従騎士見習いの終わり
きっとこれは、恩人を裏切った罰なのだろう。私が大嫌いな恩人の。
私、ミルドが彼の前に差し出されたのは、生贄としてだった。そんな私を、彼は救ってくれた。少なくとも、表面上は。
彼は貧しかった私達親子に十分すぎる収入を与えてくれた上に、村での不当な待遇を、契約により改善しようとすらしてくれた。
そのせいで彼が去った後、私達の村での扱いは一変した。
今まで課されていた村の仕事は無くなり、その代わりに誰も私達親子と関わる事がなくなったのだ。
最初こそ宿の一家は良くしてくれたが、村からの圧力でもあったのか、段々と関わりはなくなっていった。
彼は良い人間だった。しかし、思慮の足りない人間でもあった。
何をしてはいけない、と言う契約で得ようとしたモノが、何もしない事によって脅かされる可能性に気づかない程に。
ある意味で今まで以上に酷い排斥を受けながらも、あの頃の私はまだそこまで彼を恨んではいなかった。
彼が戻ってくれば状況は変わる。そう思っていたからだ。しかし、その思いを裏切る内容の手紙が、彼から寄せられた。
ユーシアで働く事になったので、しばらく店をお願いします。
その報を聞き、苦しい生活の中で恨みと絶望の淵に居た私に差した一筋の光明、それがロード商会の買付商隊だった。
正確にはロード商会に属する男性で、私の不遇に同情し、村を出る方法を提示してくれた。
彼は正直者だった。自分が私の結婚相手候補としてここに連れてこられた男の1人である事を暴露した上で、結婚してくれるならその手柄と配偶者、すなわち無償に近い労働力を持つと言う優位で新支店の支店長候補の上位に食い込む事が出来るのだと。だから、夫婦生活が嫌ならば仕事上の相棒だと思ってくれて構わないと。
未だに死んだ夫を忘れられない私にとって、その提案はこの上ない好条件だった。娘に普通の生活をさせる為ならば、夫婦ごっこをするくらいはあの人も許してくれるだろう、と言う言い訳が出来ると言う意味で。
私は彼と契約を結び、お互いに裏切れない関係を築き上げた。そして予定通り、彼は公国内に出来た新支店の1つを任される事になった。
そんな穏やかで幸せな生活は、数か月と続かなかった。
彼が、不穏分子として商会から弾圧を受けたのだ。
それがユーシア領主に害為す者への粛清であると言われ、最初こそ意味が判らなかった私だが、その名を聞いてすぐに理解した。私に逃げ場はないのだと。
私と新しい夫は、一蓮托生の契約を結んでいる。それは、彼がおちぶれる時は私も一緒である事も意味する。
だから私は懇願した。せめて、娘だけでも逃がしたいから、手伝って欲しいと。
彼は良い夫であり、良い親でもあろうとしてくれたのだろう。最後の伝手と資金でミレネを逃がすと、私に優しく寄り添ってくれた。いつ来るとも判らない、しかし必ずやって来る断罪の日を待ちながら。
*
その日、ヴィスと共に優斗の護衛についていたトーラスは、懐かしい、しかしあまり良い思い出の無い相手の登場に、なんとか無表情を貫きながら護衛の任を続けていた。
「お久しぶりでございます、領主様」
「お久しぶりです、えっと、村長さん、とお呼びしても?」
「もちろん、かいません」
本日、優斗との謁見をしているのは、トーラスの故郷で村長をしている老人と、村の交渉役だ。
交渉役の彼はトーラスが去った後に一度その職を失っているのだが、トーラスはそれを知らず、今も交渉役なのだと誤解している。
一方、村長たちはトーラスの存在に気付いていない。
彼は年齢と見た目と言う要素で舐めらた事のある経験から、フルフェイスの兜を身に着けているので、それはある意味当然といえる。
「シールズさんもお久しぶりです」
「おう、久しぶりだな」
「シールズ!」
「構いません。その節はお世話になりました」
「はっは、白々しいなおい。
で、領主さんよ。これが前に聞いた、ちょっとした儲け話ってヤツだったのか?」
この場にアロエナでの一幕を知る者はおらず、当事者同士が視線を合わせ、にやりと笑う。
そんな中、トーラスはその後ろに立つ、小さな人間らしきモノに視線を向けていた。
