第3話:高圧洗浄機でお掃除(ジェノサイド)配信
「……ん。良い香りね」
湿っぽいダンジョンの空気に、香ばしいコーヒーのアロマが広がる。
俺はAmazoneで購入した「ドリップコーヒー」を淹れ、優雅にカップを傾けた。
朝食は、携帯コンロで焼いたホットサンド。
具材はチーズとハム。とろりと溶けたチーズが、サクサクのパンと絡み合う。
(うめぇ……! 生き返る……!)
俺は内心で感動の涙を流していた。
昨日のステーキも良かったが、やはりジャンクな朝食こそ現代人の魂だ。
だが、表情には出さない。俺はあくまで「気品ある皇女」だ。
「……少し焼きすぎかしら。ま、許容範囲ね」
俺はパンの耳をちぎり、足元へ放った。
ガサゴソと段ボール箱が動き、中からピンク色の触手が伸びてくる。
ミミックのパンドラだ。
「お食べ。貴女の分よ」
パンドラは嬉しそうにパンの耳を受け取り、箱の中に引っ込んだ。
どうやら、パンドラも気に入ったみたいだ。
『優雅すぎて草』
『ここダンジョンだよな?』
『飯テロやめてw』
視界に流れるコメントを見て、俺は口元を緩めるが、内心では冷や汗をかいていた。
右上の同接カウンターを見る。
【現在同接:1,215人】
(……減ってる)
昨夜のピーク時はもっといたはずだ。
今は地球時間の早朝だろうか。人が減るのは仕方がないが、この数字は命に関わる。
注目度が下がれば、稼げるドネチャも減る。それは死を意味する。
全盛期は数万人の視聴者がいたが、復活後ともあって視聴者数も少ない。
(焦るな。まだ朝だ。ここから盛り上げて、数字を戻すんだ)
俺はカップを飲み干し、気合を入れて立ち上がった。
「さて。腹ごしらえも済んだことだし……散歩(攻略)に行きましょうか」
◇
探索を再開して数十分。
俺は、ある「違和感」に悩まされていた。
(……おかしい。敵がいない)
一本道の通路。
静かすぎる。
俺のゲーマーとしての勘が、警鐘を鳴らしている。
何かがいる。絶対にいる。だが、どこだ?
キョロキョロと周囲を見回すが、暗闇が広がるだけだ。
その時、コメント欄がざわつき始めた。
『あ』
『上』
『天井! 天井!』
『気づいてない?』
俺はハッとした。
そうだ。この配信は「三人称視点(TPS)」だ。
俺自身の目(一人称)には見えていなくても、画面の向こうのリスナーには、カメラが引いた映像が見えている。
彼らには、俺の死角が丸見えなのだ。
(上かッ!!)
俺は反射的に、前へ飛び退いた。
直後。
ドスンッ!!
俺がさっきまで立っていた場所に、巨大な岩塊――いや、岩のような皮膚をしたトカゲが落下してきた。
天井に張り付いて待ち伏せしていたのだ。
もしコメントがなければ、今頃俺はペチャンコだった。
「ギシャアアッ!」
トカゲが威嚇してくる。
硬そうな皮膚だ。チェーンソーで切れるか?
俺が迷っていると、リスナーが即座に情報をくれた。
『【ロック・リザード】だ』
『背中は硬いけど腹は柔らかいぞ』
『動きは遅い』
(サンキュー、攻略班!)
俺は冷や汗を隠し、ドレスの裾を払った。
「……ふん。天井に張り付くなんて、ヤモリの真似事?」
俺はチェーンソーを構え、不敵に微笑んだ。
動きが遅いなら、回り込めばいい。
スイッチを入れる。唸る刃が、トカゲの柔らかな腹を切り裂いた。
俺は理解した。
この配信システムは、ただの金稼ぎツールじゃない。
数千人の目が、俺の死角をカバーし、敵の情報を解析してくれる「最強の索敵システム」なのだ。
◇
だが、順調な攻略は唐突に終わりを告げる。
第1層の最奥付近。
広い通路に出た俺の前に、それは立ちはだかった。
ジュワァ……。
不快な溶解音。
通路を塞ぐように広がっているのは、緑色のドロドロした液体の大群だ。
「……うわ、汚い」
俺は思わず本音を漏らした。
ただのスライムじゃない。そこら中の床が煙を上げて溶けている。
試しに石を投げてみると、触れた瞬間にジュッと音を立てて消滅した。
(げっ、まじかよ……!)
