第9話:帝国の密偵は『掃除(クリア)』された痕跡に戦慄する
帝国軍・特殊工作部隊『影鴉』隊長、ガイル。
それが俺の名だ。
主な任務は、帝国の繁栄に仇なす者の暗殺。
および「都合の悪い真実」の隠蔽。
今回の任務は後者だった。
「……第7皇女レン・ヴァーミリオン。無能判定を受け、奈落へ廃棄された汚点」
俺は第1層の入り口に立ち、湿っぽい闇を見据えた。
「任務は『死亡確認』。遺体の一部、あるいは遺品を持ち帰るだけでいい」
簡単な仕事だ。
相手は無能の紋章の少女。
丸腰で放り込まれて3日が経過している。
生きていられるはずがない。
おそらく最初のエリアで、スライムや狼の餌になっているだろう。
俺は気配を消し、音もなく闇の中へ踏み入った。
――だが。
潜入して少ししたところで、俺は違和感に足を止めることになった。
「……なんだ、これは?」
通路が、異常に「綺麗」なのだ。
ダンジョン特有の腐臭や、苔の匂いがしない。
それどころか、石畳の床が鏡のように磨き上げられ、塵一つ落ちていない。
「スライムが……いない?」
ここは『溶解の回廊』と呼ばれるエリアだ。
酸を撒き散らすスライムが群生しているはず。
だが、見渡す限り魔物の気配がない。
あるのは、洗い立てのような……不自然なほど爽やかな「柑橘系の残り香」だけ。
(……戦った痕跡すらない。スライムたちが逃げ出した? いや、違う。これは『浄化』だ)
俺は床を指で拭い、戦慄した。
物理的な汚れだけでなく、魔物の穢れそのものを根こそぎ剥ぎ取る、最上位の魔術。
それを、この広大な通路全体に行使したというのか?
俺は警戒レベルを引き上げ、さらに奥へと進んだ。
◇
第3層。湿地帯エリア。
ここで俺は、決定的な「異常」を目撃した。
「……『マッシュルーム・トータス』か?」
通路の真ん中に、巨大な亀の死骸が転がっていた。
だが、その死に様が異様すぎた。
魔術で焼かれた跡もない。
ただ、全身がカラカラに干からびていた。
背中に生えているはずの巨大キノコは、まるで数百年放置されたドライフラワーのように、亀の皮膚は水分を極限まで奪われてひび割れている。
(……ミイラ化?)
俺は死骸に触れようとして、手を止めた。
周囲の空気まで乾いている。
ここは湿地帯だぞ?
湿度100%のこの場所で、対象の水分だけを瞬時に蒸発させるなど……。
「……対象の水分を搾取する『脱水』」
恐ろしい手腕だ。
相手を生きたまま干物にするなど、俺でも思いつかない残虐な殺し方だ。
皇女レン。
彼女はただの少女ではなかったのか?
◇
そして、極めつけは第4層。
灼熱のマグマエリアだった。
俺はそこで、言葉を失った。
目の前にそびえ立つ、巨大な白い塊。
それは、エリアボス『ラーヴァ・ゴーレム』の成れの果てだった。
「……バカな」
ラーヴァ・ゴーレムは、流動するマグマの塊だ。
物理攻撃は通じない。
だが、目の前のそれは……カチコチに「凝固」していた。
氷魔術で冷やしたのではない。
成分そのものが変質し、ボロボロの、脆い物質に書き換えられている。
足元には、砕け散った残骸の山。
その頂点に、小さな革靴の足跡が残されていた。
あたかも、「こんな汚いもの、掃除して当然」とでも言うように。
(物質変換……いや、これは……『錬金術』の領域だ)
俺は震える手で、額の冷や汗を拭った。
第1層の完全浄化。 第3層の強制脱水。第4層の物質凝固。
これらは全て、別々の属性における「最上位の魔術」だ。
通常であれば一つの属性の紋章を極めた領域、
それを一人の人間が、しかも短期間で使いこなしている?
「無能」? 「空」?
ふざけるな。帝国の鑑定官は目が腐っていたのか。
これは「空」ではない。
あらゆる理不尽を飲み込み、蹂躙する、底なしなのだ。
「……報告しなければ」
俺の直感が警鐘を鳴らしていた。
彼女を「死んだ」ことにしてはいけない。
これは、帝国が総力を挙げて対処すべき、未曾有の脅威(あるいは切り札)だ。
俺は気配を極限まで殺し、第5層への階段を見下ろした。
その先には、広大な水中エリアが広がっている。
「……そこにいるのか、化け物(レン皇女)」
俺は影に溶け込み、音もなく階段を滑り降りた。
その先に、さらなる絶望が待っているとも知らずに。




