2023年10月26日 瞑想
瞑想と耽溺は共にトランス状態を生み出すが、そこには方向性の違いが実感できる。
心の内を見れば、静的なものと動的とで区別がつくのだから、言ってしまえば当たり前。
瞑想:
目を閉じれば
耳が空く
音に無為とし
鼻が通る
香りに慣れては
肌が熱る
風の涼しさで
心が見える
五感を排して意識を探る (より深く)
意識を拝して自己を知る (より深く)
自己を排して回帰する (より深く)
自己を拝して目を開ける (おかえりなさい)
耽溺:
心が逸る
身体が動く
他は映らぬ 節穴、目
音は聞こえぬ 無意味、耳
何も匂わぬ 飾り、鼻
虚脱で感じぬ 無能、肌
五感を排して意識を澄ます (より狭く)
意識を拝して答えを探る (より狭く)
自己を排して客体へ (より狭く)
自己を排して筆を置く (さようなら)
瞑想も耽溺も、一日に一回くらいはやってもいいんじゃない?
私の身分的な特性により、筆を取る機会というのは九割方、受験勉強やらテストやらなものなのでつまらない。
たまには自分で満足する文章を考え抜いてはつぶやきたい。
これはTwitterでは叶えられない。
自分の問題ではあるが。
プラットフォームを変えるのって大事。