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しあわせの条件

 たんぽぽ園の朝は味噌汁の匂いからはじまる。

「りん、今日は早いじゃない」

「おはようございます。 なんだか目が覚めちゃって」

 学校は夏休みなのに6:00前に顔を洗った私に、施設の千葉先生は味噌を溶きながら目を丸くした。園の休日の朝ごはんの時間は朝7:00だ。

 昨日、いや今朝がたひろくんと別れ部屋に戻ったあともやはりぐっすりとは眠れずに、浅く眠っては目覚めてを何度か繰り返したあとに、結局こうして着替えて顔を洗いにきたのだった。

「先生、なにかお手伝いすることある?」

 先生はふむと考えてから庭を指差した。

「じゃあ庭の水やりをお願い。陽が昇りきらないうちにあげてしまわないと」

 千葉先生はさばさばしてかっこいい、憧れの女性だ。そんな千葉先生はじつは花が好きで、園の庭の手入れもすすんでしている。そんな先生が言うには、陽が昇ったあとに水をやっても、その水が温かくなってしまったり、いくらかは蒸発してしまったりして、あまり植物によくないのだそうだ。

「了解でーす」

 そう答えて、私は昼間に比べてまだいくらか涼しい庭へと向かった。


 たんぽぽ園には少し大きめの庭がある。クロッカスやチューリップ、紫陽花に金木犀、クリスマスローズと、いろいろな花が植わっている。園の子供たちで話し合った上で先生に交渉してから仕入れた種や苗を、自分たちで世話したものだ。クリスマスローズは育てるのが難しくて、よく枯らしてしまうとクラスの友達が昔言っていたけれど、園の庭の土がたまたま合っていたのか、うちのクリスマスローズは毎年きれいな花を咲かせてくれる。冬が楽しみだな、と思いながらそれぞれの花壇に水をまく。今年もきれいな花が見られたらうれしい。

 水やりを終えて、手を洗ってリビングに戻る頃には、もう茜ちゃんもおにいちゃんも先生の手伝いをしていた。おにいちゃんがご飯をよそい、茜ちゃんは焼いた卵をお皿に分ける。

 そこにひろくんが、洗濯かごを手にリビングに顔を出した。

「もしかしてもう朝飯?」

 おにいちゃんが卵を運びながらうなずく。

「もうすぐ」

「じゃあこいつはあとだな」

 その場にひろくんはかごを置く。先生に「洗面所に戻してこい!」と怒られて肩をすくめた。


 朝ご飯は極力みんなで揃って食べる。これはたんぽぽ園のルールのうちのひとつだ。おにいちゃんは高校へ行くのに電車に乗らなくてはならないから必ずしもというわけではないけど、それでも一緒に朝ご飯を食べ、そのあと家を出る日が多い。

「そういや政良、なんで制服着てるんだ?」

 夏休みなのに、とひろくんが箸で漬物をつまみながら問いかけた。

「今日朝から夏期講習なんだよ」

「学校で?」

 ああ、とおにいちゃんがうなずく。ひろくんはありえないと顔をしかめた。

「夏休みまで学校かよ、しんどいな」

「進学校だもの、しかたがないよ」

 茜ちゃんが味噌汁を一口飲んでそう言う。それでも、とひろくんは視線を落とした。

「高校生活最初の夏休みだぜ? 目一杯遊びたいじゃん」

「そういうおまえは受験生だろ」

 自覚足りねえな、とおにいちゃんがため息をつく。

「ひろくん、朝の仕事終わったら勉強会だからね」

 逃げないでね、と釘をさすと、ぐっとひろくんがご飯を飲み込んで顔をしかめた。

「……わかってる」

 その光景を見て、茜ちゃんがふきだす。

「おい茜、笑ってんじゃねえよ」

「だって……ぶ、あはは、おかしいんだもん。あの悪ガキが、……ふふっ、ねえ千葉先生」

 先生もそうだな、と笑う。きゅっと目が細まってきれいだ。おにいちゃんは納得したようにふむと頷いた。

「まあ、りんに任せておけば問題はないか」

 みんなの反応を見たひろくんは納得いかないと唇を尖らせた。

「俺そんなに信用ないのか」

「ないだろ」

 不良が、と即答したおにいちゃんが鼻で笑う。まだ不良じゃねえ一歩手前だ、とかみつくひろくん。

「ふふ」

 思わず笑いがこみ上げてきた。

 なんでもない日常だけれど、ああ、幸せだ。

「おいこらりんこ、お前も笑ってるんじゃねえ!」

 怒るひろくんの声も聞こえるけれど、無視して茜ちゃんとふたりで笑い続けた。


***


 朝食後、しばらくするとおにいちゃんも出かけ、家事の手伝いを終えたひろくんとふたりリビングでで勉強をしていると、ひょっこりと茜ちゃんが顔を出した。

「お、本当にやってる。偉いじゃん、ひろ」

 にまにまと冷やかす彼女に、ひろくんは舌打ちをしながら睨みつけた。

「うるせ、来年はおまえの番だぞ」

「あたしはどこかのばかと違って一応きちんと勉強してますから」

 売り言葉に買い言葉。そんな言葉がぴったりの場面ではあるが、このふたりの付き合いは長い。ずいぶん小さな頃から園で暮らす茜ちゃんとひろくんが出会ったのは、彼が六歳でここに来たときのことだという。

『喚くクソガキがいたからぶちのめしただけよ』なんて茜ちゃんはあとでけらけら笑っていた。たしかに年齢では茜ちゃんのほうが年下だけれど、ひろくんはなんだかんだ彼女には頭が上がらないのだ。

普段は些細なけんかばかりだけれど、お互い大事にしているということがふたりの小さな行動ひとつから伺えて、いつも微笑ましくなるのだ。幼なじみ、というやつだろう。少しだけうらやましい。


「ま、頑張りなさいよね。りんちゃんに迷惑かけちゃだめよ」

「うるせえな、おまえは何様だよ」

「茜様だよ」

 ほら、今日もまた。ばし、と背中を思い切り叩く茜ちゃんのそれは、彼女なりのエールなのだ。

「しかたがない、アイスコーヒーでも入れてきてあげる」

「余計なお世話だっての。……りんこは何飲むんだ」

 にまにまとふたりを見守っていれば、突然話を振られて驚く。

「あ、え、いや、いいよ私自分でやるよ」

「いいから! りんちゃんは座ってばかが逃げないように見張ってて」

「てめぇいまなんて言った」

 ぎらり、睨みつけたひろくんにあっさりと「ばかはばかよ」と返した茜ちゃんは、改めて私に注文を聞いてきた。

「……じゃあ、私もコーヒーが欲しいな」

「はいはーい、チョコレートも持ってくるね」

 勉強に糖分は大事だよ、と嬉しそうに笑ってキッチンへ駆けて行った茜ちゃんを見送って、ひろくんはため息をついた。

「……ほんとにあいつむかつく」

「本当に仲がいいね」

「あ? 誰があいつとなんか」

 ぶつぶつ、唇を尖らせたひろくんに微笑みかけて、ノートの一部に指を置く。

「ここ、動詞の形が変だよ」

「……ん?」

 眉を寄せた彼に説明をするべく、自分の頭の中で考えを整理してから口を開いた。せっかく応援してくれる人もいることだし、しっかりと集中しなければ。

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