5.なろうエッセイ・批判系エッセイ(過去作は検索除外しているのでこちらから)
ALPS処理水をダシにした浅い政府批判に思う。
本文章に関しては、感想には反応しないかも、です。
まず、ALPS処理水とは何か。経済産業省のページには以下のように書かれています。
『東京電力福島第一原子力発電所の建屋内にある放射性物質を含む水について、トリチウム以外の放射性物質を、安全基準を満たすまで浄化した水のことです。』 ――みんなで知ろう。考えよう。ALPS処理水のこと。 https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/hairo_osensui/shirou_alps.html
で、ALPS処理水のことを含む、福島第一原子力発電所の廃炉についてのあれこれは、同じく経済産業省がホームページで公開しています。
廃炉・汚染水・処理水対策ポータルサイト
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/hairo_osensui/index.html
ここでは経済産業省のページを上げましたが、復興省、農水省、環境省とこの事故に関連する官公庁は多く、それぞれがその管轄や権限における必要なことをホームページを立ち上げて、しっかりと情報公開しています。その中では、単に事故処理のことだけではなく、ALPS処理水で飼育された海産物が安全かどうか確認するか等の様々な取り組みも紹介されています。
とりあえずここでは、その真偽については問いません。……まあ、正直にいうとそこまでしっかりと目を通していませんし(爆)
ただ、政府の情報公開の在り方について、これだけの量のソースがあるのです。その是非を問うのなら、これらを「正式な方法で」引用した上で、思うがままに述べればいいと思います。
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政治のたとえ話、確か中国の、近代になる前の寓話だったと思いますが、一人の農民が政治のことを知らないままに「あいつら(政府や官僚)が何をしてても関係ない。俺はただ田畑を耕すだけだ」と胸を張って言うという寓話があります。まあ、農民が農民であることに満足して政治に無関心でいられる状態は政治的に成功している状態で目指すべき理想なんだよと、そういう例え話なのですが。そうですね、国民が政治に無関心で自身の仕事にだけ集中している状態は確かに一つの理想だと思います。
――それはまぎれもない、「理想の愚民政治」の形だと。
みなさん、民主主義は好きですか? 言論の自由は好きですか?
好きなら、望ましいと思うのなら、今よりほんの少しでいい、何か物申す前に、「あいつら」が何をやっているのか、調べてみませんか?
民主主義というのは、国民が政府の言われるがままになるのを否定した政治形態です。
どんな形であれ、愚民政治を捨てて民主主義を選んだ結果として、今の日本があるのだと思います。
あいつらが何をやっているかを知って調べて物申す、それこそが民主主義の第一歩だと思います。
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原発事故が起こる前、SFや政府に批判する人たちの間で良く言われていた言葉があります。
「核や原子力に関する事故が発生した場合、国は情報を統制するに違いない」
その理由としてはまあ、国民が混乱するとか、権力者の保身とか、色々なことが言われていましたが。まあ、創作のネタっぽいところもありますが、結構な人が「まあそうなるかもなぁ」みたいに思ってたような気もします。
でも、蓋を開けたらね、政府はきっちり情報を公開してるんですよ。で、政府を批判している人がそのことを伝えなかったり恣意的な伝え方をしたり、その在り方についてなんだかんだと言い立てたりしている。そういう批判の声が一定の大きさになっているのは、その批判を受け入れている人が多いからだと思います。
その「批判を受け入れている人たち」の中に、しっかりと情報に目を通して政府の言い分と批判者の言い分の双方を天秤にかけている人って、どのくらいいるのでしょうか。
――情報を公開する政府と、その在り方について「知ろうとしない国民を養護しながら」政府を批判する批判者と、政治に興味を持つ人が増えて困るのは、本当のところはどっちなのでしょうね。つい、そんなことを思ってしまいます。
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ALPS処理水に関して言えば、「トリチウム以外の放射性物質を安全基準を満たすまで浄化した水」という明確な定義があります。なぜトリチウムだけが別扱いされているのかというと、現代の科学ではトリチウムを除去する技術が確立していないからです。実質的に「トリチウムの除去は技術的に不可能」だから別扱いにしている(せざるをえない)のです。
ただ、トリチウムは生物濃縮はされず、だから濃度を下げれば安全に放出できる。だから、「トリチウム以外の放射性物質は技術で除去して」「トリチウムは海水で希釈して」「双方共に安全基準を満たして」放出しています。……まあ、これは色々な情報を見て得た、私の見解ですし、私の見解でしかないですけどね。
安全基準を満たしているけど危険だというのなら、「安全基準がおかしい」と批判をすればいい。
安全基準を満たしていないというのなら「安全基準を満たしていない」と批判をすればいい。
ALPS処理水の海洋放出は危険だ、やめるべきだと思うのなら、政府の思惑だどうだなんて関係ない、ただその危険性を科学的な側面も交えて、淡々と述べればいいじゃないですか。そこの主張がしっかりしていれば、自然と政府に対する強い批判にもなりますよ。
そこをぼかして、なのに放出するのは云々って、いったい何なんですかね。正直、私にはその論理が理解できません。
いいかげん、福島に同情するような一文をまるで免罪符のように付け足しながら陰謀論程度の説得力しかない政府批判で強烈な風評被害を与えかねないような主張をするのはやめてほしいと思います。
そして読む側も、ちゃんとした情報にあたって判断をしてからアクションをしてほしいかなと。なろうで星をつける、SNSでいいねをつける、そういった行為はそれだけで情報の拡散を助長することにつながります。風評被害というセンシティブな問題にも関わることになります。
簡単にアクションできるような環境が整えられていても、慎重になるべき話題って、あると思います。
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願わくば、この文章が、「政府批判とは何か」ということを考える種になればいいなと思いつつ。