ユーシアを継ぐ者
妹に呼び出された私は、本来の主が不在であるはずの執務室へと移動すると、その扉を叩いた。
「はい、どうぞ」
「私よ」
「あ、アロウズお姉ちゃん」
書類と睨めっこしていた渋い顔から一転、私を見た妹――クーナは満面の笑みを浮かべた。私もそれに釣られて笑みを返しながら、執務椅子に座るクーナの横まで移動する。
「で、そのアロウズお姉ちゃんに何の用?」
「実は」
言い辛そうに俯き、両手の指をもじもじとすり合わせるクーナは、とても可愛い。今すぐ抱きしめてしまいたいくらいに。
いや、むしろ抱き着いた。
「お、お姉ちゃん」
「んー、可愛いクーナの頼みなら、なんでも聞いちゃう」
「あ、は。アロウズお姉ちゃんって、他の人がいない時は人格変わるよね」
「あら、クーナだって彼が居ると、ちょっと余所余所しいじゃない?」
「う、だって、お兄ちゃんには良く見られたいし」
そんな姉妹らしい会話をクーナとしている事に感動していた私だが、当初の目的を思い出し、話を元に戻す。
収拾がつかなくなる前にそうする事も、姉の務めだ。私がそう決めた。
「で、何か面倒なお願い?」
「うん」
「もしかして、恋愛相談とか?」
「えっと、そんな感じではあるんだけど」
クーナと視線がぶつかる。
しかしすぐに逸らされてしまい、可愛いなと苦笑しながらクーナが自分で切り出すのを待ってあげる事に決め、私は微笑み返すだけで沈黙を守り続ける。
「えっとね」
それだけ言うと、クーナは再び言い辛そうに口ごもる。
しばらくそうしていた後に切り出したクーナの話に、私は驚きつつもクーナの思いの強さを再び思い知らされた。
「次期領主を、代わって欲しいの」
「え、私が?」
「うん。アロウズお姉ちゃんだって、継げるでしょ?」
私は家出した身だし、と口にしようとして、そもそも現領主自体が突然降ってわいた継承者である事を思い出し、その辺は口にしても無駄かなと考える。
彼が私達のおじい様だなんて、未だに信じられない事実だ。
聞かされたあとも、冗談を言っているだけで実は兄妹だろうと思ってたから、ユウ母さん以外の母親から生まれた妹とギフトで血縁確認して貰ったけど、結果的におじい様だって言う証言の信憑性を補強する結果になっただけだった。
「そうしたらほら、すぐにアロウズお姉ちゃんが領主になって、次期領主は」
「あの子、か。うーん、確かに魅力的な話ね」
次期領主ともなれば、色々な教育を受けさせる事が出来る。おばあ様の教えにより教育の重要さをよく判っている私としては、可愛い可愛い我が子に出来るだけ良い教育を施してあげたいと思うのは、当然の事だ。
でもそれには、責任と言うものが付随する。
「やっぱり彼の事、諦めきれない?」
「うぅ、ダメ?」
「諦めないのは良い事だけど、あの話が本当なら、彼の奥さんって、おばあ様な訳でしょ?」
「うん」
ごく個人的な意見を言わせて貰えば、若さ以外でクーナが勝てる要素は皆無だと、私は思う。
もちろん、尊敬するおばあ様に対する贔屓目はあると思う。それでも、彼の性格まで加味すれば、絶望的だろうと私は予想している。
「ずっと一緒に居てくれるって約束してくれたんでしょ?」
「うん。でも」
「不満?」
「ううん。悔しいの」
その悔しい、には言外に羨ましいと言う言葉が混ざっている事を、私は聞き逃さなかった。
彼に愛されているおばあ様だけでなく、身近にいて堂々と愛を伝える事が出来ている存在、すなわち、フレイと言う名の傍付きにも、クーナは嫉妬しているのだろう。
クーナが好きだと口にすれば、彼は慈しみの表情で俺もクーナの事は好きだよと答えてくれる。それがフレイだったら、いや、俺は、と困り、慌てる事だろう。
そんな反応の差から、自分が完全に女として見られていない事を知っているクーナは、それがとても悔しいのだろう。もっとも、好きな相手に告白して、困った顔をされるフレイの方も相当に複雑な心境だろうと私は思う。好かれているのに愛されないのは、辛いはずだ。
「クーナ、よく考えなさい」
わざと厳しめの声を出し、私はクーナを睨む。
今、この子を叱れる身内は自分しかいない。それ以外の妹達――クーナにとっては姉にあたる――は、見捨てられて公国に突き出される事に怯えてクーナに強くモノを言えないし、現領主様はクーナに甘い。周りの人間も、次期領主の立場を持つ相手に積極的にそう言った事をしない。フレイあたりならば頼めばやってくれそうだが、恋の好敵手にあえて手助けするとも思えない。
