二軍ファン
『みんなー! 今日はありがとうー!!』
舞台上からMEiちゃんの明るい声が響き渡る。それだけで会場は割れんばかりの拍手に包まれ、二階席はちょっと怖いくらいガクガク揺れた。最高だ。大枚を叩いて東京まで遠征した甲斐があった。中学生の時初めて聴いてから大ファンになった憧れの歌姫、MEiの全国ライブ。まだ中盤戦だと言うのに、僕はもう、涙で景色が滲み始めていた。
『まだまだLIVEは続くから、みんな最後まで楽しんでね……って言いたいところだけど』
此処から観ると豆粒みたいなMEiちゃんが、少し申し訳なさそうに頭を下げた。
『此処から先は……MEiに課金してくれた人しか、観れないことになってます!』
「えーっ!?」
僕の悲鳴は、地鳴りのような大歓声に掻き消された。七色のネオンサインが暗闇に、蛍のように浮かび上がり、狂喜乱舞している。
あ……やっぱりみんなちゃんと課金してるんだ。
僕はその瞬間、サッと血の気が引いていくのが分かった。
『やっぱり、みんなちゃんと買ってくれたんだね! ありがとう! ファンの中のファン……みんなのためだけのスペシャルメドレー! MEiがんばっちゃう!』
「すみません、ちょっと良いですか」
「え? え?」
突然後ろから乱暴に肩を掴まれ、僕は驚いて後ろを振り返った。いつの間にか、マウンテンゴリラみたいに屈強な警備員が2人、僕の後ろに立っていた。
「あなた……二軍ファンですよね?」
「に、二軍ファン?」
「無課金で、大してグッズも買い揃えていない……ちっともお金にならない、別に切り捨てて良いファンですよね?」
「ちょ、ちょっと待って……!」
「貴方は上客じゃないって言ってるんですよ。貴方みたいな輩をファンの下のファン……通称『二軍ファン』と呼ぶのです」
「観念しろ。こっちはIDやら何やらで、お前の素性は全部分かってるんだよ!」
「こっちに来てください。此処から先は、一軍ファンしか鑑賞できないことになってますので」
「う、うわぁぁあああっ!?」
警備員は有無を言わさず僕を引きずり、出口まで連れて行こうとした。MEiちゃんが舞台上で、とびっきりの笑顔を振る舞う。
『それに今夜特別に、この会場で、世界最速、新曲も披露しちゃいます!』
「うぉおおおおおっ!」
会場の熱狂は最高潮に達した。僕は悪あがきと知りつつも、必死に手足をバタつかせた。
「待って! 待って……新曲だけでも聞かせてぇ!」
「だったらお金を払ってください」
警備員が冷たい目をして僕を見下ろした。
「ちゃんと課金すればこの先は観れますよ。それかグッズを買うか。ほんとのファンならそれくらい余裕でしょう?」
「う……!」
僕は口ごもった。それくらいの余裕、すら正直なかった。今回の東京遠征で、なけなしの貯金をすでに使い果たしていたのだった。
「……出来ないんですか?」
「そ、それは……」
「やっぱりコイツ、ほんとのファンじゃないな」
警備員が呆れたようにため息をついた。
「全く最近の若い奴は、何でもかんでも基本無料で手に入ると思ってやがる。知ってたか? アーティストだって、飯も食うし税金だって払ってる、お前と同じ人間なんだよ。金がなきゃどうやって生きていく? 金払いの悪い奴には用はねえ。とっとと消え失せな」
「そ、そんな……!」
「でも、どうしてもと言うのなら」
警備員の1人がグッと僕に顔を近づけてきた。鼻と鼻がくっつきそうになって、僕は思わず息を呑んだ。
「会場の外で、CDを手売りしてます」
「へ……?」
「もしCDを10000枚売ったら、次のLIVEでは、特等席にご案内しましょう。大好きなMEiのお手伝い、まぁバイトみたいなもんですよ。給料は出ませんがね」
「…………」
「どうですか? やるんですか? やらないんですか?」
「や……やります……!」
