パワースポット
婚約者の貴之さんと出会ったのは、趣味であるトレッキングの社会人サークルだった。
彼は大企業の御曹司だとかで、周りには絶えず人が集まっていた。けれど、彼の人気はその肩書きだけではなく、気さくで誰に対しても分け隔てなく優しく接する人柄がそれに拍車をかけていた。
特に何かに秀でているわけでもない私は、彼にとってはもちろん大勢のなかのひとりで、サークル活動で話す機会があっても当たり障りのない雑談を交わすくらいだった。
けれど、一度だけ心に残っている会話があった。
「鈴野さんの名前って、この山の色みたいだよね」
「え?」
それはサークル内のグループでとある山へトレッキングに行った時の事だった。
彼からいきなりそう言われて、私は思わず首を傾げた。
「確か、下の名前は蒼祈だったよね。ビリジアンブルーみたいに綺麗な色で、ほら見て」
そう言って、彼はスマホの画面を差し出してくれた。
そこには、確かに蒼色とは少し暗い青緑色と書かれてあり、ビリジアンブルーとも色が似ていて、もう一度目の前に広がる山を見渡すとそんな気がしてきた。
「僕は登山よりこうやって山の景色を眺めながら歩くのが好きだからかな。前から勝手に山と同じ綺麗な色の名前だなと思ってたんだ」
「あ……ありがとう」
たったそれだけの事だったけれど、恋に落ちるには十分だった。
そして、そんな大勢の中のひとりだった私が彼のような人と恋人関係になったのは、ある出来事がきっかけだった。
サークル内の一人が穴場のパワースポットを見つけたという事で、私と彼もそのトレッキングに参加することになった。
けれど、そのパワースポットへ行った帰り道。
私達は突然の濃霧に視界を阻まれ、前を歩いていた彼が狭い山道を踏み外し転びそうになったのを助けようと咄嗟に彼のリュックを掴むも、力が足りずそのまま一緒に斜面を滑り落ちてしまったのだ。
幸い私は軽症だったが、彼はどうやら足を痛めてしまい立ち上がる事が出来なかった。
スマホは壊れて繋がらなかったけれど、標高400mほどの低い山という事もあり、霧が晴れればすぐに助けが来てくれるはずだと、ひとまず二人で大人しく待つことにした。その間、彼はずっと巻き込んでしまった事を謝っていた。
しかし、霧はなかなか晴れずだんだんとあたりが暗くなり始めると気温もグンと下がり始め、私は怪我をしている彼の防寒対策を優先的に行った。
低山とは言え、山の寒さにだんだんと意識が朦朧としてきた時だった。
一段と低い冷気が、私たちの前に現れたかのような気がした。
まるで私たちを飲み込むように纏わり付く冷気に、ガタガタと身を震わせながら今にも意識が飛びそうになるなか、私は心の中で必死に二人の命が助かるよう祈った。
そして、気がついた時は病院のベッドの上だった。
発見時、骨折こそしていた彼は私の防寒対策により命に別状はなかったけれど、反対に私は軽度の低体温症だったものの、一歩間違えれば危ないところだったそうだ。
しかし、それがきっかけで私は彼にとって恩人となり、やがて恋人関係へと進展した。
家柄の違いなど気にしていたけれど、そんな心配もよそに彼の両親も遭難した時の私の彼に対する献身に心を打たれたと、喜んで受け入れてもらえたのだった。