第12話:深淵の岸辺は『熱風の咆哮』で浄化する
「……ぷはっ! つ、着きました……! やっと陸地です、レン様……!」
第5層……。どこまでも続くと思われた水中エリアを抜け、俺たちがたどり着いたのは、ゴツゴツとした岩場が広がる地下空洞だった。
水面から顔を出したリーナが、濡れた子犬のように岩場へ這い上がる。
スクール水着姿でゼェゼェと息をする彼女は、学者としての威厳など欠片もなく、ただの疲弊した遭難者だ。
(……ふぅ。やっと一息つけるな)
俺は内心で安堵のため息をつきながら、優雅に水中スクーターのスイッチを切った。
パンドラが箱を開け、スクーターを収納する。
俺はゆっくりと岩場へ降り立った。
ぽた、ぽた……。
水着から雫が滴り落ち、濡れた髪が白い肌に張り付く。
気持ち悪い。早く拭きたい。
だが、カメラ(配信)は回っている。
俺は不快感を顔に出さず、濡れた髪をかき上げ、虚空へ向かって流し目を送った。
「……あら。随分と静かじゃない。見惚れていたのかしら?」
計算されたアングルだ。
濡れた肢体。薄暗い洞窟。そして、深海の死闘を終えた後の気怠げな表情。
これが「画」にならないわけがない。
その瞬間だった。
チャリン、チャリン、チャリン……♪
静かな洞窟内に、小気味よい通知音が響いた。
(……お、来たな)
虚空に浮かぶコメント欄を見る。
¥1,000『水も滴るいい女!』
¥5,000『生きててよかった! サメ撃退お見事です!』
¥3,000『スク水リーナちゃんも眼福だけど、レン様の黒ビキニが優勝』
¥10,000『タオル代だ。風邪ひくなよ』
¥5,000『ナイスクルージング!』
¥500『うつくしい……』
画面の端に表示されている『現在の残高』カウンターが、カタカタと数字を更新していく。
【現在の残高:¥58,200】
(……よし。今回の稼ぎは5万弱ってところか)
俺は内心で頷いた。
命がけのスタントにしては安月給だが、水着姿を見せただけでこれだけ貰えるなら文句はない。
前回の買い物(スクーター等)で減った分を補填して、少しお釣りが来るくらいだ。
「感謝しなさい、リーナ。貴女の貧相な体(スク水姿)も、多少は集金に貢献したみたいよ」
「えっ? お金……? 何の話ですか?」
「なんでもないわ。さて――」
懐が少し温まったなら、やることは一つだ。
俺は濡れた髪を摘み、眉をひそめた。
ダンジョンの水は魔素が濃いのか、独特のヌメリがある。
自然乾燥を待っていては、風邪を引く前に髪が傷んでしまう。
(金は……約6万。高級機は無理だが、実用性重視なら十分いけるな)
俺は『Amazone』を開き、[美容・家電] カテゴリをタップ。
「業務用・大風量」のコスパ最強のモデルを選択した。
『サロン仕様・マイナスイオンドライヤー(ハイパワー1200W・速乾ノズル付き)』
価格:¥5,980
商品説明には『台風並みの風圧!』『濡れた髪も数分でサラサラ!』と頼もしい誇大広告が躍っている。
ついでに、電源確保のために『アウトドア用・ポータブル電源(中型・500Wh)』もカートへ。こちらはタイムセールで¥29,800。
合計約3万5千円。
身の丈に合った、賢い買い物だ。
ポチッ。
決済完了音が鳴ると同時に、頭上の空間が歪んだ。
ボシュッ。
虚空に開いた裂け目から、いつもの「茶色の段ボール箱」が落下してくる。
ドスッ。
「な、なんですかレン様!? いきなり空から箱が!?」
リーナが目を丸くして後ずさりする。
俺はパンドラからカッターを取り出し、手際よくテープを切り裂いた。
中から現れたのは、プラスチック製の白いボディを持つ、拳銃のような形状の機械。
「な、なんですかそれ……? 白い……魔道具?」
「文明の利器よ。……いい? リーナ。貴女も濡れたままだと風邪を引くわ。そこに座りなさい」
「は、はあ……」
俺はポータブル電源のコンセントを差し込み、ドライヤーのグリップを握った。
プラスチックの軽さが、逆に扱いやすい。
「いくわよ」
俺がスイッチに指をかけた、その時だった。
「――っ! そこまでだ、皇女レン!」
背後の岩陰から、男の声が響いた。
「!?」
反射的に振り返る。
そこにいたのは、全身黒尽くめの男だった。
黒装束。血走った目。
腰には短剣を帯びている。
(……ッ! 黒装束……!?)
