神武東征(古墳時代の戦争について)
四世紀。河内湖西方。上町台地。
山道に死体が転がる。数は四。
山道を見下ろす位置に、男は隠れていた。手には弓。猟師である。後の世では長髄彦として知られる男だ。
長髄彦はもう半日以上、ここに隠れている。
罠を仕掛け弓を射て日向の兵を殺した。
太陽が、西の空に傾いてゆく。風が吹いて葉がさざめく。四人が殺されたときは静かだった鳥と蝉の声も戻ってきている。
長髄彦は動かない。
(もうひとり、いる)
太陽が、東の空を勢いよく上がっていく中、西から彼らは来た。敵の本軍に先行する斥候だと長髄彦は判断した。
数は五。まとまって四。少し遅れて一。
先頭から二番目の兵が叢からのぞく獣罠をみつけた。確認しようと近づいたところ、隠されていた別の罠にかかって動けなくなった。三人が罠にかかった兵を助けようと動く。
長髄彦は矢を放ち、三人のうち一人を射抜いた。続いてもう一人。
倒れ蹲る仲間の姿に、残る一人が警戒の叫びをあげて繁みに飛び込んだ。この時に最後尾の一人の姿がみえなくなった。
長髄彦は弓矢を置くと予備の潜伏場所へと移動を開始する。この陣地転換は事前の計画通りだ。矢を射れば潜伏場所は露見する。成否にかかわらず狙撃のあとは場所を移す。成功すれば予備の潜伏場所へ。失敗すれば逃走だ。どちらを選んだ場合も静粛に素早く移動できるよう邪魔な枝ははらってある。この襲撃場所の選定と準備に長髄彦は十日をかけた。
最初に罠にかかり、自分が囮に使われたことを知った兵は眦を決して自力で罠を壊そうとあがいた。けれども鉄の短刀で縄を切ったところで毒がまわり泡を吹き昏倒する。
矢で射抜かれた二人のうち、一人はまだ生きていた。弱々しく呻き声をあげる仲間を助けようと繁みの中からそろそろと男が出てくる。
その時までに予備の潜伏場所へ移動した長髄彦は傷ついた仲間のところにたどり着いた男が負傷兵を背負うまで待ち、そして射殺した。使ったのは黒曜石の鏃だ。貴重な鉄の鏃をつけた矢は予備の潜伏場所にまでは用意できなかった。
地面に投げ出された男が傷ついた体で泣きながら地を這う。血の痕が伸びる。
トドメをさすことはできたが長髄彦はその行動を選択しない。最初に見えなくなった五人目を警戒してのことだ。
動きはなかった。
もう逃げたか。長髄彦は考える。
可能性は五分五分。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。ならば逃げていないと考えた方が安全だ。獣は手負いの方が恐ろしい。
長髄彦はその場に留まり続けた。
這って逃げていた男が動かなくなった。呻き声も聞こえなくなった。
太陽が、ゆっくりと西の空に傾いてゆく。
(……動いた)
太陽が長い影を落とす中、五人目が動いた。
姿は見えない。繁みの中を移動している。枝が揺れ、葉が動く。夕闇に乗じて遠ざかるかと思ったが、動きは倒れた仲間の方へと向かっている。
長髄彦は意外だった。自分であれば死んでる仲間よりも生きてる己を優先する。
薄気味悪さを感じて長髄彦は指で呪いの印を結ぶ。
同時に僥倖だとも思う。
(ここで斥候を全滅させれば日向本軍の動きも鈍ろう)
長髄彦はそう考えた。
ここから一日の距離に白肩津という集落がある。このあたりでは有力な集落で各地の米を船で集めた屯倉もある。ここを日向の勢力圏にされてはこたびの戦は終わったようなものだ。
(この地は我らのもの。西の連中の好きにはさせない)
長髄彦は鉄の短刀を腰にさして五人目を襲撃するべく動いた。これだけ暗いと弓矢は当たらない可能性が高く、そして当たらなければ逃がしてしまう。襲撃したからには全滅させる必要があった。
これで十日は時間を稼げる。その間に次の襲撃の準備ができる。長髄彦はそう判断した。
三日後。白肩津は日向軍の手に落ちた。
それからさらに一月(太陰暦)が過ぎた。
白肩津は河内湖西岸にある津だ。
幾艘もの丸木舟を舫う水運の拠点であり、各地で生産された米のうち余剰分はここに運ばれ備蓄される。
白肩津に進駐した日向軍が最初に行ったのは屯倉に積まれた備蓄米の確認だった。
「集計はできた?」
「うん」
若者がおはじきのように地面に勾玉を並べる少女に問い、少女が頷く。
どちらも十代前半。入れ墨が青い年頃だ。
少女の名は後の世に伝わるものでいうと壱与となる。幼い頃より記憶力と計算力を鍛えた巫女だ。
