恋編絆歌~エピローグ~
由美がまだ生きているかもしれない。
それを知った優斗は、戦々恐々としながらもすぐさま捜索に乗り出そうとして、引き止められた。
それは領主が即位後すぐに領地を離れる事は問題でると言う理由であり、それによりユーシアが不利益を被れば優斗はもちろん、次期当主であるクシャーナにまで波及する。それは優斗も、そして恐らく由美も望むところではないだろうと考え、優斗はそれをしぶしぶ了承した。
そしてしばらく経ち、全速力で領地の掌握と最低限の対外的な処理を終えた優斗は、こっそり組織した捜索隊による報告を頼りに、ようやくある村での目撃情報を得る事が出来た。
「お待ちしておりました、ユーシア領主・優斗様」
「口上は良い。正式な挨拶は後でまた尋ねさせて貰う」
多少、態度が尊大になっているのは、クシャーナの教育の賜物だ。反射的に女性を褒める癖がついてしまった事以外、クシャーナとアロウズの社交・外交教育の成果はまずまずと言ったところだ。
優斗が目の前の男――この村の村長――の元に顔を出したのは、単なる対面的な問題だ。
目的の相手が住んでいるらしい家の場所は、ここに来るまでの馬車の中で既に簡単な地図で確認済みだ。しかし一直線に向かう事で村での立場を悪くすることは避けたかった。
優斗は由美をユーシアへ連れて行くつもりだが、拒否される可能性も考えている。その時はさっくりと領主の座を降り、クシャーナに譲ってアロウズあたりに後見を託す予定だ。
「そうおっしゃらずに、まず我が家で歓待を」
「すまないが、急いでいる」
はやる気持ちを隠そうともせず、優斗はその身を翻す。
その場を離れた優斗は、先発隊により知らされていた道順を、最短距離で目的地へ向かう。その際、本日の宿の前を通過した為、付添いとしてここまでやって来たフレイとクシャーナが合流する事となる。ちなみに、ヴィスは村に着いてからもずっと後ろに控えている。
「もう行くんですか?」
「あぁ」
「お姉ちゃんも来られればよかったのに」
さすがにユーシア領を司る一族の全てが出払う訳にはいかない、とアロウズは自ら留守番役を買って出た為、今回の旅に彼女は不参加だ。旧ユーシア家の面子であれば後宮に何人か居るのだが、新生ユーリア領初代領主である優斗との血縁関係が無いので実権は無いに等しい。むしろ、下手に実権を持つと国から目をつけられかねない。
「ふぅ」
「商談の前より緊張していますね」
「お兄ちゃん、しっかり」
歩く事数分、目的の家に到着した優斗は、大きく息を吐くと扉に軽く握りこぶしを押し当てる。そしてたっぷり10秒間、目を瞑って呼吸を整えると、静かに手を動かし、ノックする。
「すいません」
ごくりと唾を飲み込む音が聞こえ、優斗はそれが自分のものなのか、それとも同行者である3人のうちの誰かのモノなのか判らない程緊張していた。
久しぶりの再会。しかも相手は、優斗より10倍以上の時を待っていてくれた。そう思えば、優斗の手も心も自然に震えてしまう。
「すいません」
再度ノックし、中に向かって声をかけるが返答は無い。
それがじれったくて、優斗は無意識に押し付けた拳で扉を押してしまう。そして、鍵もかかって居なかった扉は、それにより少しだけ開く事になる。
「ん?」
優斗の目に留まったのは、一枚の紙きれ。扉の隙間に挟まっていたものが開いた拍子に落下したらしいと考えた優斗は、半ば反射的にそれを拾い上げる。
郵便か何かだろうと、この世界にはない配達機関を思い浮べていた優斗だが、その文面を見た瞬間、目を見開いて驚く。
「これ、何て読むのお兄ちゃん?」
「あ、あぁ」
後ろから覗き込んでいたクシャーナに尋ねられ、優斗は生返事を返す。
紙に書かれていたのは、懐かしい日本語の文章だった。それが由美が書いたモノである事は間違いなく、故にここが目的の場所で相違ない事の証でもある。
目の前の手紙――と、言うか文字――を懐かしみながら、優斗はクシャーナに乞われるままにそれを読み上げて行く。淡々と、感情をあまり込めずに。
「前略、藍川優斗様。
まず、謝罪をさせてください。ごめんなさい。
急に居なくなって、ごめんなさい。
貴方の娘であるユウに、会わせてあげられなくてごめんなさい。
逃げてごめんなさい。合わせる顔がありません。
どうか私の事は忘れて、幸せに生きて下さい。
草々
追伸:孫娘には会えましたか? 可愛がってあげて下さい」
そんな感動的で悲劇的な内容の手紙を読み終えた優斗は手紙を取り落とし、一枚の紙がひらひらと宙を舞う。
その光景に魅入っている3人の少女の視線は、自然と舞い落ちる手紙を追っている。
そんな中、ただ1人優斗だけは、その紙切れが地面に着くよりも早く行動を開始していた。
