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短編

手放せない金平糖

作者: 片桐ゆかり

あっさり読んでいただければ。



がたんどたんばたん、というまるで物語にありがちな音を響かせた自分の家の玄関のある方を無感動に眺めたまま、男は燻らせた煙管から口を離し、ふうと息を吐いた。

紫煙がゆらいで空気に溶けていく。

そのまま目を細めて煙管を放り出したままごろりと横になると、楽しげにくつくつ笑う。


「駿河さま!私めを買ってくださるお方が!」

「うるさいねえ、お前は。もう少し静かに」

「ああ…!ごめんなさい」


元気よく襖をスパンと開け放ち男を覗き込んできた少女は、恥ずかしげにそっと襖を閉じると、喜色満面の笑みを顔に浮かび上がらせて男の傍に腰を下ろした。


「それで?買うってお前を」

「はい!借金も肩代わりしてくださるということです」

「ああそうかい、ところで――お前の借金はお前の金で返すという約束だったはずだがねェ」

「え、あ、でも、あの…」

「そいつの金はお前の金になるのかい?お前が稼いでもいないのに?」

「むうう、やっぱり駄目でしたか…」


くつくつ、楽しそうに笑った男――駿河は、はあと肩を落とした少女を横目で見やる。少女は肩を落としたまま、口をへの字に曲げてしまっていた。


「その顔は可愛くないよ。おいで、胡桃…お菓子をあげよう」

「わあ、金平糖!」

「お前みたいだね、金平糖は」


ぱらぱらと胡桃と呼ばれた少女の手に金平糖を落としてやれば、先ほどの表情とは打って変わってきらきらとした笑顔が浮かぶ。

ひとつひとつ眺めながら口にそっと含んではほころぶ顔にくすりと笑みを浮かべて駿河は部屋から出て縁側に座る。なんてことはない、いつもと変わることのない夕暮れである。

少女はそのまま何も言わず駿河の隣に腰かけて手の中の金平糖を飽きもせず眺めていた。

――少女の屈託のない笑顔を駿河は好んでいる。


駿河は長く伸ばした黒髪を紐で首の後ろでくくり、気だるげに足をだらんと延ばしている。細目をさらに細くして、駿河は後ろに手をついて体をそらした。それは、常に笑っているようにも見えるが、冷たいともいえる、表情。今その顔には、穏やかとしか言えないものが浮かんでいる。女のように美しい顔立ちとして、この家に越してきた時はちょっとばかり話題になったものだったが、駿河本人はそれには対して気に留めている風もなくただ煩わしげにしていた。駿河にとって外側は、たいして意味を持たないのだ。

その隣に座っている胡桃は、少女らしい活発さを身にまとっている。肩口で切りそろえられた髪は男と同じくまっすぐで、今は左側の髪を耳にかけていた。

ぱちりと大きい目は今は金平糖を追いかけている。

彼女が大好物としている金平糖は、駿河の部屋にいくつも買っておかれている。彼女は見た目の繊細さや可憐さに心を奪われ、そしてその色の綺麗さに、甘い味に思いを寄せている。

だからこそ、餌付けのように駿河はことあるごとに胡桃に金平糖を与えていた。

嬉しそうな彼女は、今日も飽きずに金平糖を口に含んでいる。


「気に入った?」

「はい!この金平糖は、色がきれいですね」

「そうかい、――ところで胡桃。先ほどの話だけど」


はい?ときょとんと首を傾げた胡桃を呆れたように見やり、駿河は嘆息した。

お前を買うっていう話だけど、と促せば、焦ったように手を上下している。忘れていたことを思いだして動揺したのだろうが、金平糖が掌に乗っているために挙動が不審になっていた。


駿河は物書きである。薬師の真似事もしているのでそれなりに裕福で、家族もおらず師であった男も死んでしまってからは一人ふらふらと退屈に身を任せて生きていた。

ちょっとした気まぐれで遊郭でも行こうかと足を動かしたところで、売られている胡桃に出会ったのだ。ちょうどそのとき、身の回りの世話をする者がほしいと思っていたこともあり、売られそうになって尚失わない生命力に魅せられ、遊郭で遊ぶ金を胡桃を買うことに使ったのが、5年前の事。

