第八話:薬帳の呪文
夕暮れ。
凌華は薬房の奥にある書庫に忍び込んでいた。
狙いは、寧家が管理していた旧薬帳。
父が死ぬ前夜、最後に閲覧していたという記録が残っている。
(この帳面がすべての始まり。何が記されていたの……?)
見つけた帳面は、見覚えのある茶色の皮装丁。
しかしその表紙には、不自然に何かを剥がした跡があった。
ページをめくると、薬草の配合記録に交じり、隠し文字のような墨が薄く残っている。
「……これは、重ね書き?」
灯りをかざし、文字の下に透けて見えたのは、呪文のような羅列だった。
>《息を奪い、声を奪い、心を沈める。香と銀の糸を使え》
>《術は三手。焚・縫・封。施術には“香手”の許可を得よ》
凌華は背筋に冷たいものを感じた。
(これは、“香術”の使用記録……。医術ではなく、術による“命の支配”)
さらに帳面の裏表紙には、墨を塗り潰された名前がある。
火であぶると、浮かび上がった。
>《凌司雲》
「父……!」
薬帳に父の名が刻まれていた――つまり、父はこの“術の帳面”に関わっていた。
(父は、この帳を見たから殺された……?)
その時、外で物音がした。
凌華は薬帳を布にくるみ、静かに身を隠す。
扉が開き、入ってきたのは――翠道。
「……凌華様?」
「……驚かさないで。何か、あったの?」
翠道は、手に一枚の書状を握っていた。
「寧家の側女だった者が、“封じ衣”を縫う訓練を受けていたという記録が見つかりました」
「それで名前は?」
「“寧 華蓮”……。後に、白蓮妃の養母として迎えられた人物です」
白蓮妃の養母――封じ衣を縫ったのが、実の母代わり?
(香、衣、妃。全部が寧家と繋がっている)
香の帳面を握りしめ、凌華は呟いた。
「すべて、記録されている。香は消えても、痕跡は残る。なら、私はそれを“診て読む”」