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Vermillion;朱き強弓のエトランジェ  作者: 甘木智彬
【彷徨える朱き強弓のエトランジェ】
75/126

63. 吟遊

今回は「Dehors Lonc Pre」という中世の曲を参考にしてみました。

http://crab.rutgers.edu/~pbutler/dehors.mp3

https://www.youtube.com/watch?v=ba7qSSwDjNw


 川のほとり。


 穏やかな陽光の差し込む木立に、軽妙な、それでいてどこか物悲しい音色が響く。


 馬車の傍、木箱に腰掛けた青年が、(ハープ)を爪弾きながら歌いだした。



「心の落ち着き 今はなく


 この胸は ただ高鳴るばかり


 かつての安らぎ 今はなく


 この想い ただ募るばかり


 彼の(ひと)いまさぬ 朝夕は


 荒野にも似て うら悲し


 この眼に映る 物みな全て


 冷灰のごとく 味気なし


 哀れ わがこの頭


 物に狂いて 常ならず


 哀れ わがこの心


 千々に乱れて 埒もなし


 ああ 心の落ち着き 今はなく


 この胸は ただ高鳴るばかり――」



 隊商がウルヴァーンを出立して、半日が過ぎようとしている。川沿いの木立で小休止を取る隊商の面々は、思い思いに体を休めながら、吟遊詩人――ホアキンの歌声に耳を傾けていた。


 ホアキンが歌うのは、どうやら一人の男が娘に恋をして、彼女の気を引くため無鉄砲な行動を繰り返すうちに破滅の道を辿っていく――という喜劇とも悲劇ともつかぬ恋歌のようだった。


 ネイティブな英語話者ではないケイにとって、歌詞の全てを聴き取るのは容易ではなかったが、それでも物悲しいメロディと、それとは裏腹なえげつない内容とのギャップには思わず苦笑を禁じ得なかった。ホアキンが真面目くさって、感情を込めて男の心情を歌い上げているので、余計にその落差が引き立てられ妙な笑いを誘う。


 この曲の趣旨はそういった皮肉な可笑しさを楽しむものらしく、隊商の皆も昼食を口にしながら大笑いしている。


「大したものだな……」


 大きめの切り株に腰掛けサンドイッチを頬張るケイは、演奏の邪魔にならないよう声を落とし、隣のアイリーンに囁きかけた。ホアキンは早めに軽食を摂っていたようで、休みなく歌い続けている。


「ああ。久々に音楽らしいものを聴いてる気がするぜ……」


 ケイと同じ切り株を分け合って、横にちょこんと座るアイリーンが、サンドイッチを咀嚼しながら頷いた。確かに、アイリーンの言う通り、音楽らしい音楽を耳にするのは随分と久しぶりのことかもしれない。


 蓄音機も電子機器も存在しない『こちら』の世界では、歌は人が歌うものであり、曲は人の手によって演奏されるものなのだ。これまで、酒場や村で人々の歌う民謡は幾度となく耳にしたが、『プロ』の演奏家の曲を聴くのは今回が初めてだった。


【DEMONDAL】のゲーム内にも、引退したプロのミュージシャンが幾人かおり、度々演奏会が開かれていたものだ――とケイは懐かしく思い出す。その点、ホアキンの演奏は、現代社会で耳が肥えていたケイとアイリーンからしても、文句のつけようがないほど素晴らしいものだった。


 いつもとは違う、賑やかな休憩時間を終えて、隊商は再び進み出す。


「見事な演奏だったよ」


 サスケに跨り、ホランドの馬車の横を進むケイは、荷台のホアキンに声をかけた。 


「やあ、お褒めにあずかり光栄です」


 ハープを片手に、荷物の木箱にもたれかかって座っていたホアキンは、照れたように脱帽して応えた。本当に、男から見ても惚れ惚れとするような美青年だ。あらゆる動作が様になる――それでいて気取った風もなく、いやらしさもないので、ついつい好感を覚えてしまう。