まず、凄い勢いで振り返る。
これにより、手紙に釘付けになっていた少女たちの視線が優斗へと向かう。そしてその顔に凄絶な笑みが浮かんでいる事に気付くが、それに対して各々が何かを思う暇すら無い早さで優斗は辺りを見回し、視界の端で動く影を捉えると、全速力で走り出す。
「なっ、優斗さん!?」
「ど、どこ行くのお兄ちゃん!」
無言で追って来るヴィス以外を放置し、優斗は影を追う。
中学までならまだしも、などと考えながら影を追う優斗の表情には、必死さよりも愉悦が浮かんでいる。
結果、影はあっさりと捕まった。
優斗が手首を掴んで強引に引き止め、よろけたところを腰に手を回して支えたと言う体勢のせいで2人の距離は近く、更に紺色のフーデットケープを纏って俯いているので口元以外は隠れており、その表情を伺う事は出来ない。それでも、影の正体が高年の女性である事を確認するには十分だった。
「折角、あと2つも感動的な手紙を書いたのに、ねぇ」
ゆったりとしゃべる女性は、不満そうな声色とは裏腹に、口元に薄らと笑みを浮かべている。
優斗はそれが嬉しくて懐かしくて、やはり同じように笑みを浮かべて、その名を呼ぶ。
「由美」
「久しぶりねぇ、優斗」
久しぶりに再会した幼馴染兼連れ合いは、歳を経たせいか、それともゆったりとしたしゃべり方のせいか、少しだけ大人びて見えるなと考えながら、優斗は手から伝わる感触も含めて、彼女が自分よりもかなり年上になってしまった事を改めて実感して、苦笑が零れる。
そして直感的に、それ以外の部分は昔とさほど変わっていないんだろうな、とも思い浮かぶ。
「久しぶり。ってか、なんで?」
「あぁ、うん。なんとなく、あの子のイメージが出来ちゃってねぇ」
長い時を共に過ごした2人は、それ以上に長い時間を隔ててもその実績を失っておらず、優斗の端的な質問だけで、由美はそれが呼び名に関する問いかけであると理解する事が出来ていた。
優斗と似た名前を付けられた、出会う事も出来なかった娘。きっと由美やクシャーナに似て美人だったんだろうな、などと親馬鹿全開な思考をしていた優斗は、いつの間にかその更に娘がフレイと共に追いついてきた姿を視界の端に捉える。それはあまり歓迎すべき状況ではないが、しかたないかと思いながら、優斗は追いついてきた2人を、最初から居たヴィスと同じ様に一時的に視界と思考から外す。
「ダメか?」
「ん……。ユウ」
「由美」
呼び合う言葉を噛みしめ、涙を堪えながら、優斗は由美を抱き寄せる。
今は顔を見られたくないだろうな、などと珍しくデリカシーのある思考により、フードをしたままの顔を自分の胸に押し付けながら。
「いいの?」
「気になる?」
優斗の胸元に押し付けられた頭が横に振られ、ぐりぐりと押し付けられる。それに合わせる様に手首から手を離した優斗は、代わりに顔の付近へと手を伸ばし、髪に触れる。
フードから僅かにはみ出た、最近触り馴れたモノとは違う、年季の入った、そのせいで少女たちのそれよりもさわり心地の悪くなってしまっている感触の髪。その中に少しだけ懐かしいモノを見つけ、優斗の口元が更にほころぶ。
領主になってから、段々と人目が気にならなくなってきたのは問題かなと思った優斗だが、今この瞬間にとっては取るに足らない事だとすぐにその思考を切り捨てる。
「相変わらず、だな」
「そっちこそ、よくわかったねぇ」
ほころんでいた優斗の口元。その端が吊り上って、一層深い笑みを形作る。
そして、当然だと言わんばかりの口調で、記憶よりも小さくなった気がする連れ合いを見ろしながら、優斗が語る。
「俺が手紙を読んでどんな反応をするか、なんて楽しそうな事、お前が見逃す訳ないだろ?」
「う、」
図星をつかれ、年齢不相応に子供っぽいうめき声をあげた由美は、悪戯がばれた子供の様だった。その上、唇を尖らせて不満げにしているのだから、優斗はもう我儘な子供と大差ないな、などと考えてしまう。
「残念だったな」
「もう、ホントにねぇ」
優斗の胸から顔を離すと、わざとらしく頬を膨らませる由美。それを見て、また笑う優斗。釣られて、由美も笑う。
優斗は、手紙に書かれていた内容が全て嘘だと思っている訳ではない。何割かは、彼女の本音が混ざっているだろうと、そう考えていた。
だからこそ、反応が気になったのだろう、とも。もっとも、悪趣味な意味合いもある程度混ざっていた事も疑っていないのだが。
「ご挨拶させて頂きます」
他人の介入を拒絶する様な空気を発している2人に、強引に割り込む声。その主は、まるでそれが当然とばかりの顔をしているフレイだった。優斗が見れば、そこに挑戦的かつ、僅かに不機嫌と不満の色が混ざっている事を見て取れただろう。そのくらいには、優斗が自分たちに見せない姿を引き出した相手に、フレイは嫉妬や羨望に似た、悪感情とも言える思いを持っていた。
