第2話:女王の優雅な食事(ディナーショー)
「……はぁ。とりあえず、生き延びたわね」
俺は血とオイルにまみれたチェーンソーのスイッチを切り、重たい息を吐き出した。
足元には、肉塊と化したポイズン・ウルフの残骸が転がっている。
アドレナリンが引くと同時に、強烈な疲労感と――そして、「空腹」が襲ってきた。
ぐぅぅ……。
俺の腹の虫が、静寂なダンジョンに情けない音を響かせる。
そういえば、転生してから何も食べていない。
中身はおっさんでも、今の肉体は成長期の少女だ。燃費が悪いらしい。
『お、女王様お腹すいた?』
『サバイバルだし、その肉食うしかないんじゃね?』
『いや、TIPS見ろよ。こいつ【食用不可】だぞ』
『肉に毒素が回ってるらしい。食べたら下痢、嘔吐だってよ』
視界に流れるコメントを見て、俺は顔をしかめた。
リスナーの画面には、親切にも「食用不可」と表示されているらしい。
ありがたい情報だが、現実は非情だ。
(無理だ……。 毒持ちの狼肉で下痢なんてまっぴらだ)
内心で絶叫する。
だが、ここで「やだー! 怖い!」と叫べば、女王のキャラが崩壊する。スパチャも止まる。
俺は震える手をドレスのひだで隠し、冷ややかに鼻で笑ってみせた。
「……野蛮ね。貴方たち、私が誰だと思っているの?」
俺はカメラ(虚空)を睨みつけ、泥だらけの髪を優雅にかき上げる。
「食事というのは、文化の極み。例え地獄の底でも、私は『品位』を捨てないわ」
そう言って、俺は視界の端にある『Amazone』のアイコンを展開した。
現在の残高は、チェーンソー購入後の残りと、追加のドネチャを合わせて約15,000円。
(まずは安全な食料で腹ごしらえとチェーンソーのバッテリー充電だ。……これにしよう)
俺が選んだのは、[食品]カテゴリで高評価の「フリーズドライ・オニオングラタンスープ(4個入り)」と「ミネラルウォーター」。そしてチェーンソーのバッテリー。
購入ボタンを押すと、虚空から小さな段ボール箱が落ちてきた。
お湯はないが、水で戻すしかない。
俺は冷たい水でふやけたスープを、フォークですくい上げた。
「……いただくわ」
口に運ぶ。
その瞬間、俺の脳髄に衝撃が走った。
「……っ!?」
美味い。
異常なほどに、美味い。
ただのインスタント食品のはずだ。しかも水で戻しただけの冷製スープ。
だが、口の中に広がるのは、宮廷シェフが三日三晩煮込んだような、濃厚な玉ねぎの甘みとコク。
さらに、胃袋に落ちた瞬間、体の中から温かい光が溢れ出してくるような感覚に襲われた。
(疲れが……消えた? それに、この精神的な充足感はなんだ?)
まるで、最高級のスパで癒やされたかのように、恐怖でささくれ立っていた精神が落ち着いていく。
(おかしい……。いくら空腹とはいえ、効果が高すぎる)
俺はスープのパッケージを凝視した。
そこには、通販特有の「大げさなキャッチコピー」が書かれている。
『お湯を注ぐだけで、そこは王宮の食卓! 奇跡の癒やしと活力をあなたに!』
王宮。奇跡。活力。
地球なら、ただの「比喩表現」だ。誰も本気になどしない。
だが、ここは概念やイメージが物理的な力を持つ異世界だ。
(……まさか)
一つの仮説が脳裏をよぎる。
もしや、Amazoneの商品は、「パッケージに書かれた宣伝文句(誇大広告)」が、そのまま「魔法効果」として発動しているのではないか?
システムが、「王宮の食卓」という文言を、「王宮料理級のバフ効果」として処理しているとしたら?
(だとしたら……この『嘘』は利用できる)
俺はニヤリと笑い、足元のポイズン・ウルフの死体を見やった。
魔獣の肉は、硬くて臭くて毒がある。そのままでは食べられないゴミだ。
だが、この法則を利用すれば――。
「……実験開始よ」
俺は再びAmazoneのウィンドウを開いた。
◇
俺が新たに取り寄せたのは、鈍く黒光りする「高級キャンプ用フライパン」と、「アウトドアスパイス」、「葡萄ジュース」と万が一の腹痛薬だった。
『フライパンwww』
『まさか、アレを焼く気か!?』
『毒消し草もないのにチャレンジャーだな』
リスナーがざわつく。
俺はフライパンのパッケージを指でなぞり、不敵に微笑んだ。
「よく見ておきなさい。このフライパンはね、ただの調理器具じゃないの」
パッケージには、こう書かれている。
『驚異の特殊コーティング! 余分な油や汚れ(不純物)を完全カット! 素材本来の旨味だけを閉じ込めます!』
不純物を完全カット。
地球なら「焦げ付きにくい」程度の意味だろう。
だが、この世界なら――それは「浄化」になるはずだ。
俺はナイフを取り出し、ウルフの太ももから肉を切り出した。
紫色の毒々しい血が滲む。獣臭い。明らかに食用ではない。
カセットコンロに火を点け、フライパンを熱する。
そこに、毒まみれの肉を放り込んだ。
ジュウウウウウッ!!