上から布を被され、中身の見えない小柄な人物。身長は村長やシールズよりかなり低く、恐らく性別は女、と予想しながらも、トーラスは警戒する。
屋敷に入る前に門番が確認しているはずではあるが、中の人物が武器を持って優斗に襲い掛からないとも限らないからだ。トーラスとは優斗を挟んで逆隣りに立って居るヴィスも同じ事を考えているのか、視線は自然とそこに集中している。
「それで、今日の用件は何でしょうか?」
「実は、我が村の事で領主様に至急ご相談したい事がっ」
空回る程に気合の入り過ぎている村長に、トーラスは内心でため息を吐きながらも、視線は怪しい人影に固定し続ける。
トーラスは村長に良い印象を持っていない。その理由の大半が、友人とその家族が被害を被っていたからと言う理由だ。
そう言った意味でも、トーラスは優斗に感謝していた。
将来の夢を叶える資金を貯め終えたにも関わらず、村を出る決心がつかなかった理由。それを解消してくれたのだから。
「俺が説明していいか、領主さんよ」
「もちろんですよ、シールズさん」
「んじゃ、遠慮なく。
あんたと結んだ契約のせいで、村の商品が売れねぇんだとよ。取引先が潰れちまったからな」
取引先と言うのはもちろんロード商会の事であり、その支店、と言うか公国中の支店が軒並み潰れた原因は優斗にある。
ただ潰れただけならば、キャリスの様な後釜狙いの者がやってくるところだが、残念ながらこの村にはもう1つ契約が残っている。それが、優斗の優先買付契約だ。
「あー、すいません。すっかり忘れていました」
「さすが領主だな。村人の生命線を、はした金扱いたぁ」
「シールズ!」
「まぁまぁ村長さん、そんな事より、ここに来たと言う事は、何か提案があるのでは?」
「その通りです! シールズ!」
「はいよ」
上機嫌、と言うよりは何か楽しそうな雰囲気のシールズは、1枚の紙を取り出す。
優斗が無防備にも立ち上がり、自らの手でそれを取った事に呆れながらも、トーラスは直立不動のまま、いつでも飛び掛かれる心構えを整える。
「なるほど。いいんじゃないですか?」
「ありがとうございます、ありがとうございます。では、定期的に納品をさせて頂きます」
「んー。こちらから引き取りに行ってもいいんですが」
「その分、値下げしろってか?」
相も変わらず挑戦的な言葉遣いのシールズに、トーラスは何故それを許すのかと一瞬だけ優斗の表情を確認する。とても、楽しそうな笑顔を。
優斗側からすれば、騎士団の演習ついでにでも引き取りに行けば費用が浮く。幸い、村のあるクロース領の領主とは懇意であり、武装を最低限以外関に預けるなどすればそれも可能だろう。
逆に村側は、得る機会の少ない現金は、出来るだけ多く得ておきたいと言う魂胆がある。労働力は村人であり、買い出しや買付と同時に行えば、こちらも元手は有ってない様なものだ。
「我々が運べば、かかる税金は最低限で済みますから」
「人が来りゃあ、稼いだ金をちったぁ落としていくぜ?」
理由が無ければ村から遠いユーシアまで、わざわざ買い出しに来る事はない。シールズの主張はそう言う意味を含んでいる。
浮く費用と増える収入。そこに僅かでも活性する経済効果を足して比較すれば、ユーシアにとってシールズの案の方が利益が大きい。更に、交通による税が発生するのはユーシアだけではないので、恩を売ると言うほどではないが、クロース領に好印象を与える事くらいは出来るかもしれない。
「そうですね。ところでシールズさんは、何時の間に交渉役に戻ったんですか?」
「ん、あぁ。別に戻ってねぇよ。流れの交渉人らしく、雇われたんだよ。この交渉の為に」
その返答を聞いている間に、優斗は紙を1枚準備させると、思案顔で何かを書き込み始める。
納品の時期や回数、買取数、そして価格。おおまかにそれを記しながらも、毎回の交渉で話し合いにより変動させる旨を書きこんだ優斗は、再び立ち上がると、やはり直接それを村長に手渡す。
「おぉ、ありがとうございます。ではこれを」
「いや、ちょっと待て。この街でアイツ以外に売るなって項目はマズいぞ。売れ残るよりは多少安価で買い叩かれても、って事になりかねねー」
