第十一章 王子様が止まらない
翌日から、セドリックが変わった。
正確には——余計にうるさくなった。そして、止まらなくなった。
月曜日の朝、廊下でレティシアを見つけたセドリックが開口一番言った。
「今日も綺麗だな」
レティシアは瞬きをした。
「……おはようございます」
「おはよう。綺麗だと言った」
「……ありがとうございます」
「髪が特に」
「……そうですか」
セドリックが無言でレティシアの髪に手を伸ばした。一房、すくうように触れた。
「……セドリック、人が——」
「見ていない」
「見ていますが」
「……構わん」
セドリックが手を離した。前を向いて歩き出す。しかし歩幅が、いつもより少し遅かった。
レティシアは頬が熱くなるのを感じながら、隣に並んだ。
「……朝から何を」
「綺麗だと思ったから触れた。それだけだ」
「……それだけですか」
「それだけだ」セドリックが前を向いたまま言った。「文句があるか」
「……ありません」
「なら問題ない」
レティシアは前を向いた。顔がまだ熱い。セドリックは何でもない顔で歩いている。しかし歩幅は、ずっとレティシアに合わせていた。
◇
火曜日。食堂でいつも通り向かいに座ったセドリックが、昼食を食べながらレティシアをじっと見ていた。
「……何ですか」
「別に」
「……見ていましたが」
「お前の顔を見ていた」
「……なぜですか」
「好きだから」
レティシアは箸を止めた。
「……食事中ですが」
「食事中でも好きだ」
「……」
「顔が赤い」
「……わかっています」
「可愛いな」
「……食事をしてください」
セドリックが視線を盆に落とした。しかし口元が、わずかに緩んでいた。
しばらくして、立ち上がった。何かを取りに行く。戻ってきたとき、盆にパンが増えていた。
「……また余ったんですか」
「そうだ」
「……購買部で買ってきましたよね」
「……余った」
「……ありがとうございます」
「食え」
レティシアはパンを一口食べた。温かかった。
セドリックがまたこちらを見ていた。今度は気づいても何も言わなかった。ただ——見ていた。
◇
水曜日。図書館で隣に座ったセドリックが、本を開いて数分後にレティシアの手を取った。
「……セドリック」
「なんだ」
「手を——」
「繋ぎたい」
「……図書館ですが」
「静かにしていれば問題ない」
「……」
「駄目か」
「……駄目では——」
「なら繋ぐ」
セドリックが本を開いた。片手で持って、もう片手でレティシアの手を握ったまま、本当に普通に読んでいる。
(なんなんだ、この人は)
レティシアは本に視線を戻そうとした。しかし手が温かくて、集中できなかった。
一時間後、本を閉じたセドリックが言った。
「……頭に入ったか」
「……あまり」
「俺もだ」
「……では最初から手を繋がなければよかったのでは」
セドリックが少し間を置いた。
「……それは嫌だ」
「……嫌、ですか」
「繋いでいたかった。それだけだ」
レティシアは返事ができなかった。セドリックが立ち上がった。繋いだ手を、ゆっくりと離した。
「また明日」
それだけ言って、歩いていった。
レティシアは手を見た。
(温かかった)
(それだけで——十分だった)
◇
木曜日。演習場でリリアーヌと練習しているところにセドリックが来た。いつも通り三人で練習することになった。
練習の合間に、セドリックがレティシアの術式を確認した。
「出力が少し強い」
「こうですか」
「そうだ。よくなった」
「ありがとうございます」
セドリックが少し間を置いた。
「……お前の魔力の質は、本当にいい」
リリアーヌが動きを止めた。
「……殿下、今褒めてましたよね」
「練習しろ」
「褒めてましたよ絶対! 先輩、顔赤いですよ!」
「……わかっています」
「可愛い!」
「……練習を続けましょう」
セドリックが「そうだな」と言った。しかし目線がレティシアから離れなかった。リリアーヌが「ふふ」と笑った。セドリックが「なんだ」と言った。
「なんでもないです」
「……練習しろ」
レティシアは前を向いた。
(目線が——離れなかった)
それだけを、静かに思った。
◇
金曜日の放課後、庭園を二人で歩いた。
最初は黙って歩いていた。夕暮れの光の中、花が揺れている。
「レティシア」
「はい」
「今週、毎日絡んでしまったが」
「……はい」
「嫌だったか」
レティシアは少し考えた。
「……嫌では、なかったです」
「そうか」
「……セドリックは」
「俺は——」セドリックが前を向いたまま言った。「悪くなかった」
「悪くなかった、とは」
「毎日お前と話せたのが、だ」
「……そうですか」
「文句があるか」
「……ありません」
「では来週も来る」
「……来るんですか」
「来る。問題あるか」
「……ありません」
「……では問題ない」
セドリックが、レティシアの手をそっと取った。歩きながら、当然のように。
レティシアはその手を見て、口元が緩んだ。こらえなかった。
「笑うな」
「……笑っていません」
「笑っている」
「……少し」
「……」
セドリックが前を向いたまま、小さく息を吐いた。
「……可愛いな」
「……セドリック」
「なんだ」
「……ありがとうございます」
「何に対してだ」
「……来てくれることに」
セドリックが黙った。しばらくして、繋いだ手を少し強く握った。
それだけだった。でも——十分だった。
◇
その夜、リリアーヌから手紙が来た。
『先輩へ。今日の演習場、先輩の顔が赤かったです。可愛かったです。殿下も先輩が好きなのが溢れ出てましたね。お二人ともお幸せに。追伸:ノアからまた返事が来ました。私も頑張ります。リリアーヌより』
レティシアは手紙を読んで、小さく息を吐いた。
窓の外を見た。夜空に星が散らばっている。
(来週も来る、と言った)
(悪くなかった、と言った)
(可愛いと言った)
全部——セドリックの言い方だった。大げさでなく、素直でもなく。でも確かに、そこにある言葉。
(それが——)
レティシアは手紙を丁寧に折り畳んだ。
(悪くない)
いや——
(……うれしい)
窓の外の星が、いつもより少し明るく見えた。