「出征前に吉備高島神託宮で想定した数よりずいぶん少ない」
「原因はなんだと思う?」
「米の出来は去年も一昨年も平年並。備蓄米は十分にあったはず。それが消えてるのだから横流しは確定」
「やっぱりそうか。兄さんが襲われたのも誰かが悪事の露見を恐れたんだろう」
「直前に船で米を運び出している。腕の立つ猟師が雇われたもよう」
「ぼくもそいつの名前は確認した。長髄彦だ。絶対に逃さない」
若者が暗い顔でいう。
銭のない時代であるが押領や賄賂は普通にある。
しかも文字による記録が普及する前なので屯倉の管理者は「ちょっとしたお礼」感覚で備蓄米を持ち出すし、「このくらいの量なら持ち出してもいいだろう」が積み重なって端境期に死者が出るレベルで備蓄米を減らしてしまうことがある。
「訴えにあったように、備蓄米の管理を白肩津に任せるのは無理」
「うん。予定よりちょっと早いけど、ここも邪馬台神託同盟に組み込む。壱与には負担をかけちゃうけど」
「わたしは高島で今代の巫女頭様に演算能力を鍛えられたから、大丈夫」
壱与という名は次代の巫女頭候補につけられる称号だ。同盟が拡大するにつれ何人もの巫女がその名を冠するようになったが、名誉であることにかわりはない。なお、他の壱与と区別するときは出身地を頭につけて“日向の壱与”や“西都原の壱与”と呼ぶ。
「これから大変なのはわたしよりあなた。お兄さんのこともある。わたしと一緒にここに残るとなれば周囲は敵ばかり」
日向進駐軍の指揮官は本来なら若者の兄──後の世に伝わる名でいえば五瀬命だった。
五瀬命の斥候隊が長髄彦の襲撃を受けて全滅した今は指揮官の役目を弟が受け継いでいる。
弟の名を後の世に伝わるものでいうと磐余彦尊となる。
「ぼくなら大丈夫だよ。みんなが兄さんの代わりのぼくを助けてくれる」
待ち伏せによって斥候隊が全滅したことはすぐに日向本軍に伝わった。
伝えたのは白肩津で水運を担う男で、これまで屯倉の利権を握っていた者とは対立する派閥の者だ。
報せを聞いた次席指揮官の磐余彦尊はただちに決断し上町台地を強行突破。長髄彦はこの動きを察知したが新たな襲撃には準備が足りなかった。河内湖の湖岸にでた日向軍は迎えにきた丸木舟の船団を使って湖側から上陸作戦を敢行。ほとんど抵抗を受けることなく白肩津を制圧した。
戦争は数の多い側が勝つ。
日向本軍の総数は五百人近い。老若男女を合わせても同数以下の人口しかない白肩津が抵抗できなかったのも当然といえる。
けれどもこの事実は、新たな疑問を浮かばせる。
なぜ日向はこれだけの兵をひとつの部隊として運用し、浪速まで遠征させることができたのか。
五百という数はホモ・サピエンスが自然のまま安定した群れを維持できるダンバー数の倍になる。
この規模で互いに命を預けられるほどの団結力を生み出すには共同体意識を増幅する社会技術が必要だ。
繰り返すが四世紀の日本は文字が普及する前の社会だ。法はない。信仰も戒律と呼ばれるほどのものは未整備だ。あるのは地縁・血縁からうまれる自然な親近感を根とする穏やかな仲間意識だけ。
しかも農業と物流が未発達な四世紀の日本ではひとつの集落で維持できる人口は千に満たない。そこから兵になれる成人男性を選抜するとなれば百人の軍を編成するのが限界だ。
にもかかわらず五百人の日向進駐軍は長髄彦が気味悪く感じるほどの強い結束力を誇る。
なぜか。
「ぼくたち西都原古墳建設大隊は決して負けない。必ず兄さんと仲間の仇はとる」
その答えは古墳にある。
この時代、日本中で競い合うように古墳が建設された。
古墳を作るにはひとつの集落では人手が足りない。複数の集落から壮健な男たちが送り出され造成を担う。
磐余彦尊が所属する西都原古墳建設大隊もそのひとつだ。大小合わせて百近い集落の出身者がひとつところに集まり、同じ釜の飯を食いながら土を掘り岩を運び自分たちの古墳を造成する。そして絆を深める。戦争に送り込めるほどの。
自身も従軍経験のある歴史家のウィリアム・H・マクニールは徴兵された若者が自分の所属部隊に強い帰属意識を芽生えさせる原因として、筋肉の働きに着目している。
古墳建設にせよマスケット銃の調練にせよ、集団で筋肉を動かすことで「ぼくはここにいていいんだ」という確信が芽生える。精神ではなく肉体で互いが同胞であると納得してしまうのだ。これが互いに命を預けるほどの強い絆となる。
しかしどんな仕組みもよいことばかりではない。