まともな商取引での交渉が楽しいのか、それとも何か思うところがあるのか、シールズの指摘を優斗はとても楽しそうに聞いている。
そして悪びれる様子もなく、そんなつもりは無かったんですけどね、と告げてから条項の内容を摺合せ始める。
「では、うちで売った価格よりも、3割以上高く売ると言う事でどうですか?」
「かわんねーだろーが」
「ちなみに、そちらの希望は?」
「条項の削除に決まってんだろ」
この売買交渉は、基本的に優斗が有利な立場である。
身分差はさておき、元の契約が存在する以上、優斗が優先的買付権は保持していると言う事実は揺るがない。
村長は隠し通せているつもりだが、優斗はきっちり気付いている事実も、優斗にとっては優位となる。
ロード商会が優斗のように甘い契約を行うとは考えづらく、恐らく他の商会との取引は全面的に禁止していただろうと優斗は予想している。実際にその通りであり、正確には一定期間、と言う前提でロード商会以外への販売が、契約により禁止されている。
今回、この一定期間と言うのが問題だ。その売上を見越して村の財政、と言うか食糧配分を緩く計算していた村長は、ロード商会が撤退した事で収入源を失い、慌てた。買い取って貰えない場合の違約事項は存在せず、ロード商会自体は存在するので、一定期間が経過するまで、村は契約に縛られる羽目に陥ったと言う訳だ。
「しかしですね、シールズさん。それじゃあ、買取価格を上げないと他に売る、と言っているようなモノではないですか」
「優先買付契約があるだろーが」
「あれは、店で使用する分と言う条項がありますし、何より、生産者から直接となっています。村長が一度買い取ってユーシアへ運ぶ許可を与えたら、ねぇ?」
ロード商会の契約内容は優斗との契約が前提となっているので、優斗のみロード商会の契約に縛られずに――正確には前の契約を破棄する事で――蜂蜜の買付が可能だ。
無効にした瞬間、優斗は自分の出した優先買付権を失う事になるのだが、優斗はあえてそれをはっきりと口にはしない。シールズの方も、この条件撤廃は絶対に通るはずのない提案と判って居て、口にしている。
「その条件を呑んでもいいが、こっちからも1つ条件がある」
「なんでしょう」
「交渉が決裂した時でも、最低限村人が生活出来る分だけは買い取れ。
売値は要交渉、決裂時は平均相場の9割でどうだ? もちろん、相場は卸値だ」
その条件自体は双方が無茶な価格設定をしない為には有用であり、優斗にとってそれほど大きな不利はない。
村長が村が飢え無い為の方策が無いかとシールズに尋ね、その結果考えられた条項である為、これ自体に領主を騙して利益を得る目的は無い。
ただし、提案したシールズには別の思惑が存在しているのだが。
「呑みましょう。では、早速契約を」
「おう」
その場で契約書が作られ、前回の契約の破棄と違約事項を追加で盛り込んだ内容を優斗とシールズ、そして村長がその内容に同意すると、優斗は振り返り、指示をだす。
「トーラス、契約を」
「はっ」
「トーラス? おぉ、もしや、領主様と共に我が村を出た、あのトーラスですかな!?」
「えぇ、その通りです」
「立派に領主様のお役に立っておるようで、村長として誇らしい限りです」
嬉しそうな、そして白々しくもある村長の反応に、トーラスは兜の中で眉を潜める。優斗やシールズも表情にこそ出さないが呆れている。唯一違う反応をしたのは、肩をびくりと揺らした3人目の小さな人影だけだ。
「では、契約をはじめます」
「おぉ、頼むぞトーラス」
「頼む」
「いいえ。これも仕事ですから」
まだ11になったばかりとは思えない、落ち着いた声でそう告げるとトーラスはギフトを使用する。
そして契約を終えるとすぐさま下がり、元の場所へと戻って行く。
「さて、謁見はこれで終了と言う事でいいですね」
「いやいや、領主殿。契約に則って、購入して頂きたいものがある」
少しだけ畏まった風の言葉遣いで、シールズがにやりと笑ってから、後ろに控えていた人物を前へと押し出す。