俺の脳内で、警報が鳴り響いた。
ここはダンジョンの深層だ。一般人がピクニックに来る場所じゃない。
考えられる可能性は二つ。
冒険者の装備を狙う悪質な冒険者崩れの強盗。
あるいは――あのクソ親父(皇帝)が、俺の生存を嗅ぎつけて送り込んだ「始末屋」か。
(チッ……! やっぱり来たか。のんびり湯治もさせてくれないわけね)
俺の思考が一瞬で冷え込む。
相手が刺客なら、問答無用だ。
男が何か叫びながら、俺たちの方へ駆け寄ってくる。
距離を詰めて、ナイフの間合いに入る気か?
「……ち、違う! 俺は怪しい者じゃ……!」
男が手を伸ばしてくる。
その目は、俺の姿に釘付けだ。
……?
刺客にしては、随分と目が泳いでいないか?
(……なるほど。暗殺ついでに、女の体も楽しもうって腹か?)
殺意の上に、不快感が上乗せされた。
俺は、手に持っていた白いプラスチックの塊――『サロン仕様ドライヤー』の銃口(吹き出し口)を、正確に男の顔面へと向けた。
「近寄るな、不潔」
カチッ。
俺は迷わず、風量スイッチを『TURBO(最大)』に叩き込んだ。
ギュイイイイイイイイーンッ!!!!
高回転のモーター音が洞窟内に響き渡る。
たかだか1200Wの温風だ。地球なら「熱っ!」で済むかもしれない。
だが、俺の『Amazone』において、そこに書かれた「宣伝文句」は絶対の法則となる。
『台風並みの風圧』
『驚きの速乾力』
そのキャッチコピーが概念的な強制力を持ち、狭いノズルから圧縮された熱風の弾丸となって噴射された。
ゴォォォォォォォォォッ!!!
「ぐ、ぅぅぅッ!? か、風……!?」
男が咄嗟に腕を交差させ、防御態勢をとる。
流石は手練れだ。反応が速い。
だが、そんな物理防御など意味はない。
『速乾』の概念が付与された風は、対象を「乾かすべき濡れ髪」と認識し、男の皮膚や筋肉から水分を根こそぎ奪い取っていく。
「が、ぁ……ッ! あ、熱い……!肌が……干からびていく……!?」
男が苦悶の声を漏らす。
踏ん張ろうとする足が、ずるずると後退していく。
「馬鹿な……詠唱もなしに……これほどの熱量を……!『上位の風と炎の複合術式』か……!?」
男は必死に目を見開き、解析しようとしているが、その目は恐怖よりも驚愕に染まっていた。
通販家電を「複合術式」と見紛うほどの威力。
俺は容赦なく、ドライヤーの先端を小刻みに揺らした。
「帝国の犬か、野盗か知らないけれど……。レディの着替えを覗くマナー違反には、お仕置きが必要ね」
「ぐ、おおおおおお……ッ!!」
ついに男は風圧に耐えきれず、吹き飛ばされた。
地面をごろごろと転がり、岩壁に背中を強打して止まる。
「はぁ……はぁ……!」
男は肩で息をしながら、カピカピになった顔をさすった。
だが、すぐに体勢を立て直し、片膝をついて俺を睨み据えた。
目は死んでいない。
(……しぶといわね。まだやる気?)
