第八章 認めたくなかっただけだ(セドリック視点)
その日の演習場には、三人がいた。
レティシアが術式を展開する。リリアーヌがそれを見て「先輩、綺麗ですね」と言う。レティシアが「そんなことはありません」と答える。セドリックはその横で腕を組んで、黙って見ていた。
(綺麗、か)
否定はしなかった。心の中で。
「クラーレ、出力が弱い」
「こうですか」
「もう少し均等に」
「……こう?」
「そうだ」
毎日繰り返しているやりとりだった。なのに——飽きない。それがまた、おかしかった。
しばらくして、レティシアが「道具を取ってきます」と言って演習場の隅へ向かった。
二人になった。
リリアーヌが、何の前置きもなく言った。
「殿下って、先輩のことが好きなんですね」
セドリックは固まった。
「……何を言っている」
「好きなんじゃないですか」
「違う」
「でも毎日来るじゃないですか」
「監視だ」
「監視って、パンを買ってくるものですか」
セドリックは黙った。
(なぜそれを知っている)
「先輩から聞きました」
リリアーヌが言った。
「余ったって言ってたって。でも購買部のパンって、余らないですよね。注文してから焼くので」
「……」
「監視って、図書館で隣に座るものですか」
「……」
「監視って、術式を毎日確認するものですか」
「……それは」
「殿下、先輩がいないとつまらなそうな顔しますよね」
セドリックが口を開いた。しかし言葉が出てこなかった。
リリアーヌが続けた。
「先輩といるとき、怒ってても生き生きしてますよ、殿下。私、最初怖い人だと思ってたんですけど——先輩といるときの殿下は、なんか、必死な感じがして」
「必死?」
「うまく言えないんですけど」
リリアーヌが首を傾げた。
「先輩のことが気になって仕方ないのに、それを認めたくない人の顔、みたいな」
演習場に、風が通った。
セドリックはリリアーヌを見た。天真爛漫な顔をしている。悪意のかけらもない。ただ思ったことを言っているだけの顔だ。
(認めたくない)
その言葉が、頭の中で転がった。
「……余計なことを言うな」
「そうですか? でも先輩、全然気づいてないですよ」
「何がだ」
「殿下の気持ち」
リリアーヌがにっこりした。
「先輩って頭はいいんですけど、自分に向けられた気持ちには全然気づかないので。もどかしいなって思って」
「……お前が言わなくていい」
「じゃあ殿下が言えばいいじゃないですか」
セドリックは黙った。
そこへ、レティシアが道具を持って戻ってきた。
「お待たせしました。では続けましょうか」
何も知らない顔で、こちらを見ている。切れ長の青い目が、静かにセドリックを映している。
(先輩、全然気づいてないですよ)
リリアーヌの言葉が頭の中で響いた。
(じゃあ殿下が言えばいいじゃないですか)
「……ああ」
セドリックは短く答えて、視線を逸らした。
◇
その夜、眠れなかった。
自室の天井を見上げながら、今日のリリアーヌの言葉を反芻した。
好きなんじゃないですか。
監視って、パンを買ってくるものですか。
先輩のことが気になって仕方ないのに、それを認めたくない人の顔。
(……全部、当たっている)
パンを買いに行ったあの日のことを思い出した。食堂でレティシアの盆を見た瞬間、気づいたら立ち上がっていた。購買部まで歩きながら、自分でも何をしているのかよくわからなかった。余ったと言って渡した。余ってなどいなかった。
図書館で隣に座ったのも。毎日廊下で声をかけるのも。術式を確認するのも。
全部——理屈が通らない。
(監視じゃない。最初から、そんなものじゃなかった)
気に入らなかった。ずっとそう思っていた。気に入らないから目が離せないと思っていた。
違った。
(認めたくなかっただけだ)
セドリックは目を閉じた。
八歳の茶会のことを思い出した。花壇の前でしゃがんでいた少女。何を言っても動じなかった。何を言っても「左様でございますか」で流した。腹が立った。悔しかった。だからもう一度話しかけた。
(あのときから、か)
十年。ずっと気に入らないと思っていた。
違った。ずっと——気になっていた。
◇
翌朝、セドリックは鏡の前で自分の顔を見た。
目の下に薄く隈がある。眠れなかったのだから当然だ。
(じゃあ殿下が言えばいいじゃないですか)
リリアーヌの言葉が、また頭の中で響いた。
言えばいい。
言えばいいのか。
(……言う)
セドリックは鏡から目を逸らした。
言い訳はもう、限界だった。