領主に就任してからそれなりに経つ優斗は、これまでに何度か見た光景にため息を吐く。
女好きと名高いユーシア新領主に取り入ろうと、女を差出す者はそれなりに存在している。優斗はそのほとんどを断っているが、極稀に抗いきれず押し付けられてしまったり、優斗が断ると大変な事になりそうで仕方なく引き取った者が何名か居る。最低限、ユーシアへ恩を売ったとされない為に、藍川優斗個人として受け取ったと言う建前だけは崩さなかったが。
「どうぞ、ご覧ください」
村長によって布が取り払われた瞬間、優斗はその下から現れた怯える少女が誰だか判らなかった。しかしすぐに、隣に立つ護衛が思わず呟いた言葉で相手の素性を知る事が出来た。
知ったと同時に軽い混乱に見舞われた優斗は、ほくそ笑むシールズに視線を向け、動揺を見せた事を後悔したが、既に遅い。
「今回、契約の関係上、村で蜂蜜を買い付ける事が出来なかった。だから代わりにこいつを買って貰いたい。契約通り」
「それ、は」
「お前を裏切った女の娘だぜ? さぞ、高く買ってくれんだろ?」
現在、村には次の収穫まで暮らせる備蓄が存在しない。それ故に、契約に則って村から持ってきた商品を買え、と言うのがシールズの主張だ。その項目に、買取を蜂蜜に限定すると言う文言は存在しない。優斗はそれに気づいていたが、蜂蜜が全滅するなど、事故や災厄が起こった場合を想定して指摘しなかった。人が売られてくる可能性はもちろん考えていたが、よっぽど追い詰められていなければ買い取る様な状況にはならない様に契約の文言を設定していた事もあり、どちらにしても売られて行くなら、と考えた。
それにも関わらず、何日か滞在した村から知り合いが売られてくる可能性を実感として感じ取れていなかったのは、優斗の未熟だ。
「何故、ミレネがここに?」
「ちょっと前に村に戻って来たんだよ。で、契約上、村の仕事をさせる事も出来ないだろう?」
シールズは嬉しそうに、村がミレネに金を貸した事を証明する書類を差出す。違約事項は、この手の契約書にありがちな、奴隷として売られると言うモノだ。
この違約事項は、彼女とその母親を守る為の条文が入った契約が生きている間には実行出来ない内容だ。しかしそれは、ついさっき無効状態になった。
だからこそ優斗は、シールズたちが借金の肩代わりをさせる為にここへやって来たのだと勘違いしていた。
故に、優斗はその額面を確認すると即決用に持っている金貨を取り出し、利子分も含めて契約書の置かれた台へと並べる。
「これでいいか?」
「確かに。村長」
「おぉ、ありがとうございます」
嬉しそうに金貨を仕舞い込む村長。シールズは相変わらずニヤついた表情のままでミレネを前に押し出す。
そこでようやく、優斗は気づく。ミレネが、自分に怯えている事を。
てっきりシールズ達に、もしくは優斗が支払いを拒否する事に怯えているのだろうと考えていた優斗は、何故自分が怯えられているのか考え、気づいてしまう。
ミレネの母親は、ロード商会と共に村を出た。それは優斗に対する裏切り行為であり、恨まれていると考えるのは当然の事だ。
未だに雇い入れた従業員と言う感覚でミレネを見ていた優斗は、彼女を救う為に即決で支払いを行った。それはミレネから見れば、即決して支払うほどに自分は恨みを買っていると解釈出来てしまう。
とは言え、誤解は後で解けば問題ない。そう考えた優斗は、出来るだけ早くこの場をお開きにしてしまおうと考えるが、シールズはそれを許さない。
「ところ領主さんよぉ。まさか、自分を裏切って、あんな大きな損害まで出させた相手を無罪放免にはしないよな?」
シールズは優斗が好きではなかった。嫌いだと言っても、過言ではない。
第一印象は最悪で、職を失った原因であり、何より甘い癖にきっちり利益を持って行く。流れの交渉役をしている時にも何度か優斗の成功話を聞いており、今では領主様だ。
シールズはミレネを売り払った時点で村長との契約を完遂している。だからここから先は、利益もない、完全に彼個人によるものとなる。
「是非、こいつをどう処分するつもりか教えて貰えないか?」