「『プロ』の演奏、しびれたぜ。夜も歌ってくれるんだろ?」


 ケイの隣で、スズカに乗るアイリーンが身を乗り出して尋ねる。


「ええ、もちろんですとも」

「そいつは楽しみだ」

「ご期待ください」


 和やかに話す二人。


 ちなみに、出立前にホランドからこっそり教えられたのだが、ホアキンは他人の女には手を出さない主義だそうだ。「だから安心していいよ」とウィンクするホランドの顔を思い出して、ケイは思わず苦笑してしまう。当の本人は、素知らぬ顔のまま御者台で手綱を握っていた。


「ホアキンおにいちゃんの歌、いいよねえ。あたしもあんな風に歌えたらなぁ」


 ホランドの隣、御者台に腰掛けるエッダが唇を尖らせて、ぼやくようにして言う。


「エッダは、声質がいいからね。いっぱい練習すれば、きっと僕よりもずっと人気の歌手になれるよ」

「ほんと?」

「うん、本当だとも」

「じゃあ、あたしも練習する!」


 にっこりと笑ったエッダは、足をぷらぷらとさせながら、先ほどホアキンが歌っていたメロディを、舌足らずながらもなぞり始めた。


「ホアキンもサティナを目指してるようだが、ウルヴァーンの前はどこにいたんだ? 吟遊詩人(バード)といえば、各地を転々としているイメージがあるが……」


 そんなエッダを微笑ましげに眺めながら、ケイが尋ねると、ホアキンは帽子の羽飾りをいじって「そうですねえ」と答えた。


「ウルヴァーンには一ヶ月ほど逗留しましたが、その前は東の、オスロという小さな街に滞在しておりました。その前は、さらに東の果て、辺境の都市【ガロン】に」

「鉱山都市【ガロン】か」

「ええ、ええ、そうです。ご存知で?」

「名前だけな。実際に訪ねたことはないよ」

「そうでしたか。熱気と活気に包まれた賑やかな街ですよ。周辺の村から出稼ぎに来る者も多いので、僕もなかなか稼ぎやすいんです」


 当然ながら、吟遊詩人であるホアキンの収入源は聴衆からの『おひねり』だ。極稀に貴族や商人に招かれて演奏することもあるようだが、安定しない。夏場は東の辺境で、冬場は暖かな西の沿岸部で、と旅しながら巡業するのが彼のスタイルらしい。


「あまり一箇所に留まっていても、『飽き』が来てしまいますからね。ガロンなんかは大きな都市なので、酒場を転々としていけばそれなりに稼ぎ続けられるんですけど、僕には旅が性に合っているようで」


 照れたように笑いながら、ホアキンはそう語った。ちなみにサティナには一ヶ月ほど滞在する予定で、その後は冬になる前に港湾都市キテネへと移動するそうだ。


「へえ、旅ばかりってのも疲れそうなものだがなぁ」

「こんな毎日ですから、旅のない人生の方が想像できないくらいですよ」

「移動は、やっぱり隊商と一緒に?」

「ええ、近場の村ならともかく、一人で旅するのはおっかないですね。特に、吟遊詩人なんかはお金を持ち歩く場合がほとんどですから、狙われやすくって」

「成る程、それは確かに恐ろしいな」


 しみじみと相槌を打つケイ。


「なあなあ、いろんなところに行ったことがあるみたいだけどさ。やっぱり、地域ごとに人気な歌って違ったりするのか?」


 アイリーンは興味津々な様子で質問を投げかける。ホアキンはポロロンと琴を鳴らしながら、「ふむ」と考え込んだ。


「そうですね。東の辺境では、明るい喜劇か、意外と恋歌なんかが人気ですね。逆に西の都市部では、英雄譚や冒険譚がより好まれているように感じます。尤も、初めはみな娯楽に飢えているので、どんな曲でも等しく歓迎されますが……」

