要求
一人目は、どうしようもない男だった。
けれど、そんなどうしようもない男が私の元カレでもあった……。
貴之さんと婚約して間もなく、会社からの帰り道に元カレがふらっと目の前に現れた。
御曹司と婚約した事を聞きつけてやって来たことは、容易に想像できた。
ヘラヘラと付き纏う彼に対して嫌悪感たっぷりで無視しながら歩いていると、アーケードに差し掛かったところで、ふいにカタンと小さな音がした。
――そう、それが最初だった。
証明写真機のカーテンは開いていて、無人であることが見て取れた。
その受取口に取り残された用紙を見た彼は「誰か忘れてやがる。マヌケな顔でも見てやろうぜ」と、笑いながら何の気なしにそれを手にした時だった。
正直、何が起こったのか今でもよく分からない。
急に彼が焦ったような大声を上げジタバタし始めたかと思えば、まるで証明写真機の中に引きずり込まれるようにして入ったあと、カーテンがシャッと閉まって、それっきりだった……。
最初は冗談か何かと思った。
だけど、怪訝に思いながら証明写真機に近づいて、恐る恐るカーテンを開けてみるも彼の姿は忽然と消えていた。
信じられないような光景を目にして、しばらくその場に茫然と立ち尽くしていると。
「どうかされました? あ、これ、そこに落ちてましたよ」
どれくらいそうしていたのか、通りすがりの人から声を掛けられてハッと我に返る。
そう言えば、人通りがあったにも関わらず、周りの人は今の光景にまるで気づいていないかのように、誰ひとり騒いでいる人はいなかった。
そして、先ほど声をかけてくれた人から受け取ったプリント用紙を見て、私は驚愕した。
そこには、遭難した時の服装と同じ姿の自分が写っていたのだった。
それから少しして、元カレが行方不明だという噂を聞いた。
なぜプリント用紙に私が写っていたのか訳も分からず、気味の悪さと私が疑われたらという恐怖がごちゃ混ぜになり精神的に参っていた。
だけど、心のどこかで、もしあれで本当に元カレがいなくなってくれたのだとしたら、もう付き纏われる心配はなくなるんじゃないかと安堵する気持ちがあった。
そんな中、交流会で桐ヶ谷さんと出会った。
私の趣味がトレッキングだと知ると、山岳信仰について語り始めた。
彼自身に興味はなかったが、私は思わずその話を食い入るように聞いていた。
遭難したあの山もパワースポットだと言っていた。
もしかしたら、あの時必死に祈った願いが『何か』に届いた代わりに、代償を求められているのではないか。
だから、プリント用紙には遭難した時の服装をした私が写っていたのではないかと考えた。
だけど、あの時私はただ祈っただけ……。
あんな状況に置かれたら、誰だって命が助かるよう祈るだろう。
それなのに、まさかこんな事が起こるなんて思ってもいなかったし、一人目の時だってあれは完全に不可抗力だった。
――私のせいなんかじゃない……!
そう心の中で叫んでみたけれど、事はもう起こってしまっている。
そして、それからしばらく経った頃、また証明写真機の怪異が私の前に現れた。
私は恐る恐るその用紙を見てみると、思った通り、今度は遭難した時の服装と同じ姿の貴之さんが写っていた。
『アレ』の正体が、実際のところ何なのかは分からない。
けれどこうなった以上、私にそれ以外の選択肢を選ぶ余地などあっただろうか。
それに、一人目の時と同じなら直接私が何かするわけじゃない。ただ、証明写真機のある場所を通るだけ……。
二人目は、彼に群がる一際派手な蝶だった。
彼女が私を妬んでいたのは明らかだったし、きっと何かしら陥れようとでも思っていたのかもしれない。
近付いてきたのは彼女の方からだったので、選ぶ手間が省けた。
そして、事は私の思惑通りに運んだ。
――嗚呼、これで私達の幸せは約束された。
罪悪感よりも、心の底から安堵したのを覚えている。
この時の私はすでに後戻りなど出来ない状態だった。それなら代償を支払った分、その幸せを噛み締めるしかないのだと自分に言い聞かせた。
けれど、三回目の怪異が現れた時は、ひどく狼狽えた。
あの時、助かったのは二人の命、だから代償も二人分で終わりだと思っていた。
十分な代償は支払ったんだから、もう私には何の関係もないと、最初は無視を決め込もうとしたけれど、怪異は執拗に私の前に現れ続けた。
そして、三人目となったのが桐ヶ谷さん。
彼を選んだのは、たまたまその時のタイミングで声を掛けてきたのが彼だったというだけの事だった。
けれど、彼と一緒に帰るようになってもなかなか怪異が現れず、彼では代償としてダメな条件でもあるのだろうかと、内心、焦りを感じていた。
これ以上彼との接点を作るとリスクも増えてくる。
対象を変えるべきか考え始めていたけれど、彼は無事に三人目となってくれたのだった。