それからは二人で緩やかに穏やかな日々を過ごしていたのだが、胡桃は違ったらしい。

ちょうど一年前、15を迎えた時に胡桃は借金を返すと言い出した。

曰く、「助けていただいたお礼をしなければなりません!ですから私を買っていただいたお金と今まで私に使っていただいたお金をお返ししたいのです!」だそうだ。

それを馬鹿真面目に言うものだから、駿河はしばらく笑いで息ができなかった。


別に、金など返してもらわなくてもよいのだ。駿河は金に困っているわけでもなければ、今の生活も気に入っているし、胡桃の事も好いている。

それに、元は駿河の金である。それを彼が彼のいいように使っただけのことで、恩を感じこそすれ返す義理はないのだ。――駿河は、一言も返せとは言っていないのだから。

どうも買い物に行く途中で未だに駿河の見目に恋をする女どもにあることないこと吹き込まれたのだろう。呆れたようにしながら、けれど駿河は、必死で金を工面しようと四苦八苦している胡桃が殊の外可愛らしく感じたのでそのままにしていた。


「相手はどいつだい?――真に受けて迎えに来たらどうする?」

「うう…、でも」

「お前は大体、頭が足りない。どこの馬の骨か知らないけど、お前のことを娼婦か何かと間違えたんじゃないのかい」

「ああ、でも、その…。私、お金に困っていると言いました」

「馬鹿だねえ…」


胡桃がぽつぽつと話した内容はこうだ。

駿河を起こし食事の準備をしこまごまとした家事をした後、食材の買い物や日用品の買い物に出ていたところ八百屋の女将につかまり、お金を稼ぎたいと相談したという。

そしてそのまま八百屋から離れ駿河と住む家に向かっている途中で、八百屋での話を又聞きしていた男に会った。

その男は、金に困っているなら買ってやろう、だからどうだ?と声をかけた。そして、それを「自分の借金を肩代わりしてくれるのではないか」と浅はかにも勘違いした馬鹿娘が、快く返事をして、「では支度をしてまいります!」と駿河の家に帰ってきたということだ。


事のあらましを聞きながら、駿河はごろんと縁側に横になった。馬鹿らしくてやってられなくなったのだ。

胡桃はしおしおと膝を抱えてしまっている。どうやら、馬鹿馬鹿と駿河に言われたのを気に病んでいるらしい。

ほんとうに、と嘆息しつつ駿河は胡桃の名前を呼んだ。


「お前が買われるということは、お前はもう俺の者ではなくなるということだよ」

「え、ええ?」

「お前は俺に買われてこの家にいるだろう?お前が行きたいと言ったなら俺は止めないし、金を払われた以上はお前は金を払った奴のモノになるわけだ。こうして、金平糖をもらうことも出来なくなるねえ」

