証明写真機
――あの時、私はただ祈っただけ……。
それは仕事の帰り道での事だった。
その日、終電を逃した私はしぶしぶ歩いて帰ることにした。
なるべく街灯のある道を選びながら歩いていると、古めかしいアーケードに差し掛かった。
灯りがあるとは言え、寂れた通りはこの時間にもなるとほとんど人影もなく、静まりかえったアーケード内にコツコツとヒールの音が響く。
――カタン。
ふいに、小さな音がしたような気がした。
しかし、残業で疲れ早く帰りたい気持ちのほうが大きかった私は、あまり気にも留めずそのまま通り過ぎようとした。
けれどその時、サーッと夜風がアーケードを吹き抜けると同時に、
――カタカタカタ……。
と、また音がして私は思わず足を止め、あたりを見回した。
すると、古いタイプの証明写真機に目が留まる。よく見てみると受取口に白い小さな紙、それが風に揺れてカタカタと音を鳴らしていた。
カーテンは閉まっていたけれど、足元の部分を見る限り誰かがいるような様子には見えなかった。
――取り忘れたのかな?
しかし、証明写真を撮りに来て、プリントされた用紙を忘れる事なんてあるのだろうか。やや不審に思いつつも、私は面倒を避けてそのまま家に帰った。
しかし、その数日後。
その日は定時に上がれたのでスーパーに寄って帰ろうと、この前とは違うルートを歩いていた。
すると、そのスーパーの入り口近くで、
――カタン。
ふいに小さな音がした。
何となく聞き覚えのあるその音に、アレ? と思いながらあたりをキョロキョロすると、自販機が並んでいる一角に設置されていた証明写真機、その受取口にまたもや白い紙が……。
しかも、今度はカーテンが開いていて、明らかに誰もいないことが確認できた。それなのに、受取口にはプリントされたであろう用紙が取り残されていた。
けれど、他に気がついたような人もおらず、私だけが立ち止まってそれを見ていた。
立て続けにそんな光景を目にした事に、そこはかとない気味の悪さを感じた私は、スーパーに寄る事なく足早に家に帰ったのだった。
それから何だか気味が悪くて証明写真機を避けようと、いつもとは違う帰り道を選択するようになった。
普段、あまり気にして歩いた事がなかったので、どこにあるか分からなかったけれど、スマホのマップで検索したりしながら設置されていなさそうな道を通るようにしたおかげか、それ以来あの奇妙な出来事に出くわす事はなくなった。
◇◆◇
しかし、そんなある日。
その日も何事もなく自宅に帰り、部屋着に着替えスマホをいじりながらくつろいでいる時だった。
――ドンドンッ!
突然、玄関の扉を叩く音がしてびっくりして硬直していると、
――カタン。
ドアポストに何か入れられた音がした。
このマンションはオートロック付きで、各部屋の郵便受けは一階のエントランスに備え付けられている。
ただ、ごくたまにドアポストには火災報知機やガスの点検などマンション内のお知らせが入っている時があるけれど、夜にインターホンも鳴らさずいきなり扉をドンドンと叩かれたりした事など一度もなく、じっとり恐怖を感じながらも恐る恐る玄関に近づく。
ほんの少し迷ったものの意を決してドアスコープを覗いてみるも、部屋の前には誰もいないようだった。
ひとまずホッと胸を撫でおろし、ドアポストをそっと開けてみると、そこには小さな白い紙が入っていた。
まるで証明写真機のプリント用紙のようなそれに、私は思わず、
「ヒッ……」
と声にならない悲鳴を上げドアポストからパッと手を離した拍子に、そのプリント用紙はヒラヒラと回転しながら床に落ちた。