第16話:北の空は鉛色に淀み、帝国最強の騎士団が舞う
朝霧の中。
ガイルは一人、地図を広げて北の方角を睨んでいた。
その横顔には、いつもの飄々とした表情はなく、元・帝国軍人としての重い憂いが張り付いていた。
「……ガイル、どうしたの? 怖い顔して」
起きてきたレンが、コーヒー(インスタント)を片手に尋ねる。
ガイルはハッとして姿勢を正した。
「いえ……。少しだけ気になることがありまして」
彼は地図の北端、『白嶺の国境』を指でなぞった。
「今日あたり、帝国軍の主力部隊が国境に到着する頃合いです。率いるのは、白狼騎士団のゼス将軍。……私の知る限り、帝国軍に残った『最後の良心』とも呼べる御方です」
「ふーん。あんたの元上司?」
「ええ。上層部が私の報告を『狂人の妄言』と嘲笑う中、あの方だけは最後まで耳を傾けてくださいました。しかし、それゆえに……政治的な圧力で、厄介払いのように北の最前線へ送られたのです」
ガイルは拳を握りしめた。
「ゼス将軍は強い。個人の武勇も、指揮官としての器も一流です。ですが……相手が『あれ』ならば……」
ガイルの脳裏に、かつて雪原で見た「死してなお行軍する軍団」の光景が蘇る。
「……どうか、ご無事で」
ガイルの祈りは、重く垂れ込めた岩盤の天井に吸い込まれて消えていった。
◇
同時刻。
帝国の最北端、『白嶺の国境』。
視界を白く染め上げる猛吹雪の中、帝国が誇る精鋭『白狼騎士団』三千騎が展開していた。
馬の鼻息さえ凍る極寒の世界。
指揮を執るのは、歴戦の猛将・ゼス将軍だ。
顔に大きな傷を持つ強者は、馬上で眉をひそめていた。
「……おかしいな」
索敵部隊からの報告が途絶えて久しい。
今回の任務は「オークの集落の討伐」だ。
だが、風に乗って漂ってくるのは、獣の体臭ではない。
鼻が曲がるような甘ったるい「腐臭」と、肌を刺す異常な冷気だ。
「将軍、考えすぎではありませんか?」
若い副官が苦笑する。
「相手はたかが蛮族。我ら白狼騎士団の敵ではありませんよ。 あの『影』の報告など、臆病風に吹かれた妄想に過ぎません」
「……だと良いがな」
ゼスは愛剣の柄に手をかけた。
ガイルは優秀な男だった。
あの男が「見た」と言ったのだ。
ならば、そこには必ず「何か」がある。
その時だった。
「ひ、ひぃぃぃっ!?」
「ば、化け物だ! 死体が……死体が歩いてくるぞぉッ!?」
先行していた偵察兵が、転がるように霧の中から逃げ帰ってきた。
その直後。
吹雪の向こうから、ゆらりと無数の影が現れた。
青白い肌、虚ろな瞳、錆びついた武具を纏った人型。
かつてこの地で死んだ蛮族、冒険者、そして――先遣隊の帝国兵たち。
「……アンデッドだと? まさか、本当に……!?」
ゼスは息を呑んだ。
報告は真実だった。
上層部が「妄言」と断じた悪夢が、現実となって迫っていた。
「総員、構えッ! 隊列を整えて火矢を用意しろ! ただの動く屍だ! 帝国の騎士の力を見せてやれ!」
ゼスの号令と共に、戦端が開かれた。
ガァァァァァッ……!
ゾンビの群れが波のように押し寄せる。
だが、腐っても帝国最強の騎士団。
練度と装備で勝る彼らは、緒戦においては圧倒的だった。
「シィッ!」
ゼスが一太刀振るうだけで、三体のゾンビが上半身を吹き飛ばされる。
騎士たちの連携も完璧だ。
だが――数時間後。 戦況は泥沼の様相を呈していた。
「な、なんだこいつら……!? 死なないぞ!?」
前線の兵士が悲鳴を上げる。
首を斬り落とされたゾンビが、手探りで自分の頭を拾い上げ、何事もなかったかのように胴体に乗せる。
焼かれたスケルトンが、黒焦げの骨をギシギシと組み直し、再び剣を握る。
個体は弱い。
動きも遅い。
しかし、「終わらない」。
斬っても、焼いても、雪原の冷気と共に再生し、立ち上がってくる。
「はぁ、はぁ……ッ! くそ、キリがない!」
「腕が上がらん……! こいつら、疲れを知らないのか!」
騎士たちに疲労の色が見え始める。
死者に休息は不要だ。
永遠に続く波状攻撃。
これこそが不死軍団の真の恐怖――『無限の消耗戦』だった。
「……まずいな」
ゼスは冷や汗を拭った。
このままでは、全滅する。
一度退き、体勢を立て直さねばならない。
ゼスの直感がそう告げていた。
「総員、後退だ! 円陣を維持しつつ、南へ――」
撤退命令を出そうとした、その瞬間。
ドォォォォォンッ!!!
