6月7日 午後15時52分
まだ夏が始まる前。天気予報ではすっかり梅雨入りしていると宣言していたのに、外を眺めればこの晴天だ。
眩しい陽光に目をくらませながら、輝くグラウンドを駆ける陸上部の姿を追いかけてみた。
豆粒のように小さくなった彼ら、途切れとぎれだけど発する声に士気がある。その豆粒になった群集の中にタモツ君は結局見つけることが出来なかったんだけど。
いい加減日光で目がチカチカしてきたので、今度は影が落ちた教室の中を見回してみた。
明るい空間からすぐに薄暗い空間に目を移したので辺りが把握しにくい。でもそんな状況でも分かるくらいにオーバーなことをしている人間が私の隣に一人。
女生徒が泣きじゃくっている。両目どころか顔全てを真っ赤に染めて、他人の目すらはばからないで。その光景に人が少なくなった放課後でも、嫌でも目がつくようで教室に残っているクラスメイトは私達をジロジロと見ていた。
私は形だけでも慰めている。「大丈夫?」なんて安っぽい言葉を投げかけて。本当は面倒臭いのだけれど、でもそうしないと周りの目が痛く感じるから仕方なく。
ユカリは本日、午後13時12分にてフられたらしい。正確には相手が浮気をしていて、それがバレるや否やユカリを切り捨てたって感じなんだけど。
ユカリのお相手は陸上部エース、この南・桜見学園の最終兵器、田端タモツ君だ。成績優秀でスポーツ万能、しかもイケメンだからユカリが恋人だと釣り合わない感じがしていたのは正直な所だ。
ユカリだって周りと比べれば十分に可愛い。でもタモツ君と釣り合うのはミス・桜見のナツメ先輩だと思っていたけれど、いくら身体面で万能だからって性格がクズじゃ並以下だよね。
ご本人が泣き崩れている隣で元カレをヒットラー級の悪役に仕立て上げている私はきっとスターリン級の悪役に違いない。
「ミカぁ、私どうしたらいいか分かんないよ」
そう言って泣きじゃくった顔で私に詰め寄るユカリ。うん、分かったけど顔が近い。涙が溜まった目を思い切り擦ったみたいでマスカラが取れて強制パンダメイクになっているから。
私としてはあんな人類の敵みたいな男のことはすぐに忘れて新しい恋を見つければっていう意見なんだけど。恋したことないけど。
それだというのにこの天然バカ女「ユカリっち」は何を思ったのか、「決めた。私はもう恋をしない」という意味不明なことを爆弾のように投げつける。もうお前「ユカリ」じゃなくて「ユーカリ」として生きろよ、それでコアラに食われろよ。
高校2年生の初夏、梅雨入りすらしていないこの時期にユカリは私こと「ミカ」によく分からない宣言をして幾多の戦いを交え、生還した英雄のように言いたいことだけ言って颯爽と立ち去っていった。マッカーサーか。
ようやく静かになった教室。人の扱いは疲れると心の中で愚痴って、自分の鞄から取り出した文庫本を読み始めた。あと僅かなページ数しか残っていないそれは、ここで読み切ってしまって図書館に返そうという意思。
グラウンドから聞こえる笛の音が新緑の匂いに混じって風に乗せられてここまで届いてきた。
梅雨入りはまだだとしても湿気は残留しているみたいで全身が水分の薄い膜で覆われているみたいで気持ち悪い。
ページを捲る音が心地よい。紙がこすれる音、インクの匂い、手に伝わる小気味よい重量感。本を読むことが好きな私は今の女子高生にしてみれば珍しい部類なのかもしれない、しかも読むジャンルは日本文学から外国文学まで多岐に渡る。代わりにマンガはあまり読まなくて、だから趣味が合う人なんて滅多にいない。
周りの皆はオシャレをして、カラオケに行って彼氏を作って、そんなことばかりだから趣味なんてまるで交わらない。
交わろうと思ったこともないけれど、私は群れるのが好きじゃないし。
オシャレに無頓着な私は決められた制服を決められた通りに着て、スカートの丈なんて規定よりも数センチ長くしている。一度も染めたことのない黒髪は3つ編みにして2つに束ねているだけ、可愛らしいヘアピンだとかカチューシャはほとんど付けない。
子どもの頃から本を読んでいた影響か、すっかり目が悪くなって今では分厚い眼鏡をいつも付けていないと全てぼやけて見えてしまう。
そんなあからさまに文化系な私が、どうしてユカリのようなあか抜けた女子と友達になれたのか。ページを捲る最中にふと頭によぎる。
特に彼女にとってプラスなことをした覚えはない。そりゃあ、友達というよしみでテスト勉強の手伝いなんかはしたけれど。
でもそれは彼女との中を深める物ではなくて、結局なんで彼女と仲良くなれたのかは分からないまま闇に葬り去っていた。
読み終わった文庫本を閉じて、立ち上がる。椅子の足にくっついている4つの硬いゴムが木の床を引きずった。甲高い悲鳴に耳を塞ぎたくなる。
私が立ち上がると教室に残っていたクラスメイトが私を見る。途端に気まずくなった。
まるで私が害を為す物みたいに思えてしまって、途端に腹の底から這い上がってくるドス黒い何かに支配されそうになって。
机に置いてある鞄を拾いあげると、逃げるように教室を出て行った。