第四章 なぜか視界に入ってくる(セドリック視点)
クラーレ公爵令嬢が、気に入らない。
入学式の日から、ずっとそうだった。
好かれようとも思っていない、と言った。承知いたしました、と言った。怒りもしない、泣きもしない、媚びもしない。何を言っても「左様でございますか」か「そうですか」で流してくる。
あの切れ長の青い目が、静かにこちらを見返してくる。
(気に入らない)
何が気に入らないのか、セドリック自身もよくわからなかった。ただ気に入らない。だから確かめに行った。近づけば何か反応するだろうと思った。動揺するか、慌てるか、あるいは怒るか——何か一つくらい、こちらが予想できる反応をするだろうと思った。
一週間、試してみた。
全部外れた。
月曜日。廊下で鉢合わせて、課題の話をした。早いな、と言ったら「殿下は」と聞き返してきた。会話のテンポが読めなくて、気づいたら「今日出す」と答えていた。自分から課題の話を振っておいて、情けない返答だった。
(なんで普通に話してるんだ、俺は)
踵を返しながら、セドリックは内心で舌打ちした。
火曜日。食堂で向かいに座った。驚くだろうと思った。慌てるだろうと思った。「殿下、こちらでよろしいんですか」と一言聞いてきて、それだけだった。あとは普通に食事をしていた。こちらが隣にいることなど、眼中にない顔で。
一言も話しかけられなかった。
(話しかけてこないのか)
話しかけてこないなら話しかければよかった。しかし何を話せばよかったのかわからなかった。結局「行くぞ」と取り巻きに言って立ち去った。後味が悪かった。
水曜日。演習場でレティシアの術式が目に入った。出力制御が雑だった。思わず声をかけた。指摘するたびに「ありがとうございます」と返ってくる。感謝するなと言った。では何と、と聞き返してきた。答えられなかった。
(なんで答えられないんだ)
怒鳴ってくれれば対処できる。泣いてくれれば対処できる。なのに淡々と「ありがとうございます」と言われると——何も言えなくなる。
気に入らない。
木曜日。図書館で勉強しようと思ったら、レティシアが隅の席にいた。
別の席に座ればよかった。なのに気づいたら隣に座っていた。
一時間、隣で本を読んでいた。こちらが隣にいるのに、ただ静かに本を読んでいた。集中している横顔が視界の端にある。漆黒の髪が肩に落ちている。切れ長の目が活字を追っている。
(……なんで俺はこんなに気になっているんだ)
立ち上がったとき、思わず「邪魔したな」と言った。言ってから後悔した。邪魔したのは確かにそうだが、なぜそれを自分から言った。
出ていきながら、セドリックは額に手を当てた。
(おかしい。絶対おかしい)
金曜日。食堂に入ったら、レティシアとリリアーヌが並んで座っていた。
別のテーブルに座ればよかった。なのに気づいたら歩いていた。隣に座った。当然のように盆を置いた。
「今日もここか」とレティシアが言った。
「文句があるか」と言い返した。
「ありません」と返ってきた。
(文句くらい言え)
文句を言わせたいわけではない。しかし何かもう少し——反応というものがあるだろう。なぜいつも「ありません」か「そうですか」なんだ。
「殿下こそなぜここに」と聞かれた。
「ここがいい」と言った。
言ってから、セドリックは内心で固まった。
(今、何と言った)
ここがいい。なぜそんなことを言った。食堂の席などどこでも同じだ。なのに「ここがいい」と言った。しかも断言した。
レティシアは「……そうですか」と言って視線を戻した。
リリアーヌが隣で何か言っている。聞こえているが、頭に入ってこなかった。
(なんなんだ、本当に)
一週間、毎日近づいた。毎日気に入らなかった。毎日——
(毎日、また近づいた)
そこまで考えて、セドリックは思考を止めた。
考えるな。監視だ。婚約者として当然の監視だ。それだけだ。
「——ですよね、殿下」
リリアーヌの声がした。
「……なんだ」
「難しい顔してますね、って言ったんです」
「余計なことを言うな」
「はい」
リリアーヌはあっさり引き下がった。
セドリックはスープを一口飲んで、視線を手元に落とした。
隣にレティシアがいる。静かに食事をしている。こちらが何を考えていようと、全く関係ないという顔をしている。
(気に入らない)
でも——もう一週間くらい、監視を続けてもいいかもしれない。
そう思った自分に気づいて、セドリックはスープを飲む速度を上げた。