「へえー。例えば、どんな歌があるんだ?」

「先ほどの『恋狂いのジョニー』なんかは、かなりの人気曲ですが、そうですね、最近といえば……ああ、交易都市サティナを舞台にした、『正義の魔女』事件の歌は、東の辺境でも大人気でしたよ」

「……『正義の魔女』?」


 首を傾げるアイリーン。


「ええ。しばらく前に、南から流れてきた同業者に聴かせてもらいましてね。サティナに巣食う麻薬の密売組織を壊滅させ、誘拐された幼い少女を救い出した、旅の魔法使いの話です。なんでも、つい最近起きたばかりの実話が元になっているそうで、その魔法使いは影の精霊を従える、息を呑むほどに見目麗しい金髪の乙女だったとか……」


 ホアキンは、ふとアイリーンを見やってくすりと笑った。


「そういえば、アイリーンも『金髪の乙女』ですね」

「えっと……うん、まあ……」


 アイリーンは何とも言えない顔で曖昧に頷いている。わかってて言っているのだろうか、と思うケイだったが、御者台のホランドとエッダを見ると何やら笑いを噛み殺していた。ひょっとすると、ホアキンは何も聞かされていないのかもしれない。


「それと他には……辺境で大暴れしたという北の大地の戦士『銀刃』の武勇伝や、北東の街オスロ近郊の山に現れるという『白き竜』の伝承……ああ、そういえば、ここらの村であったという『大熊殺しの狩人』の伝説、これも辺境で人気でしたよ」

「『大熊殺しの狩人』……?」


 首を傾げるケイ。


「ええ。小さな開拓村を襲った突然の悲劇――【深部(アビス)】より出でし恐怖、"大熊(グランドゥルス)"。山の如く巨大な怪物の襲撃に、あわれ無力な村人たちの命は風前の灯火かと思われた。が、まさにそのとき! そこに屈強な狩人が颯爽と現る。見上げるほどに巨大な化け物に、怯むことなく鋭い一矢を浴びせ、心の臓を見事撃ち抜いた――!」


 途中から、ハープを爪弾き、ノリノリで歌い始めるホアキン。


「ええ、これも人気ですし、僕もお気に入りの英雄譚です。なんでしたら、今夜、本格的にお聴かせしますよ。異邦の旅人が颯爽と現れ、人々の危機を救う話っていいですよねえ。黒髪に、深く穏やかな漆黒の瞳。その者、褐色の駿馬を駆り、面妖なる蒼き革鎧を身にまとい、朱き強弓を携え……」


 と、そこまで口にしたところで、ふとハープを弾く手を止め、ホアキンは眼前のケイをまじまじと凝視した。


 黒髪黒目で褐色の馬を駆り、青みを帯びた革鎧を装備して朱色の弓を携えた若き異邦の戦士を――


「えっと……」


 何とも言えない顔をしているケイを前に、硬直して視線を彷徨わせるホアキン。


「……ブッ。ンふっ、くふふ……ッ」


 と、そんなホアキンを横目でチラ見したホランドが、堪えきれずに噴き出した。


「……その、まさかとは思いますが?」


 恐る恐る尋ねてくるホアキンに、ケイはどう答えるべきだったのだろうか――




「――ええっ!? 嘘でしょう?! まさか貴方のことだったとは!」



 ホランドから事実を知らされた際のホアキンの仰天っぷりは、その後、隊商の皆の間でも語り草になったという。



 大興奮のホアキンの矢継ぎ早の質問に答えるうち、日は傾いていき、やがて隊商は小さな村に辿り着いた。



 今日は、この村で一夜を明かすのだ。アイリーンが"警報機(アラーム)"を取り出し、影の魔術を披露した際の、ホアキンの顔はなかなかに見ものだった。



次回、やり手の吟遊詩人に魔道具を売り込んでみよう の巻

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