第十四章 幼馴染みが来た
その日、学院の正門に見慣れない人影があった。
レティシアが気づいたのは、昼食後に講義棟へ向かう途中だった。正門の前に、細い人影が立っている。背が高いが、肩幅が狭い。風に揺れそうなくらい線が細い。
(来客だろうか)
特に気にせず歩き続けようとしたとき、隣からリリアーヌの声がした。
「……あれ」
「どうしました」
「あれ、ノアじゃないですか」
レティシアはもう一度正門を見た。
人影が、こちらに気づいて手を上げた。ぎこちない動作だった。
「ノア!!」
リリアーヌが駆け出した。レティシアは少し遅れて、後に続いた。
◇
近づくと、ノアの顔がよく見えた。
整っていた。というより——端麗だった。肩まで伸びた淡い茶髪、細い顎、伏し目がちな大きな目。線が細くて、どこか儚げな印象がある。セドリックとは全く違う種類の美しさだった。
(確かに美少年だ)
レティシアは内心でそう思った。
「なんで来たんですか!! 手紙で来るって書いてなかったじゃないですか!!」
リリアーヌが息を切らしながら言った。ノアが少し目を逸らした。
「……サプライズのつもりだった」
「サプライズ!? びっくりしました!! もう、手紙くらい——」
「返事が遅くて、悪かった」
リリアーヌが止まった。
「……ノア」
「……手紙、ちゃんと読んでた。返事の書き方が、わからなくて」
「わからなくて?」
「……うまく書けなかった」ノアが視線を落とした。「だから、来た」
リリアーヌがしばらく黙った。それから、ぽつりと言った。
「……手紙より来た方が難しくないですか」
「……そうかもしれない」
「なんで」
「……お前に会いたかったから」
リリアーヌが固まった。
レティシアは二人から少し離れた場所に立って、静かに見守っていた。
(不器用だ)
リリアーヌが言っていた通りだった。返事が書けなくて、でも会いたくて、わざわざ学院まで来た。それがノアという人間らしかった。
「……先輩」
リリアーヌがレティシアを振り返った。頬が赤い。
「はい」
「先輩、少し席を外してもらえますか」
「……わかりました」
レティシアは踵を返した。しかし二歩歩いたところで、リリアーヌの声がした。
「でもあんまり遠くには行かないでください!!」
「……どちらですか」
「近くにいてほしいけど、聞こえないくらい離れてほしいです!!」
ノアが小さく噴き出した。初めて表情が動いた。笑うと、少し子供っぽい顔になる。
「……リリアーヌ、相変わらずだな」
「うるさいです!!」
レティシアは正門の脇の木陰に移動した。二人の声は聞こえないが、様子は見える。ちょうどいい距離だった。
◇
木陰でレティシアは壁にもたれて待った。
二人の様子を、遠目に見守った。リリアーヌが何か言っている。ノアが頷いている。リリアーヌがまた何か言って、ノアが少し笑った。リリアーヌが赤い顔で何か叫んだ。ノアが困った顔をした。
(仲がいい)
しばらくして、背後から足音がした。
「……ここにいたのか」
セドリックだった。
「……セドリック、なぜここに」
「お前を探していた」レティシアの隣に並んで、正門の方を見た。「……何をしている」
「リリアーヌの幼馴染みが来て——二人の時間をと思って」
「そうか」
セドリックが正門を見た。
「……あれがノアか」
「はい」
「……線が細いな」
「はい」
「……顔が整っている」
「はい」
セドリックが少し間を置いた。
「……俺と、どちらが格好いい」
レティシアは少し考えた。
「……タイプが違うので」
「答えになっていない」
「……セドリックの方が、好きです」
セドリックが黙った。しばらく正門を見ていた。それから、何も言わずにレティシアの手を取った。しっかりと、当然のように。
「……セドリック」
「なんだ」
「……手を」
「繋ぎたい」
「……今がそういう場面ですか」
「関係ない」
レティシアは口元が緩むのをこらえた。こらえきれなかった。
二人で並んで、正門の方を眺めた。
しばらくして、ノアがリリアーヌに何か言った。
リリアーヌが固まった。
長い沈黙があった。
それからリリアーヌが、ノアの胸に顔を埋めた。
「……うまくいったな」
セドリックが静かに言った。
「はい」
「よかった」
「……セドリックも、そう思うんですね」
「当然だろう」
セドリックが前を向いたまま言った。
「好きなやつのそばにいられるのは——いいことだ」
「……はい」
「……お前もそう思うか」
