王都アクロピアへ
「ユメと王都に観光に行けるなんて、楽しみ」
フローラが弾んだ声を出しながら、馬車に乗り込む。
「わ、私も」
ユメも急いで答えながら、後に続く。
「友達とどこかにお出かけなんて初めてだから……」
「そうなの? それじゃ、おいしいレストランとか、お気に入りの服のブランドのお店とか紹介してあげるね」
「あ、ありがとう!」
「レディ2人の会話はまぶしい限りですね」
その時、レニタスが馬車に乗り込んできた。ユメの隣に腰をおろす。
続いてラクスも乗り込んだ。
ラクスの顔には物憂げな色が表れており、今朝はいつもより無口だ。
ユメは、フローラがラクスを心配そうに見つめているのに気づいた。
かける言葉が思い浮かばないので、黙っていることにした。
しばしの沈黙をレニタスが破る。
「それでは今回も無事にアクロピアにたどり着けることを願い出発することにしますか」
「あ……あの」
「はい、何でしょう? ユメさん」
ユメはそこで馬車を見た瞬間から聞きたいと思っていた質問を口にする。
「この馬車、馬も御者もいないいのにどうやって動かすんですか?」
「ああ。私達の世界ではそれぞれ自分で馬を生みだすんですよ」
「馬を生みだす?」
「ユメさんにはもうお話しましたよね、私のオリゴは何なのか」
「レニタスさんは風の精霊だと」
「はい、そのとおり」
そう言うと同時に、パチンと指の音。
次の瞬間、突然急速に馬車が走りだした。
馬車の外からはビュービューという唸り声。
「すごい! 風の力で動いているんですね」
「はい」
レニタスはにっこりして言った。
「私達風の精霊は何かを伝達する術を得意とする者の集まりなのです」
「今回はラクスがいるから心配はしていないけど、ダークリットに遭遇しないといいわね」
フローラが不安げに窓の外を見やる。
ダークリット。
この世界にユメが飛ばされてきた時に、襲いかかってきた黒い物体。
あれは精霊の魂の残滓だと聞いた。
最近この国のあちこちで発生しているらしい。
精霊がどのようにしたらダークリットになるのか、それは実はこの国の精霊達にも分かっていないらしい。
ただ闇の精霊が関係しているだろうという憶測が有力になってきている、とラクスは言っていた。
王都から追放された闇の精霊。
今でも光の精霊をまた七大貴族を恨んでいるのだろうか。
なぜかユメは闇の精霊に会ってみたいと思った。
光がさんさんと降り注ぐ日中よりも、闇が支配する夜のほうが昔から落ち着く。
その静けさと神秘さがやすらぎを与えてくれるのだ。
「ユメ? ユメ? 聞いてる?」
向かい側のフローラの声に、ユメがはっと我に返る。
「ごめん、考え事してた」
「いいわよ。そんなことより、ほら見て」
フローラの指がトントンと窓をつつく。
何事だろうと思いながら、ユメは窓を覗いた。
「わぁ、大きなお城。もしかしてもう王都に!?」
「まさか」
フローラがクスクスと笑う。
「王都はずっとまだ先だし、こんな森の奥になんかないわ。あれは七大貴族月の精霊のお城なの。精霊の頭首は頭首様方の中でも一番の術使いと称される、ご老人であられるわ」
「へぇー」
森の中の少し盛り上がっているところに立っているらしく、城は少し高い位置に建てられていた。
古びたお城ではあるが、ここの離れた位置からでもその大きさがかなりのものであることが窺える。
七大貴族のお城でこんなに大きいのなら、王宮はとてつもない大きさなのだろう。
「月の精霊は、謎の多い精霊なんだ」
口を開いたのはそれまで黙っていた、ラクスだ。
「そうなの?」
ラクスは頷いた。
「幾度となくご頭首にお会いしたことあるけど、気難しい方で接するのが難しいよ。月の精霊は癒しの力とかを得意とする一方、何かを隠す術にも優れている」
「いかにも月の精霊って感じね」
ユメは妙に納得しながら言った。
「けれど王家はこの一族を扱うのに、相当苦労しているよ。強い力を有しながらも、王家にはあまり従順じゃない。要するに扱いにくいんだ。謎もまた多い一族だしね」
「そうだったわね。ディセム様……」
フローラが相槌を打ちながら言った。
「ディセム様って」
ユメがフローラに聞く。
「今の月の精霊のご頭首様の娘だった方」
「だった?」
フローラは厳しい表情で、頷いた。
「もうずいぶん前にお亡くなりになったの。あのお城で。とても美しい方だったと聞いているわ」
「私は何度かお目にかかったことがありますよ」
レニタスが話に加わった。
「黒い髪が美しい、魅力的な女性でした。求婚者が後を絶えなかったと聞いております。あのような事件があって本当に残念です」
「事件?」
ユメが問う。
「分かってないんだ。公には何らかの事故に巻き込まれて、命を落とされたとなっているけど。というよりは、父親である頭首が無理矢理そうこじつけたようではあるが……」
「巷では殺されたという噂もあるの」
フローラが声を潜めて、付け加える。
ラクスはコクンと頷いた。
「僕はまだ幼かったから詳しくは知らないが、当時いろいろな噂が流れたらしい。求婚者が多かったから誰かに逆恨みされて殺されたんじゃないかとか、またはダークリットに、とかね。ダークリットが現れはじめたのも、非常に曖昧だがその時期だったはずだ。今よりはずっと出現も僅かだったが。そういえば、父親である頭首が、たまたま言い合いになって殺したんではないかという憶測もあったな」
「ラクス様、ご頭首様が殺したなんてとんでもない」
レニタスが眉をひそめた。
「お二人は仲の良い親子だったと聞いております。ご頭首様はそれはもう大事にディセム様を育てていらっしゃったと」
ラクスは肩をすくめた。
「月の精霊にかかれば世間を欺くことなんて簡単だからな。僕達王族でも暴くことは難しい。現にこのディセムさんのことに関して、ゲントゥムは一切口を開かないと聞いた。ただ事故死で亡くした、と公言したいが――」
「きぁあー!!」
突然のフローラの悲鳴。
理由は聞くまでもなかった。
前からの何かにぶつかったような急な衝撃と共に、風の音が消え、馬車が止まったのだ。
「遭遇してしまいましたか、ダークリットに」
相変わらず冷静なレニタス。
ラクスは無言で立ち上がり、一人馬車を降りた。