あんず記念日
恋愛ジャンルじゃないなんて、言わないで。
高2の春が来た。
私の2つ上の先輩が卒業して、写真部は千草先輩と2人になった。
大した活動もしていない、この部活。
正直なところ私は「楽そうだから」という理由だけで入ってしまったのだが、
この雰囲気に魅され、毎日部室へ通ってしまっている。
*
「相変わらず広いねー、ここ」
既に来ていたらしい千草先輩の言葉に私は頷いた。
「1人減っただけで、3分の1減ったことになりますもんね」
うわぁ本当だ、と先輩は声を上げて、ふと何か気が付いたような顔をして言う。
「じゃあ、これからは2分の1だね」
2分の1、半分。私はこの写真部の、半分。
「半分欠けたら崩れちゃうからね、よろしくね」
改まったように先輩は言い、手を伸ばしてきた。
意味が分からずに固まっていると、もうっと先輩は私の手を無理やり握って言う。
「よろしくねって言ったんだから、そこは握手でいこうよ」
キャンディちゃんも紳士的にならなくちゃあ、という先輩の言葉に返す余裕もなく、
私はさっきまで握られていた左手を眺めていた。
左利きの先輩が握った、私の左手。
「キャンディちゃん?」
ずっと黙って自分の手を眺めていたからか、先輩は不安げな目で顔を覗き込んできた。
「ごめん、そんなに手嫌だった?」
言いつつ先輩も自分の手を見る。
「汚れては、ないよ。気休めになるかも分かんないけど」
「いや、そんなのじゃなくて。びっくりしただけで。私の手こそ、なんか汚れてる気がするし」
慌ててそう言うと、先輩は首を傾げて笑った。
「なら、よかったけど。キャンディちゃんの手綺麗だよ」
その言葉に何と返せばいいのかも分からず、わざとらしく話題を逸らす。
「ていうか、私キャンディじゃないですから」
2つ上の先輩が卒業した今、私をそう呼ぶのは千草先輩だけだ。
「いいじゃん、可愛いじゃん。雨柳って苗字も好きだけどさ。苗字呼びって距離感じるでしょ?」
じゃあ下の名前じゃ駄目なんですか、というのは恥ずかしくて聞けなかったのだが、
「杏佳ちゃんとか杏ちゃんっていうのも、オリジナリティないしさ」
と先輩が言い、1人納得したように頷く。
「オリジナリティ、ですか」
訳も分からず呟くと、また先輩は頷いた。
「俺たちオリジナルの呼び方だよ。そうでもしないと、キャンディちゃんすぐ辞めちゃいそうだし」
そう言うと、ポケットから棒つきあめを出して私の口に突っ込んできた。
「キャンディちゃんに、キャンディあげる」
口に広がった甘酸っぱい味で一瞬何を言おうとしたのか忘れたけど、
「やめたりなんか、しないですよ」
慌てて棒を手に持って言い返す。その勢いのせいか、先輩は驚いたような顔をして。
「そんな必死になるなんて珍しいな。ごめんね、大丈夫分かってるよ」
「半分欠けたら、崩れるじゃないですか」
棒つきあめなら、棒から落ちてしまうのに。
私の声は震えていたのだろうか、先輩は困ったように言う。
「崩れるなんて嫌だよ。ちゃんと球体のままで残しておこう。本当ごめんね、そんな思ってくれてるとは知らなかった。だから泣かないで」
ふわりと手を私の頭に置いて微笑み、棚からカメラを取り出してレンズを私に向けた。
「笑って、笑って」
反射的に口角は上げたけど、そんないきなり笑えるはずもなく。
私が戸惑っている間に、シャッターは切られた。
「え、なんで」
杏色の棒つきあめを握りしめて、変な顔して。
「なんでって、ここ写真部だよ」
可笑しそうに先輩は言って、現像しなきゃね、と1人頷いた。
「いや、知ってますけど、え?」
「今日は記念日だよ」
──新写真部発足記念日。キャンディちゃんの熱い思いも聞けたことだし。
先輩の言葉を聞いて、今更ほっぺが火照ってきた。
「写真部だもん。記念撮影くらいしなくちゃ」
と先輩は得意げな顔をして。
「あんず色キャンディに乾杯」
*
突然写真部のドアが開いたのは、確か雨の日のことだ。
「写真部、ですか?」
4月の終わり頃、新入生はとっくに部活を決めている時期だと思っていたのだが。
「入部希望なんですけど」
となにやら上質そうなカメラを抱えた彼女は、そう言って頭を下げた。
「今年はもう来ないと思った!キャンディちゃんにも後輩ができるんだね。どうぞ入って」
嬉しそうに先輩は立ち上がって椅子を彼女に勧める。
「入部届け持ってる?名前はなんていうの」
遠慮がちに浅く腰掛けた彼女は、木原 彩奈と名乗った。
「彩奈ちゃん?よろしくね」
先輩は自らも名乗ったあと、私の方を振り向く。
「2年生の、キャンディちゃん」
「キャンディじゃないですって」
そう言った自分の声は、やけに尖って聞こえた。
1年生が来てくれて嬉しいのに。嬉しいはずなのに。
「雨柳、杏佳です」
さっきの声を誤魔化すように、慌てて頭を下げる。
「新写真部発足記念日だね」
──先輩、その記念日はもう終わったんですよ。
*
彩奈ちゃんは、私のことを「杏佳先輩」と呼んだ。
やはりあの声は刺々しかったらしい。
「何か活動って、してないんですか?」
彩奈ちゃんがそう言ったのは、入部から3日目のことだ。あんなカメラを持っていた辺り、「写真部」としての活動を期待して来たのだろう。
「活動?そうだな……」
先輩は視線を泳がせて、頭を掻いた。
「何か、してたっけ?」
そう聞かれて、私も首を傾げる。
「私が知る限りでは特に」
彩奈ちゃんは、見るからに不服そうな顔になった。
「何かしましょうよ。ここ写真部ですよね」
崩されていく。なぜか、そう思った。
「活動、そうだね。何しようか」
先輩もそう言い出して、私は完全に自分の場所を見失ったように思えた。
私はただ、毎日ここに来て千草先輩と話せるだけでよかったのにな。
たまにくれるあめ玉をなめながら、散らかった部屋のガラクタで遊びながら、一緒に空を眺めながら。
「例えば、山で野鳥を探すとか」
彩奈ちゃんが次々を案を持ち出す声が遠く聞こえる。
先輩は何て返してる?
