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上弦の月

作者: 久遠のるん

昔書いたものを思い出しつつ、リメイクしました。


「昼間でも、月は見えるのね」


 そんな、当たり前のことを呟いて自嘲した。久しぶりに見上げた空に浮かぶ白い月。これから満月に向かう上弦の月。

 

 忙し過ぎたのだ、ここのところ。朝早くから夜遅くまで、わき目も振らずに仕事に没頭していた。これから遅すぎるランチへと向かうかどうか、大いに悩む。夕刻には約束があり、きっと食事をすることになるから。

 

 駅のロータリーは昼下がりの気だるげな空気を纏っている。すぐそこに出来たテイクアウト専門のコーヒースタンドで何か調達して、裏の公園にでも出掛けてみようか。せっかく明るいうちに研究所から出て来れたのだ、外の空気を存分に味わいたい。

 

 理系の分野を志し、大学から大学院へと進み、なんとか研究職に潜り込んだ。生まれ故郷の祖母は、一昔前の考え方の持ち主で、女の子がそんな四年制の大学へ、しかも理系だなんて、結婚が遅れるだけじゃないの、そんなことを毎回帰省する度に嘆くように言われた。これが続くとさすがに鬱陶しくなって、ここ数年は帰るのも億劫で、何だかんだと理由を付けてすっかり足が遠のいている。おばあちゃんが入院したからせめて顔を見せに来なさいよ、と母が連絡してきたものの、忙しさを理由に断り続けていた。

 

 結婚したいだなんて一度も思ったことがない。私には家庭を持つ意味が見出せないからだ。いくら理解のある人でも今の自分の働き方を認めてはくれないだろう。本人は良くても、周りの家族や親戚だっていい顔をしないのが目に見えるようだ。

 子どもだって苦手だから欲しいだなんて一度も思ったことがない。この先女性に備わる機能を使わないままになったとしても、きっと私は後悔することはないだろう。

 

 珍しく感傷的になっている。今日、ちょっとした噂話を耳にしたからか。

 

 香り高いブレンドコーヒーと小さなフォカッチャを買い求めて、公園の中心地にある噴水の見えるベンチに陣取った。噴水越しの上弦の月はきらきらと輝く水の向こうで幻想的にも見えた。

 

 月は不思議だ。地球から見るとほとんど同じ方向を向いている。まるでこちらをじっと監視をしているかの如く。裏側の荒れた表面を上手く隠して綺麗なところだけを向けている。

 まるで私のようだ。美しく取り繕うことを覚えてにっこり微笑んでみせる私と。胸の内に嵐が吹き荒れようとも、笑みを湛えて相槌を打つ私と。

 

 彼女は高らかに宣言したそうだ、子どもが出来たの、結婚するわと。

 

 学生時代から二人で苦労して男社会へ切り込もうと切磋琢磨して頑張ってきた。分野は違えど同じ大学院へ進み、お互いを励まし合い、論文を執筆した。休日にはショッピングセンターへと出掛けて映画を見て、大いに笑い合い楽しんだ。お互いの部屋へと泊まり込み、夜が耽るのも忘れて夢を語り合った。そんな、唯一無二の親友が。

 

 いつの間に彼氏なんていたのだろう。私は何も知らなかった。そんな大事なことも伝えてもらえなかったなんて。そんな価値もない友人だったのか。一緒に、結婚なんてくだらないと気勢を上げていたではないか。しかも子どもだなんて。加えて人生に於いての重要事項を、回りまわってきた噂話として聞くことになるなんて。

 思っていたよりも心に傷を負っていたらしい。これまでの彼女の姿を思い返していると、視界が潤んできた。振り切るようにフォカッチャを齧りコーヒーを啜る。

 

 ぼんやりしているうちに陽が傾き空の色が変わっている。しまった、そろそろ約束の時間だ。ぎゅっとカップを握り潰してゴミ箱へと投げ入れた

 

 ◇◇◇

 

「なんだ、浮かない顔して」

 

 そんな第一声を投げかけて、目の前の椅子を引いてふうと髪を掻き上げながら座り込んだ。そう言う自分だって妙に疲れて見えるけれど、と言い返してやった。

 

 公務員の彼も端で考えているよりもずっと忙しくしている。仕事中毒なのは私も彼も同じだ。

 大学のサークルで出会い、不思議と馬が合ってこうして時折会って食事をする仲だ。断っておくが、男女の関係ではないし、今後もなる予定はない。男と女が一緒にいると、付き合ってるだなんて決めつけるのは止めて欲しいと常々思っている。

 

「いずみのこと、聞いちゃって」

 

 成程そのことかと訳知り顔になった。同じ大学だったから顔見知りだし、彼の取引先企業が彼女の仕事先なのだ。共通の友人は多いから、同じく噂話として聞いたのだろう。

 