背後の退路――南側の雪原から、巨大な氷の壁がせり上がった。
高さ数十メートル。脱出不可能な氷壁の牢獄。
「なッ!? 魔法だと!?」
自然現象ではない。
明確な意思を持った、最高位の魔法使いによる遮断。
ただのアンデッドではない。
(操っているやつがいる)
ゼスの眼光が鋭くなる。
彼は戦場を見渡した。
雪にかき消されそうなわずかな魔力を追う。
そして、遥か彼方――戦場を見下ろす北の丘の上に、「それ」を見つけた。
「――見つけた」
豪奢な氷の玉座。
そこに座る、喪服のような漆黒のドレスを着た幼い少女。
手には古びたウサギのぬいぐるみを抱き、無邪気に足をぶらつかせている。
魔王軍・七幹部
『不死の女王リリィ』
「あはっ。あははははっ! 逃がさないよ? せっかくボクの『おもちゃ箱』に入ってくれたんだから」
少女の声が、魔力と吹雪に乗って戦場全体に響く。
その可愛らしい声とは裏腹に、放たれる魔力は騎士たちを戦慄させた。
「貴様か……ッ! この悪夢の元凶は!」
ゼスは瞬時に決断した。
退路は断たれた。
持久戦は負け確実。
ならば、活路は一点――「敵将の首」のみ。
「総員、円陣を固めろ! 死んでもラインを割らせるな! ――俺が出るッ!!」
ゼスは愛馬の腹を蹴った。
単騎突撃。
自殺行為にも見えるが、帝国最強の武人である彼には、万に一つの勝機が見えていた。
「うおおおおおおおおッ!!」
ゼスの咆哮が雪原を震わせる。
行く手を阻むスケルトンの群れ。
ゼスは大剣を風車のように振り回し、それらを紙屑のように粉砕しながら突き進む。
ドガッ! バキィッ!
腐肉と骨片が飛び散る。
馬の脚が泥濘を蹴り、丘への斜面を一気に駆け上がる。
(届く! あの小娘、護衛を置いていない!)
距離が縮まる。 500メートル、300メートル、100メートル――。
丘の上。
リリィは迫りくる鬼神のごとき将軍を見ても、動じる様子すらなかった。
ただ、退屈そうにあくびをしただけだ。
「人間さんたち、弱いねぇ。すぐ壊れちゃう。 もっと丈夫なおもちゃじゃないと、つまんないよ」
ゼスの剣が届く距離へ。 殺気走るゼスの眼前に、リリィの無邪気な笑顔が浮かぶ。
「ねえ、ミミちゃん。『とっておき』出しちゃおうか?」
リリィが指を鳴らす。
ズウゥゥゥン……!
突如、リリィの背後の空間が歪み、霧の中から「巨大な影」が躍り出た。
ゼスの突撃を真正面から受け止めるべく、その影は立ちはだかった。
「邪魔だぁぁぁッ!!」
ゼスは止まらない。
影ごとリリィを叩き斬るべく、渾身の一撃を振り下ろす。
ガギィィィィィンッ!!!
凄まじい金属音が響き、ゼスの愛馬が衝撃でたじろいだ。
防がれた。
ゼスの剛剣を、片手一本で。
「な……ッ!?」
ゼスは驚愕に目を見開いた。
目の前に立つ男。
錆びついているが、かつては白銀に輝いていたであろうフルプレートアーマー。
ボロボロに朽ちたマントには、帝国の誰もが知る『黄金の獅子』の紋章。
その構え。
その剣圧。
そして兜の奥から覗く、青白く腐敗した顔。
見間違うはずがない。
幼い頃から憧れ、教科書で何度も見た、帝国の伝説。
百年前、魔王との戦いで命を落としたはずの救国の英雄。
「――剣聖、アルガン?」
ゼスの唇が震える。
虚ろな瞳が、守るべき子孫たち(帝国兵)を見下ろしている。
「あはは! 紹介するね! ボクの一番のお気に入り、『おもちゃ(アルガン)』だよ!」
リリィが無邪気に笑いながら、英雄の背中から顔を出した。
最強の将軍の前に、最悪の「壁」が立ちはだかる。
北の空は、絶望の色に染まっていた。




