゃぐしゃ、と頭を撫でられる。まるでそれが子供をひとりで歩かせることを不安がる大人のような言い方で、少しだけむっとした。せいぜい2歳しか年齢は変わらないはずなのに、中学生と高校生の違いをまざまざと思い知らされてしまう。子ども扱いされるのは嫌いだ。いくら自分が子供だとわかっていても。

 特に、この神栖政良という人間とは、早く同じ目線に立ちたい。そのための努力ならば、惜しみたくない。どこまでも背伸びをしたくなる。だけどそんなことすら見透かされていそうなのがまた少し悔しい。まだまだ頑張らないといけないな、と唇をかんだ。


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