「めでたいじゃないか。お祝いしてやらなきゃな」


 聞けば、相手の男とも知り合いなんだそう。じゃあコイツはいずみの結婚のことを私よりも早く知っていたのだろうか。胸に穴の開く思いになった。私はいずみの何だったのか。親友だと思っていたのは私だけか。

 

「何を言ってる。そんなだから言えなかったんじゃないのか?」

 

 意味が分からなくてむっとして、頼んだワインを一気に呷る。

 

「お前がいずみと仲がいいのは良く知ってる。だけど、お前が結婚観とか子どもはいらないとか、頑ななまでに家族に反発しているのも良く知っているよ」


 頑なとは。確かに言い得て妙かもしれない。

 でも、結婚も子どももちょっとお試しというわけにはいかないだろう。一度見切り発車してしまったら、とことん付き合わねばならないじゃないかと思うのだ。結婚はまだいい、相手と離婚という手もある。だが子どもはどうなる。棄てるわけにはいかないだろう。

 

「なんとかなるんじゃないか。みんなそうやって生きてるんだから」

 

 軽くいなされて益々むっとした。

 少し冷静になってくると、昔から結婚なんてしない子どもなんていらないと声を上げる私には、言いにくかったろうことは理解は出来ると納得した。いずみだって同じように語っていたのに、いつの間に考えを翻したのだろうか。付き合って妊娠したのだから、それなりの長い期間が必要だ、その間私には黙っていたのだと思うと胸が痛くなる。

 

「そりゃ、いつまでも同じことを考えているとは限らんさ」 

 

 後ろめたくもあったんじゃないか、分かってやれよ、と気持ちの昂るこちらを宥めるような穏やかな口調だった。でも、それでも。結婚することがそれ程いいとは思えない、と私が零すと目の前の男はテーブルに肘を付き、揶揄うようにこちらを見つめた。

 

「じゃ、お前も試してみたらどうだ」

 

 簡単に言ってくれる。そんな相手がどこにいる。

 私は今の仕事が大事で一日中頭の中には研究対象が蔓延っている。家のことなど振り返りもしないし、部屋に帰っても寝るだけの生活だ。料理くらいはたまにしないでもないが、自分一人食べるだけなので適当もいいところで、掃除洗濯だって最低限しかしない。そんな女と結婚する男はいないだろう。昔に比べれば二人で家事育児をやっていこうという風潮が出来つつあるとはいえ、都合良くそういう人と出会えるのは奇跡に近いのではないか。結婚は一人では出来ないのだ、相手がいるのだ。

 

「本当にいないんだな。だろうとは思っていたが」

 

 にっと口角を上げて目を細めている。だったら何なのだ、バカにされたようで悔しい気持ちが湧き上がる。

 そう言えば学生の頃からコイツは女を切らしたことがなかった。確かに見た目も中の上辺りで悪くないし、性格も穏やかで優しい。何よりちょっとしたことに気が利くのだ。まめまめしく世話を焼き、手間を惜しまないところがモテポイントなのだろう。

 目を眇めて睨み付ける私にへらりと笑ってみせて、気付くと左手を捕らえられていた。。

 

「俺にしとけよ。お試しでもいいからさ。都合のいい相手になってやるから」 

 

 騒々しい音楽の鳴り響いていた店の中で、このテーブルだけぽっかりと結界が張られたように音が消えた。いや、一瞬私の意識が遠のいたらしい。何か反撃しなければと思うのだが、口を開けたり閉めたりするだけで、言葉が出て来ない。あまりにも情けない顔をしていたようで、ため息を吐きながら私の左手の薬指をさすり上げて指先を口元へと運ぶ。

 

「ほんっとに分かってなかったんだな、そろそろ気づけよ。いつまでも待たせるなよな」

 

 待たせた覚えはまるでないのだが。彼はあくまでも友だちで仲間だから、男女の関係にはほど遠い筈だ。焦りながらどもりながらそう主張すると、その延長線上に結婚があってもいいんじゃないのかと何でもない態度で話を続ける。こうして一緒に居て楽しいし何より楽だと。燃え上がるような激しい恋をしなくても、こんな風に穏やかな関係の方が結婚に向いているだろうと。嫌なら無理には身体を求めないし、子どもだって作らなくても構わない。そんなことよりお前とずっと一緒に居たい、共に暮らしたいのだと目の前の男は言った。何なら結婚しなくてもいい、書類上のことだからそんなことより一緒に居たいのだと。

 

 いやいやいや、ほら列を成すかのようにたくさんお相手がいたよね、と疑問を呈すると、馬鹿かお前は、と頭をはたかれた。たまに摘み食いをしたのは否定しないが、本気で付き合ったことなんかねーよ、と言い切った。

