第六章 魔法祭典
王立学院の魔法祭典は、毎年初夏に行われる。
一年生から三年生が学年の垣根を越えてペアを組み、共同で術式を展開する——それが祭典の目玉だ。ペアは基本的に自由に組めるが、王族や上位貴族については学院側が調整に入ることがある。
レティシアに通達が来たのは、祭典の二週間前だった。
「第二王子殿下とペアを組んでいただきます」
学院の事務員が申し訳なさそうに言った。
レティシアは書類を受け取りながら、内心で深くため息をついた。
(なぜそうなる)
理由はわかる。王族は相手を選ぶ必要があり、婚約者であるレティシアが最も無難だという判断だろう。学院側としては合理的な決定だ。
しかし。
(二週間、一緒に練習しなければならない)
目立たない、関わらない、という方針が音を立てて崩れていく。レティシアは書類をしっかり折り畳んで、鞄に入れた。
(破滅しなければいい。それだけだ)
◇
翌日の放課後、演習場でセドリックと顔を合わせた。
「来たか」
「はい。よろしくお願いいたします」
「……気持ち悪いことを言うな」
「ではどう挨拶すればよかったですか」
「黙って来ればいい」
「かしこまりました」
レティシアは黙って演習場の中央に立った。セドリックも黙って向かいに立った。
二週間、こんな調子なのか。レティシアは内心でため息をついた。
「祭典の術式、見たか」
「はい。二人で安定核を同時展開して、出力を合わせる形ですね」
「そうだ。魔力の波長を合わせないと安定しない」
「難しいですね」
「お前の魔力制御なら問題ないだろう」
さらりと言った。レティシアは瞬きをした。
(今、褒めた?)
「……ありがとうございます」
「感謝するな。事実を言っただけだ」
「では——」
「何も言わなくていい」
(毎回これだ)
レティシアは内心でため息をつきながら、術式の準備を始めた。
安定核を展開する。セドリックが同時に展開する。二つの核が空間に浮かぶ。
「合わせるぞ」
「はい」
魔力の流れを意識しながら、ゆっくりと出力を調整した。セドリックの魔力が近づいてくる。波長が——
「……歪んでいる。もう少し抑えろ」
「こうですか」
「違う。もっと細く」
「……こう?」
「そうだ」
二つの術式が重なった。しかし安定しない。どちらかの魔力が強すぎて、均衡が崩れる。
「お前が強すぎる」
「調整します」
「そうじゃない。俺が合わせる」
「でも——」
「黙って合わせろ」
セドリックが魔力の出力を上げた。レティシアの術式に、セドリックの魔力が絡みついてくるような感覚がある。
(……あ)
二つの術式が、静かに安定した。空間に光の紋様が広がる。うまくいった。
しかし。
(近い)
魔力を合わせるということは、互いの術式の感覚が近くなるということだ。セドリックの魔力の質が、直接伝わってくるような感じがする。
(……落ち着いた魔力だ)
口が悪くて感情的な印象とは裏腹に、魔力の質は驚くほど安定していた。芯が太くて、揺れない。
「……できたな」
セドリックが言った。どこか満足そうな声だった。
「はい」
「お前、魔力の質がいい」
「ありがとうございます」
「感謝するな、事実を——」
「事実を言っただけですね」
「……わかってるなら言うな」
セドリックが視線を逸らした。レティシアは術式を解きながら、今の感覚を反芻した。
(息が、合った)
思ったより合った。それが少し、意外だった。
◇
練習は二週間続いた。
毎日放課後、演習場でセドリックと向き合う。最初は言い合いになることも多かったが、日が経つにつれて、言葉が少なくなっていった。言葉がなくても、なんとなく伝わるようになっていた。
三日目。
「もう少し左だ」
「こう?」
「そうだ」
五日目。
「今のは合ってた」
「ありがとうございます」
「……まあ」
八日目。
言葉がなくなった。セドリックが魔力を出す。レティシアが合わせる。それだけで術式が展開する。
(慣れてきた)
慣れてきた、とレティシアは思った。セドリックの魔力の癖、出力のタイミング、調整の仕方——全部わかってきた。
(対処しやすくなってきた)
そう思いかけて、レティシアは止まった。
(……対処しやすい、か)
以前も同じ言葉を使った。しかし今の感覚は、少し違う気がした。対処しやすいというより——
「クラーレ」
セドリックの声がした。
「はい」
「今日は早く終わったな」
「そうですね」
「……悪くなかった」
ぶっきらぼうな言い方だった。しかしそれがセドリックなりの評価だということは、二週間でわかってきた。
「ありがとうございます」
「だから感謝するな」
「では——」
「いい」
セドリックが先に荷物をまとめ始めた。レティシアも術式の道具を片付けながら、今日の練習を振り返った。
(うまくできた)
二週間前には想像できなかった。セドリックと息が合う、などということが。
◇
祭典の当日、演習場には全学年の生徒と来賓が集まっていた。
レティシアはセドリックの隣に立ちながら、静かに会場を見回した。リリアーヌが観客席の前の方で手を振っている。レティシアは小さく会釈した。
「緊張しているか」
セドリックが小声で言った。
「少し」
「……そうか」
「殿下は」
「しない」
「そうですか」
「……お前がいるから」
レティシアは瞬きをした。
「……何とおっしゃいましたか」
「なんでもない。始めるぞ」
セドリックが前を向いた。耳が赤い。レティシアはそれを見て、もう一度聞こうとしたが——
(今は集中しなければ)
術式に意識を向けた。
安定核を展開する。セドリックが同時に展開する。二週間の練習通りに、波長を合わせていく。
迷いがなかった。
セドリックの魔力が伝わってくる。安定している。揺れない。それに合わせるように、レティシアも魔力を整えた。
二つの術式が重なって、光の紋様が広がった。
会場から歓声が上がった。
「……よかったな」
セドリックが静かに言った。
「はい」
「練習した甲斐があった」
「そうですね」
「……お前の努力があったからだ」
レティシアは少し間を置いた。
「二人でやりましたので」
「……そうだな」
セドリックが珍しく、柔らかい声で言った。
レティシアはそれを聞きながら、胸の中に小さな何かが生まれた気がした。なんなのかはわからなかった。ただ——悪い気はしなかった。
◇
祭典が終わって、観客席からリリアーヌが駆けてきた。
「先輩、綺麗でした! 殿下も!」
「ありがとう」
「二人、すごく息合ってましたよね! 練習してたんですか?」
「二週間ほど」
「そんなに!」
リリアーヌが目を輝かせた。
「毎日一緒にいたんですね」
「練習していただけです」
「でも毎日ですよね」
「……そうですね」
リリアーヌがにっこりした。何か言いたそうな顔をしている。しかし今日は言わなかった。ただ「よかったですね」とだけ言って、友人のところへ走っていった。
レティシアは一人残って、さっきのセドリックの言葉を思い出した。
お前がいるから。
(あれは、どういう意味だったんだろう)
緊張しないのはお前がいるから——そう聞こえた。しかしそれは——
(二週間練習した相手がいるから、ということだろう。それだけだ)
シナリオ的に考えても、そちらの方が自然だ。感情的な意味はない。
(そうだ。それだけだ)
レティシアは荷物を持って歩き出した。
夕暮れの演習場に、橙色の光が差し込んでいた。
(……悪くない一日だった)
そう思ってから、レティシアは少し驚いた。
いつから、こんなことを思うようになったんだろう。




