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6月7日 午後17時02分

 手に残る心地よい重さに満足する。ハードカバーのそれを1枚ずつ丁寧に捲っていく。

 静寂に包まれた空間に私の手の動きだけがリズミカルに響いていた。窓から差し込む斜陽はもうすぐ闇が訪れるという合図、でもそんなことも気にせずに本を読み続けていた。

 本を読むことは私にとって娯楽以上の価値がある。自分が知り得ない、到底手の届かない世界に埋没することができるから。

 ある意味自分自身が本の世界に意識を移せる事が好きなのかもしれない。無重力空間に放り出されて、くるくると回っているような平衡感覚が鈍った意識。

 自己陶酔にも似た何か。私はそんな曖昧なものに唯一の快楽を寄せていた。

 やがて閉館のチャイムが鳴ってようやく我に返る。そそくさと本の貸し出しの手続きを済ませると図書館から出た。


 湿った大気と身を貫くくらいに眩い斜陽が合わさって、相変わらず外は気持ち悪い。ガラスに反射する陽光は綺麗な飴色に染め上げられているけれど、中から聞こえる生徒の騒ぎ声で雰囲気ぶち壊し。

 私は左手に握られている本を落とさないように、さらにしっかり握りしめると帰路に向かって歩き始めた。アスファルトに響くローファーの振動が私の骨まで伝わって、なんだか気持ちいい。

 今日はいつもより良いことが多かった気がする。そう自問自答しながら、普段より軽い体を進めていると、後方から声がした。

 聞き慣れた声は2つ。いつもならこの時間帯には聞こえないであろう声は確実に私に向けられた物。

「ミカー! 一緒に帰ろうぜぃ!」

 飛びかかるように高良ユカリが私に抱き付いてくる。お前、コアラのように抱き付く側じゃなくて、コアラに食われる側だろ。

 背中から伝わる衝撃によろめきながらも私はユカリの顔を見た。泣き腫らした痕はあるものの、すっかり元気を取り戻したみたいだ。ひとまず安心。

 ユカリのさらに後ろにいる女子生徒、彼女も私の少ない友達の一人だ。

 ユカリとは似ていない、いやむしろ私に酷似している地味な女子。線の細過ぎる体は病弱であることを暗に示していて、そのため周りには「白骨系女子」などと不名誉な称号をいただいている。

 嘉川アヤ。周りの女子と比べてみると圧倒的に背が高くて、色白で、真っ黒な髪と日傘が特徴的な「ザ・日本女児」である。しかし、おしとやかというよりは内気、内気というよりは根暗。そんなイメージが周りにはあるらしい。

 アヤ曰わく、直射日光に長い間当てられると血圧が下がって気分が悪くなってしまうのだと言う。だから体育の時間は休みがちになり、登下校時にはいつも日傘を携帯している。

 色々と面倒な体質だけど、体育を堂々と休めるっていうのはちょっと羨ましい。

「今日は2人ともどうしたの、部活はなし?」

 ユカリとアヤは帰宅部の私と違って部活に所属している。ユカリは弓道部で、アヤは茶道部。2人はほぼ毎日部活だから、私と帰ることは結構珍しい。

「あ、うん。珍しく部活がなかったからね。そこでユカリちゃんと会ったの」

「アヤは黒い日傘を差しているからすぐに分かったよ。ミカはいつもの図書館帰り?」

 ユカリは私から離れて左手に握られている本をじっと見てきた。彼女は私とは違って本を読むのが好きじゃないから、私が本を持っていると大概難しい顔をする。

 ユカリは小さい文字が沢山連なっていると、読んでいて知恵熱が出るらしい。赤ちゃんか。

 でも、彼女は読書の趣味を否定したりすることはない。それはとても嬉しいことで、だから今でも友達としてやっていけるんだと思う。

 その時、遠くから聞き慣れない声が聞こえた。私が振り返るよりも先にユカリが振り返っていた。

「高良、今帰りか?」

 声の主は、ミス・桜見であり、この学校の生徒会会長の秋庭ナツメ先輩だった。でも何でユカリのことを知っているのだろう。

 ナツメ先輩は容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能、しかも処女という二次元から飛び出してきたような存在だ。流石は生徒会の会長を務めることもあってか、ハキハキとしていて無駄がない。

「はい、今友達と帰っている途中であります!」

 そういうユカリもいつものやる気のない態度とは一変していた。でも「あります」って、軍隊かよ。

「そうか、今日は部活がなかったからな。県大会まであまり日がない、休める内に休んでおけよ」

「はい。休んでおきます!」

 まるでオウムのようにナツメ先輩の言葉を返すだけのユカリは滑稽だ。やべ、普通に笑いそう。

 やがてナツメ先輩はその場から去って行った。彼女の姿が完全に見えなくなると、深いため息を吐いて姿勢を崩すユカリ。

「今のってナツメ先輩だよね、生徒会の。どうしてユカリのことを知っているの?」

 不思議に思った私はユカリに質問してみた。すると面倒臭そうに答える。

「ナツメ先輩って私と同じ弓道部の部員なんだよね、しかも部長。凄く厳しいからこうやっておかないといけないんだよ」

 ああ、なるほど納得。だからユカリのことを知っていたのね。でもユカリと話しているナツメ先輩は、ユカリと話しているというよりも、重要な弓道部員と話しているって感じだった。

 つまり、個人で見ていなかったというか。そこがなんとなく今の私に似ている気がした。好きにはなれないけれど。


 それから私達はだべりながら帰路をのろく歩いて行った。雲間から差し込む斜陽が私達の頬を赤く染める。沈みかけた陽光に比例して、通学路の隣の茂みにはカエルの鳴き声がそこら中に木霊していた。

 高校生活を謳歌するとは程遠いかもしれない、でも中学生の頃と比べたら驚くべき進歩だ。

 今では少しずつ笑うことも出来るようになってきている。これで、将来的には内気な性格が治ればいいとも考える。

「あ、そういえばさ」

 アヤの声に私達は立ち止まる。アヤから話題を提示するなんて珍しくて、不思議に思ってしまった。

「この辺りなんだよね。ほら、この前ニュースでやっていた」

 この場で言うべきかどうか迷っているようだが、「この前のニュース」が記憶に新しい私達にはそれが何なのか分かっていた。

「自殺した人のことね。ホント死ぬ奴って何考えてんのか分かったもんじゃないよねー」

 ユカリの冷たい言葉。自殺を否定しているんじゃなくて、単純に訳が分からないといった感じ。

 でも私には「自殺」の気持ちが何となくだけど、分かる。中学時代にいじめに遭っていたから。

 いじめられるのは勿論つらいことなんだけど、それ以上に「私の味方は誰もいない」っていう不安や惨めさが勝ってしまうんだ。だから、つらいのと、死んだら誰かしら悲しんでくれるだろうっていう下心で腕を切った事がある。そのことは、ユカリ達に話したことはないけれど。

 この辺りで自殺した人だってそんな気持ちだったんじゃないのかなって考えてしまう。年齢も性別も違うし、就職難な今時は死ぬ理由も様々だろうけど。

 ユカリの容赦ない「自殺」の貶しにアヤは困ったように苦笑いを浮かべた。その時、何となくだけど思ってしまった。

 アヤも、自殺をしたことがあるんじゃないかって。

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