第8話『東京、そしてピッチへ』
文化祭期間。湊が清田高校に帰ってきた。
義隆は、グラウンドの入り口で息子を待つ。まだ小さかった頃、一緒にボールを蹴った公園の思い出が脳裏をよぎる。
「……久しぶりだな」
「ピクセルじゃない、本物のピッチ。ちょっと緊張する」
湊が口元を引き締め、部員たちの前に立つ。
「今日から3日間、臨時コーチとして手伝います」
最初、部員たちは戸惑っていた。「え?この人があの“戦術オタク”?」「運動、できるのか?」
だが、湊のプレーが始まった瞬間、その空気は一変する。
彼のボールタッチは決して華やかではない。スピードも、当たりの強さも平凡だ。けれどその代わり——“動き”が異常だった。
「……あれ、いつの間に、あのポジションに?」
「え、あのパス、読まれてる!?」
ポジション取り、予測、味方への声かけ、そして戦術の再構築。
湊はボールにほとんど触れずに、試合をコントロールしていた。
「パスラインを切れ、そこはトラップで呼び込め。CB、スライド遅い!」
的確な指示が飛ぶたび、グラウンドの景色が変わっていく。
義隆はベンチから目を細めて見つめていた。
「……あいつ、本当に、サッカーが好きだったんだな」
湊は中学時代、公式戦に一度も出られなかった。フィジカルもなく、ミスも多く、ずっとベンチだった。
だが、悔しさの中で出会ったのが“戦術”だった。eスポーツという戦場の中で、知識と視野だけを武器に戦い抜いた。
だからこそ今、ピッチの上でも頭で勝つ。
練習後、部員たちは一様に息を切らせながら言った。
「……あの人、マジでやべえ。ゲームじゃなくて、本物でも戦術って通用するんだな」
夕暮れの部室。シャワーの音が遠くに響く中、義隆と湊は並んで座っていた。
「見直したよ。お前、ちゃんと“監督”してたな」
湊は笑わず、静かに答える。
「……でも、eスポーツの世界大会、選考に落ちた」
義隆が言葉を詰まらせる。
「現実のトップ選手は、もう全部頭の中に叩き込んでて……自分がどこまで通用するか、思い知った」
「そうか……」
「オレ、もう“選ばれなかった側”なんだよ」
しばらく沈黙が続いた後、義隆は小さく笑った。
「だったら、選ぶ側になればいい。こっちで、選ばれなかった選手たちにチャンスをくれ」
湊は驚いたように義隆を見る。
「……お前の目は、本物だ。あとは、“現実”で試すだけだな」
その晩、湊は義隆の作った夕飯を静かに食べた。
ピクセルの世界から、ようやく降り立った。ここには、仲間がいて、可能性がある。
——そして、次の試合が近づいていた。