「なに、を?」
「貴方はただ、逃げているだけ。悪いのは自分の立場で、それを解消すれば彼も相手をしてくれるはずだ、って」
私の言葉にびくりとするクーナ。
それは、私が何を言いたいのか、判っているからこそのものだ。
「彼はクーナ、少なくとも今のクーナとそう言う関係になる気はない。貴方がどんな立場でも。まず、それを認めなさい」
「う、でも、それじゃ」
「約束したんでしょう?」
それは、先程の一緒に居る約束とは別件で、5年後を楽しみにしていると言う彼の言葉から始まったと言う、クーナを元気づける為の約束。
それ自体は直接2人が結ばれるような内容ではない。でも、私が言いたいのは、そこではない。
「それまでに、良い女になればいいのよ」
「で、でも今」
「それまでは徹底的に他の女の邪魔しちゃいなさい。彼にも、約束したんだからって可愛く迫ればいいのよ」
その光景を思い浮べた私は、ついつい笑みを零してしまう。
女として見ておらずとも、孫として可愛がっている彼にとって、そのお強請り方法はかなり効果的だろう。
「ん。そっか。そうだよね。私は子供で、どうがんばったって大人っぽい人には勝てないん、だもんね」
そう言って胸のあたりを触るクーナ。最近はそれなりに成長してきたらしいそこだけなら、彼の傍付きであるフレイも似たようなものだと、私は知っている。
そんな事はさておき、私はクーナにきちんと現状を把握させる為にも、その誤解を訂正する。
「それは違うわ、クーナ」
「へ?」
「今は、勝てないの。だったら、勝てる様になれば良いの」
その為の5年待つ約束だと考えれば、むしろクーナにとって有利なくらいだ。
5年経てば、クーナも間違いなく立派な女性、いや、良い女になる。そして彼の周りの女性たちにも同じだけの時間が経過する訳で、そうなれば若さはむしろ武器となる。
「5年の間に、なびかない彼に他の女が諦めればよし、そうで無くともクーナはおばあ様の若い頃にそっくりなんだから、色々と有利じゃない?」
「あ、そっか」
私の指摘を受け、クーナが驚く。どうやら、血縁による不利に目が行って、そこに気付いていなかったらしい。そんな抜けたところも可愛いなと思いながら、私はもう1つ伝えねばならない事があると真剣な表情でクーナを見る。
外見と色香だけ磨いて、内面と礼節を疎かにされては、この子の姉として母さんやおばあ様に申し訳が立たない。
「それまでにクーナがやるべき事は、女を磨く事と、何?」
「ユーシアを立て直す事!」
「正解」
さすが我が妹だと心の中で身内自慢をしながら、私は最後の言葉を口にする。
おばあ様には申し訳ないけれど、私はどちらかと言えばクーナの味方なのだ。
「その後でもまだ代わって欲しいって言うなら考えてあげる。
私は、貴方からでも領主を継げるんだからね」
そうすれば、問題無く彼と一緒になる事も出来るはずだ。倫理観とかそう言うモノなんて、愛の前には些細な事なのだから。
とは言え、どちらかと言えば潔癖そうな彼の心を奪い取ろうと言うのであれば、いや、それは考えないでおこう。私は、おばあ様が大好きで、折角会いに行ける環境に戻って来たのだから、長生きして欲しいと思っている。まぁ、まだおばあ様の所在も近況も判っていないのだけれど。
おじい様にはもっと気合を入れておばあ様の捜索をして貰わなければ、などと考える私の胸に、クーナが飛び込み、抱き着いて来た。私が言いたい事に気付いたのだろう、その顔には満面の笑みが浮かんでいる。
「アロウズお姉ちゃん、大好き」
「はいはい。でも、彼の次に、でしょ」
呆れた様な表情を作りながらも、私は少しだけ家を出てしまった事を、この子がここまで成長する姿を見られなかった事を悔しく思った。旦那と子供の事があるので後悔はしていないが、もしかしたら両立する術があったかもしれない。そんな風に考えてしまった。だからこそ、今の私は余計にこの子の幸せを祈ってしまう。
ユウお母さん、アイント父さん。娘が、クーナが幸せになれるように、どうか見守ってあげてください。
クーナ、決意するの巻でした。でもなんだかアロウズメインっぽいですね。
さてさて、優斗くんはこの強力なタッグにどう対応するのでしょうか。
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