激しい音が鳴る。
通常なら、ここで部屋中に毒の蒸気が充満するはずだ。
だが――起きた現象は、俺の仮説を証明していた。
シューッ……。
肉から溢れ出した紫色の液体(毒素と臭み)が、フライパンの表面に触れた瞬間、黒い煙となって蒸発していく。
まるで、フライパンが「不純物」を物理的に消滅させているかのように。
(やっぱり……! 『汚れをカット』って、毒素分解レベルで発動してんの!?)
内心でガッツポーズを決めながら、俺は手際よく肉を裏返した。
そこにはもう、毒々しい色はなかった。
黄金色に焼き目がつき、芳醇な脂の香りを漂わせる、極上のステーキがあった。
『はあああ!?』
『色が変わったぞ!?』
『毒が消えた……?』
『めちゃくちゃ美味そうなんだが』
仕上げに、魔法の粉を振りかける。
爆発的な香りが広がり、ダンジョンの腐臭を上書きしていく。
「……完成ね。
名付けて『奈落風ポイズン・ステーキ ~地獄の業火焼き~』よ」
俺はナイフとフォークを構えた。
見た目は最高だ。だが、味はどうだ?
もし不味かったら、リアクション芸で誤魔化すしかない。
俺は覚悟を決めて、肉を口に運んだ。
「……ん」
カリッとした表面を噛み砕くと、中から濃厚な肉汁が溢れ出した。
臭みなど微塵もない。
熟成された最高級肉のような深い旨味と、スパイスの刺激が脳を揺らす。
(うっっっっま!! なにこれ、店で出せるレベルじゃん!)
目を見開きそうになるのを堪え、俺は優雅に咀嚼し、ワイン(に見せかけたブドウジュース)で流し込んだ。
「……悪くないわ。焼き加減はミディアムレアね。野生の味がして、宮廷のスープより余程マシよ」
『マジかよ……』
『毒肉を高級料理に変えたのか』
『サバイバル能力高すぎだろ』
チャリン、チャリン!
深夜の飯テロ効果で、ドネチャが加速する。
やはり、「食」は強い。
俺は次の一切れに手を伸ばそうとした。
その時。
ガタガタッ。
背後で物音がした。
「……誰?」
俺はナイフを構え、振り返った。
そこには、さっき俺が商品を空けた後の「Amazoneのロゴ入り段ボール箱」があった。
誰もいない。
だが、箱がひとりでに震えている。
(風? いや、ここ地下だし……)
警戒しながら近づくと、箱の隙間から、ギョロリとした目玉と、鋭い牙が覗いていた。
『うわっ!』
『箱が動いてる!』
『ミミックだ!』
コメント欄が警告する。
ミミック。宝箱に化ける魔物。
まさか、空き箱に住み着いたのか?
「……あら。随分と可愛らしいハイエナね」
俺はチェーンソーに手をかけようとした。
だが、ミミックは襲ってこない。
むしろ、段ボールの内側に頬ずりし、その手触りと匂いにうっとりしているように見える。
どうやら、異界の紙(段ボール)の品質が気に入ったらしい。
(……こいつ、使えるかも)
俺は武器を収め、ステーキの切れ端を放り投げた。
ミミックが箱から触手を伸ばし、パクリと食べる。
嬉しそうに箱が揺れる。
毒抜きされた極上の肉と、地球製の段ボール。
未知の「快楽」を与えられた魔物は、一瞬で俺に屈服したようだった。
「気に入ったようね。いいわ、その箱はあげる。ステーキもあげる。その代わり私の荷物を運びなさい」
ミミックがコクコクと頷く。
さらに、俺が脱ぎ捨てたチェーンソーを器用に触手で掴み、箱の中へ収納してみせた。
見た目以上の容量があるらしい。生きたアイテムボックスだ。
『ペット枠きたー!』
『箱が箱に入ってるw』
『名前つけてやれよ』
リスナーが盛り上がっている。
マスコットキャラの加入は、配信的にも美味しい。
「そうね……貴女の名前は『パンドラ』。私の大事な道具箱よ」
パンドラは嬉しそうに箱の蓋をパタパタさせた。
『パンドラちゃんかわええ』
『Amazoneのロゴ入りミミックとか斬新すぎるw』
こうして、俺はダンジョンで最初の「ペット」と、当面の食料を手に入れた。
ふと、コメント欄を見る。
『で、いつ終わるの?』『アーカイブ残る?』という質問が流れていた。
(……終わり? どうやって?)
俺はコメント画面を探したが、どこにも「配信終了」のボタンが見当たらない。
そもそも、この配信を切ったらどうなる?
スパチャ(資金源)が断たれ、丸腰でダンジョンに取り残されるだけだ。
(終われない……。リスナーを繋ぎ止めないと、死ぬ!)
俺は髪をかき上げ、カメラに向かって不敵に宣言した。
「終わり? 愚問ね。
この迷宮を制覇するまで、私の配信は終わらないわよ」
『うおおおお! 24時間耐久マ?』
『寝ない枠たすかる』
『ガチ勢すぎるだろ……推せる』
俺は残りの予算で、防音・鍵付きの「ワンタッチテント」を購入し、設営した。
これが、俺の城だ。
「今日はここまでよ。番犬に見張らせて、私は美容のために休ませてもらうわ」
テントのジッパーを閉める。
ようやく、誰にも見られない空間ができる。
俺は泥のように寝袋に倒れ込んだ。
(……生きてる。なんとかなった……)
震えが止まらない。
だが、視界の隅にある同接カウンターは、常に変動していた。
明日はもっと稼がなきゃいけない。
もっと強い武器を。もっと安全な暮らしを。
俺はパンドラの箱を抱きしめ、泥のような眠りについた。