「っ!? それは私が決める事です。貴方には関係ない」
「領主ともあろうお方が、敵に情けをかける気じゃないでしょうなぁ」
愉しそうに告げるシールズ。
優斗は視界の隅で怯えるミレネの形がびくりと跳ね、次いで後ろに控えるトーラスの気配が変わった事を意識しながら、どうすべきか考える。
今の優斗は一介の商人ではなく、ユーシアを治める領主なのだ。そしてミレネは、母親と共に優斗を裏切り、商売を1つ潰した大罪人だ。少なくとも、結果と過程を調べれば、そう見える。
シールズはそこを、的確について攻撃を続ける。
「そんな弱腰じゃ、色々と困る事になるんじゃあないですか? なぁ?」
にたりと笑うシールズ。
言外に、きっちり処分しなければ領主が弱腰であると吹聴して回ると脅しているのだ。下手をすれば対外交渉で舐められる可能性もあるし、信用が揺らげば治安の悪化にも繋がる。
それはあくまで可能性の話であり、いくら今は不安定な時期であるとは言え、シールズ1人の言葉で揺らぐほど、ユーシアは軽くない。
現実的に恐ろしいのは、それを危惧してミレネの存在を通報する輩が出てくる事だ。国から引き渡し要請があれば、突っぱねる事は難しい。
その脅しを受け、優斗はミレネの母親、ミルドの事を思い出していた。
優斗は彼女を恨んでいない訳ではない。だが、罰を与えたいと思ってもいない。それでもクシャーナを、そしてユーシアを救う為に必要なら犠牲にする覚悟はあった。ただ今回は、優斗の与り知らぬところで起っていたソレが表面化しただけの話だ。
「どうすんだ、なぁ?」
ある程度割り切ってはいても、目の前で起れば救いたいと考えるのが優斗と言う人間だ。
しかし、優先順位は変わらない。ユーシアの平穏は守りつつ、ミレネを逃がす。その為には裏切りに見合った罰を与える必要がある。しかし優斗はこの短時間で、自分1人で実行可能な策を思い付かなかった。だから仕方なく、他の人間に頼る方策で打って出た。
「……村長さん、まだお時間よろしいですか?」
「もちろんです、領主様」
「折角なので、お立合い願えませんか?」
「何にでしょうか?」
「トーラス、前へ出ろ」
「はっ!」
名前を呼ばれたトーラスは、訳も判らず優斗の前に出ると、促されるままに跪いて兜を脱ぐ。
ミレネやミルドがどうなっているのか知らないトーラスは、この状況を正確に理解していなかった。だから彼は、ミレネは借金をし、シールズは優斗にそれを請求したのだろう、くらいに思っていた。
「ヴィス」
「はっ」
優斗の声に、今まで微動だにしないレベルで立っていたヴィスが動き出し、ある物を優斗に手渡す。
それは鞘に豪奢な装飾が施された剣であり、柄にはユーシアの紋章が刻まれている。優斗がゆっくりと引き抜くと、新品の刃が光を反射する。それは、鞘を交換すれば実戦で使えそうな程に立派な仕上がりだ。
「従騎士見習い、トーラス」
「はい」
「汝、この剣に永遠の忠誠を誓うか?」
「えっ?」
トーラスが驚くのも無理はない。何故ならこれは、正式に従騎士となる者が受ける儀式なのだから。
もっとも、儀式は領主が変わるたびに変化しているので、これは優斗のオリジナルではあるが。
「誓うか?」
「は、はい。誓います」
「では、その忠誠の元で、お前は何を為す?」
トーラスは過去に二度、この儀式を目にしている。
その時に従騎士となったのは、ユーリスと言う名の女性と、ライガットと言う名の大柄な男だった。
彼らは元々ユーシア騎士団により従騎士と認められていたのだが、是非優斗本人からそれを賜りたいと申し出、儀式を行う事となった。任命式に形式が存在しない事を知った優斗が練習がてらそれを受け入れた結果、儀式は彼の知り合いだけを集めてひっそりと行われた。
その際、ユーリスは隣人を守り抜く事を、ライガットは騎士団をユーシアの名に恥じないモノとする事を誓った。そしてそれを見たトーラスは、今までずっとそれを考えていた。
「皆の暮らしを、いや、あの、皆が安心して暮らせる街を、守りたいと思います」
それは、ある先輩からの受け売りだった。
