死んだ私はまだ生きる
この話を書いている、のは世間について何も知らないひよっこが、書いております故に、描写の違和感などは目を瞑ってくださると助かります
私は死んでしまったのだろうか?
そんな疑問が頭に浮かぶのは、目の前にいる自分が物語っている。
その自分は分娩室のベッドに横たわっているいる。
顔はとてもやつれて見えるし目は開いていていて、口も開いている。
そして、5年前くらいに、病で亡くなった時の母を、思い出すような、青白い顔をしている。眠るように死んでいるとはほど遠いがいかにも死人と言う感じだ。
母の事を思い出していたら、目の前の自分は、よく見ると、母親に似ている事に気付いた。
シングルマザーで私を育てた母だ。
もともと専業主婦として、夫と過ごしていたが、夫を亡くしてしまったため、職に就いた、半年後、私が生まれ、私にいい生活をさせたいと必死に働いていた。
私が物心つく前は、昔住んでいたアパートの隣の部屋の、老夫婦が私の面倒を見てくれていたらしい。
その老夫婦は、私が生まれる前からの両親の知り合いで、両親が引っ越し挨拶で知り合った。らしい…。
母から、聞かされた話ではそうらしい、物心ついた頃には、母の仕事の都合で別の方へ引っ越したから正直何も知らない。
そんな事を思い出していたが再び目の前の自分に目をやる。
眠るように死んでいるとはほど遠いが全体的にいかにも死人という感じだ。
なぜ目の前の自分が死んでいるのか分からない。
確か今日は土曜で、妊娠で膨れた私のお腹をさすっている夫に。
「生まれる前にこの子の名前の案を出しておかない?」と言った。
「男の子か女の子か分からないのに決めるのかい?」と聡太が、にやにやと嬉しそうに聞くので。
「もう待ち切れないのよ」と答える
本来なら性別はエコー検査でわかる段階なのだが、
検査前に
「性別は産んでからのお楽しみにしたいので言わないでください!」
と、私が言った
産婦人科の人と隣に座る夫が口を開け、ポカン
としていた。
「まず男の子の方から考えよっか」とすぐメモ用紙とペンを持って夫が、私の隣に座った、
「えーどうしようかー」
と嬉々しい感情が、いっぱいありそうな、その言い方は、自分がもらう誕生日プレゼントを、決めている少年のようだった
その後、話し合いながら色々な候補を出してはメモ用紙に書いていった。
そして私が一つ案が思いついた
「女の子か男の子わからないのならどっちが産まれてもいい名前なんてどう?」
「例えば?」
と夫が聞いたので、私はメモ用紙を一枚ちぎり、そのメモ用紙いっぱいに 『未来』と書いて、夫に見せ、
「どう?」と聞いた
夫はあまりそこまで反応では無かった。
「あーでも僕的には、男の子だったら、男の子らしい名前を付けたいし、女の子だったら女の子らしい名前をつけたいかも」
否定するのが、申し訳ないのか、弱々しく言っていた。
その弱々しい言い方は、昔の夫を彷彿とさせ、懐かしい気持ちになった
「じゃあこれは無しか」
と未来と大きく書いたメモ用紙を置いた
その後も案を出していたがその時、とてもお腹が痛くなった、陣痛だ。
そこからはあまり覚えていない。
考えているとき、赤子が泣いている声があるのに気づいた。
その声の方に目をやると、夫が涙流しながら1人の赤子を抱えている。
そこであらかた察した、自分は出産で死んでしまったのかと。
確かに昔から自分は身体は強い方ででわなく、むしろ弱い方だ。
身体が弱いのは病弱の父の影響だろうか。
身体が弱いからといってもまさか死ぬなんて思っても居なかった。
医師が死亡診断書を作成している。
記載には2005年5月13日午後2時37分 木村綾死亡
私が本当に、死んだのか、まだ受け止めきれていないし、今の私は幽霊なのか何もかもわからないが、現にこうやって目が見えるし音も聞こえるなら大丈夫。
この目で娘が見れるなら。
この耳で娘の声が聞けるなら。
この目で娘の幸せが見れるならあと40年は、成仏なんてしたくない。
死んだ私はまだ生きる
気が向いたら続き描きます