第4話『その陣形、誰を苦しめてる?』
初勝利から一週間。清田高校サッカー部の空気は明らかに変わった。
「おい、パス回しもう一周いけるだろ!」
「オッケー、今のボールいい感じだったな!」
汗にまみれながらも、部員たちの顔には笑みが浮かんでいた。
勝利が“手応え”を生んだ。彼らの中に、サッカーが“楽しい”という感覚が戻ってきたのだ。
だが——その温度に反して、監督・義隆のテンションは急速に上がりすぎていた。
「蓮! もっと前からプレスかけろ!」
「ナオト! サイド駆け上がって戻れ! 全部やれ!」
その声は、勝利に浮かれていた頃の軽やかなものではなく、かつての“気合いと根性”時代に戻ったかのような怒声だった。
Zoom画面に映る湊が、眉をひそめて言った。
「……その陣形、誰を苦しめてるか分かってる?」
練習中にもかかわらず、湊の声がピッチに響くように感じられた。
義隆が苛立ちを押し殺してスマホに目をやる。「今は実戦感覚を—」
「違う。『実戦』っていうなら、まず“選手をどう使うか”を考えて」
湊はタブレットに表示されたフォーメーション図を指でなぞりながら、静かに分析を始めた。
「ナオトが高い位置を取った時、その裏を誰がカバーする? 今の中盤の並びじゃ、どっちも対応できない」
「蓮をサイドに固定してるから、右のハーフスペースが完全に空いてる。彼の持ち味、消えてるよ」
「それに……柴田くん」
主将・柴田が一瞬、顔を上げる。
「周りがどう動いてるか、認知が追いついてない。情報が整理されてないのに“やる気”で補ってるから、逆に空回りしてる」
ピッチに沈黙が広がった。
湊の声は冷たいが、決して責めてはいなかった。
ただ、事実を、構造を、丁寧に指摘していた。
「この陣形、結局“チームの都合”でしかない。選手の“意味”で考えてないよ。
この配置が“蓮だから”“柴田だから”っていう必然性、ないよね?」
義隆は、何も言えなかった。
昔と同じだ。勝ちたくなると、つい声を荒らげる。走らせる。根性論に逃げる。
気づけば、あのころと同じ――息子と決別したあの頃の自分に戻っていた。
練習後、誰よりも疲れていたのは義隆だった。
シャワー室で、部員たちの笑い声を背に、一人ベンチに座り込む。
夜。自宅の古びた本棚から引っ張り出したのは、20年前のVHSテープだった。
「第76回全国高校サッカー選手権・2回戦 清田 vs 桜谷」
テレビに映る若き日の義隆は、10番を背負ってピッチを駆け回っていた。
止められないドリブル。観客の歓声。――だが、試合終了の笛と共に、うずくまる姿。
実況が告げた。「試合は延長の末、PKで桜谷高校が勝利。清田高校、惜しくも敗退です」
画面越しに、当時の監督の声が聞こえてくる。
「走れ義隆! 最後まで走れば、何かが変わる!」
“何か”は、変わらなかった。
テレビの前で、義隆は目を閉じた。
「……俺も、選手だったな」
勝ちたい。だが、そのために“誰かを追い込んで”勝っても意味はない。
選手が自由に、強みを発揮できる“設計”こそが、いま必要なことだ。
そのとき、LINEの通知音が鳴る。
《湊:明日の練習、もう一度一緒に組み立てよう》
義隆は小さく笑って、返信を打った。
《ありがとう。お前の戦術、もう少し教えてくれ》
そして、心の中で呟く。
——サッカーは、“がんばる”だけじゃ届かない。
届かせるには、“考えること”が必要なんだ。