 

「少なくともお前と出会ってからは、ないよ。寄って来られても適当にいなしていただけだ」

 

 そんなことを突然言われても困るのだが。友人だと思っていた男に求婚されるとは。求婚、……でもないのか。シャアハウス希望、かな。

 

「ま、でも籍は入れておいた方がいいな。何かあった時にお互い困ることもあるだろうからな」


 今の日本の制度ではそうかもしれない。家族でないといろいろ不都合もあるからだ。

 ――いや、そう言うことではなくて。

 

「一緒に居たいんだ。ダメか?」


 正直に言う。私だって一緒に居て楽しいし楽だと思える相手ではある。でもこれは多分恋とか愛とかではない。単なる同居人であって、結婚とはならないのではないか。それに、そんな気にはなれないから身体を求められても困るけれども。それでも君は満足出来るのかと問うた。

 

「そこら辺りはこれから気長に口説くさ。それはそれで楽しみだ」


 思わず眉間に皺が寄るのが自分でも分かった。同居人としては考え得る限りの理想的な人だ、多分。でもそれは夫婦なのか。

 いいじゃないか、どんな形だろうと二人で話し合って決めていけばいい。お前こそ結婚に関して決めつけがあるんじゃないか。そう言って、私の左手を掴んでいるのとは逆の手を伸ばしてきて、ぐりぐりと皺を伸ばそうとする。

 

「俺はお前がいい。一緒に居たい。これは愛なのかな」


 人好きのする笑顔を見せた。私相手には滅多に見せないよそ行きの笑顔を。

 

「愛じゃないよ多分。……そんな晴れやかな笑顔私は見たことないよ」

「これはこれでけっこう疲れるんだ、お前相手に疲れるようなことはしたくない」


 そう言いつつ真顔に戻って掴んだままの私の指先をぺろりと舐めた。……舐められた! 

 ひぇっと変な声が出て手を引こうとしたが、そのまま手首に口付けて、上目遣いにこちらの反応を伺って楽しんでいるのが分かった。お酒が入っているからか妙な色気が滴るようだ。こんなヤツだっただろうか。今まで見たことがない男がここに居た。何が、適当にいなしていただけ、だ。こうして女性を堕としていたんだなと納得する。顔に熱が集まり、どうすればいいのか分からなくなって仕方がないので下を向いた。

 

「まあいい、ここいらで止めておいてやるよ。今後の楽しみに取っとこう」


 出るぞ、と手を引っ張られて店の外へと歩いていく。空にはそろそろ沈む頃合いの上弦の月が見えた。

 いずみに会って話さなきゃ。噂話だけでは心もとない。自分の耳で確かめよう、そう思った。私の態度が頑なだったとしたら、謝らなくちゃ。そしてちゃんと祝福してあげよう。

 一緒に空を見上げていた隣の男はぽつりと話し始めた。

 

「――いずみに言われたんだ、お前を頼むって」


 私はもう、結婚するから彼女の唯一にはなってやれない。でも一人にしたくない。傲慢だと思うだろうが、貴方なら彼女を託せる。どうかお願い、側にいてあげて欲しいと。

 

「そんな、……」

 

 知らず知らずのうちに彼女にそんなに依存していたのだろうか。だとしたら、ちょっとつらい。

 

「アイツには俺の気持ちが筒抜けだったから。お前を想う者同士、同病相憐れむだな」

「えっ?」

「いずみは本当にお前が好きだったんだよ。好き過ぎて身を引いたとも言えるな」


 その言葉の意味をじっくりと考える。その、好きってのは友だちとしての好きなのか、それとも。

 

「どっちでも同じだよ。そのまま受け止めてやれよ」


 黙り込んだ私の頭をぽんぽん叩いてついでにぐしゃとかき混ぜた。


「あの月が膨らんで丸くなったらまた会おうぜ。その時には返事を聞かせろよ。言っとくけど断るなよな」

 

 慌てて手櫛で髪を整える私にそんな脅しの言葉を投げつけて、手を上げて颯爽と立ち去っていった。猶予は貰えた、だが妙に負けた気がするのは何故だろう。

 

 来週、新商品の発表会がある。それが終われば今の仕事は一段落だ。日帰りで祖母のお見舞いにでも行って、母に相談してみようか。こんなことを言われたけれど、どう思う? って。祖母や母の思う結婚の形とは違うけれど、どう思う? って。

 

 そろそろ潮時かな。彼ならば、二人で暮らすのも悪くない。

 

 

  

お読みいただきありがとうございました。

長編が行き詰ってしまった挙句、全く関係ない短編を書いてしまいました(笑)

月モチーフが好きで、またこんな感じのを書くかもしれません。

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