意気込む磐余彦尊をみて、壱与は首を振った。
「日向は遠い」
「それは……うん。でも安心して。無用な損害が出るようなことはしない」
「そうじゃない。損害がでてなくても戦が終わるんだから兵の大半は帰郷させないと」
「あ」
戦争は数の少ない側が負ける。
白肩津は日向兵五百を前に即座に土下座を選んだ。
勝敗は決した。日向兵は故郷に戻らねばならない。
「この地には兄さんを殺した仇がいる。それに屯倉の米を持ち出した連中も行方をくらましたままだ」
「屯倉の管理者は捕まえた」
「ただの火元管理責任者じゃないか! あいつに倉を開けさせ、米を持ち出して配ったのは別の連中だ。あいつはそれを見て見ぬふりをしただけ。罪はあるがそこまで重くはない」
「わたしもそう思う。でも邪馬台神託同盟にとっては違う。不正を行った白肩津の屯倉は差し押さえた。管理者も捕らえた。戦う理由はもうない」
「う……」
磐余彦尊は苦い顔になる。
五百の兵を日向から浪速まで遠征させる軍資“米”を出しているのは邪馬台神託同盟である。
四世紀の稲作は投機よりも賭博に近い。ひとつの集落の中でさえ田によって出来不出来が大きく違うのは当たり前。赤米黒米などの多品種栽培でリスク分散してさえ天候や病害虫によっては収穫がゼロに等しいことがある。それでも平均してみれば収穫量は十分すぎるほどで豊作の年に備蓄しておけば不作の年を乗り切れる。備蓄米が鼠や虫に食われなければ、という条件がつくが。稲作が伝来すると同時に高床式の倉が普及したのもそのためだ。
しかし白肩津がそうであったように、備蓄米は悪心を呼び起こす。それどころか公正に分配してさえ「ズルをされたのでは」という疑心を招く。そうでなくとも腹が減れば怒りやすくなるものだ。不作の年に集落の環濠をこえて備蓄米を分配するという、まさにそのことが不和の種となり、諍いが絶えない原因となった。
悪心疑心を避ける方法として人々が見出したのが「神頼み」だった。
備蓄米は神への捧げ物である。その分配は神託を受けた巫女が行う。事実がどうあれ「そういう建前にする」ことで人々は悪心疑心を抑え込むことができた。
こうして誕生したのが邪馬台神託同盟だ。同盟に加盟した集落には記憶力と演算力を鍛えられた巫覡が送られ備蓄米の管理と分配を担当する。
備蓄米の管理と分配は大きな利権であるから同盟に参加したがらない集落も多い。大きくて有力な集落ほどそうだ。けれども一方的に搾取される側の小さい集落にとっては神託による公正な分配を謳う同盟への参加は魅力的だ。
今回の白肩津への出兵も、河内湖周辺の小さい集落からの訴えがあってのことだ。地元の名もなき人々の膨れる恨みと嵩ます妬みと小さな希望と淡い信仰に支えられ、日向からの遠征軍五百人はここまでやってきた。
同盟が届けてくれる特別軍事備蓄米を食べながら。なお、煮炊きに使う水と燃料は地元有志からの提供である。
「米はいつまで届く予定なんだい」
「高島神託宮から冬至までの配給米が約束されてる」
「なら時間はあるな」
「それはわたしの報告しだい」
「愛してるよ、壱与」
磐余彦尊は壱与を抱き寄せ、口づけした。
壱与は磐余彦尊の首に腕を回して情熱的にこたえる。
長い接吻が終わり、壱与は幸せそうにため息をつく。
「どうかな?」
「手付としては、これで十分」
壱与は上気した顔で唇を舐め、磐余彦尊の胸に頭を預ける。
「兄さんの仇を探しだしてくれたら、残りを払うよ」
「任せて」
邪馬台神託同盟は公正を保つため巫女の結婚を許さない。現役を退いたあとも未婚を強いられる。地位と技能は才のある子を養子として育てて継承する。少なくとも初代巫女頭と後継者の初代壱与はそうであった。
だが屯倉の備蓄米の管理がそうであるように、いかなるルールも運用するうちに裏をかかれるようになる。
初代巫女頭から代を重ねるにつれ、未婚のまま子をなす巫女の存在が増えた。形式上はどれも養子として届けてあるのでルール違反ではない。
壱与も未婚の巫女の子である。父親はわかってないことになっているが幼い頃からたびたび母のもとを訪れる有力な集落の長で間違いない。
壱与もまた集落長が連れてくる男の子と遊びながら育ち、恋心を育て、そして今は明確な欲望と将来設計をもって共にいる。ふたりは異母兄妹であるが古代日本では母親が違えば父親が同じでも問題ない倫理だ。
「お兄さんの仇を討ちたいのはわたしも同じ……でも、そのあとはどうするの?」