もしかして、私が来る前の写真部はもっと活発だったのだろうか。
私がそれを壊したのだろうか。
「──あ、でも写真部っぽい活動もたまにはしてるよ」
思い出したように言う先輩の声が耳に突き刺さる。
「え、何ですか」
明るくなった彩奈ちゃんの声もなんだか痛い。
「人物とか、撮ったことあるよ。あめちゃん持ってる子とか」
「あめちゃん?」
怪訝な声で彩奈ちゃんは聞き返し、私は思わず目を先輩の方へ向ける。
「あめちゃん持った子の、はにかみ顔。ここには小規模な活動が似合ってるんだよね。彩奈ちゃんの提案もいいと思うよ。彩奈ちゃんが部長になったら、野鳥探索連れて行ってあげて」
先輩が私の視線に気が付いて笑った。
「誰なんですか、その人」
意味が分からないといった彩奈ちゃんの声に、先輩は得意げに答える。
「欠けたら崩れるくらい、大事な人だよ」
先輩は深い意味もなく言ったのだろうが、私は思わず左手を眺めた。
そんな自分が恥ずかしくなって、窓の外に目をやる。
彩奈ちゃんは納得がいっていないようだったが、それ以上は何も聞かなかった。
*
「ごめんなさい、ここではやっていけません」
入部届けが出されて4日目、退部届けを手に持って、彩奈ちゃんは来たときと同じように頭を下げた。
「ごめんね、もっと活動できると思って来てくれたんだよね」
と先輩は困ったように笑ってそれを受け取る。
「お世話になりました」
そういえば、一度も彼女の撮る写真を見ないままだった。
「また、2人になったね」
寂しげな先輩の声に頷きながら、私は密かにこの状況を望んでいたのだろうか、と考える。
こんなのだから私は駄目なのか、と小さくため息。
「欠けたら崩れちゃう2分の1、よろしくね」
先輩がまたそんなことを言うから、今度は私から左手を差し出した。
嬉しそうな顔をした先輩がその手を握り返す。
「そういや、キャンディちゃんのはにかみ顔、現像できたよ」
「いらないですよ、恥ずかしいな」
「そんなこと言わないでよ。レアな写真部活動なのに」
言いつつ先輩はまたポケットから杏色の棒つきあめを出した。
「ほらほら、機嫌直して」
機嫌悪くないですよ、と文句を言いながらも私はそれを受け取る。
「これ、先輩の分はないんですか」
そういえば、いつも私にくれるばかりで先輩が持っているところを見たことがない。
先輩は首を傾げて、ポケットを弄った。
「おぉ、あった。知らなかった。これも杏色だね。最近ブームなんだ。俺の中で」
これ甘酸っぱいんだねー、と先輩はそれを口に入れて嬉しそうに言う。
私は目でカメラを探し、見つけたそれを手に取った。
「こっち向いて、笑ってください」
いきなりどうしたの、と戸惑い出した先輩の姿をレンズにとらえ、シャッターを押す。
「私のピン写だけとか恥ずかしいもん。仕返しですよ」
そう言うと、先輩はどこか照れたように笑った。
「せっかく撮ってくれたんだし、並べて置いておこうか。別枠ツーショット」
杏色のあめくわえて、完璧とは言えない笑顔のツーショット。
先輩は現像できたという私の写真を見て、私を見て、言う。
「キャンディちゃんは、キャンディが似合うね」
球体を崩さないように口であめ玉を転がしながら、私は首を傾げた。
「そりゃあだって、私たちオリジナルのキャンディですもん」
いいね、俺たちオリジナル。
先輩は笑って、口から取り出した一回り小さくなったあめ玉を眺める。
私も口から取り出した杏色の球体を見つめた。
「俺、あめは噛まない主義なの」
「私も、球体のまま残しとく派です」
そう言うと、写真部みたいだね、と先輩はつぶやく。
「半分かけたら崩れるところも、似てますね」
「大事な半分だね」
ですね、と頷いて再び口で溶かした杏色は、いつもよりも更に、甘かった。
杏の花言葉:
臆病な愛、はにかみ 等々。
ありがとうございました。