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6月8日 午前07時18分

 外の木漏れ日が部屋の中まで差し込んできた。雀の鳴き声と木々のざわめきが私の耳に優しい余韻を残す。

 近くで流れている水のせせらぎは踏切の警笛によってかき消されてしまったけれど。

 下の階で流れているテレビのニュースも一緒になって私の耳に飛び込んできた。どうやらニュースの内容は、一昨日起きた環状線でのバス横転事故の物らしい。バスに乗り合わせていた運転手含む乗客全員が死亡、その事故の裏には格安バス会社の競争による激務がどうとか。

 そして次のニュースになるとアナウンサーは声音を高くして格安空港会社についてを報道している。何だか今回のバス事故の原因によって起こったことを本当に理解しているのって問いただしたくなる。

 鈍い頭で考えを巡らせている内に頭がはっきりとしてきた。目が冴えて全身を覆っている布団の熱が、途端に煩わしく感じる。

 ゆっくりと布団を引き剥がして外の空気に触れた。梅雨入り前の初夏の気温は想像以上に冷たく、すっかり冷え切ったフローリングに足の指先を置くと、氷の上に足を置くような感覚がして、思わず引っ込めてしまった。

 外はこんなにいい天気だというのに、私はあまり体調がよくない。さっきから頭痛がして上手く立ち上がることも出来ずにいた。だが、これは生まれつきの低血圧による物だから仕方ない。

 いまだふらつく足取りで朝食を取りに行く。今日も学校があるからのんびりなんてしていられない。


 朝食に注がれたコーヒーは熱い湯気が昇っていた。ほどよく焼かれたトーストにはマーガリンが塗られている。窓辺から差し込む日光を白い皿が反射していることによって、貧相な朝食がリッチに見えるのはなぜなのだろう。

 テーブルの中央には生ハム、それを取り巻くようにレタスが添えられている。ゆで卵が沢山入れられている容器のすぐ隣には食塩が詰まった小瓶が置かれている。

 私の母親はシンクで洗い物に専念しているみたいで、私が起きてきたことに気がついていないみたいだ。私は構わずに自分の席に着くと、用意されているマーガリンのトーストにかぶりついた。

 口の中で広がる香ばしい匂い、パリパリとした食感が口内を支配していく。

 マーガリンの甘い味が溶けて舌に絡みつく。舐めるように堪能すると、すぐに飲み込む。

 左手には泥水のごとく真っ黒いコーヒー。母はブラックコーヒーをこよなく愛しているらしく、そのせいなのか、私にコーヒーを差し出す時はいつもブラックだ。ていうかそもそもコーヒー好きじゃねえし。

 私はまだ眠たげな目でリビングに置かれているテレビを眺めていた。アナウンサーがニュースの内容を読んで、少しだけ感想を述べるだけ。機械的に行われるそれにいい加減飽きあきしていた。

「次のニュースです。先日××県桜見市で発見された、自殺した男性の身元が明らかになりました。男性の名前は桐野実さん、市内の会社員として勤めていて、数週間前から連絡が取れないとのことでご遺族から捜索願いが出されていました」

 桜見市というのは私が今住んでいる市。そこで最近自殺した人っていうのは説明するまでもないだろう。

「また、警察は桐野さんの体に外傷がないことからも自殺なのではないかという方面で捜査を進めていました。桐野さんのご遺族は『本当に残念です。息子には、まだ生きていてほしかった』と後悔の念を露わにしていました」

 桐野実。自殺した経緯については何も伝えられていなかった。おそらく遺書も何も見つからないまま、自殺と断定したのだろう。そちらの方がずっと利口ではある。

 結局、あの人がなんで死んでしまったのかは分からず終い。彼が死んだ意味って本当にあったのだろうかと、まだ考えてしまう。

 私は朝食を済ませると、急いで学校に行く支度をして家を飛び出して行った。


§


 学校ではもうすでに桐野実についての話題で持ちきりになっていた。高校生からしてみれば、こんな刺激的な経験が欲しかったのだろう。

 既に消えかかっていた自殺報道の反応は、また息を吹き返して再燃していた。男子はそのことをネタにウケを狙っている。女子はもっぱら男子のウケ狙いにヒンシュクを上げているが、実は彼女達も興味津々なのだと、女の私は何となく分かる。

「なんかさー、いいエサだよね。桐野実って人」

 ユカリがふらっと現れて声をかけてきた。その声に覇気はない、夜更かしでもしたのだろうか。

「こうなるってことは、多分予測出来なかったんだと思う。遺族には悲しまれても、まさか顔も知らない高校生に笑い物にされるなんて、ね」

 私は昨日読み終えたハードカバーを机の上に置くと、ユカリの顔を見ようと上を向いた。そこには予想通りのしかめ面をしたユカリがいた。

 誰でも冷静に考えてみれば「自殺」なんて話題は盛り上がれる物じゃない、むしろ落ち込む話題だ。それなのに面白おかしく晒し者にしているってことは、やっぱり日々の生活で刺激が欠けていて、それを補いたい顕れなのだろう。

「なんていうかさ……こういうのを見ると、人の喜びって他者の不幸だけでしか手に入れることが出来ないように思えるんだよね」

 ユカリは吐き捨てるように悪態をついた。


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