「ぼくに考えがある。うまくいけば西都原古墳建設大隊の皆でここに残ることができる。日向から追加の人員を送ってもらえるかもしれない」
翌日から、ふたりは戦後処理のため動きはじめる。
壱与は邪馬台神託同盟の現在の本部がある吉備高島神託宮から育成中の巫覡見習いの少年少女を呼び寄せた。そしてこれまで白肩津に備蓄米を献上していた集落に送り込み、今年の稲の出来や人口を調査させる。実地訓練だ。
磐余彦尊は西都原古墳建設大隊と共に河内湖周辺の耕作の様子を調べた。
「どうだ? 新しい田は拓けそうかい?」
「いやあ。目ぼしい土地は誰かが使ってますね」
「簡単にはいかないか」
「地元民に聞いたところ川の上流、内陸の方までいけば、いい感じの土地が遊んでそうなんですがねえ」
磐余彦尊の狙いは稲の収量を自分たちの手で上げることだ。
彼と彼の西都原古墳建設大隊は古墳作り専従ではない。堤を築き水路を掘り、田を拡げる技能を持つ部隊だ。
残念ながら日向では新たな田を作れる場所がなかった。浪速でならあるいはと考えたのだが甘かったようだ。
「なら次善の策だ。今ある田の収量を上げよう。できるよな?」
「任せてください。ここの連中は水の使い方がなっちゃいない。せっかく水まわりがよくなる田がいくつもあるのに腐らせちまってる。来年すぐとはいきませんが、二年後、三年後には同じ面積で倍……は無理にしても一・五倍の米がとれるようにしてみせます」
大陸から稲作が伝来する前から日本各地ではさまざまな形の畑があった。
五穀である米・麦・粟・稗・黍はいずれもイネ科の植物である。特に粟と稗は米よりも早い時期から日本で栽培が行われていた。
弥生時代となると粟や稗の畑を置き換えるようにして田が広がるが、ノウハウ不足で稲作がうまくできずに失敗することも多かった。
「どうするんだ?」
「稲刈りが終わった田から水を抜く道を掘ります。冬の間に田を乾かすんです。春になったら水を溜めて苗をうえます」
「田植えか。日向でもやってるやつだな」
「こっちは田んぼに水を入れっぱなしです。これじゃあいけない」
稲作の基本は生態系的多様性を削ぎ落とすことだ。田んぼの食物連鎖は単純をもってよしとする。人が米を作り、人が米を食う。虫にも獣にも鳥にも米を食わせない。
ただしこれは気構えのようなもので、実際には虫にも獣にも鳥にも食われる。狭い範囲に大量に米を作ることで虫や獣や鳥による損失を比率として減らしているだけだ。
そして大量に米を作るためには稲が土の滋養と日の光を独占できなくてはいけない。稲にとっての本当の敵は虫や獣や鳥ではなく、土の滋養と日の光を横取りしてくる他の植物や微生物である。
そこで用いられるのが水田だ。土を耕し、水をはる。これで田んぼの土の中は酸素不足にみまわれる。活発に活動していた土中の好気性菌が休眠し嫌気性菌がこの世の春を──季節は初夏だが──謳歌する。その隙に苗代で育てた苗を植える。地球の歴史を三十五億年逆回しする還元性トリックが、稲が土の滋養と日の光を独占する手助けとなる。
「よし、それでいこう」
「任せてください。こっちで自分の田をもてるようになれば、故郷に残した妻や子を呼び寄せることもできますからね。みんな張り切ってますよ」
「頼もしいな。ぼくもここで妻と子をもてるよう頑張るよ」
「壱与さまですかい? でも、巫女は生涯独身の決まりがありますぜ」
「今では形だけの決まりだよ。いずれなくなるさ」
三代後の巫女頭の時代に、磐余彦尊の予言は最悪の形で当たってしまう。
腐敗と汚職が進んだ邪馬台神託同盟は内紛の果てに自壊し、再建されることなく消滅する。
磐余彦尊と壱与の子や孫たちはこの時には奈良盆地まで進出していた。壱与は巫女頭にこそならなかったが教育と次世代の育成に力を尽くしたことで、邪馬台神託同盟が残したシステムをほぼそっくり継承することができた。
継承しなかったのは、邪馬台の名前だ。
醜聞に塗れた名を捨て、新たに氏や姓の制度に置き換えた。
また、この頃には古墳作りも終焉を迎えていた。稲作技術の進歩と、何より大陸から文字と馬が入ってきたことによる物流の発達で、古墳建設大隊という形を取らずともそれなりの規模の軍団を作ることができるようになったのだ。
そして口伝に頼らない、文字による記録が進むようになってから磐余彦尊の勲は歴史として編纂される。
神武東征。
古代の人々の戦いの物語である。




