バヌアツの彼女
しいな ここみ様企画「冬のホラー企画4」参加作品です。
よろしくお願いします。
「あちち…クロエ、危ないからちょっと離れて」
アパートの狭い部屋。こたつの上に置かれた鍋敷きの上に鍋を置く。
予熱でぐつぐつと音を立てている鍋を見てクロエが言う。
「コレ何度見ても面白い…」
湯気の向こう、鍋を覗くクロエの瞳はキラキラしていた。
鍋を囲むとバヌアツに行った時のことを思い出す。
あの冬も、俺たちは今と同じようにこうして鍋を囲んでいた。
。。。
「カズキさん!見てくだサイ!火がないのに煮えています!」
こたつの上でぐつぐつする鍋を見ると必ずそう言うクロエ。
日本人であればなんともない事であるが…
「クロエのところは土鍋なかったの?」
クロエの好きな鶏肉をとんすいによそりながら、クロエの故郷のことを聞いてみた。
「鍋は火から下ろすコトハなかったから」
「へー…」
職場で知り合った彼女は、バヌアツからの外国人技能実習生。
外国人実習生の教育係の俺は、3人の男性と2人女性に仕事を教えている。
その中でも一番真面目で素直なクロエ。異国の地でひたむきに頑張るクロエを見ているうちに、俺の中には上司と部下以上の気持ちが生まれた。
その気持ちはクロエも同じで、俺たちが愛し合うのは時間がかからなかった。
その彼女はバヌアツの小さな村の長の娘だそう。
村の代表として、みんなでお金を出し合って日本に送り出してくれた恩もあり、5年経ったら国に帰る約束で日本に来たそうだ。
クロエは今日、一月後に国に帰るための航空券を予約した。
「さ、食べようか」
向かい合ってこたつに入り、ただ鍋をつつくだけなのに幸福感は計り知れない。
ハフハフと鶏肉を頬張る彼女を眺めているだけで、つい頬が緩む。
家族に恵まれなかった人生を歩んできた俺が、家族という幸せを手にする事が許されるのであれば…クロエと歩んで行きたいと思っている。
まだ彼女に伝えてはいないが、いつか必ずプロポーズをするつもりだ。
「クロエ、おかわりは?」
いつもより箸が進まない彼女に声をかける。
ピクリと肩を揺らした彼女が箸を置き、ゆっくり顔を上げたその目には大粒の涙が今にも溢れそうになっていた。
「えっ?どうしたの?そんなに熱かった?」
クロエは首を横に振ると、堰を切ったように泣き出してしまった。
慌ててなだめて理由を聞くが、泣くばかり。とりあえずクロエが落ち着くのを待った。
しばらく泣いた彼女がゆっくりと話しだす。
「兄に帰国日の連絡をしたら…村に戻ったら村の男性と結婚するように告げられマシタ…帰れば結婚が待っている。でも、私はカズキさんが好きなんです。他の人とは結婚したくナイんです」
結婚っ!?
「…帰りたくナイ…カズキさんと離れたくないデス…」
俺だってクロエと離れるなんて出来ないし、クロエを他の男に渡したくない。
そう思ったら、自然に言葉が溢れた。
「でも、クロエを送り出してくれた村の人へ義理を通すのは筋だと思う。だからクロエ、2人でバヌアツに行こう。そしてご両親に俺たちの結婚を認めてもらおう」と。
「え?…カズキさん…今…」
「クロエ。俺と結婚してください」
。。。
日本からニューカレドニアを経由して約10時間。到着その日はバヌアツに宿泊し、翌日約2時間かけてクロエの生まれた島に行く。そしてそこからさらに車や徒歩で進む。かなり山奥の村だ。
村に着くと大勢の人がクロエの帰りを喜んだ。
しかし…
俺はすぐにクロエと引き剥がされ、小さな小屋に軟禁状態にされてしまった。クロエの兄から「相手と交渉中なだけで、クロエは無事」と言われ、それを信じるしかなかった。
。。。
部屋から出されたのは2日後。
小さな広場のようなところに連れて行かれると、その真ん中に立たされた。
ギャラリーに囲まれた人混みの中に、着飾ったクロエが見える。
頭に花冠をのせたあれはたぶん花嫁姿。
群衆から歓声が上がり、その中から一人の男がずいと前に出た。
「だめ!やめて!お願い!!カズキさん!」
泣きながら叫ぶクロエ。
ウオオオ!と歓声が上がり、男が何かを叫びこちらに向かってきた。
戦うつもりはないと伝えるも、男が繰り出すパンチが頬をかすめる。
コイツ…本気だ。
連続して繰り出されるパンチ。当たったら死ぬと悟った俺は覚悟を決めた。
一度は本気でプロボクサーを目指した事がある俺。
ボクサーを諦めた後でも体つくりは続けていたし、お世話になったジムの選手のスパー相手もしていた。
感覚は衰えていないはずだ。
そして男とはミドル級とヘビー級の体格の差がある。
本気を出さねば殺されてしまう。
相手が出すパンチを紙一重で避けていく。相手もかなりの強者だ。
だが、俺も負けるわけにはいかない。一瞬の隙を見逃さず、相手の顎に渾身の一撃を喰らわせた。
男の頭が大きく左に揺れ、白目を剥き、膝から崩れ落ちるように倒れ動かなくなった。
脳震盪を起こしたのだろう。
すぐに数人が駆け寄り、男をどこかへ運んで行った。
「カズキさんっ!!」
「クロエ!」
大きな歓声と怒号が入り混じる中、俺の胸に飛び込んできたクロエを高く抱き上げた。
クロエの父親とお兄さんが嬉しそうにバシバシと俺の体を叩いて何か叫んでる。
クロエが「あなたの事を「強い戦士」と言っているの。私たちは結婚を認められたのよ」と教えてくれた。
そしてその夜から宴が始まった。
宴が始まると、一番先に俺の前に料理が並べられた。
戦いに勝った強い戦士へ、労いの儀式らしい。
ヤム芋やタロ芋と一緒にバナナの皮に包み、熾火でじっくり焼かれた肉。
勧められるがまま、俺は肉に手を伸ばす。
赤みが強く、ちょっと臭いがあるが炭と薬草の香りでうまく消されている。
口に含めばトロリとして、ここ数日で出された肉とは明らかに違う味と食感。
「今まで食べた事ない味わいの…なんとも言えない甘さの肉だね…何の肉?」
隣に座るクロエに聞くと嬉しそうに笑って「口に合ったなら嬉しいです」と言うだけだった。
俺が肉を口にしたのを皮切りに、皆も料理を口にする。
この肉は俺しか食べることが許されない貴重な肉だという。
到着した時とは違い、試合に勝った俺とクロエの結婚は大歓迎された。
その日から1週間続いた宴に、戦った男は一度も顔を出さなかった。
相手の男は大丈夫だったかとクロエに聞いてみたが「戦いに負けた男は2度と顔を見せる事はない」と言われ、村にそういう決まりがあるのだろうと思ってそれ以上聞くことをしなかった。
それから数日間村で過ごした後、俺たちは日本に戻った。
。。。
寒い季節、鍋を囲むと思い出す。
クロエを手に入れたあの日の喜びと、ウンザリするほど食べさせられた肉の味を。
クロエは何の肉か知っています。
バヌアツ共和国のラノ島の「戦いに負けた戦士の肉を勝者が食する」というカニバリズムの儀式は1960年代頃まで続いていたそうですが、現在この習慣はありません。