僕は涙声でそう叫んだ。
「そう。それは良かった」
警備員はにっこりと笑うと、胸ポケットから何やら紙を僕に突き出した。
「ありがとうございます。CD10000枚お買い上げで、小計33800000円です」
「え……?」
「だって、買うんでしょ?」
「え? え?」
僕は訳が分からなくなって、目を白黒させた。
「……これ、僕が全部買って、それから売るんですか??」
「当たり前でしょう。貴方、一軍ファンになりたいんでしょ?」
「でも……」
「お前、自分の好きなCDも売れないのかよ?」
「ひぃっ!?」
もう1人の警備員が殴りかかる真似をして、僕は慌てて首を引っ込めた。
「それとも、MEiの曲は他人にオススメできないような曲だとでも?」
「そ、そんなことは……!」
「他の一軍ファンは、その倍は売ってるぞ。良いか? 一軍の枠に入りたいんだったら、命懸けで売ってこい。分かったらとっとと出てけこの二軍野郎が! そのCDが全部売り切れるまで、帰ってくるな!」
「は……はいぃ……!」
警備員たちに放り出され、気がつくと僕は、コンクリートの上で四つん這いになっていた。これが。これが東京か。なんて怖いところなんだ、東京は。擦り切れた頬から血を流しながら、僕は心底震え上がった。
「いてて……」
乱暴されたせいか、体の節々が痛む。残されたのは、紙切れ一枚。契約書だけだった。とにかく……僕は涙で滲む視界で星を見上げた。とにかくこのCDを売り切らなくっちゃあ。まだ時間は早かったが、僕はトボトボと駅に向かった。
結局LIVEは最後まで観れず……何故か莫大な借金まで背負ってしまった。背中越しに会場の歓声が、外まで漏れ聞こえてきた。
しょうがない。僕が課金しなかったのが悪いんだから。だけど、こんなことになるなら、グッズの一つでも買ってれば良かった。僕はため息をついた。1人歩く帰り道はやけに暗く、凍えるほど寒かった。
「オイ、見ろよ! こいつアンチだぜ!」
すると、何処からともなく怒号と悲鳴のような声が聞こえてきた。駆け寄って見ると、会場の近くで、過激派のファンが通行人に絡んでいるところだった。
「テメェ〜ッ、今何つった!?」
「俺たちのMEi様を否定するのか!?」
「いや別に……私はただ、そういう音楽に興味がないってだけで……君たちの信仰を否定するつもりは……」
「興味がないだと!?」
「許さねえ!」
酔っ払ったファンが通行人に殴りかかる。そこからはもう、雪崩のように暴動が沸き起こった。
「はぁ……はぁ……思い知ったか!」
タコ殴りにされて横たわる通行人を見下ろし、過激派ファンが勝ち誇ったように叫んだ。
「俺はなぁ、俺はなぁ、もうかれこれ20年、2000000枚はMEi様のCDを買ってるんだぜ!」
「す……すげぇ! 2000000枚も!」
「ファンの鑑だぜ!」
「フフフ。グッズも合わせりゃ、100000000円はくだらねえ……もうすぐ一軍だ。もうすぐ俺だって一軍ファンだ」
ファンが通行人に唾を吐き捨てた。
「お前にできるか? えぇ? 1円でも社会に貢献してるかって聞いてんだよ。この世はなぁ、経済を回してる奴が絶対的に偉いんだ。アーティストはな、曲じゃねえ。内容じゃなくて、興行収入で殴り合ってんだよ。稼ぐ奴が強ぇんだ。分かったか!」
自然と、路上でMEiちゃんの代表曲『愛こそ全て』の合唱が始まった。次第に遠くからサイレンが聞こえてきた。警察だ。ヤベェ、逃げろ! そんな叫び声が何処からともなく聞こえた。僕は慌てて駅に走った。
そういえば……いつから僕は、好きな作品を売上とか興行収入で語るようになったんだろう? 耳に入ってくる音よりも先に、歌詞カードよりも先に、ランキングを気にするようになったんだろう?
帰りの電車の中で、大好きなMEiちゃんの曲を聴きながら、僕はふとそんなことを思った。