「……はい」
「……俺のそばにいるのも、か」
レティシアは少し間を置いた。
「……はい」
セドリックが黙った。繋いだ手が、少し強くなった。それだけだった。でも——それだけで、十分だった。
◇
しばらくして、リリアーヌが一人でこちらへ歩いてきた。顔が真っ赤だった。目が潤んでいる。セドリックとレティシアが並んでいるのを見て、一瞬目を丸くした。
「……殿下もいたんですか」
「いた」
「……ずっといたんですか」
「途中からだ」
「……見てたんですか」
「見ていた」
「もう!!」
リリアーヌが顔を赤くした。
「でも——うまくいきました!!」
「見ていたからわかっている」
セドリックが言った。
「よかったな」
「ありがとうございます!!」
リリアーヌが深く頭を下げた。それからレティシアを見た。
「先輩も、殿下と幸せになってください!!」
「……なっています」
「もっと幸せになってください!!」
「……善処します」
「善処って何ですか!!」
リリアーヌが笑った。レティシアも口元が緩んだ。
「……俺も同じことを思っている」
セドリックが言った。
「……何をですか」
「お前にもっと幸せになってほしい」
レティシアは返事ができなかった。顔が熱くなるのを感じた。
リリアーヌが「きゃー!!」と小声で言った。
「……先輩、顔赤いですよ」
「……わかっています」
「可愛い!!」
「……練習に戻りましょう」
「もう練習の時間じゃないですよ!!」
セドリックが短く笑った。声に出して、少しだけ。リリアーヌが「殿下も笑ってる!!」と言った。セドリックが「笑っていない」と言った。
「笑っていましたよ」とレティシアが言った。
「……お前まで言うか」
「笑っていましたので」
「……」
セドリックが視線を逸らした。繋いだ手は、離さなかった。
◇
正門の方を見ると、ノアがまだそこに立っていた。リリアーヌに気づいて、また小さく手を上げた。さっきより、少し自然な動作だった。
「先輩、ノアを紹介してもいいですか」
「……私に?」
「先輩にだけ話してたので。ちゃんと紹介したくて」
レティシアは頷いた。セドリックも一緒に正門へ向かった。
四人でぎこちない自己紹介をした。ノアは口数が少なかった。
「……リリアーヌが、お世話になっています」
「こちらこそ」とレティシアが言った。
ノアがセドリックとレティシアの繋いだ手を一瞥した。それ以上は何も言わなかった。
「……リリアーヌと仲がいいんですね」
「懐いていただいて」
「懐いてるんですか、こいつが」
ノアが少し目を細めた。
「……リリアーヌが誰かを頼りにするのは、珍しい」
「そうですか」
「……ありがとうございます。面倒をかけたと思うので」
「面倒ではありませんでした」
ノアが小さく頷いた。また口数が少なくなった。リリアーヌが「ノアはいつもこうなんです」と言った。ノアが「うるさい」と言った。
(仲がいい)
やはり、そう思った。
帰り際、ノアがセドリックをちらりと見た。それからレティシアを見た。
「……大切にしてもらっているんですね」
「……そうですか」
「手を離さないので」
レティシアはセドリックを見た。セドリックが視線を逸らした。しかし手は、離さなかった。
「……そのようです」
「……よかった」
ノアが小さく笑った。リリアーヌが「ノアが笑った!!珍しい!!」と叫んだ。ノアが「うるさい」と言った。
◇
その夜、リリアーヌから手紙が来た。
『先輩へ。今日の先輩、顔がずっと赤かったです。可愛かったです。殿下がずっと手を繋いでいたの、ノアも気づいてました。「大切にされてるな」って言ってました。ノアが人のことを褒めるの珍しいので、ちょっと驚きました。お二人ともお幸せに。追伸:ノアと少しだけ話しました。不器用だけど、やっぱり好きです。リリアーヌより』
レティシアは手紙を読んで、小さく息を吐いた。
(大切にされてるな)
初めて会うノアにもそう見えたのか。
窓の外を見た。夜空に輝く星が瞬いている。
(好きなやつのそばにいられるのはいいことだ、と言った)
(お前にもっと幸せになってほしい、と言った)
(手を離さなかった)
全部——セドリックの言い方だった。大げさでなく、素直でもなく。でも確かに、そこにある言葉と行動だった。
(それが——)
レティシアは手紙を丁寧に折り畳んだ。
(こんなにも、胸があたたかくなるなんて)
窓の外の星が、いつもより少し明るく見えた。




