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第1話:「女医、死人の体を診る」

後宮・玉瓔殿ぎょくえいでん。朝の静けさを破って、けたたましい鐘の音が響いた。


 


「妃様が……妃様が、目を覚ましません!」


 


駆け込んできた侍女の叫びに、宮中が一瞬で慌ただしさを増す。

病なのか、毒なのか、それとも単なる過労か。誰も真相を語らず、ただ恐れて口を閉ざす。


 


そこへ、白衣を纏ったひとりの女が歩み出た。


 


凌華りょうか――異国出身の医師見習い。


その存在は、女でありながら後宮の医療を任されるという異端ゆえに、常に偏見と警戒の目にさらされていた。


 


「遺体は、まだそのままか?」


「し、しかし診察など、妃様に触れるなどは――」


「死人に貞操も名誉もない。診なければ、次に死ぬのは誰かもわからないわよ」


 


凌華は平然と言い放ち、妃の寝所へと踏み込んだ。


 

 


そこにあったのは、まるで眠るような美しさで横たわる玉瓔妃の姿。


 


顔色はわずかに青白く、目元には赤味が差している。

口唇は乾いておらず、胸も整然と沈んでいた。


だが、脈は完全に途絶え、呼吸も停止している――確かに死んでいる。


 


凌華は静かに、手袋を外すと、耳の裏を撫でるように触れた。


「……あった」


 


彼女の指先に触れたのは、ごく小さな刺し痕。

さらに、枕元に置かれた香炉の香りを嗅ぎ、眉をひそめた。


「これは……《沈心香》?」


 


それは心を落ち着かせる香として重用されている一方、

過剰に吸い込めば“気脈を鈍らせ、体内の経路を塞ぐ”作用を持つ、扱いの難しい香だった。


 


「沈心香に、気脈封じの鍼を重ねて……自然死に見せかけた殺人。随分と手が込んでるじゃない」


 


侍女たちは震え上がっていた。


「ま、まさか毒殺……ですか?」


「違う。これは……《医術を偽装した、術式による暗殺》よ」


 


凌華は立ち上がると、振り返って言い放つ。


「この妃様は、眠るように殺されたの。時間をかけて、ゆっくりと」


 


誰もが言葉を失った。


 


彼女は、それ以上の説明をせず、香の灰を持ち帰り、薬房へ戻っていく。


背中に突き刺さるような視線を浴びながらも、気にする様子はない。


 


(こんな死に方……知ってる。あの夜、父様が死んだ時と同じだ)


 


凌華は記憶の奥に眠る、ひとつの“夜”を思い出していた。


かつて、彼女の父――辺境で医師として生きていた男――は、同じように“眠ったまま死んだ”。


それが自然死として処理されたことに、彼女だけが疑問を抱いていた。


 


(あの時も……沈心香が焚かれていた)


 


彼女がこの後宮に来たのは、ただ“医術を活かすため”だけではない。


「沈心香に関わる暗殺事件の真相を暴く」ためでもある。


 


そしてその日の夜。

凌華の部屋に、一通の密書が届いた。


 


差出人不明の書状には、こう記されていた。


《診る者に告ぐ。次の標的は“白蓮妃”》


 


その筆跡は、まるで人の脈をなぞるように、細く美しかった。


凌華はその紙をくるくると丸めると、そっと懐にしまい込んだ。


 


「……診ましょう。次の患者も、“まだ生きているうち”に」


 


彼女の戦いは、まだ始まったばかりだった。

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