マズい。
俺の武器はチェーンソーだ。近接武器で斬りかかれば、刃が溶かされるか、あるいは飛び散った酸でこっちがやられる。
この一張羅のドレスも、俺の肌もただでは済まない。
『物理無効きたこれ』
『【アシッド・スライム】だってよ』
『剣とか全部溶かす嫌なモブ』
『詰んだくね?』
コメント欄が情報をくれるが、それは絶望的な内容だった。
物理無効。装備破壊。
完全に俺の天敵だ。
スライムたちが、じりじりと迫ってくる。
逃げ場はない。後ろは一本道だ。
どうする? 火炎瓶でも買うか?
いや、密閉空間で火を使えば、酸の蒸気でこっちがやられる。
(くそっ……! 物理がダメ、火もダメ……どうすれば!)
スライムの一匹が体を持ち上げ、酸の弾丸を飛ばしてきた。
「ッ!?」
反応が遅れた。避けきれない。
そう思った瞬間、横から茶色い影が飛び出した。
ジュッ!
酸の弾丸を受けたのは、俺ではなくパンドラだった。
自ら飛び出し、その硬い箱の体で弾き飛ばしたのだ。
「パンドラ!?」
Amazoneのロゴが入った箱の表面が、黒く焦げている。
パンドラは俺の足元に着地すると、ふらつきながらも「大丈夫?」と問うようにこちらを見上げた。
(……こいつ、俺を庇ったのか?)
胸の奥で、何かが弾けた。
ただの便利な道具箱だと思っていた。
だが、こいつは俺を守った。
(許さん。俺のペットを傷つけやがって!)
俺は必死にAmazoneのウィンドウを開いた。
武器カテゴリはない。
なら、発想を変えろ。
あれは敵じゃない。「汚れ」だ。
こびりついた頑固な汚れを落とすには、何が必要だ?
俺の指が、[DIY・工具]カテゴリを走る。
そして、ある商品を見つけた。
キャッチコピー:『頑固な汚れも一瞬で剥がし取る! 驚異の水圧! 根こそぎ洗浄!』
(……これだ!)
俺は残高を確認し、即座に購入ボタンを叩いた。
◇
虚空から、大きな段ボールが落ちてくる。
中から出てきたのは、黄色いボディのタンクと、長いノズルがついた機械。
『なんだそれ?』
『掃除機?』
『高圧洗浄機じゃんwww』
正解。
「業務用・高圧洗浄機(タンク式)」だ。
俺はタンクに水を注ぎ、バッテリーをセットした。
「……あら。随分と汚れているわね、この通路」
俺はノズルを構え、スライムの群れに銃口を向けた。
スライムたちが、本能的な恐怖を感じたのか、動きを止める。
「掃除してあげるわ。――汚物は消毒よ」
トリガーを引く。
ブシュアアアアアアアアアッ!!!
爆音と共に、超高圧の水流が噴射された。
その威力は、コンクリートの苔すら削り取るレベル。
それが、柔らかい粘液状のボディを持つスライムに直撃したらどうなるか。
パァンッ!!
弾けた。
文字通り、霧散した。
先頭にいたスライムが、水圧に耐えきれず分子レベルで粉砕されたのだ。
スライムたちが後退しようとする。
だが、この洗浄機には「Amazoneの加護」が乗っている。
『根こそぎ洗浄』。
その言葉通り、水流はスライムを「生物」ではなく「除去すべき汚れ」として認識し、容赦なく剥ぎ取っていく。
「あはっ! 消えなさい! シミ一つ残さず!」
俺はノズルを振り回した。
水流が鞭のようにしなり、迫りくるスライムの大群を次々と破裂させていく。
酸が飛び散る暇もない。水に流され、中和され、ただの排水となって消えていく。
『うおおおおお!』
『スライムが汚れ扱いwww』
『洗浄力高すぎだろ』
『見てて気持ちいいw』
コメント欄が加速する。
そう、これは「お掃除動画」だ。
汚いものが綺麗になっていく映像は、人類共通の快感なのだ。
¥1,000『気持ちいい!』
¥500『業務用すげえ』
¥3,000『ナイス洗浄』
チャリン、チャリン。
心地よい通知音が響く。
同接カウンターも、いつの間にか2,500人を超えていた。
数分後。
通路からは、スライムが一匹残らず消滅していた。
残ったのは、ピカピカに磨き上げられた床と、爽やかな水の匂いだけ。
「……ふぅ。スッキリしたわね」
俺は洗浄機を下ろし、額の汗を拭った。
内心は疲労困憊だが、カメラに向かってドヤ顔を決める。
パンドラが、焦げた体を揺すりながら駆け寄ってきた。俺はこっそりと、その頭を撫でてやる。
「掃除は淑女の嗜みよ。
――さあ、綺麗な道を行きましょうか」
俺はパンドラを引き連れ、浄化された通路を歩き出した。
資金も増えた。これなら、次の階層でも戦える。




