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眠れぬ夜のホットミルク

 夜、ふと目が覚める。時計を見ると、午前1:00。22:00に寝たばかりなのに、うつらうつらとしただけで、あまり眠れた気がしなかった。量も質も悪い睡眠なんてあんまりだ、とゆっくりと体を起こす。

 ルームメイトの茜ちゃんを起こさないようにそっと部屋から出て、はじめに向かうのはキッチン。ごろりと寝転がる猫のイラストが描いてあるマグカップに牛乳を注いで、レンジであたためる。今は夏だから、少しぬるめに。その間じっとレンジの前に立ち、3、2、1。ちょうどレンジがあたため完了を甲高く知らせる直前に取り消しボタンを押して、一息つく。そっと耳をすませてもなんの物音もしなかったから、今回も無事誰も起こさずにできたようだ。

 そんなとき不意に後ろから噛み殺したような笑い声が聞こえて、背中がびくりと震えた。

「珍しいな、今日は約束してなかったのに」

「……なんだ、ひろくんか」

 そっと振り向いて、見えたその姿にほっとして、私も顔を緩ませる。

「なんだか眠れなくなっちゃって」

「今日は俺も。……それにしても、さっきのおまえ必死すぎて笑える」

「だって、レンジの音ってうるさいんだもん。誰か起こしてしまわないかいつもどきどきするよ」

「それくらいじゃ誰も起きないだろ。この時間だし」

 俺はコーヒーでも飲もうかなとやかんを取り出す彼に声をかける。

「こんな時間にカフェインなんて摂ったら余計に眠れなくなっちゃうよ」

 ふむ、とひろくんは少し考えて、

「じゃあ牛乳でいいか、俺も」

 と、青いドットが浮かぶマグカップに牛乳を注ぎ始めた。

「電子レンジ、気を付けてね」

 笑いながら言うと、やっぱり笑いながらわかったと返事がきた。


 程よく温まったマグカップをそれぞれ持って、今度は縁側へ行く。こうして縁側で何か飲み物を持って、眠くなるまで話をする。それが、彼と私、桜川博基と笠間鈴子の眠れない夜の習慣だ。

元をたどれば中学2年の冬、テスト前に少し嫌な夢を見て眠れなくなり、台所でホットココアを作ろうとしたら、リビングで勉強するひろくんに会ったのがはじまりだった。

『俺は夜型なんだよ』

そう呻いた彼は数学の公式を頭に叩き込むのに必死で、結局眠れなかった私はひろくんに付き合って明け方まで勉強をしたのだ。次の日は寝不足で大変だった。

そのとき、話の流れでたまに眠れないことがあるということを言ってしまい、だいたい週に一回のペースでこうしてひろくんは私の夜なべに付き合ってくれる。


「夜なのに暑いね」

「暑いのにホットミルクかよ」

「これでも少しぬるめにしてるんだけどなあ」

「麦茶とかにすればよかったかもな」

ああその手があったね、とうなずけば、変なところが抜けてるよなあとひろくんがくつくつ笑った。

「確実に俺より頭いいのに」

「それとこれとは別物じゃない?」

話しながら、勉強と聞いて思い出してしまう。

「一応私たち受験生だよね」

その言葉にげ、とひろくんは顔をしかめて、濃い色のくせ毛をくしゃりと混ぜた。

「嫌なこと思い出させるなよ」

「そうは言っても、高校行かないわけにはいかないし」

「わかってる、そんなこと」

それでも勉強が嫌いなひろくんは顔を歪めた。

「おまえは決めたの? ……志望校とか」

その問いかけに私は苦笑いを返した。

「実はまだあんまり決まってないの。おにいちゃんみたいにやりたいことがはっきりしてないし」

ひとつ年上のおにいちゃん……正しくはいとこの神栖政良は、小さい頃からお医者さんになるのが夢で、それに向かって勉強を頑張っている。成績優秀者として奨学金をもらって隣駅にある進学校に通っているくらいだから、もともとの頭脳ももちろんだけれど、想像できないほどの努力をしている人だ。そしてそれを大変だとひけらかさないところがまたすごい。尊敬する大好きなおにいちゃんなのだ。

「てっきり政良の後を追って進学校いくのかと」

まだ進路が決まっていないことに、不思議そうにひろくんは首を傾げた。猫目がくるりと丸くなる。

「勉強は嫌いじゃないけど、奨学金とっておにいちゃんと同じところに行けるほどではないよ。電車に乗るとなると定期代もかかるし。……園から近いところがいいな」

たんぽぽ園。ここはひろくんの遠い親戚の人が経営している小さな児童養護施設だ。その名のとおり、いろいろな理由があって親と一緒に暮らすことができない子供たちがここにいる。

両親と死別した私やおにいちゃんも、隣で話すひろくんも、私のルームメイトの茜ちゃんも、理由があってこの小さな築30年の家に暮らしているのだ。

「園から近いところ、か」

ひろくんはため息まじりに繰り返し、うなだれた。

「……俺が入れる高校があるか心配になってきた」

「塾に行くわけにもいかないしね」

頑張るしかないよ、とホットミルクを一口。

「……この夏休み、一緒に勉強しようか」

私の提案に、はっとひろくんは顔を上げた。

「……いいのか」

「いいよ。私も復習になるし。人に教えるのって、覚えるのにすごくいいんだって」

相当勉強が嫌いなのだろう、顔をしかめてから、それでもひろくんは頼む、と頭を下げた。


 ふわりと柔く立ち上るホットミルクの湯気と縁側の向こうに広がる闇とかすかな月明かり。その中でおしゃべりをしながら、夜は更けていく。眠りにつく時間はその時によってまちまちだが、この日は一時間ほどで切り上げて部屋に戻ることになった。

「じゃあ明日からね。がんばろ」

「……悪いな」

「ううん。いつも眠れないとき付き合ってもらってるし、お礼だよ」

 じゃあね、おやすみ。

 カップを洗ってから口をすすいで、お互いに音を立てないように部屋に戻った。茜ちゃんは眠りが深いのか、ぐっすりと眠ったままだ。その隣の布団に寝転がり、薄いタオルケットをかけると目を閉じた。今度こそ眠れますように。

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