「…やです、それはいやです駿河さま」

「おや、それはどっちの意味で?金平糖だから、とは言わないだろうね」

「いじわるです、駿河さま…」

「だからお前は浅はかなんだよ」


今日何度目かのため息を吐き出したまま泣きそうな胡桃に手を伸ばした。

素直に近づいて距離をつめるその顔に手を近づけて、ぴん、とその額をはじく。いたあ!という間抜けな声にくすくす笑った。


「浅はかだねえ、馬鹿だねえ。馬鹿な子は好きだよ。特にお前は可愛いから」

「うう…ほめられている気がしませぬ…」

「誉めてないからね。全く、もう少し考えてから行動をし。――まあ、お前は私が居なくても生きていけるんだろうけど」


そう、突き放したように言ってさっさと立ち上がる。

駿河が部屋に入ろうと襖をあけて、そこで立ち上がった影が後ろから駿河の着物の背を掴んだ。

ひぐ、と子供の様な嗚咽が後ろから聞こえて、駿河は口を歪めて嗤った。

――ああ、なんて愛おしい。


「泣くほどかい?」

「…駿河さまがいい…」

「お前を買った金は、私の金だ。私は私のためにしかそれを使わない。お前は妙な気を起こさずに俺のお世話をしてればいいんだ、今日みたいなのは御免だね」

「――駿河さまは私がこのまま家にいるのを、赦してくださいますか」

「何のことか全く解らないねェ…、自分で作る飯は不味い」


全く、どこの女が吹聴したのか。

胡桃に背を向けたまま駿河の顔が酷薄に笑う。どこのかは、きっと町を歩けばわかるだろう。

そのせいでこんな与太話に発展したのだとしたら、それは少し痛い目を見てもらうしかないだろう。そんなことを思いながら、駿河は殊の外優しく胡桃に声をかけた。


「これに懲りたら、真面目に俺に尽くすんだね」

「はい、はい…!駿河さまに一生お仕えいたしますから!」

「良い子だ、ご褒美をあげなくちゃね」

「金平糖でございますか?」

「お前は金平糖が好きだね。金平糖になってしまうよ?」


そっと頬を片手で撫でて、胡桃を誘いながら駿河は部屋へと戻る。

ちら、と縁側から庭を見、そして生垣をこえて駿河の家を除くように立っている若い男にを見つけて目を細める。

そっと胡桃の肩を抱き寄せて、口の端を引き上げた。

男がびくりと肩を震わせる様子に、喉の奥で笑う。


「駿河さま?」

「…本気でお前の事想っていたのかもしれないね」

「どういうことです?」

「いや、なんでもないよ。蠅はあとで駆除しておこうか」


そのまま襖を閉じる。

若い男の視線はまだこちらを向いていたので、駿河は襖を閉める前にもう一度視線をやった。射抜くように見据えれば、ひるんだような男の姿に、鼻で笑う。

きっとアレが胡桃を買うとのたまった奴なのだろう、と思いながら。


「蠅がいたのですか?」

「うん?――お前は花のようだからね、虫が寄るのかな」

「虫ですか?蝶のようなのでしたらいいですけど…」


嫌そうな顔で駿河を見上げる胡桃に駿河は目を細めて見下ろし、顔を近づける。

きょとんとこちらを何の警戒もなく見ている胡桃の顎に手をかけてくい、と持ち上げながら息がかかりそうな距離でも全幅の信頼を寄せる少女に呆れた。


「目くらい、閉じたらどうだい」

「あ、え…?」


素直に目を閉じた胡桃の唇を親指でそっとなぞれば、びくりと肩が震えた。

ただこの後何をされるかわからないようで緊張している様に、ひどく満足して空いている手で着物の袂を探り、飴玉を取り出し口に押し込んでやる。


「んむ、ん…!」

「向かいの飴屋の爺がくれたやつだ、美味しいだろうよ」

「はひ!おいひいです!」


ころころと口の中で飴玉を転がしてうっとりと表情を緩めている胡桃から離れ、畳の上にどかりと座り込むと煙管に火をつけた。

その傍に、飴玉をしゃぶりながら胡桃が座り、駿河が彼女に与えてやった読み物をめくり始める。煙管から口を離して、ふう、と胡桃に紫煙を吐き出せば、けほけほと噎せながら胡桃が困ったように眉を下げた。


「胡桃、と名付けたのもお前を買ったのも、俺なのだから。お前は他の戯言など気にせず其処にいればいい」

「うう、着物が煙くさく…」

「虫よけにちょうどいいだろうよ」


日が暮れていく薄暗い部屋の中で過ごす日々が、一人だったものから二人へ増え、そしてそれが手放せなくなっていることを駿河は自覚している。

10も歳の離れた男が少女を囲うのはひどく背徳的だと自分のことを客観的にみながら、けれど駿河はそれを改善する気が全くないのだ。

このまま見えない鎖で縛りつけて、駿河は胡桃とともに生きていく。

だから、何人たりとも寄せつけはしないのだ、暗い部屋の中昏く甘い笑みを浮かべながら、駿河は体を横に倒し、そのついでに胡桃を押しつぶした。

口の端をなめれば、飴の甘い味がする。――駿河も、金平糖は、好きだ。


「うひゃあ、もう!駿河さまってば!」

「お前はやわっこいねえ」

「うふふ、くすぐったい!」


きゃらきゃらとした声が響く。

首筋をなでて足を絡め、けれど艶やかな声とは真逆の全く色気のない笑い声が胡桃から上がったことに駿河もくつくつと声を上げた。二人分の声が響く室内は、薄暗いのにやけに楽しそうである。

――きっと、手放せない。それは、5年前に目が合ってから始まっていたのだろうから。





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