ビリジアンブルーの祈り
婚約者である貴之さんが出張から帰ってきて少し経った頃、私は彼にあることを打ち明けた。
「あのね、貴之さん。実は、話があるんだけど……」
「どうしたの、蒼祈?」
あらたまった様子で話しかけた私に、貴之さんは少し首を傾げた。
ものすごくドキドキするけれど、それを聞いた時の彼の様子を想像すると楽しみでもあった。
「うん。実は、私……妊娠したみたいなの」
「え、え? ま、え? あ、こういう時、何て言えば……。僕たちの、赤ちゃん。うん、うん、すごく嬉しいよ」
最初は驚いた表情で少しあたふたとしていた彼だったけれど、やがてじわじわと実感が込み上げてきたのかそのあと破顔してくれた。
「あ、動いてて大丈夫なのか? お茶なんて僕が運ぶから、蒼祈は大人しく座ってて、あ、待ってちゃんと腰にクッション当てて、ブランケットもいるな……」
喜びを見せたのもつかの間、途端に過保護になる婚約者の姿に私は思わず笑ってしまった。
「そんなに、心配しなくても大丈夫だと思うけど」
「病院には行ったの?」
「うん。6週だって」
そっと下腹部に手を当てて答えた。
そう、あのドアポストに差し込まれた3枚目の写真には、未来の赤ちゃんの姿が写っていたのだ。
あの時、体の変化はまだ何も感じていなかったけれど、その写真を見た瞬間に悟った。
だから、私は何が何でもこの子の誕生を叶えるために、三人目を探す事を決意した。
桐ヶ谷さんが行方不明になったという話は、オフィスビル内にも広まった。
私の会社でも一時期話題に上がり、何か知らないかと聞かれた時は内心ドキリとしたけれど、「交流会で少し話した事があるけど、そのあと……すれ違った時に立ち話をしたくらいで、それ以外はよく知らない」と答えると、周りも同じような感じだったので、特に追求されることもなかった。
彼との待ち合わせには、周りに悟られないように細心の注意を払っていた。
何だかんだと理由をつけて、今思えばかなり不自然な待ち合わせだったにも関わらず、桐ヶ谷さんは疑う事なく素直に従ってくれた。
彼には何の恨みもなかったし、その誠実な優しさに対して少なからず思うところもあった。
だから、お腹の子どものために尊い犠牲となってくれた桐ヶ谷さんには、とても感謝している。
成人の失踪にどこまで調査が入るのかは分からないけれど、一人目と二人目についても私のところまで何か話が及ぶ事もなかった。
直接私が何かしたわけでもないのだから、証拠など存在するはずもない。
そうして、次第に桐ヶ谷さんの話もオフィス内で話題に上がることもなくなっていった。
「次は絶対一緒に病院に行くからね」
そう言うと、貴之さんがおもむろに私の手を取りぎゅっと握りしめた。
「ありがとう、蒼祈。君は命の恩人だけじゃなくて、僕をこんなに幸せにしてくれて」
心からの感謝の気持ちに、思わず目頭が熱くなる。
今の幸せは犠牲の上に成り立っているという事実を、私は一生ひとりで抱えて生きて行く。
けれど、愛する人からのひと言で、その苦悩が報われるような思いがした。
「ううん。私こそ貴之さんと家族になれて幸せだよ」
「僕は一人っ子だったから、この子には兄弟が欲しいな」
他愛もない会話も、私にとってはそのひとつひとつがかけがえのない救いの言葉となる。
「ふふふ、まだこの子が産まれてもいないのに、気が早いよ」
「そうだったね。元気に産まれておいで」
彼が私のお腹に向かって、そう声をかけた。
そんな彼の屈託のない言葉に、私は心のなかでこっそり『代償はすでに支払ったのだから、大丈夫だよ』と、呟いた。
もしこの先、彼の希望が叶う時が来たら、四人目が必要になるかもしれない。
それでもこの幸せを守れるのなら、私はこれからも何にだって祈るよ。
Fin.
お読みくださった皆さまに、心から感謝します。