トーラスが騎士団に入った当初に面倒を見てくれた先輩。先の戦争で亡くなった彼の意志を継ぐと言うつもりが全くない訳ではない。だがそれ以上に、あんな事は二度とあって欲しくないと、トーラスが考えた結果、自然とその言葉が浮かんできたのだ。
「よろしい。では、この剣の授与を持って、汝を正式な従騎士と認める。
ユーシア騎士団、従騎士トーラス!」
「はい!」
呼び声を受け立ち上がり、抜身の剣を受け取ったトーラスは、続いて鞘も受け取るとその中に剣を収め、再びその場に膝を付く。
普通、と言うか前回と同様であればここで配属や祝いの言葉を告げられるのだが、優斗の口から発せられたのは、トーラスにとって少しだけ予想外のものだった。
「従騎士昇進を祝い、褒美を取らせる」
「はっ、ありがたき幸せ」
「この娘を持っていけ」
トーラスは驚き、顔を上げる。しかし優斗は、言うべき事は言い終わったとでも言いたげに、素知らぬ顔で彼の横を通り抜けて村長とシールズが居る場所へと向かっていく。
優斗が書いた筋書はこうだ。
ミレネ達は裏切りはしたが、国法を犯した罪人ではない。だから商人として得た損害を回収する事を優先し、褒美として部下に与える事で、その資金を浮かせると言う手段に出た。
書類の流れに直せば、身柄を確保して売り払うのと同様となり、それなりに重い罰を与えたかの様にみえる。書類が揃っており、実際に執行されていれば、国に対する言い訳としては十分だと、優斗は判断した。
「ところでシールズさん、村長さんとの契約はもう終わってるんですか?」
「あぁ」
「じゃあ、うちで働きません?」
「は?」
後ろで行われているやり取りも耳に入らない状態のトーラスは、懸命に状況を整理しようと頭を働かせるが、そもそも情報が足りていない彼が正しい答えにたどり着ける訳がない。
「実は領主を止めた後の事を考えて、個人的に商会を立ち上げてまして。藍川商会って名前なんですが」
「それが、なんで俺を誘う話になるんだ?」
「従業員は何人かいるんですけど、まともに商人経験がある人がほとんど居なくて困ってたんですよ」
「そりゃ、商会としては致命的だな。で、なんで俺なんだ?」
「立ち上げたはいいんですが、仕方なく引き取った人とか、助けた人ばっかりで、反対意見を言う人が弟子っぽい娘しかいないんですよ」
「それを俺にやれと?」
「報酬は弾みます。何なら、帳簿をつけてた経験がある助手もつけます」
「どう考えても監視役じゃねーか」
「でも、優秀ですよ?」
「お前、頭おかしいだろ? どう考えても頼む相手が間違ってるぞ」
「それだけあなたを高く買っている、と言う事です」
「はん。単に、当てが無いだけじゃねぇのか」
「半分正解です。もう半分は、自分でやるとどうしても甘くなる事を再確認したからなんですが」
「おめぇが甘いのは今に始まった事じゃねぇだろ。噂も色々聞いたぞ」
「だからこそ、です。一応先に言っておきますが、私は貴方が嫌いです」
「オイコラ、寝首をかかれる覚悟は出来てるんだろうな?」
「出来て無いです。働きに見合った報酬を約束するので、それで勘弁してください」
「ふざけんな、と言いたいところだが条件次第だな。流れの交渉人にゃ、仕事をえり好みする余裕なんてねぇし」
「では、後で話し合いましょう」
まるで打ち合わせていたかのように滑らかな言い合いが終わり、トーラスの視界に優斗が戻って来る。
そしてトーラスの目の前でしゃがみ込むと、まったく悪びれない態度で、謝罪を口にする。
「悪いけど、ミレネの面倒よろしく。あ、嫁に貰うなら本人の承諾は得るように」
トーラスが思わずミレネへと視線を向けると、2人の視線がばっちりぶつかり合う。そこで照れ顔でも浮かべれば優斗の思惑通りだったのだが、残念ながら状況を把握出来ていない2人はどちらも困惑している。
こうして正式に従騎士となった目出度い日に騎士団寮を追い出されたトーラスの、可愛い幼馴染との同居生活が始まった。
目出度くもトーラスくんが正式な従騎士になる話でした。
とても暗い流れのあった話を、出来るだけまろやかにしてみた結果、こうなりました。
もし、全力で暗くて惨い話を期待した人がいたならごめんなさい。