第7話『“俺の居場所”がない』
秋の風が冷たくなりはじめた放課後。清田高校のグラウンドで、ひとりの男が部室から出てきた。
主将・柴田悠人(3年)。無口で不器用だが、2年間、チームを支えてきた柱のひとり。
だが、彼は突然言った。
「……監督、俺、部活やめます」
その一言に、義隆は言葉を失った。
「な、なんでだ、柴田。ケガか? 家の都合か?」
柴田は苦笑するように首を振った。
「違います。ただ……俺、湊の戦術が、もう分からない。頭がパンクしそうで、どこに動いたらいいかも、何を求められてるかも分からない。正直、もう“俺の居場所”が分からないんです」
義隆は言葉を詰まらせた。思わずZoom越しの湊に相談すると、返ってきたのは冷静で、冷たいほどの言葉だった。
「それは、“考える”ことを放棄した自分の責任だよ。戦術ってのは、ロボットになるための指示じゃない。自分の力で、意味を理解して動けるようになるための“地図”なんだ」
「……そんな簡単に言うなよ。柴田はずっと、支えてきたんだぞ」
「だからこそ、彼に向き合う必要がある」
湊は数分の沈黙の後、柴田のこれまでのプレー映像を流し始めた。
画面の中、柴田は常にサイドのスペースに目を配り、相手のオーバーラップをいち早く察知し、味方のカバーに入っていた。直接ボールに絡むシーンは少ないが、彼がいたからこそ、失点は防がれていた。
「この“見えないエリア”の管理。どれだけの選手が、こういう役割を無意識にやれるか分かる?」
湊の声が静かに続く。
「ボールが来る場所には誰でも行ける。でも、“来る前”に動ける人間は、ほんの一握りなんだよ。柴田の強みはそこにある。“目に見えない場所”を守ることで、チームに安定をもたらしてたんだ」
義隆はハッとした。ずっと見逃していた。得点も、アシストも、目に見える結果も出せなかった柴田の本当の価値に。
翌朝、柴田はグラウンドに現れた。無言のまま、練習着を着て、いつものようにラインを引き始める。
「……復帰、してくれるんだな?」
義隆が声をかけると、柴田は小さく頷いた。
「俺、まだ自分にしかできないことがあるかもって、思っただけです」
その日の練習、柴田は右サイドのハーフスペースとタッチラインの間を、まるで“影の番人”のように動き続けた。相手の一歩先を読み、スライドして埋め、空いたスペースを補い続けた。
蓮がポツリと呟いた。
「……柴田先輩って、なんか“壁”みたいですね。気づいたら、突破できないところにいる」
練習後、湊がZoom越しにぽつりと言った。
「役割じゃなく、“意味”でピッチに立つって、こういうことなんだよ」
義隆は、モニター越しに見えない息子の表情を思い浮かべながら、頷いた。