俺はスイッチを切り、静かになったドライヤーを下ろした。
『wwwwwwwww』
『一撃で無力化できないだと?』
『さすが帝国の刺客、耐久力あるな』
『ドライヤー耐えるとか何者だよ』
コメント欄が盛り上がる。
俺は油断なく残心をとりつつ、冷ややかに問いかけた。
「……あの、レン様。あの方は……?」
リーナがおそるおそる尋ねてくる。
「帝国の『掃除屋』でしょうね。しつこいハエだわ」
「そ、掃除屋……ッ!? 暗部組織の……!?」
リーナが青ざめる中、俺は男へと歩み寄った。
男は逃げる素振りも見せず、じっと俺を見上げている。
だが、そこに殺意はなかった。あるのは、深い諦観と……奇妙な「確信」のような光だ。
「……ねぇ。まだ踊り足りないのかしら?」
俺が声をかけると、男はゆっくりと首を振った。
そして、短剣を鞘に納め、両手を膝に置いて深く頭を下げた。
完全なる服従の姿勢だ。
「……降参だ。俺の負けだ、皇女殿下」
乾いた声が響く。
「抵抗するだけ無駄だと思い知らされた。……今の熱風。殺そうと思えば、俺の全身の血液を蒸発させて殺すこともできただろう。それをしなかったのは、慈悲か、それとも俺など敵ではないという余裕か」
「……さあね。ただのヘアセットの邪魔だっただけよ」
俺は鼻で笑い、パンドラからもう一つの「相棒」を取り出して見せた。
ジャキッ。
機械的な金属音。 俺が構えたのは、『充電式チェーンソー(庭木剪定用)』。
「次はないわよ。もし妙な真似をしたら、次はこれで『洗浄』するから」
男の視線が、その黄色い機械に吸い寄せられる。
彼は喉を鳴らし、微かに顔を引きつらせた。
男は深く溜息をつき、自嘲気味に笑った。
「報告では『無能』と聞いていたが……とんだ節穴だ。帝国の鑑定官は全員、目をくり抜いた方がいい」
「……貴方、名は?」
「ガイル。……帝国の特殊工作部隊『影鴉』の隊長だ。命令は、貴女の抹殺、および遺品の回収だったが……」
ガイルは言葉を切り、俺の目を真っ直ぐに見据えた。
「その命令は破棄する。……俺は、ここで貴女に賭けることにした」
「……は? 賭ける?」
意味が分からない。
命乞いにしては、やけに真剣な眼差しだ。
ガイルは立ち上がり、俺に向かって手を差し出した。
「皇女レン。貴女は知らないだろうが、今、地上は危機に瀕している。北から迫る『暴食の軍勢』……奴らは普通の軍隊じゃない。全てを喰らい尽くす、終わりの始まりだ」
ガイルの声に熱がこもる。
「帝国軍も、奴らを止められないだろう。奴らを止められるのは、規格外の力を持つ怪物だけだ」
彼は俺を指差した。
「その理不尽なまでの魔力。貴女様こそが、あの『暴食の軍勢』に対抗できる、唯一の人間だ……!」
「……」
俺は呆気にとられた。
暴食? 軍勢?
何の話だ。俺はただ、通販で快適なスローライフを送りたいだけなんだが。
(……面倒くさい。本気で面倒くさいぞ、このおっさん)
関わったら最後、命がけの「戦い」に巻き込まれる未来が見える。
俺は冷めた目でガイルを見下ろし、冷徹に言い放った。
「……却下よ」
「えっ……?」
ガイルが虚をつかれた顔をする。
「興味ないわ、そんな話。帝国が滅びようが、愚民が食われようが、私を捨てた国のことなんて知ったことじゃないわ」
俺はチェーンソーを、真っ直ぐにガイルへ向けた。
「それに、私につきまとう薄汚い男は趣味じゃないの。――消えなさい、アサシン。3秒以内に私の視界から消えなければ、貴様も処理するわよ」
「ま、待ってくれ! 貴女しかいないんだ! 俺の話を――」
「3、2……」
トリガーに指をかける。
ブォン……ッ! とモーターが唸りを上げた瞬間。
「くっ……!」
ガイルは舌打ちし、瞬時に後方へと飛び退いた。
プロの暗殺者だ。本気の殺気(洗浄意思)を感じ取り、生存本能が働いたのだろう。
距離を取ったガイルは、岩陰から悔しげな視線を俺に向けた。
「……今は退く。だが、俺は諦めんぞ」
ガイルは決意を込めた目で、俺を睨み据えた。
「貴女こそが希望だと、俺は確信した。この事実を……帝国の愚かな上層部に叩きつけてやる必要がある。一度戻り、必ずまた貴女を迎えに来る!」
捨て台詞を残し、黒い影は風のように闇へと消えていった。
「……やれやれ。変なのに好かれたものね」
俺は肩をすくめ、チェーンソーを下ろした。
世界を救う? 迎えに来る?
知るか。二度と来るな。
俺はただ、帝国へ復讐できればいい。
ただし、私の復讐を邪魔するのだったら全員敵よ
こうして、厄介な「勧誘員」を追い払った俺たちは、ようやく平和な(?)身支度の時間を再開したのだった。