そんなフレイは一歩前に踏み出すと、隣に立っているクシャーナと、優斗の斜め後ろに立っているヴィスのちょうど中間地点に立ち、許可を待つことなく言葉を続ける。
「はじめまして。フレイと申します。優斗さんの正室」
候補です、と小さく付け足しながら、フレイは手を片方ずつ前と後ろの2人に向ける。小さく呟いた言葉を誤魔化す為に、そして何より優斗と由美の言葉に先んじる為に、素早い動作で再び口を開く。
「こちらはクシャーナ様。優斗さんの孫で、正室になる事を希望しています。そしてこちらが、ヴィス。見ての通り、護衛です。最近では、愛人騎士などと呼ばれているようです。
私共はもちろん、後宮に残る側室も、優斗さんが商会の売り子として個人的に囲っている者達も、貴方を歓迎します」
真面目そうな表情で一息に全てを暴露したフレイの言葉に、まだ優斗の腕の中に居る由美が、口元を歪める。
それが嫌悪ないし怒りであればフレイの目論見は成功したと言えただろう。だが残念な事にそれは、愉悦を表すモノだった。
「詰めも性格も甘い優斗には、良い相手じゃない?」
「う、言葉もない」
色々と思うところのある優斗だが、旗色の悪さを自覚し、反論する事を放棄し、内心でフレイに恨み言を呟きながら視線を空へと逃がす。それでも、由美を抱える手は微塵も緩める気配はない。
それは優先順位の問題であり、同時に放したら色々とされそうだと無意識に恐れ感じていたが故の行動だ。
「2人が正室候補って言うのは本当?」
「半分本当。自称してるだけ、とも言う」
「それでも、孫はダメだと思うんだけどねぇ」
背後でくすりとクシャーナが笑う声が聞こえ、優斗も釣られて笑いを声に出してしまう。
そして同じく声を出して短く笑った由美へと視線を戻すと、優斗はフードに手をかける。
「お前が隣に居ないなんて、もう嫌だぞ。俺は」
「ふぅん。その割に、私が居ない間にお痛したみたいだけど、ねぇ?」
痛いところを突かれた優斗は、誤魔化しも兼ねて苦笑いを浮かべる。
そんな彼は、追い打ちとして更に告げられた言葉は今までのゆったりしたソレと違い、鋭く、優斗はそれによるショックでフードを摘まんでいた手を離してしまう。
「私が居ないなら、他の娘でも良いんだ?」
否定出来ず、言い訳も出来ず、優斗は硬直する。
そんな彼の反応に、由美はくつくつと笑うと、優斗の胸に手を付いて、距離を取る。腰に添えられていた手がはずれ、優斗の口から「あ」と言う名残惜しそうな声が漏れる。
「いいんじゃない?
夫婦の誓いだって、死が二人を別つまで、って言うのが相場だし」
懐かしさを増す若々しい声を出しながら、口元の笑みを絶やさず言葉を続ける由美の手が、フードにかかる。
そこから現れるモノを見逃さない様、優斗の視線が釘付けになる。
「きっと、私の方が先だろうし」
そう言って勢いよくフードを脱ぎ去った由美は、綺麗に笑っていた。
昔と同じ、むしろ年を経て更に磨きの掛かった、しかし何処か寂しげだと、優斗だけがそう感じる笑みで。
「それは無理だろーなー」
だから優斗は、茶化すような声色を心がけながら、同時に呆れ顔を作る。
そして、まるでそれが決定した未来であるかのように、口にしていく。
「死が2人を別つまで、だっけ?」
「えぇ。今から誓って見る?」
「いいねぇ。
なら、最低でも100までは付き合って貰おうかな」
悪戯っぽく放たれた優斗の言葉を、由美はすぐには咀嚼しきれていなかった。
そんな表情の由美を、今度は腰の後ろと首の裏側、項の辺りに手をかけて、優斗は優しく、しかし強引に抱き寄せる。
「その頃には俺は中年もいいとこだろうし、モテるのは無理だと思うぞ?」
「なっ、なにを――」
何か言おうとした由美は、しかし優斗に口を塞がれ、それを言葉にする事は叶わなかった。
取り残された3人は、各々が程度の差はあれど、どこか羨ましそうな、悔しそうな表情でその光景を見つめている。
こうして再会を果たした2人は、しかし次の瞬間に照れた由美が説教を始めた事で、その甘い空気を霧散させる事になる。
それが原因で頭の上がらなくなった優斗だが、孫娘の頭を幸せそうに撫で、護衛を見て微笑み、従者と黒い笑みを交わし合ったりする光景を見ながら、積み上げられた幸せすぎる難題の山に、自然と笑みを零してしまうのだった。
恋編絆歌、これにて本当に終了です。
たくさんのリクエストを頂きましたので、何度も挫折しながらもなんとか書かさせて頂きました。
これが今の私に書ける精一杯です。どうぞ、お納めください。
どうでもいい事ですが、フレイさんはマジでブラックストマックですね。