聞こえてくる声
「ラ……ラクス!?」
ユメは驚いて声をかけたが、既にラクスは馬車の外。
腰を浮かそうとした瞬間、フローラに手で遮られた。
「ユメはもう聞いたんでしょ? ラクスは光の精霊。たかが一体のダークリットに負けるわけないわ」
「……そうなの?」
「うん」
フローラはにっこりと笑って頷いた。
「ラクスは光の精霊の中でも優秀な術の使い手なのよ」
「そうですよ、ユメさん。ご心配なくここにいてください。私は念のため馬車をおりますね」
レニタスの向かった先から、こっちの世界に来て何度も見たまばゆい光が指し込んでいる。
強い光なのに不思議と太陽の光のようにまぶしくはない、不思議な光だ。
ユメはこっちの世界に来ていきなり出くわしたダークリットを思い浮かべながら、光を眺めていた。
あれが精霊の残滓。かつてはフローラやラクス、レニタスのような存在だったのだ。
『苦しい……。ニコラ、助けて』
耳を通り抜ける、微かな声。
心がざわりと揺れた。
「え……?」
「どうしたの?」
「え……あ、今フローラ何か言った?」
「いえ、何も……。大丈夫? ダークリットのことは全然心配いらないわよ」
フローラはユメが動揺している思っているらしい。
「いや、そうじゃなくて! 今声が聞こえたの助けてって」
『助けて、ニコラ。会いたいよ、ニコラ』
今度はさっきよりもはっきりと聞こえた。
女の子の声だ。とても苦しがってる。
「ほら! 今聞こえた!」
ユメは小さく叫んで言った。
一方フローラはというと、怪訝な顔をしている。
「何も聞こえないけど……」
『ニコラ、ニコラ。苦しいよ。……ごめんね、ありがとうが言いたかったのに』
「ほら! 聞こえる」
ユメは立ち上がった。女の子の苦しそうな声。
聞き流すなんて無理だ。
『ニコラ……』
声が次第に、はっきりと形を帯びていく。
ユメははっとした。
「馬車の外!」
「ちょっと、ユメ! 駄目よ!」
フローラから止めるのも聞かず、ユメは馬車を飛び出した。
馬車を飛び出ると、すぐそばに立っていたレニタスとラクスが振り返った。
「ユメ!」
ラクスは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに顔をしかめた。
「駄目じゃないか。馬車に戻ってくれ。いつものダークリットよりもちょっと強力だから時間が消すのに時間がかかってるだけ。心配から戻ってくれ」
ユメはラクスの言葉を聞き流しながら、ラクスの前に立ちはだかってる大きな黒い塊を見つめた。
生き物なのか、物体なのか。
これがもとは精霊だったとは思えない。
見るからに実体がない闇。
大きさは背の高いレニタスの身長を優にこえていた。
ユメは闇に向かって、ゆっくりと歩を進めた。
ラクスの声もレニタスの声もどこか遠くから聞こえる。
怖いなんて感情は不思議と生まれない。
「声が聞こえるの……」
「声?」
「ユメさん、今は馬車に」
「苦しいって、女の子が。助けてって」
その時だ。
闇が一瞬揺れたかと思うと、闇の一部が本体を離れユメのほうに飛んできた。
「ユメ! 危ない!」
突如ユメの前に光の壁が現れ、闇を遮る。
『ニコラ……。ニコラ……』
その声が聞こえる度に、ユメは心がざわつく気がした。
声から感じ取れる恐怖や苦しみが、ユメの心にも浸透してきているような感覚だ。
ラクスもレニタスもフローラと同じく何も聞こえないらしい。
「ユメ、戻るんだ。今のうちに」
「ほら、聞こえる!」
ややきつく命令するラクスに、ユメは全く動じなかった。
闇を光の壁伝いに感じた時に、伝わった波動のような不思議な感じ。
「ラクス、苦しがってるの! 女の子が」
「何を言ってるんだ!? ユメ、僕には何も聞こえない」
「ユメさん、今はとにかく危ないので馬車に戻ってください」
「レニタス、ユメ。危ないから少し下がっくれ。強い光を放つ」
レニタスの動きは俊敏だ。
ラクスの言葉が発せられた1秒後には、レニタスにユメは腕を掴まれ馬車の入り口にまで引き戻されていた。
どこからともなく光の球がラクスの前に出した手の上に現れ、次第にその大きさを増していく。
この類の光の術は初めてみると、ユメは思った。
どこか太陽に似た荒さがある。
何かを焼き尽くしてしまうような、消滅させてしまうような強さ。
この後に何があるか、容易に想像つく。
闇は何度も影を飛ばしラクス襲いかかったが、その光の球にぶつかって消えた。
ラクスは無表情に闇を見つめている。全く動じない。
手の上の光もラクスと同じ。飛んできた闇をなんなく消してしまう。
それでいてどんどんと大きくなっていく。
闇が恐がっている。
ユメは直感でそう感じた。
怯えている。
光を恐がっている。
突如闇が大きく揺れたかと思うと、少し後退した。
「逃げる気か」
身構えたラクスの前の光はダークリットとほぼ同じ大きさになっていた。
『ニコラ! 助けて! 恐い! ニコラ!』
怯える女の子声。
そしてユメは気づく。
「やめて! ラクス、やめて! 女の子が恐がっている! やめて!」
急いで飛び出して止めようと思ったが、レニタスに強く腕を捕まえられていて前に進めない。
鬱蒼とした森の中でまぶしく輝く光の球。
「離して! レニタス!」
自分が何を口走っているのかも分からず、ユメはただ必死にもがいた。
「駄目よ! ラクス! 辞めて!」
「ユメさん、落ち着いてください! 恐がらなくても大丈夫ですから」
「女の子なの! 苦しがってる!」
ユメの声にラクスは一度も振り返らなかった。
その背中にユメは憎しみのような感情を覚える。
『ニコラ! ニコラ!』
ついに光は闇よりも大きくなった。
ラクスは顔の位置まで右手を上げ、迷うことなくそのまま前につきだした。
光が手を離れ、前に飛び出す。
周りの木々や茂みを大きく揺らし、光の球が闇にぶつかっていった。
突如すさまじい叫び声が上がる。
以前聞いたのと同じ断末魔。
その中でも伝わってくる声。
『ニコラ……。ニコラ……』
光は闇を完全に飲み込んだ。
闇が光に包まれたかのように一瞬見えたが、光は炎のように形を変えた。
予想に違わない光景。
闇は焼き尽くされていった。
甲高い叫びとめに消滅していく。
『ニコラ……』
闇が消えるのと、叫びが消えるのと、女の子の声が消えるのは同時だった。
「ユメ、大丈夫?」
いつの間にかフローラがユメの馬車の入り口に立っていた。
ユメが振り返ると、フローラはその目を大きく見開いた。
「どうしたの、ユメ。……泣いてる?」
「え……」
ユメの腕を掴んでいたレニタス手が説かれた。
自由になった腕をそっと上げ、手で自分の頬に触れた時始めてユメは気づいた。
私、泣いている……。
涙を拭うと、ユメは振り返った。
驚いた表情で立っている、ラクスに言葉を放つ。
「闇の中に女の子がいたのよ! とても苦しがってた。なのに、ラクスが消してしまった!」
真っすぐにその瞳に、ユメは訴えた。
だがなぜか返ってきたのは曖昧な笑み。
言われなくても、信じてもらえてないことが分かる。
悔しさに唇を噛み締める。
数年前に封印したはずの涙を、ユメは止めることができなかった。